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2020-03-06

画廊宮坂・赤穂市立美術工芸館 田淵記念館~後藤 仁 YouTube展覧会映像


 随分、久しぶりに、YouTubeに展覧会映像を上げました。貴重な展覧会場や作品の画像、ギャラリートークの一部を公開しています。ぜひ、ご覧下さい。
 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁


~日本画画業35周年記念~
 後藤 仁 日本画・絵本原画展


2018年8月20日(月)~25日(土)
〔20日(月) 後藤 仁 ギャラリートーク・絵本朗読会・サイン会〕 

画廊 宮坂
 〒104-0061 東京都中央区銀座7-12-5 銀星ビル4F
 Tel: 03-3546-0343
 http://cgi.www5a.biglobe.ne.jp/~miyasaka/

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 15歳で日本画を始めて35年の歳月が流れました。永年「アジアの美人画」をテーマに、日本やアジアの女性や少数民族などを描いてきました。
 本展では、日本画画業35周年、絵本出版5周年を記念して、美人画・風景・花などの日本画・版画作品24点と、絵本の原画作品5点にて展覧いたしました。
(日本画・版画作品と絵本の売り上げの一部は、東北被災地等への「絵本寄贈プロジェクト」に使われました。)

【出品作品】
○日本画 代表作品~小品  F50号~F0号 20点
○版画作品
 「ながいかみのむすめ チャンファメイ(後ろ扉)」
 「犬になった王子 チベットの民話(第12場面)」他 4点
○絵本 原画作品  5作品分の表紙原画 5点
 「ながいかみのむすめチャンファメイ」(福音館書店こどものとも)
 「犬になった王子 チベットの民話」(岩波書店)
 「おしゃかさま物語」(佼成出版社)
 「わかがえりのみず」(鈴木出版)
 「金色の鹿」(子供教育出版)

〔主催〕
画廊宮坂
〔後援〕
一般財団法人 日本中国文化交流協会、学校法人桑沢学園 東京造形大学、この本だいすきの会、絵本学会、貴州省日本観光センター、岩波書店、福音館書店、鈴木出版、佼成出版社、子供教育出版




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赤穂市立美術工芸館 田淵記念館 平成30年度 特別展
 ─ 日本画画業35周年記念 ─
後藤 仁 日本画・絵本原画/後藤大秀 からくり人形
 ~赤穂出身の日本画家・絵本画家、初の里帰り展~


2018年10月20日(土)~12月17日(月)

《オープニングセレモニー》10月20日(土)
主催者・ご来賓挨拶(赤穂市長、後藤 仁、後藤大秀ほか)、からくり人形実演披露会(大垣祭保存会)、幼稚園児たちの踊り、絵本朗読会(地元の朗読家)

《後藤 仁 ギャラリートーク・サイン会、絵本朗読会》11月18日(日)
ギャラリートーク「赤穂の思い出、アジアの旅と日本画・絵本の制作」

赤穂市立美術工芸館 田淵記念館
 〒678-0215 兵庫県赤穂市御崎 314-10
 http://www.ako-art.jp/

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 15歳で日本画を始めて35年の歳月が流れました。永年「アジアの美人画」をテーマに、日本やアジアの女性や少数民族などを描いてきました。この度、日本画画業35周年、絵本出版5周年を記念して、私の生まれ故郷・赤穂にて初の本格的な大型展覧会を開催いたしました。
 日本画の代表作25点と、絵本5作品の原画、金唐革紙(きんからかわし/国選定保存技術、国重要文化財建造物壁紙)にて展覧しました。さらに後藤 仁の伯父で、からくり人形師の後藤大秀が手がけた、大垣まつり(ユネスコ無形文化遺産)の、からくり人形と能面作品も合わせて展覧いたしました。
 また同時期に、赤穂市内の「桃井ミュージアム」でも、『後藤 仁 日本画小品展』を開催した他、ギャラリートーク・特別教室 等の各種イベントも多数、開催されました。
 貴重な作品群が一堂に会した、誠に貴重な展覧会になりました。ぜひ、ご視聴いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

 絵師(日本画家・絵本画家、金唐革紙製作技術保持者) 後藤 仁 


【展示内容】
〇日本画 代表作品 25点
〇絵本 原画作品(表紙・扉・場面・後ろ扉)5作品
 「ながいかみのむすめ チャンファメイ」(福音館書店こどものとも)
 「犬になった王子 チベットの民話」(岩波書店)
 「おしゃかさま物語」(佼成出版社)
 「わかがえりのみず」(鈴木出版こどものくに ひまわり版)
 「金色の鹿」(子供教育出版)
〇金唐革紙(きんからかわし/国選定保存技術、手製高級壁紙)4点
  国重要文化財建造物
 「入船山記念館」「移情閣 孫文記念館」「旧岩崎邸庭園」

〇後藤大秀 作品
 からくり人形(ユネスコ無形文化遺産・国重要無形民俗文化財「大垣まつり」)3体
 「布袋軕 倒立唐子人形、采振り人形、布袋人形」
 能面 5面

〔主催〕
公益財団法人 赤穂市文化とみどり財団、赤穂市立美術工芸館 田淵記念館
〔特別協力〕
大垣祭保存会
〔後援〕
大垣市、大垣市教育委員会、赤穂市、赤穂市教育委員会、一般財団法人 日本中国文化交流協会、学校法人桑沢学園 東京造形大学、絵本学会、この本だいすきの会、貴州省日本観光センター、岩波書店、福音館書店、鈴木出版、佼成出版社、子供教育出版



テーマ : 展示会、イベントの情報
ジャンル : 学問・文化・芸術

2020-03-04

或る清貧画家の苦悩の断簡 (日々のつぶやき まとめ)

 私はフェイスブックやツイッターで、時々ブツブツとつぶやいています。日々に感じた よしなし事を、制作の合間に、そこはかとなく書きなぐっています。日々忙しい制作の前後などの短時間に、多くは鬱積した思いを短く吐き出した内容で、私にとっては、ある種のカタルシスのようなものだと思います。ほぼ感情の赴くまま、あまり吟味もせずにつぶやいた言葉は、大抵、乱暴で がさつで洗練もされていません。美術・芸術に関しては、自分に対しても他人に対しても、常々厳しい姿勢を取ってしまい、時には意図せずに、つい否定的・差別的にとられる表現が出てしまう場合もありますが、それらは美術・芸術に対する私の強いこだわり・厳しい見方がなす仕業なので、個人・団体を根本的に差別・誹謗しようという思惑は全くないのです。そこは大らかに大目に見ていただけますよう、ご理解いただけますと有難いです。(事実、ある先輩画家の誤解を招いて、ややこしい事になりましたので・・・。)
 最後にも書いてありますが、私は「画家」であり、「文筆家」ではありません。本質的に、その文章には何の価値もなく、意味もないのです。私の本質を知りたい方は、ぜひ、日本画(印刷・ネット画像ではなく実物を)や絵本作品をご覧いただけましたら幸いです。”絵”に私の真実があります。ただ私の日本画や絵本作品と合わせて考察すると、その時々の感情の揺れや高まりが見て取れ、一人の珍奇な芸術家を理解する手助けとなるかも知れません・・・。
 とある美術団体の展覧会実行委員会委員長を務めた事などが原因で、再び多くの煩悶・疑問が増してきた、2019年4月頃より、内容が比較的面白そうな つぶやきをまとめてみましたら、全編ではけっこう長くなりました。問題発言も多いかと思いますが、あえて、ほぼ原文のまま掲載いたします。誠にたわいもないですが、一若輩芸術家の苦悩の断簡を、ご興味がある方はお読み下さい~。
  絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁

           *

2019年4月23日

 『日本に着いた直後にニュースで見たのですが、私がコロンボを発った同じ頃、バングラデシュの空港で爆破テロ事件が起こったという事を知りました。現在の世の中は、全ての物象が徐々に物騒な状況に向かっています。バングラデシュと同じ南アジアに位置するスリランカでも、同じような危機情報が飛び交っているでしょうから、そう考えると、今回のスリランカの異様な警備体制も合点がいきます。今の世の中の現状を踏まえると、よく言われる事ですが、もしかしたら日本人の方が平和ボケしているのかも知れませんね。それと同時に、ますます「平和」というもの、「寛容性、融和精神」の大切さを改めて実感する事になります。
 今回の旅では、素晴らしいスリランカの文化に触れた大きな感動と共に、何かしら理解しがたい巨大な不安の影を感じました。思いやり・利他精神は、思いやり・利他精神につながり、不安・懐疑・恐怖は、不安・懐疑・恐怖を増幅します。そんな時、ゴータマ・ブッダが2500年も昔に唱えられた、言葉の重要性を知る事となるのです・・・・
 「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である。」 (「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村 元 訳/岩波文庫、より)』
(後藤 仁 公式ブログ「スリランカ写生旅行 その12(最終回)」より抜粋)

 私が2016年の「スリランカ写生旅行」の道中、肌で感じた大きな不安が、やはり現実のものになってしまいました・・・。とても悲しく残念な事ですが、これが今の困難な時代の現実なのです。海外の取材旅行も気軽な気持ちではいけません。まさに命懸けの旅路になるのです。
 ただ、世界のアジアの美しさを描き伝える事と、世界中の人と人とが手を取り合う事の大切さを失ってはいけません・・・。
(※スリランカの爆破テロ事件の報道を受けて。)


2019年5月4日

 随分久しぶりに、後藤純男先生と飲んだ・・・・・夢を見た。何かの学校の団体国内旅行の設定で、大きな旅館(ホテル)に泊まっていて、自分の部屋の場所に迷って、たまたま食堂に紛れ込んだら、そこに後藤純男先生が一人飲んでいて、私も一緒に焼酎をいただき、かなり酔っぱらう・・・という奇妙な話である。その時の先生はとても嬉しそうな様子であった・・・・。
 しかし、私の夢は大概とてもリアルであり、今回も特に後藤純男先生と出会う場面は誠にリアルであった。本当に、夢で天国の先生に会ったのかも知れないな・・・。
 
 私の師であり、3年程前にご病気で亡くなられた後藤純男先生は、日本を代表する十指に入る日本画家であり、東京藝術大学名誉教授・西安美術学院(大学)名誉教授・日本芸術院賞 恩賜賞受賞者の巨匠である。一般的にはネスカフェゴールドブレンド「違いがわかる男」のCMに出演した事でも有名である。
 10数年前までの先生がお元気な頃には、埼玉県や北海道・沖縄・那須のアトリエ兼別荘に度々おじゃまして(先生には私が知るだけでも、奈良にもう一つの計5か所のアトリエが自宅以外にあるらしい。私はその内の4か所は訪れている。)、多い時には週に2回位のペースで、お酒を飲み、絵の話を聞かせていただいたものである。今思うと、日本画がまだ昭和からの全盛期の最中(終盤であるが)でもあり、いい時代だったな~。先生のアトリエにはひっきりなしに、画商やら百貨店マンやら日本画家やら財界人やらが出入りしていた(政界人は晩年までは敬遠していたらしい)。私がお会いした人だけでも、西安美術学院の教授陣や、埼玉県警の警視正(埼玉県内に確か4人しかいないとか)夫妻だとか、複数の百貨店の美術部長だとか、様々なジャンルの大物がいた。デヴィ夫人がアトリエに来た時の、先生とのツーショット写真も置いてあった・・・。
 そんな巨人的なご活躍を見せた屈強な先生も、病に倒れた。人間的にはワガママで自由奔放なお人であったが、”絵” ”日本画”に関しては、誠に真面目で、とても素晴らしくて力強い作品を描かれた、まさに私の尊敬する師であった・・・・。
 
 夢の中でも、あの頃のまま、ゆったりと自由気ままに酒を楽しむ先生のいらっしゃる、仙境のような光景に、誠に暖かい気持ちになって目が覚めた~。


2019年5月8日

 一昨日は、加山又造先生が夢に現われました。先日の後藤純男先生に続き、日本画の超大御所が夢に出てきますね・・・。しかし、後藤純男先生はこれまでにも、度々、夢に現れる事があるのですが(実物より20倍位も巨大なアトリエが出てきたりします)、加山先生が現われたのは初めてかも知れません。

 夢の中で私が「個展」をやっていますと、「この絵は院展みたいだな~」と言っている声が聞こえるので近づいてみると、加山又造先生でした。多分、前の画廊宮坂での「個展」で中島千波先生に同様の事を実際に言われたのが、夢では加山先生の言葉として現れたようです。私は昔(30年以上前)の院展への憧れはあったのですが、今はそことは異なる領域・画法を模索してきたので、少し残念でもありましたが、画題や描き方には、やはり院展の影響がいまだにあるのでしょう・・・。
 加山又造先生には、東京藝術大学の日本画合同研究会で少し教わっただけですが、印象深い先生でした。時々校内で会ってご挨拶すると、「元気ですか~」と、か細い枯れた声で答えてくれました。

 私が東京藝術大学の受験時の面接では、平山郁夫先生、加山又造先生、後藤純男先生、福井爽人先生 他、10名程の先生方が正面に居並び、窓の逆光を後光のように受けて、光り輝いていました。さすがにこの時は緊張しましたね~。
 今思うと、あの頃が、明治時代から100年余り続く日本画黄金期の最後の時代でしたね・・・。明治以来、多少の盛り上がり下がりはありながらも、日本美術界の頂点を継続してきた日本画界。昔の人なら、横山大観、菱田春草、上村松園、小林古径、前田青邨、伊東深水 等といったら、ほとんどの人には通じましたが、今では東山魁夷、平山郁夫がギリギリでしょうね・・・。平山先生も加山先生も後藤純男先生も、日展の東山魁夷先生も高山辰雄先生も亡くなられた今、日本画界も東京藝術大学日本画教授陣も、昔ほどの偉大さはなくなりました。

 しかし、時代の変遷で、アート・美術文化の中心が、現代アートや、更にはマンガ・アニメ・ゲームに移った今日でも、まだまだ日本画の輝ける道はあると、私は信じています。
 今の所、日本画界の権威だけは、高さを何とか保っていますが、この先は分かりません・・・。しかし、黄金期の再来とまではいかなくても、シルバー期位は、この後の時代にも演出できるのではないかと信じています。
 個人的には、まだ日本画の勢いがあった頃に、巨人とも呼べる偉大な歴史的な日本画家に直接、お会いでき、学べた事は、何よりも私の宝なのです。
 私は、今後も、日本画の新しく輝ける方策を模索しながら、日々、画道に精進するしかないのです。


2019年5月8日

 私が思うには、優れた「リーダー像」というものは、高い理想を掲げて、それを実現しようと、人の先頭に立って奮闘する人の事である。その際に留意したいのは、下の立場の者が動きやすいように環境を整えてあげられる人である必要性がある。そして、良い内容なら下の者の考えを時には取り入れ、外部やさらに上からの不条理な圧力から下の者を守ってあげられる、懐の深い人でないといけない。
 下の立場の者に自分の意見のみを強要する者や、圧力をかける事を楽しんでいるかのような者は、人の上に立つ資格がない。それでは、ただの権力の濫用である。
 また、人は重要な”約束”は守らねばならない。それは人としての必然的な道理であり義理である。それができない者は、人の上に立つ資格はない・・・、と私は思うのだ。


2019年5月15日

 長年、日本画を描いてきた。そんな訳で、今までは比較的、ご年配の応援者ばかりがいらっしゃった。初の「絵本」を出版して6年ばかり経ち、最近ではお子さん・若い方のファンもボチボチ登場してきた~。
 絵画に造詣のあるご年配の方々に応援していただける事も、本当に大切である。また逆に、小さな子供たちは絵画の本質が分からなくても純粋に絵を楽しんでくれるので、実に嬉しくもあり、大切なものなのだ。
 
 今の時代は様々な問題が山積している・・・。次の時代を見据えたら、この時代の子供たちに、本当に優れた美術文化を伝えていく事の大切さを、ひしひしと感じる。真に良い作品を描ける作家というものは、実際のところ実に少ないものである。
 私はまさに命懸けで、本当の絵を求めつつ、伝えていかねばならないという、極めて強い気概を感じている。どんなに辛い事があろうと、苦難にあおうとも、一生、絵を描き続けなければならない。それが、私にできる唯一の天職なのだ。

 
2019年5月29日

 昨日の朝も変にリアルな夢を見た。実際に今、仕事をしている福音館書店「こどものとも」の編集長が夢に出てきて、絵本制作の打ち合わせをしていた。・・・と思ったら、実際には見た事もない、少し若い福音館書店の女性編集者らしき人にいつの間にか代わっていて、その人と具体的な制作の打ち合わせをしていた・・・。と思ったら、今度は仕事をした事もなく見た事もない、G社の編集者だという女性と打ち合わせをしていた・・・。と思ったら、いつの間にか宴会が始まっていて、大王グソクムシみたいな、大きくて妙な海老を腹側からかぶりついた所で、・・・朝6時過ぎ頃、目が覚めた。ちょうどその日は、朝から自動車免許証の更新に行く用があったので、早めに目が覚めて良かった。
 今日は、絵本制作「第12場面」を描き進めた(これは夢ではなく実際の話)。ここの所かなり気合が乗ってきたので、いよいよ「表紙」の下図を描き始めた。きっと良い絵が描けそうだ・・・、そんな気がするのだ。


2019年7月4日

 しかし、いつもながら、間違っても”絵描き”になど、なるものではないと、この歳になって、つくづく思う。よほどの資産家のご子息か、商売上手でなければ、止めておいた方がよいと、将来のある若い人には忠告したい。もしくは、それでも絵を描きたいと欲する、私のような格別な変人でもなければ、本当に純粋な”絵描き”になど、なれっこはない。運や時代性に翻弄される絵描き人生の中、ビジネス的に必要とされない絵描きは、人知れず、抹殺されていく。どんなにやる気があり、才能が高くても、関係ないのだ。運とビジネスセンスが悪ければ、私のように、一生、妙な苦労をするだけだ・・・。
 しかし私は、すべては、この路を選んだ自分のせいだと思う。他人のせいでもなく、時代だけのせいでもない、・・・仕方ない、運命のようなものだ。世間に翻弄され、必要とされず、死んでいくのだろうが、それでもよい。何も恥じることはない。物心ついた時から”絵”を愛し、19歳で単身上京し、苦学をしながら、精一杯、正々堂々と今まで描いてこれただけでも十分幸せだ。人一倍、努力したと、自信を持って、死んでいけばよい。そのように宿命付けられた一生だったら仕方がない。最期まで、とことん描き続けて、笑って逝こうではないか・・・・。

(追記: コメントを寄せていただいた方々に・・・)
 皆様、ありがとうございます。私のSNSはほとんど心の叫び(独り言)でしかないのですが・・・。
 しかし、バブル崩壊後の日本に放り出された絵描きの私は、一度も楽に生活できる時代を経験していません。ただ私は、贅沢をする気など最初から全くないので、それはいいのです。今まで”絵”を続けて来れただけでも、私達の世代はまだ恵まれています・・・。  
 絵はますます売れない時代になるのに、画材代はどんどん高くなるは、時代はつまらない IT・AI 時代になるは・・・。それでも取材は欠かせないので、今年も年に3~4回は海外の取材・展覧会を行わなくてはならないのです。これでは、生きていけません~。  
 私の周囲でも、学生時代に良い絵を描いていたのに、いつの間にか消えていった人が沢山います。逆になぜこの人が・・・と思う人が、要領がいいのか親の財力なのか、残っていたりします。  
 次の世代の絵描きは、多分もっと厳しい時代を迎えると思います。それでは日本の美術・文化が育たない・・・。日本の表現者を取り巻く環境は決して良いとは言えません。それは昔から絵描きはお金持ちの子供しかなれなかったのが、通常なのかもしれませんが、それでは幅の広い本当の芸術家が育ちません。多くの人が、もっと普通に”絵”を鑑賞し、”絵”を飾って楽しめる(安くても良い絵はあります)世の中が来てほしいと、無理は分かっていながら願っています。 
 

2019年7月24日

 人はどうしてこんなにも愚かなのだろうか(私も含め)~。今までにも、特に若い頃(中学・高校・大学時代)には幾多の差別や侮蔑を受けてきた。もう、とっくに慣れっこだ・・・。そのほとんどが、私の評価や実力への妬みや嫉みからくる、無視や、刃のような酷い言葉である。今まで酷い無視・言葉の暴力を受けた時は度々あるが、直接の暴力はまだないのかな・・・(最近のいじめを受ける子供たちよりはましだね。彼ら彼女らは本当に辛いだろうね・・・)。
 しかし、言葉の暴力というものも、時には人を深く傷つけるものだ・・・。(私も常々、歯に衣着せぬ率直な物言いをしてしまい、誤解を生みやすい性質なので注意せねばならないが、口調や文才は今さらなかなか変えられないものである。悪気は全くない場合が大半なのだがね・・・。)
 だが最近、この歳になってまで、同じ事が繰り返されることに驚くばかりだ。私の強すぎる個性も悪いのかも知れないが、人はどこまでも愚かだね~。幼いね~。ただ他人から攻撃を受けるのも慣れてしまって、今ではある種の快感でさえある・・・、やっぱり変態だね! 妬まれてなんぼ、ひがまれてなんぼ、の世界やな!
 一つ確かなことは、今までもそのような酷い差別をしてきた人物は、少なくとも「絵」の世界では大成していないという事実である。
 自分の"器"を見極め、その分にあった生き方をせねばならない。人は"平等"であるべきだというが、それは基本的人権においてである。「絵」という特殊な仕事に、はなから平等はあり得ない。天から与えられた才能と運のみで生きていくしかない、誠に厳しき茨の路である。その才能と運に見放された人間は、・・・世間の評価はさておいて・・・、一生、良い絵は描けないことは確かであろう。


2019年7月27日

 ”巨大津波”の夢を見た・・・。私の夢は概して、リアルな場合が多いが、今回はその中でも極めて明確な夢だった。まるでそこにいるかのような臨場感だった・・・・。

 場所は故郷の赤穂の海近くらしい。大津波が来たという情報が入ったが、今いる所は、海際の小山(海抜50~100m位の小山)から、1㎞程離れた、もう一つの同じ位の高さの小山の上である。「ここはさすがに大丈夫だろう」と家族と話していた。小山の上からの眺めは極めてリアルで、眼下には田んぼや所々に家々が見え、その先に海際の小山がある。
 ところが・・・、津波が山を越えた!。
 あの大きな障壁を、斜めに滑るように水が越えてくる光景は、あまりに現実的でおぞましい光景だった。多分、報道で見た、巨大堤防を越える津波の映像が頭に焼き付いていたのだろうが、それにしても津波が山を越えるという発想を私は考えた事もなかった。
 私は家族を連れ、「逃げろ!!」と叫んだ。ここは向こうの山とほぼ同じ海抜である。ここにも波は来る。少しでも高い崖を目指して、岩を這い上った。20m程は上に行けたが、もう時間がない。私は焦っていた。隣には私の家族以外に4名程の知らない人達(1人の男性と、家族らしき女性と子供2人位のグループ)も逃げてきていた。そこは山寺の境内らしく、「あの屋根の上に登ろう」と考えたが、もう、津波はそこまで迫っている気配である。「もう間に合わない・・・」と寺の裏を見ると、水がそこまで来ていた。しかし、そこで水は止まり、少しずつ引いていった・・・・。
 本当なら、まだ、第2波・第3波があるので油断ならないが、夢の中ではそこで完結したらしく、私達はホッとして、皆で安堵した・・・、「もし、さっきの所にいたら、きっと死んでいたね・・・」と数人で話し合った。

 ・・・・ところで目が覚めた。目が覚めると朝の4時頃だったが、外では雨が降っていた。子供の頃に怖い夢を見た時ほどドキドキはしていなかったが、あまりにリアルな画像と体感は、どこかの現実的異空間に入り込んだような感じだった。
 実に不吉である。前に、原爆が炸裂する、とてもリアルな夢を見た事があるが、それ以来の衝撃的な夢であった・・・。この夢は、何かの啓示であろうか。近い将来、何もない事を祈ろう・・・・。
(※この夢は、本当に いずれ来るであろう超巨大津波を指しているのか、はたまた、今、猛威を振るっている新型コロナウイルスを暗示していたのか・・・?。それとも、日本美術界・美術団体のありようを示唆しているのか?。)


2019年9月26日

 先日、NHK『クローズアップ現代』で「現代アート」についてやっていましたが、共感する部分が多くありました。

 日本は高度成長期・バブル期に経済的には膨れ上がりましたが、文化・美術方面ではアニメ・マンガ・ゲームの隆盛こそありましたが、「純粋美術」はほとんど成長しませんでした。いや、むしろ衰退しています・・・。日本の大多数の若手画家は食べていくだけで精一杯で、作品制作を続ける事が至難の業になっています。お金持ちのご子息か、よほど商売が上手いか、かなり幸運な人しか、作家として残れません。
 私も日本の最貧層の生活で、収入のほぼ全てを画材と取材旅行につぎこんで、何とか今まで、ギリギリ生きてきました。私は50歳まで描けたので、あとはどうなってもよいのです。ただ描けるだけ描きまくり死んでいくだけです・・・。ただ、次世代を担う、若き芸術家・画家の事を考えると、日本の現状に気が滅入ります。日本の芸術・美術・文化が滅んでいく・・・。もしくは、気概のある、優れた画家は海外に流出するしかありません。
 日本の文化・文明を滅ぼしてはいけません。「現代美術」とは、いわゆる「現代アート」だけではなく、伝統を継承した「日本画」等もまた、現代に生きる現代アートと言えるのです。

 この類の話をしだしたら尽きることがありませんので、ここでは短く書くだけにします。
 今後とも、日本の心ある、お一人お一人が、芸術・美術・絵画に関心を持ち、何かしらの形で参加・支援していただける事を、心より願っています。


2019年10月26日

 昨日の朝、また不思議なリアルな夢を見た・・・・。
 私の師である後藤純男先生が、再び夢に現れた。先生は、私に一つの硯を差し出し、「使ってくださいね・・・」という感じで、穏やかで優しい笑顔を浮かべられた。私は手に取ると、硯をよく眺めた。「端渓緑石硯」か「洮河緑石硯」であろうか、淡い緑色で彫刻の施された、10㎝×5㎝程の小さな硯である。手には重さを、確かに感じた・・・。
 その前後の脈絡はあまり覚えていないが、その場面だけは鮮明に記憶している。

 少し前に、日本画家の I さんが、自分の師のY先生を通して加山又造先生の硯をいただいたという逸話を話され、「私は後藤純男先生に画材をいただいた事は一度もないですね・・・」などと話したので、その時の記憶がこんな夢になったのだろうか・・・(先生から可愛い茶碗をプレゼントされた事はあり、今も大切に使っているが)。
 それとも、そんな話をしている私を、先生は浄土から眺められ、そうそう忘れていた・・・と、せめて夢の中でと託してくれたのだろうか・・・。
 いずれにしても、前に見た、先生と酒を酌み交わす夢と同じく、いい夢だったな~~。


2019年11月10日

 「無明」という言葉があるが、人はとかく身近な利害にとらわれて、本当の真実に気が付かないものである。それとも、一生、気が付かない人もいると言ってもよかろう・・・。若い人は仕方がないにしても、ある歳を越えてそれでは、世の中、上手くいかないはずである。それは「気のせい・考え過ぎ」ではなく、真実である。そこから目を背けているだけでは、何も解決しないレベルにまで来ている事は、世の中に多々ある。
 多くの人々が、もっと物事の本質について考えねばならないのだろう・・・。そして、苦しくても、身を犠牲にしてでも、そこに立ち向かわなければならない時が来る事を、覚悟せねばならない・・・・。
 

2019年11月20日

 私には、極めて頑固でかたくなな部分と、とても一途で純粋過ぎる部分と、常にごちゃ混ぜになって存在しているらしい・・・。そして、その真実の無垢さゆえに、いつも世間の真人間のふりをした、生きるのと口だけが上手い人々に翻弄されて、最後に一番、傷つくのは、常に私らしい・・・。
 しかし、世の中の人間は、意地の悪い人が多過ぎる・・・。そうであるのならば、たまにはこんな愚か者がいてもいいのだろう・・・。そうでないと世の中、無味乾燥でつまらない世の中になってしまうだろう。しかも、本当に良いもの(芸術・美術)は一切産み出せない世界になるだろうね・・・。
 ただ、いつも、とても疲れるね~~。いつまで生きていられるのやら~~~。
 〔或る天才画家の独白〕


2019年11月21日

 しかし、「派閥」を公然と否定する人に限って、案外、とりあえず今のところ短絡的に有利だろうと思える派閥・グループ・リーダーに、媚を売ったり肩入れしているものであるな~。
 「派閥」というものは、対立を生み出すやっかいなものである反面、集団生活をせざるを得ない猿族である人間には、上手く集団を機能させる良いシステムでもあるのだ。「派閥」が上手く機能し、上下・左右・男女・貧富 等が偏り過ぎずにバランス良く、それぞれが生かされる世の中が理想だ・・・。
 しかし、そのバランスが大きく崩れると危ない。その集団では、中央集権化が進み、必ず独裁が起こるのである。独裁による偏見・差別・虐げを生むくらいなら、やはり人は「派閥」をバランス良く機能させる生き方しかできないのだろう・・・。もしくは、できるだけ集団に関わらずに、一人で生きていく生き方を模索するのか・・・、私のように。


2019年12月10日

 1時間、間があけば、集中するのに2時間はかかる。1日、間があけば、2日かかる。1週間、雑事に追われると、次に高い集中脳に入れるのに、2週間はかかるのだ。1か月間、雑事が多ければ、次の2か月間は本当の精神集中領域には至れない。
 そうして私は、無駄に時間を費やし、図らずも、寡作家になってしまうのだ・・・。

 この5年ばかり、やけに雑事が忙しかった。展覧会(個展・グループ展)・取材旅は本職故、やむを得ないとしても、大学講師の仕事や、その他、団体等での多過ぎるイベント・雑務に翻弄された。
 今年は殊更、そんな雑事が多過ぎて、精神が疲弊し、辟易した。それ故、この年内の制作は、なかなか集中力が増さない~。だが、できるだけ腰を落ち着け、少しずつでも進めておこう。

 来年は、必要最低限度の展覧会・美術講師業を除いて、できる限り、作品制作のみに打ち込みたい。果たしてそうなれるだろうか・・・、否、必ずそうしなければならない。画家として・・・、芸術家として・・・、絵師として・・・。
 

2019年12月24日

 先日、NHKで鉛筆画家・木下 晋さんの特集をしていたが、現実をありのままに描く事も、「芸術」の真実である。表面的に美しいものも、そうでないものも、本質的には全てが”美”と言えるのだから・・・。
 絵本編集者の唐 亜明さんと絵本制作の打合せの途中、木下さんから唐さんにお電話がかかってきていた・・・。絵本の世界も、このような本当の画力と精神力がある美術作家が描くと、いいものだね~。唐さんの目の付け所に感服する・・・。(※ここは皮肉ではなく、本当にそう思っているのです。)

 ところで、私は「アジアの美人画」を画題に描く身である。美しいものを、本当に美しく描く事も、また至難の業である。しかし、それに一生をかけて、挑んでみたい。たとえそこが、一生、届く望みのない高みであったとしても、せいぜいあがきたい。
 ここ数年は雑事・雑念が多過ぎて、集中しきれずに苦慮したが、来年はそんな本当の画家としての、良い制作の年になれるのだろうか・・・。それとも滅びへの年になるのだろうか・・・・。微かな希望を抱いて、もう少しだけ・・、生きていこう。


2019年12月27日

 しかし不思議な事だ・・・、こんなにも世俗の雑事に心が乱され、多分、年とともに精神も穢れきっているというのに。何故に、こんなに美しい線が引けるのだろうか。私の右手には、画神が宿っているというのだろうか・・・。
 多分、結構、美しい人物が描けたと思う。良い表情だ、何とも美しいかな~~。頭で考える前に、自然と良い曲線を手が選んで、自ずから線が引かれていく。実に不思議だ、実に不可思議な事だ・・・。

 今日、中国向けの新作絵本制作の「扉」が完成した。次の「第一場面」は、およそ6割の完成だ。ようやくボチボチ気合が乗ってきたよ~。来年は、更に、もっともっと集中力を増して、命の限り、描きつくしたいね~。 ヽ(^o^)丿


2020年1月9日

 しかし常々思うのだが、現在のあり方では、今の芸術・美術の世界が良くならない訳である・・・。「人生は短く、芸術は長し」、・・・芸術の世界は深遠で、その本質を知る事は、誠に困難である。
 私は小中高校生の頃には、「絵の天才、堺に現る!!」とそれなりに話題ともなり、周囲から期待されたものだが・・・、結局、齢50を超えても、大した芸術家にはなれていない。
 近年はメディアやインターネットが発達した事もあり、誰もが公に主張できる時代になった。それはそれで埋もれた才能を開花させる、良い機会ともなったのであるが・・・。反面、自分を売り込み、派手に宣伝する事ばかりに長けた人が増え過ぎた。その名声に、実力が全く伴わないのが悲しい。

 私は15歳で日本画を始め、そこから苦節35年余り、試行錯誤を繰り返し、何度も高い壁を越え、少しは「日本画」を知れたかと思ったが、実際の所は、日本画の ”に” の字も分かっていないのではないかと、今になって感じる。
 芸術の道は深遠で探りがたく、容易に人をその懐に近づけない、恐ろしい魔物である。安易なパフォーマンスやビジネスや自己顕示欲だけでそこに近づくと、手痛いしっぺ返しを受けるかもしれないのである。
 ただ私は、滅却を承知で、この苦道を歩むしかない。そこだけにしか、自身が進むべき道がないのだから・・・。


2020年1月21日

 現在、NHKの100分 de 名著で「貞観政要」をやっていて、君主=リーダーのあるべき姿、組織・団体のあるべき姿を取り上げています。その番組で、大企業を動かしてきた優れた先達のお話を伺うと、やはり、私の考えるリーダーや組織のあり方は、間違っていなかったのだと再確認できました。上に立つものが、一旦、責任者・担当者を任命したら、たとえ多少納得できない進行であっても、その責任者・担当者を信用して、余程の事がない限り、任せるのが良いあり方だと・・・。また、下の者から諫言があると、上の者は耳を傾けるのが大切だと・・・。

 私は昨年まで、ある団体に属していましたが(私は、その部門の経験・知識が他者より格段に豊富なので、部署リーダー的な役割を担当していました)、そこでは些細な事までにも一々、トップ・他部署の確認・介入があり、自由に企画が遂行できませんでした。また、逆に下の立場の者に任務を任せても、適材適所の人が足りなくて、一々私が手を焼く事になり、上手くこなせない事が多かったのです。また時には、よく動いてくれる人がいるので、安心して任せていたら、自分がリーダーだと勘違いしたのか、勝手に任務以上のリーダーの役割までしだす始末、・・・これには、一人だけに多くを任せておいた私にも、責任はあるのでしょうがね・・・。人手が足りないので仕方ない。

 私は会社や組織での本格的な経験が無い、一匹狼の絵描きなので、団体行動は元々得意ジャンルではなく、組織とはそんなものだと言われれば、そうなのかな~と思っていましたが、やはりそれは、良い組織のあり方ではなかったのだと、確信しました。極めて独裁に近づいていく、又は、一部の人の利害だけで動く恐れのある運営形態だったのです。
 今後、その矛盾や弊害が表面化してくるでしょうから、とりあえず早いうちに離れたのは正解だったのかも知れません。


2020年1月24日

 私が人を、信頼に足る人物か否かを判断する最終的な基準は、その能力や実績のみならず、最も大切な事は、その時点での様々な面・意味での”弱者”に対する対応の仕方である。社会的弱者、民族的弱者、思想・信仰的弱者、身体的弱者、経済的弱者、その他、その時点でたまたま不利な立場に置かれている弱者 等、様々な弱者・被差別者が世の中には存在する。それが時には他者であったり、己であったりもする。
 それらの弱者に対して、その人がどのような対応をするのかを、私は常に冷静に観察してみる。最もいけないのは、弱者を軽んじ侮蔑して、強者にのみへつらう者である。・・・そして、その人物が本当に信頼に足る、そして、たとえ一時でも共に歩むにふさわしい人か否かを、じっくり考えるのである。


2020年2月4日

 しかし、今の時代、”絵(純粋美術)”だけで生きていく事が、いかに困難であるか~。齢50を越え、美術高校の時から35年以上、日本画を描いてきて、つくづく思う・・・。
 東京藝術大学 日本画専攻は当時、1学年、26名いたが、その中で今もまともに絵を続けているのは、多少、年度により増減はあろうが、平均的におよそ、5~6名といったところであろう。バブル期以降は特に厳しい。その5~6名の内、院展作家は1名いるかいないか、日展は藝大にはルートがないので数年に1名位、創画会は学生に人気がなくて数年に1名位、その他は無所属で頑張っている人となる。他美大は詳しく知らないが、多分、多摩美術大学・武蔵野美術大学・京都市立芸術大学・愛知県立芸術大学・女子美術大学・東京造形大学・・・等と、一般的な大学順位表の下位になるにつれ(あくまで一般的に一覧化されている全体評価なので、作家個人個人の能力・実力とは全く関係ないが)、どんどん残存割合は少なくなるのではないだろうか。ただ、藝大生はプライドが高過ぎて、活動レベルを下げたくなくて、つぶしが効かないので、絵をすぐやめてしまう、という説もある。
 日展は30年余り前から勢いがなくなり、画商離れが著しく、創画会は当初から前衛的で玄人受けはするが一般人の人気がなく、院展もこの15~20年、人気作家が次々に亡くなっていき、勢いも下降している。大きな団体に所属していても、絵だけでは到底、食べていけない時代になった。
 反面、無所属作家で特色のある人気作家がちらほら活躍する時代にもなった。良いか悪いかは分からないが、インターネットでデビューして人気を獲得している人も、数は少ないがボチボチ登場している。

 日本画を描くのには、かなりの時間・労力と、極めて高価な画材代がかかる。個展等で、その絵が一枚も売れなければ、収入は全く0である。たとえ売れても、その40~80%位は画商・画廊に持っていかれるのが、一般的な販売契約である。(画廊直売で、画料は良くて60%、百貨店販売で画商を通すと、悪くて画料20%という所もある。印刷物である書籍の印税がおよそ8~10%である事を考えると、原画が20%程度で取引されるという実態は、まさに画商の暴利と言えよう。)サラリーマンも大変であろうが、たとえその時期に大きな実績をあげられなくても、常に一定収入に守られるサラリーマンとは大きく違う、実力・実績・結果のみのシビアな世界である。今の時代、なかなか絵が売れる時代ではない。到底、ほとんど大多数の画家が、絵だけで食べてはいけない。
 このように画家は、”時代性”や”運”に大きく左右される。親が著名画家であったり、大医者や会社の社長・会長等で、よほど親の財力・人脈を活かせる人や、飛びぬけて運が良いか商才に長けた人でない限り、いくら芸術の才能があったり、絵が上手くても、”絵(純粋美術)”だけではやっていけないのが通常なのである。
 後藤純男先生や東山魁夷先生、平山郁夫先生、加山又造先生 等だけを見て、少し頑張れば、自分もああなれるのだと勘違いしてはいけない。あの方達は、高い画力・気力はもちろん、高度成長・バブルという時代の大きな後押しもあった上に、強運と様々な好要因によってあのような大家になりえた、実に極めて稀有な方々なのである。

 しかし生きていく事が極めて困難である事が分かっていても、私は一生この道を行くだろう。なぜなら、それしか私にはできないし、そこにしか価値を見い出せず、他の世界を知る気もないのであるから、仕方ないのである。一種の病気のようなものであろうか・・・。貧乏にさいなまれ、心も体もボロボロになりながら死んでいくのかも知れないが、それが絵に取りつかれた哀れな私の、ささやかな絵描き人生なのであろう。それでも良い、胸を張って、この黄金に輝く道を歩こうか~。


2020年2月24日

 今の世の中、何ごともビジネスとパフォーマンスに過ぎるのが嘆かわしい・・・。美術の世界もしかり。ただ、やりたくはないのだが、最低限そうしなければ、やっていけない時代であるのも事実であるが・・・、本当は全く重要ではない。
 芸術の世界は”内なる世界”に向かわなければ、何も本質をとらえられない深い世界である。外にばかり気を取られていては、本当に大切なものに気が付かない。すなわち自分のない、オリジナル性の無い、模倣・つけ刃的な作品になってしまう。その状態で、どんなに偉大な肩書を並べても、所詮は中身は空虚である・・・。
 美術・芸術は、複雑で独特で深遠な世界である。浅い了見でそこに足を踏み入れても、何も得られないし、間違った方向に進むだけであろう・・・・。


2020年2月25日

 私にとって「絵」とは何か・・・。私は主に” 人物画(美人画)”を描くからだろうか、自身の作品は自身の分身・・” 子ども ”・・、のように感じる。実際の子どもがいないからだろうか、なおさら、作品が愛おしく感じる。
 私は多分、いわゆる世間が規定する、本当のプロの画家ではないのだろう。作品、・・・特に気に入った人物画を手放すのは、常に寂しいのだ。さらに分身化した、印刷物である「絵本」なら、何とか割り切れるが・・・。

 そんな訳で、その作品を、もし他人に委ねるとしたら、本当に私の絵を心底、理解してくれ、好きになってくれる人でないと、信じられないし託す気にはなれない。自分の子どもを、知らない人に売るようなものであるから・・・。
 他者の言動・思考にはとやかく言いたくもないが、作品をただの商品(お金儲けや、自己顕示のための道具)として扱える作家の心が知れない・・・。そんな感性の人とは、私は絶対に付き合えない。もしかしたら、それが本当のプロでありビジネスである画家なのだとしたら、私は一生、プロの画家と見られなくてよい。ただ、幼き頃から絵が好きで、一生描き続け、絵と共に死んでいった、愚かな変人絵描きとして生きよう。そのせいで、食べていけなくて、飢えて死のうが、やむを得ない・・・。それが私の生き方なのだ・・・・。


2020年3月2日

 「実るほど頭をたれる稲穂かな」という言葉がありますが、絵描き(画家)も常にそうあらねばならないと思います。現時点において、少しどこそこで評価されたり、どこそこで立派な肩書が付いたりしても、それが真実、画家の最高の名誉でも、本当に歴史的に優れているという証でもないのです。そんな、かりそめの出来事で奢るようでは、必ず作品が進歩しなくなりますし、その奢りは作品に良くない情感として表出すると信じています。
 私などは、もし藝大時代に上の先生方に上手く合わせていれば、当時、先生方の評価も良かったので、そのまま団体でそれなりの立場にいた可能性も多々ありましたが(歴史に仮定はあり得ませんが)、そのような権威的な出世レールを嫌い、あえて自ら大学を2年間留年し、形式的出世の道を放擲しました。確かに若気の至りで、愚かな奴だと周囲からさげすまれました。その20代前半のたった2年間によって、少なくとも現在の私の社会的評価は20年以上遅れていますが、それで良いのだと、強がっています。(だいたい本質的には、大学などどうでもよいと考えており、どこに行こうが行くまいが、本人がその後、どのような芸術活動を繰り広げられるかが、全ての重要事です。)安易な道を選ぶより、困難な茨の道を行った方が、自身、身も心もボロボロになりながらも、”芸術”の真実にたどり着けるのだと、愚かにも信じているのです・・・・。画材代や取材旅行費が常に足りないのは(それどころか生活費も厳しいが)、実に苦しい所だがやむを得ません~。
 歴史的に残ってきた作家・作品には、やはり極めて優れた作家・作品があります。そんなものは大した事がないという現代作家に、時々出会いますが、大概、その人の作品は、その自信だけに、それなりに悪くはない場合もありますが、歴史的な作家をけなす程ではありません(とんでもないレベルの場合も多々あり)。”謙虚”に歴史に学び、吸収し、そして、新たな”独自性”のある世界を貪欲に模索しなければいけないと、私は考えています。古来の模倣だけでもいけません。自分だけにしか描けない、オリジナルの世界を探求していかないと、今の時代に絵を描いている意味がありません。昔の作品の焼き直しでは、どんなに上手く描けようと、昔の作品に勝る事はできません。その時代の作家は、その道(表現法)に最も長けています。
 そんなこんなで何とか今も絵を描いています。一生かかっても決してたどり着けぬ”芸術の高み”ですが、私自身、「実るほど頭をたれる稲穂かな」の精神を忘れぬように、謙虚に、そして貪欲に、自身の絵の路を右往左往、模索していきたいと願っています。


2020年3月3日

 それにしても人間社会では、それほどに”言葉”が大切なのだろうか・・・。「始めに言葉ありき」という通り、確かに言葉とは、動物と人とを分ける最大の特徴の一つだと言えよう。ただ、その言葉の使い方によって、他者から誤解を招いたり、諍いの元になったりするのは悲しい・・・。
 私などは生来、右脳人間(感性人間)らしく、言語能力(左脳・理性脳)に欠落があるようで、最初から言葉には期待していない。その為に、「絵」を最大の自己表現手法として生きてきたのだ。私の言葉など、大概、お遊びに過ぎず、大した意味を持っていないのだ。その為に、フェイスブック・ツイッター等でも、何のためらいもなく、ブツブツつぶやく事ができる~。
 ただ、「絵」は別である。本当の真実の自分が投影される。その為に、その制作は常に真剣勝負であり、その作品は、自身の子どもの如く、誠に大切に扱う事になるのだ・・・。
 本当の私は、言葉の中には無い。自身の「絵」の中だけに存在している。


(※たわいもない つぶやきは、これからも まだまだ続くのでしょうか、はたまた、言葉をもてあそんだ天罰を喰らって、いずれ私の命運が尽きるのでしょうか・・・・。)

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

2019-12-13

『赤穂の文化 研究紀要 第十号』(古里・赤穂の思い出と、日本画家・絵本画家へと至る路)後藤 仁

 この度、発刊されました、『赤穂の文化 研究紀要 第十号』(編集・発行 : 公益財団法人 赤穂市文化とみどり財団)に、「古里・赤穂の思い出と、日本画家・絵本画家へと至る路」(後藤 仁)を寄稿しています。貴重な制作場面の画像や、作品画像を多数掲載しています。
 販売は基本的に赤穂市立の文化会館・美術館・博物館・資料館でのみとなりますが、詳細は公益財団法人 赤穂市文化とみどり財団に直接お問い合わせ下さい。定価は900円ですが、別途、送料等がいるかも知れません。

【お問い合わせ先】
公益財団法人 赤穂市文化とみどり財団
 〒678-0232 兵庫県赤穂市中広864 赤穂市文化会館内
    TEL: 0791-43-3269

http://www.ako-bmz.jp/news-bmz/赤穂の文化研究紀要第十号%e3%80%80発行のお知らせ/

赤穂の文化研究紀要 第10号


 既に発売されている、『赤穂市立美術工芸館田淵記念館 平成30年度特別展 ~日本画画業35周年記念~ 後藤 仁 日本画・絵本原画/後藤大秀 からくり人形 ~赤穂出身の日本画家・絵本画家、初の里帰り展~ 図録』(編集・発行 : 公益財団法人 赤穂市文化とみどり財団/赤穂市立美術工芸館 田淵記念館)と合わせて、ぜひご覧下さい。日本画・絵本・金唐革紙作品、多数掲載。こちらは残数、僅少と思われます。定価900円。

http://www.ako-bmz.jp/single-goods/平成%ef%bc%93%ef%bc%90年度特別展%e3%80%80後藤%e3%80%80仁%e3%80%80日本画・絵本原/

後藤 仁 日本画・絵本原画/後藤大秀からくり人形展 図録

テーマ : お知らせ
ジャンル : 学問・文化・芸術

2019-11-27

後藤 仁「中国(南京・揚州・西寧・敦煌・上海)写生・絵本研究旅行」 その7〈最終回〉

 2019年9月10日(火)~21日(土) 「中国(南京・揚州・西寧・敦煌・上海) 写生・絵本研究旅行」(12日間) その7 〈最終回〉です。

 11日目、9月20日(金)。朝6時前に起床。甘粛省・敦煌の豪華ホテル「敦煌維景酒店」には朝食が付いていないので、この日も多分、部屋でお菓子とフルーツを食べたと思います。7時頃からは恒例の早朝のお一人散歩です。ようやく薄明るくなってきましたので、敦煌の街を流れる川・党河に出て、橋の上からSM号スケッチブックに30分近くスケッチ。対岸の東屋はコンクリート製ですが、風情があるので描いてみました。敦煌 莫高窟で1枚も描けなかったので、どこか敦煌市内を描きたかったのです(これがこの旅での最後の一枚となりました)。鉛筆で描き、色鉛筆で色を付けます。人がちらほら行き交います。結構、寒いです~。
 描き終えてブルっと震えると、先日見付けた、党河沿いにある「敦煌画派 美術研究院」に行ってみました(鳴山路の「敦煌書画院」とは別の施設)。2日前は朝早過ぎて閉まっていたのです。ビルを上がると入り口は開いていました。入ってみると敦煌壁画の模写 等がたくさん展示してあります。なかなかしっかり描いています。一室が工房らしく画材が置いてあるので入ってみました。部屋内を見ていると作家のお一人が来ました。最初は空き巣じゃないかといった感じで怪訝な表情でしたが、私が日本の画家だと名乗ると、一応、安心したらしく、それなりに対応してくれました。ビルの窓から党河を眺めると、いい景色でした。とうとうと流れる党河の向こうに禿山の山脈が横たわり、少し地味目なその風景は、古の敦煌を彷彿とさせました。その後、対岸の東屋まで歩き、そこで体操をしました。およそ1時間余りの朝のお散歩です。

 朝9時20分に「敦煌維景酒店」をチェックアウト。午前中は「敦煌画院」という美術館 附属 絵画模写研究所に行く事になりました。先程の「敦煌画派」や「敦煌書画院」と何らかの関係があるのかと思いましたが、全く別の組織でした。とても広くて立派な建物です。ここでは古代の壁画同様、土壁を塗り上げて、その上に模写をするといい、かなりレベルの高い敦煌壁画の模写・展示が行われています。画廊(ギャラリー)も併設されており、この日は現代若手女流画家の抽象的な絵が展示されていました。模写作品・画材を拝見し、解説ビデオを鑑賞し、院長のお話を聞きました。
 ここで昼食もいただける事になりました。豆腐・野菜を主体とした、油少なめのさっぱりした精進料理が出され、これまで脂っこくて濃い味ばかりだったので、食べやすくてとても美味しかったです。この研究所には研修者用の宿泊施設も完備されており、食事もできるのです。何とも至れり尽くせりです。日本でもあまり聞いた事が無い、このような民間の文化複合施設が充実した現在の中国は、文化興隆を進める上でうらやましい環境を有しています。中国では数年前からの国家的な文化振興施策以降、美術館建設に多額の補助金が出るようで、公共・私設の美術館建設が盛んに進められているのです。

中国写生旅行2019「敦煌画院」 院長・スタッフと、出版社編集者と、絵本作家の皆さんと

 敦煌の空港でチェックイン。北京と南京行きの中国の出版社の皆様とは、名残惜しいですが、ここでお別れです。この内容の濃い旅を計画・遂行して下さった出版社の方々に、心から感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
 イラストレーター・絵本作家の方は、取材であまりスケッチをしないようで、旅の道中、私一人だけがせっせと描いていました。夏目義一さんはカメラに凝っていて、2台の高級一眼レフカメラをフル活用されていました。齋藤隆夫さんは小さなカメラを使うだけのようでした。大島英太郎さんは写真は全く撮らずに、常に単眼鏡・双眼鏡で野鳥を観察されていました。四者四様のスタイルで、各々良い取材ができたようです。
 私と夏目さんは海外旅に慣れているのですが、齋藤さん、大島さんは慣れていないようで、後半、かなり疲れられたご様子でした。私の場合は、いつもの海外旅では1週間近く経って、ようやくその土地に身体が順応してきて、調子が良くなってきます。今回も後半、やっと調子が出てきて、絶好調になった頃に終了となってしまいました~。大島さんは旅の最初から風邪を引かれ、最後まで咳をしていたので、時々、私の風邪薬やビタミン剤をあげました。他の人達も、終盤、風邪を引いた人が何人かおりました。ハードスケジュールによる疲れもあるのでしょう・・・。「旅は道連れ世は情け・・・」、旅の道中は、慣れた者が慣れない者をサポートする必要性があり、助け合いの精神が肝要なのです。そうでないとスケジュールの全てがガタガタになってしまいます。海外旅のヒントとしては、外国の薬は強過ぎたりして不安があるので、普段使い慣れている日本製の常備薬(風邪薬・胃腸薬・鎮痛薬・絆創膏 他)を、数日分は持参しておいた方が良いです。その他、最小限の裁縫道具を持っておく等の多くの旅のノウハウがあるのですが、詳しく知りたい方は、機会がありましたら個人的にお尋ね下さい。
 
 15:20 敦煌空港(敦煌机场) 発 〈東方航空2216便〉 → 17:30 西安咸陽国際空港(西安咸阳国际机场) 着 
 19:30 西安咸陽国際空港 発 〈東方航空2216便〉 → 21:45 上海虹橋国際空港(上海虹桥国际机场) 着 
  

 上海には2つの空港があり、今回は上海虹橋国際空港から日本・羽田空港に向かうのですが、大島さんは旅の最初に手違いがあったようで、お一人、上海虹橋国際空港からタクシーで上海浦東国際空港(成田空港行き)に行かねばならなくなりました。旅慣れない大島さんが無事に日本に着けるのか、気が気でなかったです・・・。私が代わってあげたいけど~。
 もう既に外は真っ暗です。空港のすぐ近くの「美居酒店」というビジネスホテルに予約してありました。日本と中国の往復航空券代、中国国内の航空券代と、中国の出版社と別れた後の上海での一泊のみ、自分で支払う約束でした。「美居酒店」はシングルルーム一泊(食事なし)で約6300円(日本円換算)、上海にしては比較的安めで、空港に近いので便利なホテルです。内装備品もきれいで充実しています。
 夕食は近くのコンビニで即席ラーメンを買い、ホテルの部屋で一人いただきました。いつもの一人旅の感じで、むしろ落ち着きます。豪華な贅沢旅は、私には似合いませんね・・・。
 
 
 12日目、9月21日(土)。とうとう最終日です、・・・と言っても後は日本に帰るだけですが・・・。朝食は部屋でお菓子の残りを平らげました。
 ホテルから歩いて数分、空港にチェックイン。空港内で土産の小物(52元)を購入。

 8:40 上海虹橋国際空港(上海虹桥国际机场) 発 → 〈東方航空815便〉 → 12:30 日本・羽田空港 着


             *

 私の海外旅は、必要が生じれば現地会社のツアー等に途中合流する事はたまにあっても、通常は基本的に日本からの一人自由旅なのです。今回の中国取材旅行は、完全な集団手配旅行なので、私の旅としてはかなり特殊です。でも近年、4月の中国・煙台「中日国際書画学術研討会」での招待旅行のような、展覧会 等の目的を兼ねた、特別な手配形態の旅行が少し増えています。
 今回の取材旅行の「旅行費用」を、海外旅行の参考までに、ざっと記しておきます。

「中国(南京・揚州・西寧・敦煌・上海) 写生・絵本研究旅行」(12日間) 

  日中往復航空券・中国国内航空券代(ビザ不要) 15万円
  旅行保険料(成田空港にて)  5000円
  上海一泊代金     6300円
  書籍・土産物等 購入費   約900元(約14000円)

                  総計  約17万5000円

 
 今回は中国・南京の出版社のご厚意で、航空券以外の全ての現地滞在・移動費を出していただきました。しかし、これはただの遊びではなく、今後、中国の出版社とより良き仕事を継続していく上での、お互いの信頼関係構築に他ならないのです。
 結果的には、私のいつものアジア貧乏一人旅~1カ月間とほぼ同じ位の金額になりましたが、これだけ充実した内容の豪華旅で、現地滞在・移動費はこれ以上はかかっているものと思われますので、中国側のご厚意による格安旅と言えましょう。

 旅の成果は、スケッチブック2冊で、計17枚(F4号1枚、SM号16枚)のスケッチ。写真撮影 2499枚。
 今回は集団行動でしたので、12日間であまり多く描けなかったのは残念でしたが、敦煌辺りには、またいずれ一人旅で訪れ、描きたいものです。

 私は原画販売・展示だけではなく、出版物(版権・印税制)の仕事も請け負うプロの日本画家なので、スケッチや原画をネット上であまり公開しないのですが、拙ブログ来訪者に感謝して、特別に2枚だけご披露いたします。

中国写生旅行2019「中国・揚州、早朝の東関街・東門城楼」(F4号、約1時間) 後藤 仁

中国写生旅行2019「中国・西寧、チベット族の少女」(SM号、約10分) 後藤 仁


           *

 前回の「台湾写生旅行」でも記した内容に追記します。
 中華人民共和国は、今や世界第2位の経済発展を遂げ、地方地域のインフラ整備も著しく進展しています。中国の治安は都市部ほど良好で、地方に行くほど悪くなると言われていますが、これは通常の国際事情とは真逆なのです。しかし、今回の旅で感じる限りでは、一部の地区・地域を除いて、地方でもかなり治安が安定している様子でした。敦煌でも、夜遅くまで女性や子ども達が楽しそうに遊んでいる様子は、平穏を感じました。
 私の実感で「旅の快適度・難易度(治安、利便性、雰囲気の良さ等から総合的に判断)」を独断と偏見で比較してみました。私が今までに旅をした国々の「旅の快適度・難易度」をざっと表にしてみると、以下のようになります。

◎日本(地方)、台湾(全域の平均)、ラオス(ルアンパバーン)、ベトナム(サパ、バックハー)、ミャンマー(インレー湖、カロー)
○日本(都心部)、中国(北京、上海ほか都市部)
○中国(青海省・西寧甘粛省・敦煌ほか地方地域)、タイ王国(チェンマイ、チェンラーイほか)、イタリア・バチカン市国、ミャンマー(全域の平均)、スリランカ
○タイ王国(バンコク)、ミャンマー(ヤンゴン、バガン)
○ベトナム(ハノイほか)、カンボジア(シェムリアップ)、ミャンマー(マンダレー)
  (この間には開きがあり、これ以下は旅の難易度が増します。)  
●中国(チベット)、ネパール(カトマンズほか)、インドネシア(ジャワ島、バリ島)
  (この間には開きがあり、これ以下はさらに旅の難易度が増します。)  
●インド(全域)
●インド(バナーラス)

 (※上方ほど快適度が高い、下方ほど難易度が高い。)

 
 といった順ですが、これはその国・地域の「良し悪し、素晴らしさ」という判断ではなく、あくまで治安を中心とした「快適度・難易度」です。また、私の訪問年代にもよりますし、たまたまその時の状況が悪かったという場合も考えられるでしょうから、私個人の主観としてご参照下さい。
 インド、ネパール、インドネシアなどは、とても優れた遺跡や文化が残っている素晴らしい国です。ただ、これらの国は一人旅をするのは結構難しい地域で、身に危険を感じる場面が何度か起こる可能性があり、特に女性の一人旅はよほど旅慣れた人でないとお勧めできません。また、ツアー旅行の場合でも、注意が必要になってくるでしょう。
 外務省ホームページの危険情報によると、インド辺りは黄色(十分注意)から部分的に薄いオレンジ色(渡航の是非検討)位の危険の程度です。中東やアフリカの紛争地帯では、濃いオレンジ色(渡航延期勧告)から大部分は赤色(退避勧告)ですので、いかにそれらの地域に旅をするのが危険なのかが推察されます。

           *   

 ちなみに、私が今までの海外旅行で、「最も感動したランキング ベスト23 」を挙げるとざっと以下のようになります。
(それぞれが個々に素晴らしくて、感動要素も異なるので、一概に比較するのは難しいのですが、私の主観による芸術的感動度のみでランキングしています。また、これが完璧なランキングという訳でもなく、その差は僅差であり、特に下位については気分・時節によって順位が変動します。この他にも良かった体験は多々ありますが、今、思いつく場所のみを上げています。)

第1位  インド アジャンター石窟「蓮華手菩薩像」
第2位  ネパール カトマンズ「インドラジャトラ祭 クマリとの遭遇」
第3位  中国 チベット「ポタラ宮」
第4位  インド バナーラス「ガンガーでの沐浴」
第5位  ◎インドネシア ジャワ島「ボロブドゥール遺跡」
第6位  ◎中国 貴州省「トン族村滞在」
第7位  ◎中国 甘粛省「敦煌莫高窟」
第8位  ◎カンボジア「アンコール遺跡群」
第9位  ◎ベトナム サパ、バックハー「モン族村滞在」
第10位 ◎イタリア・バチカン市国「システィーナ礼拝堂 ミケランジェロのピエタ像」
第11位 ◎中国 貴州省「ミャオ族 姉妹飯節」
第12位 ◎インドネシア バリ島「バリ舞踊」
第13位 ○カンボジア「アプサラ・ダンス(カンボジア舞踊)」
第14位 ○ネパール バクタプル、パタン
第15位 ○ミャンマー インレー湖(ファウンドーウー祭)、カロー(トレッキング)
第16位 ○タイ王国 チェンマイ、チェンラーイ(トレッキング)
第17位 ○インド エローラ石窟、カジュラホー
第18位 ○スリランカ シーギリヤ・ロック「シーギリヤ・レディ」
第19位 ○中国 青海省「チベット族の一家との交流」
第20位 ○中国 四川省「四姑娘山」
第21位 ○ラオス ルアンパバーン
第22位 ○中国 西安
第23位 ○台湾 日月潭、霧台、烏来


 アジャンター石窟、ガンガーの沐浴、ポタラ宮では、感動のあまり感涙を起こす位ですし、インドラジャトラ祭ではほぼ放心状態でした。つまりは、近寄る事が困難である程、より感動が増加するとも言えますので、「旅の快適度・難易度」がそのまま「旅の良し悪し」ではないという事なのです。
 また、お金を払えば誰でも行ける簡単な「ツアー旅行」では、私と同程度の感動は多分、得られないのではないかと思います。現地の文化・美術への造詣と知識を十分に得た上で、長期間の自由旅行で精神を解き放ち、不便を乗り越えながらようやくたどり着いた中での感動なのです。

 今回の中国旅は集団移動旅行という性格上、あまり感動を味わっている余裕がありませんでした。今回の旅の主催者の絵本編集者・唐 亜明さんもおっしゃられていましたが、「今回の旅は少し予定を詰め込み過ぎたかな~」という感じです。唐さんには旅の途上、大いにお世話になりましたが、その分、最後はかなりご疲労の様子でした。誠に感謝申し上げます。
 この旅行記にも書いた通り、現在の中国のあまりの観光客の多さに辟易する場面も多々ありました。それでもなお、やはり敦煌 莫高窟の素晴らしさ・偉大さは白眉と言えるのです。旅の途中は、鑑賞形態の不自由さ・人の多さがやけに鼻につき、感動の遡上を遮蔽するかの感がありましたが、こうして帰国後、改めて旅を回想すると、やはり敦煌の美はこの上なく神々しいの一言です。もし20年以上前に敦煌を一人旅で訪れていたら、その感動度は間違いなく、アジャンター石窟と肩を並べた事でしょう・・・。
 また、純粋に感動したという点だけで考えると、今回の青海省「チベット族の一家との交流」はかなり高いものでした。この一幕がなければ、この旅は観光地を回るだけの、凡庸で味気ないものになっていたかも知れません。世界ウルルン滞在記でもあるまいし、たった数時間過ごしただけの家族との別れ際、不思議にも思わず涙しました・・・。突然訪れた見も知らぬ外国人を温かくもてなしてくれた事への感謝の念や、素朴で純粋な少女達の行く末の平安を願う心だけではなく、多分、私が心を込めて描いた絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)の情景とイメージが重なった事もあるのだろうと、今では思います。
 これまでに旅先で、極めて深い感動により明確に落涙したのは、アジャンター石窟「蓮華手菩薩」を拝観した時、チベット「ポタラ宮」の入口に至った時、バナーラス「ガンガーでの沐浴」で亡き父を想った時くらいで、その他、旅行中にお世話になった人との別れ際や、旅の最終日の機内で、かすかに感傷的になる事はありましたが、それ以来の出来事でした。歳のせいか、近ごろ涙もろくなりましたね~。ただ感性・感情が人並外れて豊かでないと絵描きは務まりませんので、良しとしましょう。

 不安定な国際状況の中、今後の海外取材旅行でも多くの困難を伴うかも知れませんが、こらからも機会があるごとに私は写生旅行に出かける事でしょう。そこに感動があり、絵画創作へのインスピレーションの源泉がある限り、私は一生、旅を続ける事になりそうです。
 いつも読者サービス的に、取材旅行を無償でブログ公開していますが、いつか機会がありましたら、文章や写真だけではなく、旅でのスケッチやそれを元にした日本画作品等を掲載した、「旅の絵本」のような旅行記・絵日記と絵本が合わさったような本を描いて、出版できないものかと考えています。今の日本の出版状況を考えると、なかなか難しいのですが、今までの旅の面白い逸話・スケッチ・日本画作品は膨大にあります。もし、ご関心のある出版社の方等おられましたらご連絡下さい。

  絵師(日本画家・絵本画家)  後藤 仁  GOTO JIN

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2019-11-23

後藤 仁「中国(南京・揚州・西寧・敦煌・上海)写生・絵本研究旅行」 その6

 2019年9月10日(火)~21日(土) 「中国(南京・揚州・西寧・敦煌・上海) 写生・絵本研究旅行」(12日間) その6です。

 10日目、9月19日(木)。いよいよ本日は、私が日本画家としても人としても最も憧れの地である「敦煌 莫高窟」を訪れます。10歳の頃にテレビドラマ「西遊記」を観て、夏目雅子が演じる三蔵法師の美しさと堺 正章が演じる孫悟空の面白さにはまり、中学生の頃にNHK 「シルクロード」を観て本格的に中国文化に憧れ、大学3年生の「中国(北京・西安)の旅」では敦煌行きの航空券が満席で取れずに敦煌行きを逃し・・・、その後も、行きたい行かねばと焦がれつつ、何の縁か訪れる機会が遅れ続けた敦煌。その敦煌 莫高窟に向かいます。期待と興奮が最高潮に達していました・・・。
 朝5時には目が覚め、今日は出発が早いので朝食は部屋で、あちこちでもらったお菓子類を食べました。部屋には初日からウエルカムフルーツが置いてあったので、それもいただきました。6時50分にホテルのロビーに集合して、車で出発!!
 
 敦煌市内から莫高窟までは車ですぐです。到着すると、朝早いというのに人が結構いました。チケットをいただき、参ります~。チケット代は結構高いようですが、今回の旅では全て中国の出版社が持ってくれて大助かりです。感謝~。
 莫高窟を管理研究する「敦煌研究院」の初代院長のご子息の常 嘉煌さんもここで合流。今回は常さんのはからいで、現在はあまり一般公開をしていないという、特別窟中の超特別窟が見れるというので、期待も一層高まります。現在の敦煌 莫高窟は、自由参観が一切許されておらず、ガイドを付けた完全予約管理参観のみになっています。最初に敦煌の歴史を描いた映像2本を、大きなホールで鑑賞。なかなかよくできた映像です。そうしてようやく石窟に入れます・・・。
 石窟群は綺麗に整備され、観光客が朝からわんさかいます。私達はその人混みから外れ、第45窟〔盛唐〕に入ります。ここには私も幼少期から写真で何度も見て憧れてきた、あの素晴らしい7体の立像群が佇立していました。特に右側の菩薩立像の美しさには目を見張ります。この均整のとれた完璧なる美はいかなるものか・・・。どうしたら、このような完全なる造形を人が成し得るのか・・・。感動に身が震えます。左の南壁に描かれた「法華経変図」の観音菩薩も極めて美しく優れています。
(窟内は写真撮影禁止です。現場ではガイドと私の手持ちの懐中電灯だけの薄暗い中で鑑賞します。鑑賞時間もとても短く、完全には見きれません。私は、2008年にNHKで放送された「敦煌莫高窟 美の全貌」を録画していたので、旅の後、その映像や莫高窟の書籍を見直して、じっくり検証しました。)
 次に、第57窟〔初唐〕を鑑賞。この窟です、私が最も拝観したかった美の権化、南壁「樹下説法図」があるのです。現在は公開される事が少ないというこの窟に入れたのは、この上ない幸福でした。7世紀・唐時代の美意識の崇高さがうかがえます。全ての壁画が極めて高いレベルに達していますが、中でも、中央の菩薩像のこの世のものとは思えない美しさには、心底陶酔します。瓔珞の金の盛り上げの華麗さもさる事ながら、ほの白きかんばせの清らかさ・たおやかさは、心をとらえて離しません。画工の筆さばきの流麗さは、神妙なる領域に達しています。・・・・2004年にインド・アジャンター石窟寺院の「蓮華手菩薩」を拝観した時以来の感動的な菩薩でした。ただ、アジャンターでは当時、自由拝観ができ、ざっくりとした時間制限はありましたが、何とかねばって居座って、菩薩像を軽く鉛筆で模写できました。その時は一人旅でもあり、ゆっくり時間も取れ、たった一人で広い窟内を独占できる時間もあり、涙するほどの感動を味わう事ができたのです。2016年のスリランカ旅行でも、シーギリヤ・ロックやダンブッラ石窟寺院の壁画を自由参観・写生できました。・・・・ところが今回は、集団行動での短時間の拝観なので、どこか事務的でゆとりがありません。ただ、「虻蜂取らず」「足るを知る」とも称しますので、仕方ないです・・・。
 ここまでの2窟は「特別窟」といって、追加料金を払わないと拝観できないのですが、その窟の選択はガイドに任されているといい、今回入窟できた第45窟・第57窟の拝観は通常の観光旅行ではなかなかできないかも知れません。

 この後は通常窟ですが、ここにも名窟がたくさんあります。ただ観光客が多過ぎて、しっかり見れないのが難点です。第323(324・325)窟〔初唐〕、この窟は3窟がつながっています。ここには「張騫(ちょうけん)西域出使図」が描かれています。張騫は、西域の交流ルートを開拓したという前漢時代の外交使節です。
 第16・17窟「三層楼」〔晩唐〕、この窟は第16窟の脇に、20世紀初頭、新たに小さな第17窟が発見された事で有名です。今では「蔵経堂」と呼ばれますが、たくさんの敦煌文書が詰まっていたのです。
 第257窟〔北魏〕には、「九色鹿本生図」があります。この話は釈迦の前世譚(ジャータカ)ですが、私も絵本で描いた「金色の鹿」(バングラデシュ民話/子供教育出版)等のアジア各国の民話にも影響を与えています。
 第249窟〔西魏〕、この窟には立派な大壁画が残されています。阿修羅・風神・雷神・雨師(うし)・霹電(へきでん)・羽人(うじん)・迦楼羅・摩尼(まに)・開明(かいめい)・伎楽天・黄羊(こうよう)・獅子・猿・牛・猪 等が所狭しと乱舞しています。自由で伸びやかな筆致は素晴らしく心地良いのです。色彩も見事で、緑色の緑青(孔雀石)もきれいですが、青色顔料・ラピスラズリの軽快・鮮烈な美しさは絶品です。日本画では古来より、青色の代表として群青(藍銅鉱)が用いられてきました。原料調達の都合もあるのでしょうが、その深く濃厚な青色が日本人の抑制的で渋さを好む精神、祈りの心に合ったのです。それに比して中国・西域の人々には、この軽妙で開放的な、明るい青色のラピスラズリが合ったのでしょう。
 そして、第244窟〔隋〕(隋末~唐初にかけての優れた菩薩像がある)、第237窟〔中唐〕(南壁・観無量寿経変図に反弾琵琶の舞が、東壁・維摩詰経変図にはチベット等の少数民族の王達が描かれている)を見て、最後に莫高窟のシンボル、第96窟「九層楼」〔初唐〕を鑑賞。高さ34.5mの「北大仏(弥勒大仏)」の巨大さに驚きます。

 極めて高いレベルの作品群に圧倒・感動しながらも、多い日は一日6000人も訪れるという観光客の多さに辟易しました。日本人は意外に目立たず、ほとんどが中国人観光客でした。今、中国は空前の観光ブームです。本当なら、じっくりと遺跡周辺をスケッチしたかったのですが、今回は集団旅行なので不可能です。九層楼前で記念撮影をして、遺跡内の土産物屋で敦煌石窟の本(250元/現在、1元=約15円)を購入して、後ろ髪を引かれながらも、莫高窟を後にしました。

中国写生旅行2019「敦煌 莫高窟」 日本甘粛同郷会・常 嘉煌さん、北京の児童書出版社編集長・唐 亜明さん、北京・南京の児童書出版社の方々、絵本作家の皆さんと。

中国写生旅行2019「敦煌 莫高窟」 第96窟「九層楼」前にて。

 この後、車で少し移動して、「敦煌研究院」に立ち寄る事ができました。敦煌研究院と東京藝術大学 日本画専攻(主に平山郁夫先生の研究室)とは長く深い交流の歴史があるので、これは良い機会でした。「敦煌研究院」の貴重な書庫で敦煌関係の書籍を拝見。
 かつて留学生として東京藝術大学に来ていた時に私との交流があった、当時、敦煌研究院の研究生だった高 山(こう ざん)さんの事を、ここの研究者の方に聞いてみると、知っていました。当時、高さんのアパートで手作りの豆腐餃子をご馳走してもらったりと、親しくさせていただいたのです。高さんが中国に戻られてから、NHK 「新シルクロード」に出演しているのを見ました。その後、敦煌研究院を離れ、画家として活動しているという話は聞いていましたが、今でも中国で大変活躍されているそうです。学生時代の良き思い出の高さんが、今も第一線で頑張っておられるとの事で嬉しかったです。

中国写生旅行2019「敦煌研究院」 敦煌研究院 研究者と

 遅めの昼食を、敦煌の食堂で取りました。あまりよくは覚えていませんが、写真を見直すと、ロバ肉入りの汁無し麺をいただいています。
 その後、敦煌の名所、「鳴沙山・月牙泉」を観光。ここはシルクロードのオアシス、夢想の別天地です・・・。ところが今は、観光客の人の山。子供の頃から夢にまで見た辺境の地・鳴沙山には、300頭を超えるかと思われるラクダがつながれ、観光客がひっきりなしに列をなして、ラクダに乗って山を登ります。かつて命がけで隊商がラクダで往来した敦煌も、今では商売人のかっこうの観光収入の源泉です。出版社のご厚意で、私達もラクダで鳴沙山を登りました。ラクダの背中はとても揺れます。ラクダの背中の剛毛で擦れて、ズボンから出た足首が痛い~。タイ王国とラオスでインド象には乗った事がありますが、象と同様、ラクダも決して乗りやすい乗り物ではないようです。面白いには面白かったですが、これではまるでテーマパークですね~。
 次に月牙泉に向かいます。月牙泉を俯瞰した平山郁夫先生の有名な日本画がありますが、その真似ではないのですが、私も一度、月牙泉の俯瞰図を描いてみたいと思っていたのです。・・・ここも人の山です。私は頭の中だけでも、古のオアシスの、人一人いない静謐なる寺院と泉面をイメージしてみました。月牙泉の裏山に登る時間が無いという事で、この地を後にしました。最後に観光用電動自動車の後部に座り、鳴沙山・月牙泉を見送りながら、私は複雑な心境でいました・・・。

 私が何十年も憧れ続けて、ようやく夢が叶ったこの日。たしかに極めて優れた壁画・彫像の数々、間違いなく素晴らし過ぎる美術品に出会いました。しかし、かつてはここにたどり着く事すら困難な祈りの地・美術の地であった敦煌に、今ではいかにも容易に興味本位や物見遊山であまりにも多くの人々が押しかけています。人は皆平等なので、私がとやかく言う権利など一切ないのは分かっています。ただ、果たしてこの中のどれ位の人々が、本当に敬虔な祈りの心や真実の造詣・審美眼を持って、この素晴らしい文物を心から愛でているのかなという疑問にとらわれていました・・・。不思議な心持ちでしたが、少し虚しい想いで、私はこの地を見送りました。きっとまた、一人で来て、せめて在りし日の光景を思い浮かべながら描こう・・・、とは願っていました。

中国写生旅行2019「鳴沙山」 ラクダは続くよ~、どこまでも~~🎵 ラクダの列が延々と続く光景、かつての隊商の旅もこうだったのかな・・・⁉。

中国写生旅行2019「月牙泉」 静かなオアシスをイメージしていたのだが、ここにも人がいっぱい~ (@_@) 。

中国写生旅行2019「月牙泉」 敦煌の日差しはとてもきついので、しっかりとした日除けがかかせないのです。

 この日の夕食は、いつもご馳走されてばかりでは良くないというので、敦煌での最後の夜に、私達日本人作家と唐さんとで中国の出版社の人をもてなそうという事になりました。唐さんがネットで調べたという、敦煌市内の日本風鉄板焼きの店に行きました。食べてみると純中国風の濃いい味付けで、少なくとも日本の鉄板焼きではなかったです。やはり「郷に入れば郷に従え」という言葉通り、地元の味が一番なのですね。

 外は既に真っ暗です。夕食からの帰りは各々バラバラになり、それぞれ気になる店に寄ったりしながらホテルに帰りました。敦煌夜市の大通り(商業一条街)があったので入ってみました。いつしか中国人編集者達とは徐々に離れ、唐さん、絵本作家・齋藤隆夫さんと3人で一緒に歩いていました。唐さんがどこかに寄ると言うので、最後は齋藤さんと2人で夜市を見て歩きました。唐さんは「ホテルに2人だけで帰れますか」と心配されていましたが、私は党河の流れる方角だけ確認したら、「大丈夫です」と答えました。私はこの数日の間に、朝夕、ホテルの周囲を歩いて、頭の中に完全な敦煌市の地図を描いていたのです。こうして私はいつも、海外一人旅をこなしてきたのです。
 商業一条街を過ぎ、暗く静かな通りをしばらく歩くと、莫高書城という小さな書店を見付けました。中国での絵本・児童書市場の現状を視察・研究するというのも、今回の旅の目的でもあるので、この店に入りました。こんな西域の地の小さな本屋でも絵本・児童書が結構置いてあり、中でも「100万回生きたねこ」の翻訳本が置いてあるのが目立ちました。
 ホテルに近づいてきたので、党河の河畔に出てみました。河岸はイルミネーションできらびやかに飾られています。上海でもあるまいし、かつての辺境の地が、今ではこんなに派手に変貌した事に驚きます。川をぼんやりと眺めながら、齋藤さんに静かに話しかけました・・・、「正直言って、今回の敦煌にはがっかりしました・・・。せっかくご招待いただいた中国の出版社の方には到底言えませんが、やはり20年前までに敦煌に行っておけば良かった。もう少し静かな環境で敦煌の美をしっかりと味わいたかったのです。今の中国の虚栄的繁栄はいつまで続くのでしょうかね・・・。」私の心の中では、「日本もまたしかり」とささやいていましたが・・・。齋藤さんはわずかに驚かれたような様子で、「そうでしたか・・・。日本の60年代後半のヒッピーの時代を思い出しますね~。さあ、たぶん続かないでしょう・・・。」とつぶやかれました。

中国写生旅行2019敦煌夜市を何も買わずにぶらつく~。夜市の雰囲気はいいね!

 少年・青年時代からシルクロード・敦煌に憧れ続けた私は、いつしか頭の中に崇高な理想郷を描いていただけなのかも知れません・・・。空想は膨らみ、現実を越えて私の中の真実となり、作品制作の原動力にもなりました。その幻影世界と現実世界とのギャップに、今回、困惑を感じただけなのかも知れませんね。この文を書いている今でも実に妙な心境なのですが、この私の中の桃源郷は、この後も、パラレルワールドとしてきっと存続し続ける事でしょう。


 感動と興奮と・・・失望と諦念と・・・、複雑な心境のリフレインに、どう答えを出したらよいものか戸惑いながら、この日は眠りにつきました。
 旅も残すところ、泣いても笑っても後2日となりました。明日は上海に向かいます。この模様はまた次回といたしましょう・・・。

  絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁
 

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2019-11-19

東京藝術大学デザイン科アート&デザイン「金唐革紙特別講義」開催、後藤 仁

 11月13日(水)は、東京藝術大学デザイン科「アート&デザイン」(押元一敏 先生)の授業に呼ばれて、毎年恒例となった、「金唐革紙 特別講義」を開催いたしました。
 金唐革紙(きんからかわし/国選定保存技術の手製高級壁紙)を実際製作した経験を持ち、その製法を詳しく知る人物は、現在ほんの数名(3名程)しかいません。その中でも私は、学生時代から約12年間、日本画制作のかたわら、金唐革紙製作にも打ち込み、現代作家の中で最も多くの実質的製作にたずさわったのです。今では、日本画家・絵本画家としての顔以外に、「国選定保存技術 金唐革紙 製作技術保持者」としても国内外に知られています。

 この日は、東京藝術大学デザイン科で1時間程、「金唐革紙の歴史とデザインの変遷」の講義をしました。国重要文化財の入船山記念館(呉市)、移情閣・孫文記念館(神戸市)、旧岩崎邸(台東区)等の金唐革紙を製作中の貴重な画像をお見せし、最後には何種類もの金唐革紙の実物を手に取って見てもらいました。
 その後、上野の不忍池にほど近い「旧岩崎邸庭園(国重要文化財)」に歩いて移動。文化庁のご依頼で、2002年に1年がかりで私を中心に復元製作された金唐革紙がある実際の現場を、学生の皆さんと鑑賞しました。旧岩崎邸の洋館2階に、2種類の金唐革紙(箔有り・箔無し)が貼られています。
 次に旧岩崎邸の和館も拝見。和館には、近代日本画の創始者、橋本雅邦の障壁画が貼られていますが、私の師の後藤純男先生(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)、その師の山本丘人先生(文化勲章受章者)、その師の松岡映丘の師が、橋本雅邦となります。日本画はさらに、江戸時代以前の狩野派・琳派・円山四条派・土佐派 等にさかのぼっていけるのです。こうして日本画の伝統と技法は、日本の歴史の中に脈々と受け継がれているのです・・・。

 今の学生は、授業中では物静かな人が多いようですが、この現場にて、何人かは幾つかの質問をしてくれましたね。実物の作品を目の前にして、多少は何か感じてもらえたでしょうか~。
 撞球室(ビリヤード室)前で一旦解散し、建築家・隈 研吾さん等が関わり旧岩崎邸庭園内に最近建設された「文化庁 国立近現代建築資料館」を、押元先生 他、数名で見学。けっこう立派な建物で、建築に興味のある人は必見ですが、この日の見学者は少なかったです・・・。
 こうして、今年の「金唐革紙 特別講義」も無事終了いたしました。次世代を担うであろう若き創造者達に、何か一つでもプラスになるものがあればいいのですが・・・。

 絵師(日本画家・絵本画家、金唐革紙 製作技術保持者)後藤 仁

東京藝術大学 金唐革紙講義東京藝術大学 美術学部

東京藝術大学 金唐革紙講義講義の前に、懐かしの大浦食堂で腹ごしらえ。今回は麻婆豆腐丼をいただき~。安くて美味しいね~。 ( ^^) _U~~

東京藝術大学 金唐革紙講義東京藝術大学 美術学部 総合工房棟。この中にデザイン科があります。 しかし、なぜ校庭にビニールプールがあるんだ ⁉

東京藝術大学 金唐革紙講義東京藝術大学デザイン科 アート&デザイン「金唐革紙 特別講義」 後藤 仁。 今年は受講者が少なめだったが、25名程はいたのかな。

東京藝術大学 金唐革紙講義東京藝術大学デザイン科 アート&デザイン「金唐革紙 特別講義」 後藤 仁。 最後は金唐革紙の実物をお見せしました。超貴重だよ~。 ('ω')ノ

東京藝術大学 金唐革紙講義「国重要文化財 旧岩崎邸庭園」 この時はあいにく、洋館外壁の工事中でした。

東京藝術大学 金唐革紙講義「旧岩崎邸」洋館2階。 これが私が製作した「金唐革紙(箔無しバージョン)」です。

東京藝術大学 金唐革紙講義「旧岩崎邸」洋館2階。 これが私が製作した「金唐革紙(箔有りバージョン)」です。

東京藝術大学 金唐革紙講義「旧岩崎邸」洋館2階。 こんな昔のトイレもありますよ(ちなみに使用不可です)。('ω')ノ

東京藝術大学 金唐革紙講義「旧岩崎邸庭園」撞球室(ビリヤード室)前で、皆さんで記念撮影。


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2019-11-17

『童美連 創立55周年記念 こどもの本の画家たち展』「東京あこうのつどい」ご報告、後藤 仁

『童美連 創立55周年記念 こどもの本の画家たち展』 
  (ブックハウスカフェ、神保町) ご報告 ('ω')ノ


 一般社団法人 日本児童出版美術家連盟(童美連)主催の大型団体展覧会『童美連創立55周年記念 こどもの本の画家たち展』(ブックハウスカフェ、神保町)がご好評のうちに終了しました。(私・後藤 仁 は、この展覧会を企画運営する童美連・展覧会実行委員会委員長として、この展覧会を取りまとめました。)
 童美連現会員270名余りの中の有志、156名の原画・版画・立体作品が一堂に並びました。著名・人気絵本作家・画家から新人絵本作家・イラストレーターまで、実に多彩な顔ぶれです。
 今回、私は、絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも) 後ろ扉・原画を出品いたしました。東京近郊で、この原画を公開するのは久しぶりでした。
 絵本・児童書閲覧コーナーには、私の作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)も展示しました。

こどもの本の画家たち展10月24日(木) 搬入・展示。 ブックハウスカフェ スタッフ、日本児童出版美術家連盟会員の皆さんと。

こどもの本の画家たち展ブックハウスカフェ、神保町

こどもの本の画家たち展「こどもの本の画家たち展」(ブックハウスカフェ) 会場入り口

こどもの本の画家たち展「こどもの本の画家たち展」(ブックハウスカフェ) 会場。 絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも) 後ろ扉・原画 〔上段・中央〕

こどもの本の画家たち展「こどもの本の画家たち展」(ブックハウスカフェ) 会場。 絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも) 後ろ扉・原画 〔上段・中央〕

こどもの本の画家たち展「こどもの本の画家たち展」(ブックハウスカフェ) 会場。 絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店) 〔下段・中央〕

 2019年10月25日(金)「オープニングパーティ」開催!!。今回は、会場の広さ等を考慮して、童美連会員だけのオープニングパーティとしました。雨が降る中、50名を超える童美連会員の方々にお集まりいただきました。展覧会実行委員会委員長の私も一言ご挨拶し、パーティが始まりました~。🥂 🍻   
 ブックハウスカフェでご用意いただいた、食べ物・飲み物は美味しくて安くて、とても good! 楽しいひと時となりました~。

 27日(日)は、講演会「童美連55年の歩み ~こどもの本の画家たちの仕事と誇り」(講師:浜田桂子)がありました。
 浜田桂子さんは、童美連の歴史にも詳しく、絵本の歴史にも精通しておられ、著作権についても理解が深いので、このテーマに最もふさわしい方だと、今回、ご講演をお願いいたしました。
 この日、会場いっぱいの多くの方が聴講に来られました。浜田さんは、福音館書店「こどものとも」の初期の名作絵本や、太田大八さんの絵本等を示されながら、丁寧に分かりやすく、ご解説いただきました。
 最後に私も、展覧会実行委員会委員長として、少しご挨拶して閉会となりました。

こどもの本の画家たち展講演会「童美連55年の歩み ~こどもの本の画家たちの仕事と誇り」(講師:浜田桂子) 後藤 仁 ご挨拶

こどもの本の画家たち展講演会「童美連55年の歩み ~こどもの本の画家たちの仕事と誇り」(講師:浜田桂子) 後藤 仁 ご挨拶

 11月3日(日)は、「絵本読み聞かせリレー」を1Fカフェスペースで行いました。複数の絵本作家が自作絵本を朗読していくという企画で、第1部・第2部とも会場をあふれる程のお客様でにぎわいました。ご年配の方も多かったですが、お子さん方も楽しんでくれました~。 ヽ(^o^)丿

 4日(月・祝)は、講演会「絵本作家としての歩み」(講師:和歌山静子)を開催。和歌山静子さんは中国にも造詣が深く、力強く個性的な絵を描かれます。会場は満員で大変盛況でした~。和歌山さんの人間味あふれるお人柄がにじみ出た、とても面白いお話でした。
 私も最後に少しだけご挨拶。そこで一番やりたかったのは、展覧会実行委員会のメンバー紹介です。一人一人が独立した絵本作家・イラストレーターながら、今回、裏方として時間と労力をさいて頑張っていただけたメンバーを、せめて名前だけでもご紹介したかったのです。

こどもの本の画家たち展講演会「絵本作家としての歩み」(講師:和歌山静子)

 『こどもの本の画家たち展』は、こうして約2週間の会期を終え、大盛況のうちに無事閉幕いたしました。
 会期中は1600名を超える多くの子どもたち・絵本愛好家・児童書関係者の皆様に展示会場にお越しいただき、誠にありがとうございました。講演会・読み聞かせリレーも、合計 約200名以上の方々にご参加いただき盛り上がりました。また、童美連会員・展覧会実行委員会のお手伝いいただいた皆様に感謝申し上げます。
 今回の展覧会においては、私の絵画界での永年の経験を存分に活かし、ただ絵本の原画であるというだけではない、生の絵画作品自体を純粋に鑑賞し、その筆致や息づかい等を堪能できる展覧会を目指し、それについてはある程度、実現できたのです。ただし、これだけでは私の目標の半分も叶えられませんでした。絵本原画の販売コーナーや、いわさきちひろ・赤羽末吉・太田大八・滝平二郎・瀬川康男 等の物故会員作品展を企画提案したのですが、童美連の資金・人員不足や総会・理事会での理解が得られずに断念しました。

 11月6日(水)の搬出時は男手が足りず、私自身は先日からの軽度の腰痛もあり、力仕事はけっこう大変でしたが、その後、「第6回 東京あこうのつどい」(都市センターホテル、千代田区)があったので、そのまま現地に直行しました~。
 一昨年には小池百合子都知事もご出席された、赤穂市・兵庫県関係者100名程が集う会ですが、文化人は私や音楽家・映画人等、数名で、ほとんどは国会議員や赤穂市長・市議会議長等の国政・市政関係者と、大手ゼネコン等のビジネス関係者です。なかなか絵描きの私と興味が重なる人も少ないのですが、時には異業種の人と話す事も、また必要な事でしょう。それに、この時くらいしか会えない、貴重な方々もおられますし・・・。

こどもの本の画家たち展11月6日(水) 搬出。 日本児童出版美術家連盟会員の皆さんと。お忙しい中、黒井 健さん・篠崎三朗さん等も直接搬出に来ていただき、ありがとうございました。

東京あこうのつどい「第6回 東京あこうのつどい」 (都市センターホテル、千代田区) 赤穂市・兵庫県にゆかりのある、国会議員、赤穂市長・市議会議長、経済・文化人 等が集まる会です。

             *

 私は日本児童出版美術家連盟(童美連)には、黒井 健さん、浜田桂子さんのご推薦で2014年初めに入会し、約5年余り在籍し、後半の3年間は理事と展覧会実行委員会委員長・日本著作者団体協議会担当 等の重要役職を務めました。童美連では何人かの素敵な絵本作家の先輩方にも出会えましたし、まだまだ知らない絵本界を勉強する良い機会にもなりました。
 ただ、5年の間、童美連の中枢を知るにつれ、日本画界・純粋美術界と同じく、様々な問題点がある事が見えてきました・・・。60歳代過ぎの絵本作家の方々の中には、とても優れた造形性や人間性を備え、絵本界での名声と実績を示す人も幾人かいますが、若い作家になるにつれ、名実が備わった作家が少なくなります。また、日本画界では縦社会・派閥社会の閉塞感・弊害は多々ありますが、公然と派閥を標榜している潔さがありましたが、童美連では「公平・平等」を公に掲げながら、実際には密かな派閥・グループ間の軋轢が見え隠れし、様々な不公平性が生じていました。童美連も創立50年を超え、世に言う「権力は腐敗する」「一つの文化ジャンルの最盛期は50年を越えない」という言葉通り、ここでは詳しくは語りませんが、その他にも様々な疑問点・脆弱性を内包している今の童美連の現状を垣間見ました。現在は辛うじて、尊敬できる優れたご年配の絵本作家は残っておられますが、もう今は既に、私が憧れた絵本作家、いわさきちひろ や赤羽末吉さん達がご活躍された頃の、最も輝ける童美連ではないのです・・・・。このまま何も改革せずに今の体制で進むと、きっと10年~20年後には解体、又は、実質的な機能を失う危機に直面するでしょうね・・・。
 童美連では「著作権」の勉強会も行われますが、それは1年もあれば、ほぼ全容を解釈できました。童美連で吸収できる知識・利点のほぼ全てを、5年間もあれば、私は成しえました。その後は、時間的・体力的・金銭的浪費ばかりが気になり出すだけです・・・。とにかく”制作”の時間が相当削られるのだけは、我慢できません。私にとって「絵」は人生の全てなのですから~。私は童美連よりずっと大きな作家団体の日本美術家連盟会員でもあるので、「作家の権利の保護・擁護」という観点からも、童美連と重なる部分も多く、両団体に入る必然性もないのです。

 ブッダも「真理のことば」の中で、こうおっしゃられています。・・・・「旅に出て、もしも自分よりすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。」(「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村 元訳/岩波文庫)・・・・と。

 そんな訳で、特にお世話になった童美連の複数名の先輩方々には大変申し訳ない思いもあるのですが、その他にも諸々を考慮した結果、童美連での活動はこの「展覧会」という形一つの完了をもって、完全に離れる決意を固めました。
 本来の日本画家としての創作活動を一番大切にしていきたいのです。しかし、感受性の豊かな子どもたちに直接訴えかける「絵本の世界」もとても重要と考えており、福音館書店・岩波書店 等の優れた大手絵本出版社や、福音館書店編集長であった唐 亜明さん達と、本当にしっかりした絵本だけを、今後も制作継続していく所存です。
 また、何人かの信頼できる良き絵本作家の先輩方・同輩達とは、童美連を離れた後も、きっと良きお付き合いが続くだろうと信じています。今後ともよろしくお願いいたします。
 
 絵師(日本画家・絵本画家)、日本児童出版美術家連盟 会員・理事〔展覧会実行委員会委員長〕  後藤 仁

テーマ : 展示会、イベントの情報
ジャンル : 学問・文化・芸術

後藤 仁 プロフィール

後藤 仁(GOTO JIN/后藤 仁)

Author:後藤 仁(GOTO JIN/后藤 仁)
~後藤 仁 公式ブログ1~
日本画家・絵本画家 後藤 仁(GOTO JIN/后藤 仁)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

 〔後藤 仁 略歴〕
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校 美術科で日本画を始める。東京藝術大学 絵画科日本画専攻 卒業、後藤純男先生(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。卒業以降は日本画家として活動し、中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は絵本の原画制作に力を入れる。
○絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、『わかがえりのみず』(鈴木出版)、『金色の鹿』(子供教育出版)、挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞・インターネットサイト等への出演・掲載も多い。
○東京藝術大学デザイン科 非常勤講師、元 東京造形大学 絵本講師。国選定保存技術 金唐革紙 製作技術保持者。日本美術家連盟 会員(ご推薦者:中島千波先生)、絵本学会 会員、日本中国文化交流協会 会員、この本だいすきの会 会員。千葉県松戸市在住。

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絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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