2017-01-08

スリランカ写生旅行 その11

 ・・・・スリランカの旅も残り少なくなりましたが、一旦、ポロンナルワの最終日の朝に戻ります。新年そうそう、黒虫の話もどうかと思い今回に回しましたが、ポロンナルワの宿では、その後も連夜、黒虫との格闘が続いていたのです。18日の朝に見た超巨大な黒虫は、その後も朝になる度に現れましたが、毎回取り逃がしていました。「あれはこの宿のボス虫に違いない。」と確信し、最終日までに決着をつけようと決めていました。
 21日、ポロンナルワでの最後の朝、前日の「ペラヘラ祭」の帰りにアイスクリームのような物を踏み付けたと見え、靴の底に甘い香りの物体がこびり付いていました。シャワー室で靴底を洗っていると、その甘い香りに引き付けられたようで、早速、あの巨漢黒虫が出現しました。ずんぐりと立体的で、体長は日本の物より少し長い位ですが、胴回りが4倍位は太いのです。反射的に、洗っていた靴で黒虫をパチンとやりました。直後に、ボスの敵討ちに現れた中型の黒虫も、続けざまにパチンと返り討ちしました。
 この宿は安くてオーナーも良い方でしたが、この虫達の多さだけには閉口しました。しかし日中は、不殺生をとなえたブッダの遺跡を殊勝そうな顔で拝見しながら、都合に応じて殺生を行う私達人間とは、いかに自分勝手で残酷な生き物なのだろうかとつくづく思うのでした。・・・・・


 「スリランカ写生旅行」18日目、2016年6月23日(木)。アヌラーダプラ遺跡巡りの2日目です。ここでは連夜、猛暑と爆音に悩まされていたのですが、今朝起きると、何故か全く汗をかいていません。スリランカでは毎朝、汗だくになっていたので、逆に不吉なものを感じました。案の定、体はかなりだるくて、完全にお腹をこわしていました。前日の昼食のチキンカレーが悪かったのか、熱中症の症状なのか、理由ははっきりしませんが、かなり酷い体調です。強めの下痢・だるさの他に、軽い頭痛と微熱もあります。それでも葛根湯の錠剤を飲んで、朝食の菓子とバナナを軽く食べて、7:00頃自転車で出発しました。
 まずは遺跡群の南方に向かい、「イスルムニヤ精舎」(入場料・別料金200Rs)を見学します。アヌラーダプラの他の寺院とは雰囲気が異なり、境内中央に涅槃像が安置された本堂があって日本の寺院に近い造りです。本堂裏の巨石に登ると、アヌラーダプラの町が見渡せます。宝物殿には優れた彫像が多数置かれています。美しい寺院なので、どこかスケッチをしたかったのですが、体がだるくて力が出ませんので、この日は写真を撮るだけにしました。スケッチにはかなりの集中力と体力を必要とするのです。
 自転車で北上し、図書館で3550Rsの遺跡入場券を購入し、更に北上し、計4km近く走りました。体調が良くないのでフラフラです。遺跡群の北端、「アバヤギリ大塔」に到着。高さ75mという巨大なダーガバ(仏塔)で、かつてはスリランカの大乗仏教の総本山だったそうです(現在のスリランカには上座部仏教しかありません)。次に「ラトゥナ・プラサーダ」という、スリランカで一番美しいとされるガードストーン(宮殿や寺院の入口左右にある彫像)が残る宮殿跡を見物。次に、スリランカ一美しいというムーンストーン(半円形の石板)が残る「クイーンズ・パビリオン(王妃の建物)」を見物。ムーンストーン全体で宇宙の真理を表しているといい、ゾウ(誕生の象徴)、ウマ(老齢の象徴)、ライオン(病の象徴)、牡牛(死の象徴)が彫られていて、この4種の動物で輪廻を意味するのだそうです。まさに、ブッダのおっしゃられた「四苦」、つまり、「生老病死」の事ですが、・・・このブッダ(仏陀、お釈迦様)の伝記を知りたい方は、私が挿絵を描いた『おしゃかさま物語』 (本間正樹 文、後藤 仁 絵/佼成出版社) 直販のみ: 佼成出版社・佼成ショップ https://www.koseishop.com/product.jsp?id=25208  を読むとよく分かりますよ。(ちなみに、時代が下るポロンナルワのムーンストーンでは、ヒンドゥー教の影響があり、神である牛が死を象徴するのは良くないとの理由で牛が描かれていないそうです。)
 次に「サマーディ仏像」という大きな仏像を拝見し、「クッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ)」という僧の沐浴場跡を見物。最後に「アバヤギリ博物館」を急ぎ足で見学したところで11:00頃、体力の限界が来ました。しかし今日で、アヌラーダプラの主要遺跡は全て見終わりました。朝から体調が優れない上に、何時間も動き回ったので、お腹はグルグルいっていますし頭はボーッとしています。何とか4kmの道のりを宿までたどり着き、シャワーを浴びて、昼食はバナナとヨーグルトを軽く食べるだけで済ませました。(行きに約2km、北上に約4km、帰りに約4km、この日だけで合計 約10kmも自転車で走っています。体調が悪いというのに、随分無茶をしています。)
 午後はくたばったように部屋で寝ていたのですが、気分が悪くて全く食欲が出ないので、夕食時には塩分を取るために塩気のあるピーナッツを数粒食べて水を飲むのが精一杯でした。夕方から夜にかけて体調は悪くなる一方です。しかし、こんな時にも旅の経験がものを言います。これ位までなら、よく休憩して塩と水分を取ってさえいれば、自力で回復できるという自信がありました。
 この日は特に早めに夕方8時頃には睡眠に入りましたが、外の音楽はこの夜も容易に寝かしてくれませんでした。

 「スリランカ写生旅行」19日目、6月24日(金)。朝6時過ぎに起きると、体調はわずかながら回復して来ていました。食欲は無いのですが、何とか朝食のバナナ、菓子、牛乳を飲み込むと、7:00には自転車で遺跡巡りに出発しました。
 昨日、体調不良で、「イスルムニヤ精舎」(入場料・別料金200Rs)をしっかり見れなかったので、再び精舎を訪れました。最後の力を振り絞って、境内の巨石に彫られたゾウの家族の彫像を、F4号スケッチブックに30分余りかけて写生。宝物殿の「恋人の像 The Lovers」と名の付いた、サーリヤ王子と恋人マーラとされる5世紀に作られた優れた彫像を、F4号に30分余り写生。警備をしていた警察が傍らでその様子を見ていましたが、ポロンナルワ等の他の地域の警察と違って、何故かアヌラーダプラの警察は優しい感じの人が多いのです。ここの方が田舎なので、人の性格ものどかなのかも知れません。最初に「スケッチしていいか」と聞くと、「いいよ」と快い返事を返してくれました。描き終わると、「その絵をもらえないか」と言うので、「現物は無理だが写真を撮るのはいいよ」と答えると、喜んでスマホで撮影していました。
 「イスルムニヤ精舎」の手前に大きな池があり、きれいな蓮の花が咲いています。小鳥もさえずり楽園のようです。この蓮をSM号スケッチブックに20分程スケッチ。その途中、野良犬が私に近寄って来ました。すると、つがいらしき2羽の小鳥が鋭い声で犬に襲いかかります。その鳥は前に、キャンディ近郊のペーラーデニヤ植物園でスケッチした、Red Wattled Lapwing という鳥でした。犬はしばらく粘っていましたが、最後は鳥の剣幕に負けて退散しました。スケッチを終えて、犬がいなくなった後にその付近を見てみると、地面に鳥の巣があり、2cm程のかわいい卵が3個ありました。私が巣に近付いても、鳥は遠巻きに見ているだけで、威嚇はして来ません。巣の周りに丁度良い大きさで木組みがしてあるのですが、これは巣が出来た後に、人が巣を守る為に作ったものに違いありません。鳥は、ここの人間が自分達の卵に危害を加えない事をよく知っているのでしょう。スリランカの人々の優しく思いやりのある心根が伝わりました・・・。
 美しい蓮の花と小鳥達のミニドラマを見て気分良くなった私は、今日はこの一か所だけにして、まだ調子の戻らない体を引きずって12:00頃、宿に戻りました。帰路、露店がたくさん集まった通りに立ち寄って、私が講師を務める絵画教室の受講者の方や、日本児童出版美術家連盟(童美連)の絵描き仲間や、親類・友人・知人にお渡しする土産を探しました。金属製のスリランカの腕輪(ブレスレット)が面白いので、インド等に比べて案外物価は安くはないのですが、96個買い入れました。(前は70個位で足りたのですが、最近お世話になる方が増える一方なので、帰国後手渡しするのですが、96個でも足りない位でした。)後は自分用の安いシャツ(500Rs)を購入。
 昼食は軽く、パン、バナナ、ヨーグルトを食べました。お腹の具合はまだまだ良くないですし、だるさも続いています。

 この後、「サルガド・ホテル&ベーカリー」にチップ50Rsを残して、「ホテル・シャリニ」(一泊部屋代3500Rs、朝食500Rs、エアコン・ホットシャワー・トイレ付)に移動しました。「サルガド・ホテル」は便利な立地にあるのですが、メイン通りに面しているので毎晩響き渡る騒音が難点でした。連泊する人には少々、きついかも知れません。「ホテル・シャリニ」の人が言うには、あの謎の騒音はパブの音楽だそうです。今後、スリランカの近代化を進める上では、騒音規制が必要になって来るでしょう。
 さすがに中級ホテル、「ホテル・シャリニ」の部屋はきれいで快適です。シャワーは上からだけではなく、前面からも湯が出て来る高機能型です。普段私は、現代文明・科学万能説に反論を唱えがちですが、今回の旅では改めてエアコンという文明の利器のすごさを実感しました。所詮私も、現代文明・コンピュータ社会に毒された軟弱な都会人でしかないのですね・・・。
 午後は前後を忘れて爆睡し、夕食に軽くバナナ、ヨーグルトを食べると(体調がどんなに悪くても何か食べないと、衰弱・脱水症状を起こして更に病状が悪化します)、エアコンの効いた快適な部屋で夕方6時頃から再び眠り続けました。このホテルはメイン通りから離れているので、騒音もほとんど聞こえず静かな環境です。ここに来て中級ホテルを予約しておいたというのは、まさに私の豊富な旅の”経験”と”勘”が冴えたと言っても過言ではないでしょう。
 次の日はコロンボへの移動日でしたが、完全でないまでも、体調は劇的に回復しました。(元々私は、ほとんど風邪等の病気にかからないので、免疫力はかなり高いようです。そうは言っても、近年50歳に近づき、若き頃には周囲から超人とまでもてはやされた私の体力も、どんどん落ちる傾向にあります。)


スリランカ旅行「イスルムニヤ精舎」 (入場料200Rs) アヌラーダプラは全体的に観光客が少なめでしたが、この日は修学旅行のような学校の団体参拝客でにぎわっていました。

スリランカ旅行「ホテル・シャリニ」 (一泊部屋代3500Rs、朝食500Rs、エアコン・ホットシャワー・トイレ付)



 明日のアヌラーダプラからコロンボへの列車の旅のお話は、また次回にいたしましょう・・・。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁



テーマ : 旅と絵
ジャンル : 学問・文化・芸術

2017-01-04

スリランカ写生旅行 その10

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。ブログに記すのに時間がかかっていますが、「スリランカの旅」も残り一週間になりました。

 「スリランカ写生旅行」16日目、2016年6月21日(火)。この日はポロンナルワからアヌラーダプラに移動します。ポロンナルワのバスターミナルは町の中心地から離れているので、スリーウィーラー(三輪タクシー/メーターがない場合の値段は交渉制)をつかまえてバスターミナルまで250Rs(スリランカ・ルピー/Rs.1≒0.75円)で向かいます。ポロンナルワ 8:00発のバス(150Rs)でアヌラーダプラに11:30頃到着しました。
 アヌラーダプラの宿は、「サルガド・ホテル&ベーカリー」(一泊1000Rs、ファン・トイレ・ホットシャワー付)に3泊する事に決めて、明日から300Rs(一日)のレンタルサイクル(貸自転車)を3日間分借りました。この宿のオーナーにもスケッチブックをお見せしてお話しましたが、親切そうな方です。
 宿の一階がベーカリーになっていて、パンの他にも本格的な食事もできるので、昼食はそこで、パン、コーラ、ヨーグルト(計435Rs)を食べました。その後、宿の近くの大きなスーパー「Food City」で買い物をしました。アヌラーダプラには蚊がたくさんいるので、蚊取り線香も購入。
 夕食は、同じベーカリーでブリヤーニ(約350Rs)、ジュースを食べて、部屋に戻り、スーパーで買った本格的なカード(水牛ヨーグルト/220Rs)にハニー(トリックル・ヤシ蜜/一瓶 280Rs)をかけていただきました。カードは素焼きの器に入っていて、かなりボリュームがあるので2回に分けて食べました。とても濃厚で美味しいヨーグルトですが、多分、日本ではなかなか手に入らないでしょうから残念です。今まで食べた中では、ネパールのバクタプル名物・ズーズーダウというヨーグルトに次ぐ、至高の美味です。日本で食べるヨーグルトとは比較にならない美味しさです。
 この日も明日のアヌラーダプラ散策に備えて早く寝ようとしましたが、夕方から宿の外で謎の音楽(スリランカの民謡のような)が大音量で鳴り出し、夜遅くまで爆音を響かせていたので、なかなか寝付けませんでした。スリランカの中部地域はコロンボ辺りよりも気温が高めなのですが、ここアヌラーダプラはなおさら暑さが厳しいので、ファンを切ってしまうと(ファンを付けて寝ると風邪をひきます)猛烈な暑さとの闘いになります(夜中でも30度を下回りません)。小さな蚊帳にくるまると、更に蒸し暑く感じます。

スリランカ旅行「サルガド・ホテル&ベーカリー」 ブリヤーニ(約350Rs)、ジュース

スリランカ旅行カード(水牛ヨーグルト/220Rs)にハニー(トリックル・ヤシ蜜/一瓶 280Rs)をたっぷりかけていただくと、超美味なのです。 ( ^^) _U~~ (カードが入っている素焼きの器は、内径が13cm位あるので、蚊取り線香立てに丁度ピッタリでした。)


 「スリランカ写生旅行」17日目、6月22日(水)。朝、目覚めると、首から肩の辺りが汗でびっしょり濡れていました。昨夜の音楽もあり、眠りはかなり浅かった上に、今までの旅の疲れもたまって来ているようで、少しボ~ッとしています。(今思うと、軽い熱中症だったのかも知れません。)それでも、朝食のパンとバナナを食べると、7:00過ぎには自転車でアヌラーダプラの遺跡に向かいました。途中でアヌラーダプラ駅に寄って、25日のコロンボ行きの列車の予約をしました。アヌラーダプラからコロンボまでの「インターシティ・エクスプレス」2等車(450Rs)です。
 まずは「スリー・マハー菩提樹」から見物。この菩提樹は、紀元前3世紀にインドのブッダガヤの菩提樹の分け木を植樹したものと言われており、スリランカ人が最も崇めている菩提樹です。思った程は巨大ではないのですが、早朝から大勢の参拝者に囲まれて、厳かな雰囲気が漂っています。私はかつてインドのブッダガヤで拝見した菩提樹を思い出していました・・・。ここでF4号スケッチブックに1時間余り写生しました。次に、図書館にミニ博物館が併設された施設で、アヌラーダプラ遺跡入場券(一日3550Rs)を購入し、館内を見学。
 アヌラーダプラ遺跡地区は南北5㎞、東西2㎞という広い地域に広がっているので、自転車で移動するにも時々道に迷ったりして大変です。「ジェータワナ・ラーマヤ」というダーガバ(仏塔)を見物。高さ約70mの巨大な仏塔です。次に、アヌラーダプラのシンボル「ルワンウェリ・サーヤ大塔」を拝見。真っ白に塗られた高さ55mの巨大で美しいダーガバです。塔の土台の周囲にはゾウの彫像がずらっと並んでいて、壮観です。この大塔の所で、スリランカ人の親子に話しかけられ、「あなたは先程、スリー・マハー菩提樹を描いていたが、完成したのなら見せてほしい。」と言われて、スケッチブックを見せてあげました。親子はしきりに感心していました。スリランカの人は気さくで良い人が多いです。
 自転車で移動して、「民俗博物館」(別料金300Rs)を見学。小さな博物館ですが、民俗学に関心の高い私には、なかなか興味深い展示内容でした。近くの考古学博物館は休館のようです。ガイドブック「地球の歩き方」では、この博物館内にチケットオフィスがあると書いてあり、先程の図書館(ミニ博物館)は地図にかろうじて「図書館」と記載してあるだけなので、ややこしいです。最初、図書館がこの考古学博物館だと思い込んでいたので、地図の位置感覚が分からずに、余計に道に迷ってしまったようです。次に、「トゥーパーラーマ・ダーガバ」を見ました。高さ19mの白いダーガバです。アヌラーダプラはポロンナルワとは違って、観光客がほとんどいないので、ゆっくり見物できます。
 時刻は2:30頃、そろそろ疲れて来たので今日はここまでにしました。帰りに、「ホテル・シャリニ」という中級ホテルに立ち寄ってアヌラーダプラの最終日の一泊を予約。通常、一地域では一つの宿に滞在を定めて観光するのが最善ですが、アヌラーダプラの最終日だけでも、少しだけ贅沢をしたいと考えました。安いホテルは設備や周辺環境に不備がある場合が多く、一泊1000円以内のゲストハウスに長期宿泊する旅は、後半、かなり疲労困憊になるものです。プチ贅沢といっても、「ホテル・シャリニ」は朝食込みで一泊4000Rs(部屋代3500Rs、朝食500Rs)と安いものですよ。
 遅めの昼食は、宿のベーカリーで、チキンカレー(340Rs)、ジュース2本を食べました。このベーカリーは安くてなかなか美味しいです。

スリランカ旅行「スリー・マハー菩提樹」

スリランカ旅行「ルワンウェリ・サーヤ大塔」

 今まで、もっと過酷な旅を幾多と経験して来た私ですが、さすがに年なのか、今回の旅では、終盤、少々バテ気味になって来ました。昨夜の騒音と暑さが追い打ちをかけたのでしょうか・・・。
 夕食は菓子とバナナで軽く済ませて、この日も早めに眠りについたのですが、浅い睡眠の中、夜の7時過ぎから明け方まで音楽の騒音が聞こえていました。更に夜には猛暑が襲って来ますし、蚊取り線香をもくもくとたいていても、明け方には蚊が数匹刺して来ます・・・。
 私の”旅の直感”なのか、アヌラーダプラの最終日に中級ホテルを予約しておいたのは、後ほど功を奏する事になります。

 では、アヌラーダプラ遺跡巡り2日目は次回に続きます。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

テーマ : 旅と絵
ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-12-28

近況報告:童美連サロン、鈴木出版絵本制作、童美連忘年会、この本だいすきの会 年の暮れ集会 他

 〔近況報告です〕
 2016年11月29日は、日本児童出版美術家連盟(童美連)の、『2016童美連サロン4「今、大活躍の絵本編集者をお招きして!」』 に参加しました。
 チャイルド本社の浅野久美子さん、くもん出版の堤 嘉代さんをお招きしての講演・質疑応答でした。今、最も現場で動いている、お二方のお話は誠に為になるものでした。浅野さんとは、先日の「太田大八さんをしのぶ会」の後のカラオケ会で、黒井 健さんらと共に歌ったばかりです。
 質疑応答は星野イクミさんの司会進行で行われたので、終始、和やかな雰囲気で、わざわざお越しいただいた編集者に結構気を使われた感じでした。ただ、編集者を戸惑わせる位の作家ならではの鋭い質問はなかったので、余程、私も質問したいと思いましたが、ここは今の童美連 事業部 部長・副部長の高木さんご さん、石川日向さんの方向性にお任せしました。
 時に私は、あまりに相手の深層(本心)をつく意見を述べる場合があるので、今までも多くの画商(絵本業界で例えると、出版社編集者と出版社経営者と営業担当者を合わせたような存在)と上手く行かない場面があったのかなと反省しなければいけない部分もありますね・・・。ただ、それ位の意見を述べ合えても続く関係が、本当は最も良い作品が生まれる環境とも言えるのですが・・・、なかなか今の時代では難しそうですね。

 12月3日は、午前中のNHK文化センター柏教室「デッサン入門講座」の講師(私が教える日本画・水彩画・デッサンの5つの教室の中では一番人数が多いです)を終えた後、松戸の「松戸神社・神楽殿」が修復され杉戸絵・天井絵が一般公開されているというので見て来ました。明治時代の作品ですが、なかなか良い絵です。

 12月8日は、新作絵本制作の打ち合わせに巣鴨まで行って来ました。まずは、巣鴨の「とげぬき地蔵尊・高岩寺」に参って、塩大福を購入。巣鴨の絵本出版社というと、日本の絵本出版社の最大手・福音館書店と思うでしょうが(福音館書店ビルでも、前の絵本制作時に打ち合わせをしましたが)・・・、今回は素通りして、実は老舗児童書出版社の鈴木出版(すずき出版)なのですね。
 打合せ時間の1時間前に着いたので、近くの「六義園」に寄って(最初からその予定だったのですが)、蓬莱島をSM号スケッチブックに20分ばかりスケッチ。その後、鈴木出版で絵本制作の打ち合わせをして帰って来ました。来年9月出版予定の月刊絵本「こどものくに」であるとまで言っておきます。詳しい内容はまだ話せませんが、良い絵本になりそうですので、お楽しみにしていて下さい。

鈴木出版(すずき出版)鈴木出版(すずき出版)

六義園「六義園」 この季節 紅葉がきれいでした~


 12月18日東京造形大学「絵本講師」の履歴書(学歴、職歴、著作物・展覧会の経歴 等)は、非常勤講師といえど10枚も書かないといけないので、内容をまとめて書き終えるのに3日もかかって(もちろん他の仕事をしながらですが)、この日、無事送付しました。一応、内定しているとはいえ決定している訳ではないので、後は選考審査を待つのみです。
 週に1回、3時間だけの「絵本講義」ですが、通勤に往復5時間余りかかるので、制作やその他の雑事も加えて、来年はますます大変になりそうです。

 12月20日は午前中、鈴木出版(すずき出版)の新作絵本用のパネル製作を途中まで行いました。パネルを画材店で購入すると案外高いので、手間はかかるのですが、ほとんどの場合は自分で木材を買って来て作るのです。
 昼過ぎから日本児童出版美術家連盟(童美連)の著作権部部会で、今後の「著作権勉強会」のあり方について話し合いました。次に、童美連理事会に出席し、その後、伊勢丹新宿店の「宇野亞喜良 展」に立ち寄ってから、童美連忘年会に参加しました。定員の60名で大いに歓談しましたが、毎年開催されて来た居酒屋も今年限りで閉店するとの事で、私はまだ3度目の参加ですが、時代の流れを感じます・・・。 
 閉会後、猫のダヤンで有名な池田あきこ さん、絵本作家のひらてるこ さん、東京造形大学の講師でもある小宮山逢邦先生、沢田真理先生らと共にカラオケをしました。池田さんはダヤンのように大騒ぎ~、何て元気な人なんだ。ひら さんの沖縄民謡は超上手でした。私はもっぱら、松山千春やさだまさし、佐野元春 等のニューミュージックという今ではほとんど死語となったジャンルを熱唱します。

 12月26日27日は、「第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会」(市川グランドホテル)に参加しました。昨年は仕事の都合がつかずに2日目だけしか出席できなかったので、今年は予定を組み込み全日程参加しました。
 1日目、26日は、絵本作家・イラストレーターの村上康成さんの講演「絵本をめくる、めくるめく時 ~自然の歌をききながら~」を拝聴。釣り好きの村上さんのお話は、とても面白いエピソードばかりで楽しめました。村上さんの絵本作品の、余白を活かしたシンプルなデザイン表現は、実に洗練されています。村上さんのサイン会では、絵本『ピンクとスノーじいさん』(徳間書店)を購入してサインをいただきました。ここでも、サイン会の補佐役をされていたチャイルド本社 編集部の浅野久美子さんにお会いしました。
 夜5時からは「年の暮れ集会 児童文学作家・画家・編集者を囲む交流会」がありました。私は今年も一会員として参加しましたが、日頃から童美連 等でお世話になっている方や、お久しぶりにお会いする方や、初めてご挨拶する方もおられました。会場は、200名弱の作家や編集者や会員で大いに盛り上がりました。
 最近、私は少々疲れ気味でもあり、家まで自転車で30分余りかかるので、二次会には出ずに、この日は一旦帰りました。

 2日目、27日は、童心社 編集長の大熊 悟さんの講演会「ずっと子どもと もっと子どもと ─ 児童図書と紙芝居について」を聴きました。絵本や紙芝居に対する真摯なお考えが垣間見えて、大いに共感する部分がありました。
 童心社や福音館書店 等の絵本出版社は、「絵本」に対する制作理念がしっかりしているのが良い所です。それでも、これからの時代は厳しい時代になっていく事でしょう。童心社からは前に私にも絵本制作の打診があり、アトリエで打ち合わせまでしたのですが、なかなか内容がつめられずに延び延びになっています。近年の出版不況で絵本業界も保守的にならざるを得ないのか、バブル期以前に出版実績が豊富にあるベテラン作家の方に依頼が集中し、若手が絵本を出版するのは極めて困難になっています。まれに40代以下の若手作家で売れっ子の人もいますが、その多くは大衆迎合しやすい軽くて通俗的で、崩しマンガ的な(本来のマンガのレベルに到達していない)作風の絵描きばかりです。(私はマンガやアニメの本質的な芸術性を高く評価しており、手塚治虫、水木しげる、萩尾望都、松本零士、矢口高雄、宮崎 駿さん等は大好きなのですが、その流行に乗じた低品質のマンガもどき作品が膨大にあるのを懸念しています。)本当に才能のある新人がどんどん作品を出して行ける世の中でないと、日本画も絵本も・・・文化全体が先細りして行くのは目に見えています。しかし、世界中の現状を考慮すると致し方無い事なのかも知れません・・・・。私などは微力ながら、一芸術家として、ただただ頑張るのみです。
 こうして、この2日間は誠に充実した時間となりました。この集会が今年最後の大イベントで、後は少しずつ鈴木出版の新作絵本制作を進めながら、大掃除をして、年を越すだけです。しかし、本格的な絵本作画は来年からになりそうです。

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会「第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会」 絵本作家・イラストレーター 村上康成さんの講演  最後はウクレレ演奏もご披露~

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会「児童文学作家・画家・編集者を囲む交流会」 この本だいすきの会・代表 小松崎進 先生のご挨拶

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会村上康成さんと私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会児童文学作家 内田麟太郎 先生と私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会絵本作家 小林 豊さんと私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会絵本作家 きむらゆういち さんと私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会絵本作家 長谷川知子さんと私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会「第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会」 最後の大団円


 今年も制作から雑事まで実に忙しい一年になりましたが、東京造形大学の絵本講師や新作絵本制作の本格化 等、来年は今年以上に忙しくなる事は間違いないでしょう。変にマメな私は、空いた時間を見ては、できるだけフェイスブックやブログ等に近況や思った事をまとめてきましたが、来年4月以降は今までほどネットにアップする事も不可能になるでしょうかね・・・。
 今年一年誠に有難うございました。来年が皆様にとって良い年になります事を願って、来年もよろしくお願い申し上げます。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


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ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-12-25

東京藝大(東京芸大)という恐るべき所

 私はおよそ20年前の1996年に、東京藝術大学 美術学部絵画科 日本画専攻を卒業したのですが、競争率20倍以上(当時の日本画専攻)の日本屈指の難関大学といえど、所詮は学生・・・卒業してから”絵”を続ける方がはるかに困難な路なのです。とはいえ、ごく最近は東京藝大の優位性・存在価値もほんの少しずつながら低下気味のようですが、今もその重厚な存在感は美術・芸術界で抜きん出た地位を占めています。一つの評価指標でしかありませんが、美術系の文化功労者・文化勲章受章者の大半が東京藝術大学卒業生だそうです。
 しかしながら最近、絵本業界で活動していると、若いイラストレーター・絵本作家になるにつれ東京藝大の”すごみ”を知らないようですね。東京藝術大学の”すごみ”というのは、入学する難しさや描写技術の高さや「肩書」だけなのではなく、そこを出身とする芸術家の歴史的な層の厚さと人脈の強大さなのです。日本画家はいうまでもなく、横山大観、菱田春草から始まり、高山辰雄、東山魁夷、平山郁夫、加山又造、中島千波、千住 博 先生まで著名日本画家のほとんどが東京藝術大学卒業生です。絵本作家では、いわむらかずお さんや西巻茅子さん、最近では酒井駒子さん等が有名です(酒井さんは油画専攻ですが、私とほぼ同期です)。
 日本美術史をさかのぼると枚挙にいとまがないので、東京藝大の権威や作品レベルもやや落ちつつあると考えられる昨今ですが、私が在籍していた頃だけ、今すぐ思いつく分だけを見てみましょうか・・・。


 私が大学時代に最も仲良くしていた日本画専攻の同じクラスの3~4人のメンバーの中に、文部省か文化庁の役人(記憶が少々あいまいですが、その当時には省庁を辞められて大学教授をしていたらしく、平山郁夫 先生とも知り合いだったそうです)の娘さんがおりました。彼女は随分と個性的で面白い人でしたが、その後、有田焼の家元・酒井田柿右衛門の息子さんと結婚しました。そんなご縁で、柿右衛門邸を案内していただいた事もあります。お二人の結婚披露パーティーでは、千代田区の一等地にある彼女のマンションで、お二人らとともに垂れ幕等の制作をしました。酒井田 君が案外不器用だった印象もありますが、威張り気のないとても人のいい方です。その酒井田 浩 君も2年前位に15代 酒井田柿右衛門を襲名して、先日はNHK番組に出演しているのを見ましたが、彼も今では日本伝統工芸界の大物の風情です。
 日本画専攻の私の少し後輩には、千家十職(せんけじっそく/茶道に関わり三千家に出入りする十の職家を表す尊称)の一つで京焼の家元・永樂善五郎のお孫さんもいました。彼とは金唐革紙(きんからかわし/手製高級壁紙)の復元製作で一緒に仕事しましたが、「手が痛い痛いで・・・」と嘆きつつ、一か月程で彼は辞めていきました。彫刻科の後輩には、関西で有名な竹工芸作家家系の田邊竹雲斎の息子さんの田辺小竹 君もいました。彼は私と同じ大阪市立工芸高校 美術科の卒業生でもあります。最近は日本の百貨店や海外でも個展を開催して活躍しています。日本画専攻の少し先輩には、上村松園のひ孫さんもいました。このように東京藝術大学には、著名で歴史的な日本画家や職人家系のご子孫が多く在籍しているのも特徴です。

 当時の日本画専攻 博士課程には村上 隆さんが在籍していましたが、私は美術予備校・立川美術学院 日本画科でも彼にデッサン・水彩画(着彩)を学びました。彼は大学卒業後、現代アートの路を歩み、日本を代表する現代アートの奇才になったのはいうまでもありません。私が藝大に入学する少し前には千住 博 先生が在籍していました。先輩に聞くと、医者の息子の千住 先生は、当時スポーツカーで学校に通って来ていたらしく、教授から「苦学生もいるのだから止めてくれないか・・・。」と言われる位の羽振りだったらしいです。
 さらに、日本画専攻の少し先輩にはタミヤ模型の社長の娘さんもいましたし、私と同じクラスには神奈川県で1~2を競う富豪の家柄だとか噂される娘さんもいました。このように学内に、社長・会長や富裕階級のご子息・ご息女が多いのも東京藝術大学の特徴です。
 教授陣も当時は、平山郁夫 学長をはじめ、名誉教授に高山辰雄 先生、教授に加山又造、後藤純男、田淵俊夫、福井爽人 先生 等、当代の超一流日本画家が教えていました。現在の東京藝大 日本画専攻の教授陣は、当時と比べると見劣りする感は否めません。

 その他にも、美術大学で講師をしたリ各分野で大活躍する美術家・日本画家等が、先生・先輩・同輩・後輩に数えきれないほどいるというのが東京藝術大学の本当の恐ろしい所であり、”すごみ”なのです。東京藝術大学 日本画専攻のクラスの半分位は、著名な作家の家柄や裕福な家系の人々で、残りの半分が私のような中流階級から少し貧しい家庭の子供なのです。また、3分の2以上は首都圏出身者で、地方出身者は極めて少ないです。当然ながら前者の方が将来出世する可能性はぐんと増しますので、私のような地方出身の一般人は相当苦労する事になるのですが・・・。
 しかし、それらの全ての方々と今も交流が続いているという訳ではありませんが、若い頃から、いわゆる一流作家の人脈の中で勉学できた事は、今になって考えるととても良い環境であったかと思っております。学生時代には権威・権力に対する矛盾・反発を感じた事も度々ありましたが、年を経て今振り返ると、良い面悪い面があるにせよ、実に素晴らしい経験だったと思うのです。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


立川美術学院 日本画科「美術予備校・立川美術学院 体育祭」(1989年10月) 村上 隆さん、中村寿生 君と私。現在は現代アートの第一人者として知られている村上 隆さんですが、当時は東京藝術大学 日本画専攻の博士課程に在籍し、立川美術学院 日本画科で講師をしていました。左は美術学院の同級生の中村寿生 君(現在、文星芸術大学 日本画専攻 准教授・講師)。

酒井田柿右衛門 邸「酒井田柿右衛門 邸 ─ 柿右衛門の名の由来になったという柿の木の前にて」(1999年8月) 酒井田 浩 君(14代柿右衛門 長男。現在、15代柿右衛門)と私。



佐賀新聞 (2014年3月29日): 十五代柿右衛門さん襲名 450人が祝福
 http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/57310

 お偉くなったからか、近年さっぱり連絡をくれなくなったが、私の同級生だった酒井田晶子さんもお元気そうですな。あれ、お子さんもいるのね~

 

 

テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-12-13

最近、「絵本」を語る日本画家に思う事


絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』表紙・表絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも) 表紙


『最近、「絵本」を語る日本画家に思う事』

 それにしても、ここ2~3年、やけに日本画家「絵本」を描いたり、「絵本原画展」を開く機会が多くなりましたね。それ以前はインターネットをほとんど見ていなかったので気が付かなかっただけかも知れませんが・・・。かく言う私も、2004年と2007年に開催した私の日本画個展に、福音館書店の編集者が来られてから、子供の頃(幼児期~中学校の頃)に憧れた「絵本」の魅力を思い出したわけですが・・・。
 ただ、それまでにも、卓上芸術である「物語絵」「絵巻物」を描きたいという強い思いがありましたので、それが「絵本」の世界観と自然に通じたわけです。現代の日本画は、写実的な風景画や写真的な現代女性の人物画が全盛で、会場芸術の大作主義が主流ですが、私の求める世界とは少し異なるのです。私は元々、物語性のある人物画(美人画)が得意なので、人物を描くケースが多い「絵本画」に合っていたという事実もあります。
 今の時代、「日本画」の売り絵だけで食べて行くのは至難の業です。日本画の世界はプロとセミプロ・アマチュアの区別がはっきりしていないですが、本格的に制作をしているプロの日本画家と言える人は500人足らずだと思います。その内、それなりに世間で名の知られた日本画家は100~150人位で、私もその一人に入るでしょう。更にその中で、一生を絵だけで食べて行ける日本画家は、多分、25~30人位しかいないと思います。それらのほとんどは団体展で高価値を付与されているか、商売の上手い人です。ただし、最上位の10数人は富豪と言われる豪奢な生活をしています。絵だけで食べて行けない、その他の95%位の日本画家は、絵画講師等の何らかの副業をしながら絵を描くか、裕福な家系のご子息・ご息女かです。日本画をプロとして10年以上継続できている人は東京藝術大学の日本画専攻卒業生(毎年26名)でも3分の1位の人(8~10名)だけで、美術大学卒業後5年以内に、絵の路を断念して絵筆を折る作家が大半です。
 当然、そんな苦しい環境下で、皆さん色々試行錯誤する事になります。その悪い方向性として、現代の日本画家はすぐに他人のマネ(模倣)をしたがる嫌いがあります。ある作風・やり方(展開方法)が売れると(評価されると)、同輩・後輩がすぐにそのマネをします。例えば、東京藝術大学の日本画専攻では、私の在学していた頃に流行していた作風(田淵俊夫先生や福井爽人先生辺りの作品を模倣)が、20年後の今でも描かれています。この悪癖が今の日本画界のマンネリ化・類型化と衰退の加速化を助長しているとも言えるのですが・・・。思い過ごしかも知れませんが、私が「絵本」の世界に本格的に歩み出した頃から、私の周囲の日本画家が、今まで興味がないように見えた人までも、突然「絵本」「挿絵」等と叫び出した気がします。
 ただ、「日本画」の世界と同様、絵本・挿絵といった「出版美術」の世界も、長引く出版不況やデジタル化の波もあって、相当厳しい世界である事には変わりありません。中途半端に活動するのなら、何をやっても同じ事でしょう。もし、日本画家で「絵本」を目指される方がいるなら、本気で本腰を入れて事に当たらないと、絵本作家やイラストレーターの方にとても失礼な事になるでしょうね・・・。

 「絵本」の歴史を振り返ると、昔(明治の頃)は絵本作家・絵本画家や挿絵画家という職業意識はなく、日本画家(浮世絵師を含む)や洋画家が依頼されて絵本や挿絵を描いていました。大正・昭和時代以降、印刷美術・出版美術を活動主体とするデザイナー・イラストレーターが登場し、戦後、絵本の隆盛につれ絵本作家・絵本画家という職業が確立されて行きました。近年では、日本画家の秋野不矩先生や堀 文子先生等が絵本の世界でもご活躍し、かつては東山魁夷先生や稗田一穂先生等も絵本を描いていました。ただ、それらの作家は日本画家として確立された先生方なので、絵本は片手間の感をぬぐえません。日本画を用いた絵本作家では、赤羽末吉さんが有名ですが、赤羽さんの場合は逆に日本画はほぼ独学に近いので、さほど本格的な日本画家とは言えません。
 かつてはこの様に、日本画家等の純粋美術作家が「絵本」の作画を依頼されるケースが多かったのですが、現代では「絵本作家・絵本画家」という職業意識も確立していますので、やはり、日本画家があまり安易な見識で「絵本」を描くのは、それを活動主体とする絵本作家・絵本画家・イラストレーターの方々に失礼というものでしょう。
 そんな理由もあって私は、初絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも)を出版した3年前位に日本児童出版美術家連盟(童美連)に所属し、日本画界での約33年(プロとして約20年)という長い経歴と自負を抑えて、絵本作家・イラストレーターの皆様に首を垂れ、絵本とその業界を基礎から学びたいと考えたのです。

 現在私は、日本画のオリジナル作品を描きながら、絵本の制作を並行しています。今、福音館書店「こどものとも」の新作絵本の制作が既に3年余り進んでいて、完成までには更に数年かかりそうです。また、来年出版予定の鈴木出版(すずき出版)「こどものくに」の新作絵本制作も進行中です。福音館書店「こどものとも」は1956年(昭和31年)創刊で、創刊号の絵は堀 文子先生によるものです。鈴木出版「こどものくに」は1967年(昭和42年)創刊なのでほぼ私と同じ年です。いずれも日本の月刊絵本を牽引してきた歴史ある有名な絵本シリーズです。
 私は、幼少期にはオリジナル漫画・紙芝居やイラストを描き、中学生の頃はアクリル空想画を描き、高校では大阪市立工芸高校美術科で本格的に日本画・油絵・彫刻・デザイン・製図・版画等を学びました。東京藝術大学日本画専攻で更に日本画を追求し、その頃から約12年間、金唐革紙(きんからかわし/金唐紙 きんからかみ、とも言う)という手製高級壁紙の復元製作を手掛けた経験もあります。私の伯父でもある、からくり人形師の後藤大秀さんの、からくり人形・能面制作から大きな影響も受けています。
 このように様々なジャンルが垣根を超えて交流し、折衷されては、また独立し、切磋琢磨していくのが本来の”ものづくり”の原点なのかも知れません。私も、もちろん路半ば、まだまだ修行の途上でしかありません。

 日本画家・絵本画家 後藤 仁

テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-12-02

「大垣祭り」など山・鉾・屋台行事、ユネスコ無形文化遺産に登録決定 

『大垣祭り』 ユネスコ無形文化遺産に登録決定!! 

 私の伯父で、からくり人形師の後藤大秀が制作した「からくり人形」が乗せられて披露される、岐阜県大垣市の『大垣祭り』〔大垣祭の軕(ヤマ)行事〕が、昨年、「国重要無形民俗文化財」に指定され、12月1日、「ユネスコ無形文化遺産」に登録決定いたしました。その他にも、伯父は、愛知県半田市の「亀崎潮干祭の山車行事」のからくり人形修復等も手掛けています。
 2009年には、後藤大秀が「全国山・鉾・屋台保存連合会 人形関係修理技術者」に認定され(全国で3名のからくり人形師のみ認定)、その技術の確かさが公の機関によって保証されました。
 伯父の「からくり人形」が活躍する『大垣祭り』 『亀崎潮干祭』の魅力が、日本中・世界中に広がっていくのはうれしい限りです。毎年5月に岐阜県大垣市で『大垣祭り』が開催されますので、ぜひ見に行って下さい。

 日本画家・絵本画家 後藤 仁


後藤大秀 からくり人形・能面展名古屋市博物館「後藤大秀 からくり人形・能面展」にて 後藤大秀と後藤 仁(2007年8月撮影)

大垣祭り 相生山「神主友成」大垣祭り 相生山「神主友成」(後藤大秀 作/1995年撮影)


【今回、ユネスコ無形文化遺産に登録された中で、後藤大秀が復元制作・修復を手掛けた山車】

●からくり人形 復元制作
 大垣祭の相生山 「神主友成」「住吉明神」「尉」「姥」
 大垣祭の愛宕山 「武内宿禰」「神官人形(狂言師人形)」
 大垣祭の浦嶋山・布袋山 「采振り童子」
 大垣祭の布袋山 「倒立唐子人形」
●からくり人形 修復
 大垣祭の菅原山、榊山、愛宕山、神楽山(三輌山)
 半田市 亀崎潮干祭の東組宮本車

 なかでも、大垣祭の相生山「神主友成」復元制作では、昔の人形は過去に紛失していた為、古い写真一枚と古老の証言のみを基に全てを一から制作したので、この場合はほぼ完全創作と言えます。



大垣市 公式ホームページ : ユネスコ無形文化遺産「大垣祭の軕行事」紹介動画を公開中!
ユネスコ無形文化遺産 山・鉾・屋台行事「大垣祭の軕(やま)行事」

http://www.city.ogaki.lg.jp/0000002628.html


大垣観光協会 公式ホームページ : 大垣・西美濃観光ポータル水都旅
大垣まつり

http://www.ogakikanko.jp/event/ogakimaturi/


大垣地域ポータルサイト西美濃
大垣まつり特集2016

http://www.nisimino.com/nisimino/tokusyu/ogakimaturi/#&slider1=12


【ニュース報道】

首相官邸:「山・鉾・屋台行事」ユネスコ無形文化遺産登録に当たっての総理メッセージ
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20161201message.html

外務省:「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産代表一覧表への記載決定(外務大臣談話)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/page4_002549.html

外務省:「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」への記載についての審議結果
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003981.html

NHKニュース:山車が登場する33の祭り ユネスコ無形文化遺産に登録決定
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161201/k10010790831000.html

FNNニュース:「山・鉾・屋台行事」33件の無形文化遺産登録を決定 ユネスコ
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00343282.html

朝日新聞ニュース:山・鉾・屋台行事、無形文化遺産に登録決定 ユネスコ
http://www.asahi.com/articles/ASJD10P5GJCZUCLV01B.html

毎日新聞ニュース:無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」登録を決定 ユネスコ
http://mainichi.jp/articles/20161201/k00/00m/040/114000c

産経ニュース:「山・鉾・屋台行事」登録を正式決定 和食、和紙などに続き国内21件に
http://www.sankei.com/life/news/161201/lif1612010007-n1.html

時事ドットコムニュース:無形文化遺産に「山・鉾・屋台」決定=18府県33件の祭り-ユネスコ
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016120100044&g=soc



 

テーマ : お知らせ
ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-11-29

スリランカの子供達に「絵本」を贈ろうプロジェクト 絵本が届く!!

♡スリランカの子供達に「絵本」を贈ろうプロジェクト♡

 船旅なのでかなり時間がかかったようですが、ようやく「絵本」がスリランカに届きました!!!無事に届いてひとまずホッとしました。
 後は、スリランカの子供達に有効に活用していただける事を願っています。

 日本画家・絵本画家 後藤 仁

絵本届く スランガニ基金スリランカのスランガニ基金(代表:馬場繫子さん)に届いた「絵本」とスタッフの皆様

スリランカ寄贈絵本私の作画絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、挿絵本『おしゃかさま物語』(佼成出版社)

 
【今までの経緯】
 私は、2016年6月に3週間かけて「スリランカ写生旅行」に訪れました。その際に、日本でもよく知られたスリランカを代表する絵本作家のシビル・ウェッタシンハさんにお会いしました。(その時の模様は、このブログにも書いています。)
 シビル・ウェッタシンハさんが顧問を務めるボランティア団体・スランガニ基金が、スリランカの子供達に「絵本」を寄贈するご活動を長年されている事に共感しました。私もかねてより「絵本寄贈プロジェクト」を進めており、作画絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)を、東北の被災地をはじめとする日本中の学校・図書館・児童施設等に、今までで1000冊以上寄贈して来ました。その他、海外では、中華人民共和国やブータン王室 等にも絵本寄贈をして来ました。また今後、ネパールの被災地や熊本地震の被災地(私の親戚も地震に遭いました)等への絵本寄贈も考察しています。
 今回は、『スリランカの子供達に「絵本」を贈ろうプロジェクト』を計画しました。私が「絵本」をスリランカに送り、スランガニ基金のご協力でスリランカの子供達の手に届く予定です。日本児童出版美術家連盟(童美連)の絵本作家にも声をかけて、多くの作家の直筆サイン・メッセージ入りの「絵本」をスリランカの子供達に贈るという内容で、私は作画絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)26冊、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)1冊、『おしゃかさま物語』(佼成出版社)3冊、を寄贈しました。
 寄贈絵本をまとめて、8月8日にスリランカへ送付しましたが、この後も各地への「絵本寄贈プロジェクト」は継続して行きたいと考えています。
(ご注意:スランガニ基金では一般の方からの絵本寄贈を受け付けていません。ご支援をお考えの方は、基金の公式ホームページからアクセスして、寄付金という形でお願い申し上げます。)

【寄贈絵本目録】
私の作画絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)26冊、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)1冊、『おしゃかさま物語』(佼成出版社)3冊、計30冊。藤本四郎さん『ねずみのえんそく もぐらのえんそく』(ひさかたチャイルド)。浜田桂子さん『あやちゃんのうまれたひ』(福音館書店)、『おとをつくろう』(中西智子 監修/福音館書店)、『月刊かがくのとも わらう』(福音館書店かがくのとも)、計3冊。黒川みつひろ さん『絵巻えほん 恐竜たち』(こぐま社)、恐竜絵本シリーズ(小峰書店)、計10冊。高木さんご さん『せんたく ねこさん』(ひさかたチャイルド)、3冊。中嶋香織さん『おつきさま なにみてる』『おひさまさんさん おはようさん』(岩崎書店)、計2冊。嘉村靖子さん『おばけのだっこ』(タリーズコーヒージャパン)、『へんしん まるちゃん』『おでかけ まるちゃん』(ユニバーサルデザイン絵本センター)、計3冊。 
 総計52冊。

テーマ : お知らせ
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

後藤 仁(GOTO JIN)

Author:後藤 仁(GOTO JIN)
 ~後藤 仁 公式ブログ1~
日本画家・絵本画家 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

  〔後藤 仁 略歴〕
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校美術科で日本画を始める。東京藝術大学絵画科日本画専攻卒業、後藤純男先生(恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。卒業以降は日本画家として活動し、中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は絵本の原画制作に力を入れる。絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞等への出演・掲載も多い。東京造形大学・絵本講師。金唐革紙保存会 主宰。日本児童出版美術家連盟(童美連)(太田大八先生、赤羽末吉先生、いわさきちひろ先生らが創設)会員・理事。絵本学会(太田大八先生らが創設、現会長:松本 猛先生)会員。日本中国文化交流協会(井上 靖先生らが創設)会員。この本だいすきの会(代表:小松崎 進先生)会員。千葉県松戸市在住。

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絵本ナビ「犬になった王子  チベットの民話」絵本ナビ「犬になった王子 チベットの民話」
絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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