2016-03-08

絵本・日本画作品の世界への波及(著作権問題とともに)

 私は3年位前からパソコンを使いだしたばかりで、それ以前の状況をよく把握している訳ではないのですが、日本画家として活動していた頃から様々なネットサイトに、作品・作家紹介が掲載される事は度々あったようです。
 初絵本を出版した約3年前からその頻度が急速に増したようで、絵本の持つ広汎性・普及力には驚かされます。私は、日本画の世界では中堅と言える画歴になりましたが、絵本の世界ではまだまだ駆け出しにしか過ぎず、絵本・挿絵本はようやく3冊出版しただけのヒヨコ状態です。
 それにもかかわらず、テレビ・新聞・雑誌・機関誌 等への出演・掲載も多くなりましたが、それ以上にインターネット上での拙作の掲載数は、私が把握できるだけでも、大規模な法人サイトから、個人サイト、いい加減なサイトまで入れると、数千件は超えてくるでしょう。

 自身の作品がどのように世間にとらえられているかの調査・把握の為でもあるのですが、日本児童出版美術家連盟(童美連)に入会した事で著作権擁護の意識も高まり、その確認という意味もあり、ネット上での自身の作品の掲載を度々検索する事になっています。
 絵本の出版当初は、ネットニュースサイト・絵本関係法人サイト等に多く掲載され、次第に個人のブログ等で取り上げられる機会が増えました。最近では、インスタグラムやピンタレストといった新たな画像掲載サイトに掲載する人も出てきています。作品の名前と画像が知られるにつれ、その認知度に便乗した少々悪質な掲載が増えてきたのも事実です。
 著作権的には、かなりすれすれであったり、完全に違反しているサイトが多いのも現状です。絵本 等をネットや印刷物に掲載する場合、「表紙画像」のみは無許諾でも掲載可能ですが、その場合に必ず「作品名・作者名(文章・画家)・出版社名」を明示するのが基本です。それ以上の掲載には必ず著作権者(作者)の許諾が必要です。また、絵本の紹介以外の目的で絵本画像を流用するのは、禁止されていると思います。
 絵本を元に、または、イメージの源泉にして、演劇や音楽に仕立てて、絵本名と共に紹介する場合でも、著作権者の許諾が必要で、入場料を取る公演の場合、時には著作権者への使用料の支払いも生じる場合もあるでしょう。
 私の作品も、上記のような様々な形態での著作権侵害のある作品使用を確認していますが、できる限り穏便に、事後承認という形で納めてきました。ただ一度だけ、ユーチューブに絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(福音館書店こどものとも)の場面全体が朗読付きの動画で明瞭に掲載された案件では、当初は容認しておこうと考えていたのですが、童美連でも問題として取り上げられた経緯もあり、出版社を通して掲載削除に至ったケースがあります。

 国内での事案は、著作権法の適用で対処のしようもあるのですが、最近では海外のサイトでも拙作が度々取り上げられるようになってきました。それだけ作品・作家が世に知られるようになったのかな・・・と喜ぶべき事なのでしょうが、それに伴い著作権侵害も頻度を増しているという、難しい事態に直面しています。ベルヌ条約という国際的な著作権保護の枠組みもあるのですが、条約を批准していない国もあると言いますし、海外の人々との交渉は言葉の壁もありますし、遠い異国の事なので対応の実効性があまり期待できません。
 しかも実際の所、少々中身を掲載されても宣伝になった方が良いのではないかという考えを多くの作家が持っており、私も例外では無く、作品の宣伝・広報と著作権の保護とのはざまで作家は常に問答する事になります。

 日本画・絵本に限らず画家が「絵」だけで食べて行くのは容易な事ではありません。多分、日本画だけで生涯生活できる日本画家は日本中に数十人もいないでしょう。絵本の世界でも若手作家ほど厳しいのが現状で、元々狭き門なのに、その上出版不況のあおりをまともに受けているのです。
 それに反して、子供の養育に力を入れようという傾向の一環として、絵本を取り巻く環境だけは活気をおびています。あちこちで絵本朗読会・絵本イベントが開催され、ほんの一部の有名作家はそこに招待されるのですが、その他は絵本朗読家・絵本活動家・絵本イベンター等と称する人が多く活動しています。中にはフェイスブック等を活用してかなり大々的な活動を行い、ある種の権威付けをしている人も見受けられます。ただ、そこでは現在の絵本作家はほとんど蚊帳の外の状態です。絵本の世界では過去の名作絵本が多数存在するので、現代作家に気を使わなくても幾らでも良い題材が見付かるのです。おまけに本を図書館で借りれば元手もかからなくて済みます。
 しかし、こんな状態が長年続くと現代作家がますます食べて行けなくなり、作家として育たないので、絵本のレベルが段々落ちて行き、将来的には日本の絵本文化水準の低下にもつながっていくと考えられます。これは、日本画・絵本画に限らず文化全般に言える事です。
 どなたか、ネット上で作品画像が使用される度に、著作権者に著作権使用料が入る仕組みでも考えていただけないでしょうか・・・。そうしたら、かなり作家は助かりますし、多少の著作権侵害なら黙認するのですが・・・。しかし、これができたらノーベル賞ものですな。 ( `ー´)ノ

 絵本界だけを考えてみると、絵本を取り巻く環境の中心には、やはり作品を生み出す「絵本作家・絵本画家」がいるべきです。これは作家の傲慢ではありません。常に発信者(作家・画家)から事は始まり、それが仲介者(出版社・書店・図書館・絵本評論家・絵本朗読家 等)をへて、一般の読者(親と子)に届くのです。その本質を見失っては本末転倒です。
 ある絵本朗読家・活動家(大人を対象とする絵本朗読を広める活動を、フェイスブック等を活用して行っている人らしい)が私に言いました。「あなたの絵本を見てほしいと言うなら見てあげてもいいよ。ただ今回は、私のフェイスブックページに勝手に作品を載せられたので見る気が失せましたね・・・。」
 作品は作者そのものです。私達作家は常に自分の作品のみで一生をかけて勝負しています。それ故、私の自己紹介には必ず作品画像一枚を添付する事を常にしています。この様な、作家以上に絵本朗読家が偉いといった高慢な姿勢が蔓延していったら、良い作品は今後一切生み出されなくなるでしょう。作家と絵本朗読家・絵本活動家は常に対等な立場であるべきですが、最初に発信するのは、あくまでも作家である事を、上記のような類の人は忘れないでいただきたいと思います。
 また、著作権侵害問題 等、何かトラブルがあった時には、その作家と普段から仲良くしておくと、下記の台湾の方のケースのように、大目に見てくれる場合もありますよ。逆に、作家の反感をかっている人が、著作権侵害をした時にはどうなるのでしょうね・・・。

絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』表紙・表絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(福音館書店こどものとも) 表紙



 私の絵本作品が国内と中国(中華人民共和国)のニュースサイト・ホームページ・ブログ等に取り上げられたケースを、何度かこのブログでも紹介してきたので、今回、その他の海外のサイトに拙作(絵本・日本画)が取り上げられたケースを幾つかご紹介いたします。
 最初に記したように、多くのケースでかなり著作権法を侵していますので、その部分はマネしないようにお願いしたいのですが、このように世界中で拙作が取り上げられるのは、作品に何かしらの魅力や意味合いがある証とも取れますので、嬉しい反響だとも言えるのです。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

                    *

日本画作品 『トン族琵琶歌~チャンファメイ(中国貴州省)』( P25号)の部分が、日本の美意識「卵型の顔」の例として、ポルトガル語のサイトに挙げられています。(同じ内容が、別の2つのサイトに載っています。)

http://www.diariodasaude.com.br/news.php?article=linguagem-amor-apelidos-amorosos&id=8928

http://fgrurbanismo.blogspot.jp/2013/06/voce-conhece-as-palavras-de-amor-mais.html


日本画作品 『クマリ -The Living Goddess-(ネパール)』( F50号)の部分が、クマリ(ネパールの生き神)の画像例として、ポーランド語のサイトに掲載されています。

http://dworzecwschodni.natemat.pl/36947,barbarzynca-w-azji


日本画作品 『クマリ -The Living Goddess-(ネパール)』( F50号)の部分が、クマリ(ネパールの生き神)の画像例として、韓国(ハングル文字)のサイトに掲載されています。

http://blog.socuri.net/540


絵本作品 『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(福音館書店こどものとも)の全場面が、英語のサイトで紹介されています。個人のサイトのようですが、拙作以外はほとんど海外の絵本ばかりで、表紙を見る限りでもかなり優れた世界中の絵本を入念にセレクトした本格的なサイトです。よく私の絵本を見付け出したものだなと感心しますが、著作権的にはもちろん反しています。ただ、これだけの思い入れと真面目さを考えると、世界に向けて拙作絵本を紹介していただいているのだと、有難くとらえた方が良いように思えます。

https://bookillustrations.quora.com/Illustrations-for-Changfamei


絵本作品 『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(福音館書店こどものとも)の主要場面が、類似絵本と共に、台湾(繁体字中国語)のサイトで紹介されています。実は、このサイトを運営している台湾の絵本活動家と私とは面識があります。台湾に日本 等の良い絵本を紹介したいと積極的に活動されている方で、素晴らしい事だと思います。ただ、台湾はベルヌ条約に加盟していないという事もあり著作権の意識が薄いのが現状です。かなりの著作権侵害が行われていますが、私の作画絵本を丁寧に研究・紹介していただき、私も彼女らの熱意に免じて、当面は黙認しておこうと考えています。台湾の今後の著作権意識向上に期待したい所です。

http://childrenbookmap.blogspot.jp/2015/08/long-hair-girl.html


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2015-07-15

私の伯父、からくり人形師 後藤大秀

 私が「絵画」の道を志したのは古今東西の多くの絵描きの影響があるが、身近な人では父が絵を鑑賞するのが好きだった事とともに、やはり伯父 後藤大秀の影響が最も大きいでしょう。伯父(父の兄)は、若い頃の御堂大工(宮大工)に始まり茶室設計・施工時代から面打ち師(能面打ち)、からくり人形師という道を歩んできた人です。現在、86歳という高齢ですが、今でも日本を代表する からくり人形師として第一線で活躍している事実は、私としても驚愕すべきであり尊敬にあたいする事です。
 私が物心がついた頃には、夏休み・冬休み毎に大垣の伯父の家へ伺っていました。私が中学生になると美術に対する関心も増してきて、当時、伯父が始めた「能面打ち」の話を聞くのが楽しみになりました。私が美術高校(大阪市立工芸高校 美術科)に行く頃には、伯父は宮大工と能面の高い技術を評価され、「からくり人形」の復元依頼を受ける様になり、私にとって未知の世界の話に聞き入っていました。
 中学・高校の頃、一時は私も能面打ち・からくり人形師になりたいと考えた時期もありましたが、最初の目標通り「絵画」の道を進む事になりました。しかし伯父の創作に対する熱意や高い技術力は、私に大きな影響を与えている事でしょう。また、祖父は指物大工(家具職人)で伯父は からくり人形師という職人家系に生まれ(次男の父は普通のサラリーマンになりましたが)、私も創作を極めて好み手先が異様に器用だという所はやはり遺伝なのでしょう。(ちなみに私の兄は現役の歯科技工士で、母はかつて編み物の先生をしていました。皆、手先は器用です。)

 昨年、常滑市大野橋詰町の「尾張大野祭」紅葉車(こうようしゃ)の からくり人形「逆立ち唐子」「采振り童子」復元制作が完了したという事です。まだまだ若輩者の私も、伯父を見習って創作に一生を捧げたいと、改めて思いを強くしました。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


岐阜新聞 後藤大秀 記事岐阜新聞 (1996年8月23日号)で大きく掲載された後藤大秀の記事

後藤大秀大津祭 龍門滝山 鯉山「鯉」 (2002年9月) 後藤大秀

後藤大秀 からくり人形・能面展「後藤大秀 からくり人形・能面展」 (2007年8月 名古屋市博物館) 後藤大秀、後藤 仁


●私の公式ホームページ「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」(からくり人形師 後藤大秀)にも、からくり人形の画像を多数掲載しています。
http://gotojin.web.fc2.com/gotodaisyuu.html

               *

【からくり人形師 後藤大秀】

 後藤 大秀(ごとう  だいしゅう、1929年~  、本名は後藤 秀美 )は、名古屋を中心に活躍する著名な「からくり人形師」であり、後藤 仁の伯父でもある。

〔概要〕

 現在、日本で本格的な「からくり人形師」として活動しているのは数名しかおらず、後藤大秀は日本を代表するからくり人形師の一人である。 全国的にも有名な大垣祭、大津祭といった祭りの、「山車からくり(だしからくり)」の完全復元や修復を多く手がける。(この場合の復元とは、昔の人形を基に全く同じ姿形の人形を新しく制作する事。修復とは、昔の人形の破損した箇所だけを作り直す事。)
 なかでも、大垣祭の相生山「神主友成」復元制作では、昔の人形は過去に紛失していた為、古い写真一枚と古老の証言のみを基に制作をしたので、この場合はほぼ完全創作と言える。

 「からくり人形」は頭・首・手・足・胴・胴串等から出来ており、頭・首・手・足には木曽檜、胴には桜、軸は樫、ピンは竹、滑車類はツゲといった木材を、バネには鯨のヒゲを使用する。昔と変わらぬ道具や材料を使用して、人形一体を制作するのに一年はかかる。
 後藤大秀の作品は、「能面打ち」修行でつちかった髪や目の繊細な線描きと、深い色合いの彩色や、「宮大工」時代につちかった高度な木工技術による、複雑なからくり仕掛けが特長である。

〔略歴〕

• 1929年 愛知県一宮市に生まれる。〔本名、秀美(ひでみ)。父は指物大工である。甥は日本画家の後藤 仁。〕その後、岐阜県大垣市に移る。
• 1948年 工匠の小寺浅之助に堂宮建築(宮大工)を学び、のち数寄屋建築(茶室)を手がける。
• 1980年 能面打ち師の東 安春に師事し、能面打ち修行をする。
• 1984年より、「からくり人形」復元制作を始める。名古屋市 戸田まつりの四之割「宙吊り小唐子」「肩車大唐子」「采振り童子(ざいふりどうじ)」復元制作。
• 1988年 大垣市市展賞受賞。
• 1991年より、名古屋市筒井町 天王祭の神皇車(じんこうしゃ)「神功皇后(じんぐうこうごう)」「武内宿禰(たけのうちのすくね)」「面かぶり巫女」「采振り童子」復元制作。
• 1992年 大垣市東地区センター能面の会 講師。
• 1994年より、大垣祭の相生山「神主友成」「住吉明神」「尉」「姥」復元制作。
• 1998年 大垣市教育功労賞受賞。
• 1999年 大垣市美術家協会理事。第14回国民文化祭(岐阜県高山市)で、からくり人形の制作実演。
• 2000年 大垣市市展審査員。
• 2001年 大津祭の龍門滝山「鯉」復元制作。
• 2003年より、名古屋市 広井神明社祭の二福神車(にふくじんしゃ)「恵比寿人形」「大黒人形」「采振り童子」復元制作。
• 2005年 岐阜県神戸町町展 審査員。
• 2007年 大垣祭り出軕運営委員会 功労賞受賞。「後藤大秀 からくり人形・能面展」(名古屋市博物館)
• 2014年 常滑市大野橋詰町 尾張大野祭の紅葉車(こうようしゃ)「逆立ち唐子」「采振り童子」復元制作。

〔その他〕

• 後藤大秀が修復した「からくり人形」が使用されている山車。
  大垣祭の菅原山、榊山、愛宕山
  大津祭の郭巨山
  名古屋市 戸田まつりの一之割、三之割、五之割
  羽島市 竹鼻まつりの福江町・上町の山車
  大垣市 綾野祭の猩々山
  半田市 亀崎潮干祭の東組宮本車
  津島市 津島秋祭の麩屋町車、池町車  等

• 「名古屋まつり」には、筒井町 天王祭の神皇車と広井神明社祭の二福神車が登場する。
• 後藤大秀の「からくり人形作品」は、名古屋市博物館、神皇車保存会、産業技術記念館(名古屋市)等に収蔵されている。

〔参考文献〕

• 千田靖子「図説からくり人形の世界」2005年11月1日 法政大学出版局
• 「第14回国民文化祭・ぎふ99 からくり文化フェスティバル─からくり今むかし─」1999年10月 第14回国民文化祭岐阜県実行委員会
• 「月刊西美濃わが街」1985年10月1日号 p.6(後藤秀美特集) 月刊西美濃わが街社
• 「月刊西美濃わが街」1986年3月1日号 p.56-59(後藤秀美特集) 月刊西美濃わが街社  
• 「岐阜新聞」1996年8月23日朝刊(美濃・飛騨のワザ人たち、後藤大秀特集)
• 特別展「からくり─見る・作る・遊ぶ─」図録 2007年7月28日 名古屋市博物館
• 「後藤大秀能面展(名古屋市博物館)」パンフレット 2007年8月 後藤大秀後援会  他

〔外部リンク先〕

尾張の山車館 : 筒井町天王祭 神皇車 からくり人形1 (尾張の山車まつり内のページ)
http://dashi-matsuri.com/dashikan/owari/tutui/jinkou_k.htm

尾張の山車館 : 筒井町天王祭 神皇車 からくり人形2 (尾張の山車まつり内のページ)
http://dashi-matsuri.com/dashikan/owari/tutui/jinkou_k2.htm

尾張の山車館 : 花車神明社祭 二福神車 からくり人形 (尾張の山車まつり内のページ)
http://dashi-matsuri.com/dashikan/owari/hiroi/nifu_k.htm

張州雑記 : 花車神明社祭 二福神車 からくり人形 (尾張の山車まつり内のページ)
http://dashi-matsuri.com/main/topics/tp2005/051002.htm

まつり紀行2014 : 尾張大野まつり 紅葉車 からくり人形 (尾張の山車まつり内のページ)
http://kikou.dashi-matsuri.com/sk14/140330.htm

大野谷文化圏のブログ 「からくり人形を修理する後藤氏と人形の仕様について」
http://ameblo.jp/ohnodani/entry-11579167922.html

大野谷文化圏のブログ 「25年度紅葉車からくり人形継承事業報告」
http://ameblo.jp/ohnodani/entry-11821019939.html

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2015-01-21

或る絵描きの独白

 私は永年、絵を描いて来て、つくづく運の無い絵描きだな~と思い知らされます。ただ、私自身がその様な運命の元に、半ば自発的に生きているのだとも言えるかも知れません。

 元来、センスの良さで絵を描くタイプではなく、色感・構成力なども傑出したものは無いと自認していますが、絵を描く事がとにかく好きだった私は、その分努力して、描写力・洞察力・絵画力を深めて行きコツコツと積み上げて来ました。
 幼少期から常に水彩やアクリル絵具で絵を描いていましたが、大阪市立工芸高校美術科で日本画を始めて30年余り、ようやく思う雰囲気に少しは近い絵が描ける様になって来ました。

 しかし、根っから天邪鬼で頑固な職人・芸術家気質な故、世渡りは上手くはありません。中学から高校1年までは絵だけに力を入れ、興味の無かった英語・数学を全くやらなかったので、高校1年で留年をさせられました。絵を描きたくて美術高校に進学したので、それ以外はやる必要は無いと考えていました。
 留年に憤慨した私は、学科も実技(日本画・油絵・彫塑・デザイン・製図・水彩画・デッサンなど)も体育も一生懸命やり過ぎて、あまりに飛び抜けて傑出し過ぎ、全ての教科でトップになった為、周囲の人から随分疎まれました。
 美術予備校の立川美術学院では、大学進学の為だけの美術教育に対しての反感もあり、1浪時は新聞奨学生として朝夕の新聞配達・集金をしながらの予備校通いだった事もあり、年間の半分位しか予備校に行きませんでした。高校でクラスの連中からのバッシングにあった痛い経験から、本当の能力を出し過ぎるとたたかれるという考えもあり、予備校では出来の悪いバカな生徒のふりをしていたという事実もありました。
 ただ、出席率の悪い出来の良くない生徒だったのですが、描くべき時には必死に描いていました。関西風のデッサンを関東風のデッサンに修正する事にも手間取りましたが、2浪の後半、メキメキとデッサン・着彩が伸びて来て、気が付くと20人余りの生徒の中で常にトップを争う様になり、特に石膏デッサンにおいて私の右に出る者はいなくなっていました。
 そうして東京藝術大学日本画専攻に入学したのですが、ここらで気持ちを入れ替えて素直に絵を学ぼうと、高校の時の様に誰よりも早く学校に行き、誰よりも多く絵を描きました。さすがに東京藝大には絵の上手い学生がちらほらいて、元来突出した絵画センスの無い私は、特に目立った作品を描く事も出来ませんでしたが、絵に対する情熱と学習では誰にも負けていなかったでしょう。その真面目な様子を大学の先生方も歓迎してくれて、何となく「後藤は将来出世するのではないか・・・」という様相が出て来たら、また周囲の一部からのバッシングが始まりました。絵を真摯に学ぶより、どの先生に付いてどう歩めば出世出来るかばかりを考えている学生の雰囲気に嫌気もさしていましたし、どんなに適当な作品を出品していても上の学年に進めて、上の学年ほど大きな顔をしている縦社会の雰囲気も疑問でしたので、期待して入った藝大に幻滅してしまいました。2年の終盤から学校に行くのを止めて、家で自由に独自研究をしていました。2年余りそんな事をしている内に2年留年させられており、親の気苦労も考えてやむなく大学に戻りました。

 大学卒業後も、そんな私の性格故なかなか順風満帆には行かず、それなりの苦労は絶えませんでした。今の私の画力と探求心で、もう少し世渡りが上手ければ、今頃、院展などの団体展に入り、どこかの美術大学で講師か准教授位していたでしょうか・・・しかし、ひねくれ者でもあり安易な出世街道を良しとしない私は、どこかしら、あえて”いばらの道”を行く感があり、とことん在野で雑草の生き方を貫いて来ました。そうでなくても絵が売れない時代と言われるのに、団体に所属しない私は、到底、絵だけでは食べて行けません。
 日本画の制作・活動と並行して、金唐革紙(手製高級壁紙)の製作をしたり、一時は警備員、居酒屋パントリー係、個別学習塾講師・・・どうしようも無い時には、派遣労働でクリーニング屋、引っ越し屋、ピッキングなどなど、時には年下に罵倒されながら、今までに20種類以上のお仕事を経験して来ました。しかし、考え様によっては、経験が豊富なほど絵の制作にも役立つのではないかと自分に言い聞かせて、踏ん張って来ました。表面上の華々しい部分だけを見ていると分からないのですが、その裏には涙ぐましい努力が隠れているものなのです。今でも、日本画と絵本の微々たる収入と、絵画教室で一般の方々に絵を教えながら、何とかギリギリ生きております。

                  *

 詩人リルケの文学作品『ロダン』の中に、こんな一文があります。
「世間の人々が彼を疑いはじめたときには、彼はもう自分自身に対して何らの疑惑も持たなかった。・・・」 (「ロダン」 リルケ 著、高安国世 訳、岩波文庫)
 私はロダンやリルケほどの崇高な芸術家では無いでしょうが、気持ちだけは同じ様なものです。常に芸術の高みを目指して来た私は、独自の絵画論と制作技術を身に付けて来ました。
 日本画界にもありますが、特に絵本では「ヘタウマ(下手上手)」という人気ジャンル(傾向)があります。一説には、子供の様な絵を描いた方が、子供が受け入れやすいと言うのです。しかし、私は絵描きである以上、上手いのが当たり前だと考えています。やはりプロと言われる以上、どこまでも上手くないといけないと考えています。確かに上手くてもつまらない絵がたくさんあるので、それならば下手でも面白い方が良いとなるのでしょうが、上手くて面白いのが、やはり一番良いと信じています。「ピカソは下手ではないか」と今でもよく引き合いに出されますが、ピカソは実際の所は相当上手いのです。本当に上手くないと絵を崩す事も出来ません。
 私が憧憬する、長谷川等伯も伊藤若冲も鏑木清方もダビンチもミケランジェロもアーサーラッカムも宮崎駿氏も、皆極めて上手い上に面白いのです。大人達には当然ながら、子供達にこそ本当に上手くて優れた作品を提供するべきなのです。

 私の技量はまだまだ半端なのでしょう、「ただ上手いだけではダメだ。」と、かたずけられる事も間々あります。特に絵画公募展では大抵受けが悪いので、めったに出品もしないのですが・・・、平凡で面白くない作品と解される様です。一見平凡に見える中に、実は尋常では無い非凡なものが宿っている事に気が付かない批評家・審査員・専門家も多いでしょう。そこで、一見派手で奇をてらった様な作品が受ける事になるのです。しかし、つくづく観察してみると、時代を超えて行く”画力”に欠けた作品がほとんどな事にいずれ人々は気が付く事でしょう。
 今後も私は、絵の実力より、はるかに低い世間の評価に甘んじながら生きて行く事になりそうです。しかし昨今、絵の実力より、はるかに高評価を受けている作家を多く目にしますが、それが絵描きの幸せとは思いません。言い訳では無いのですが、世間の見方は勝手に周囲によって決定されて行くだけで、本質的には芸術家当人はあずかり知らぬ事なのです。厳しい”いばらの道”を行く方が、最期はきっと本物の芸術家に近付けると信じて、今後も厳しき絵画道を歩んでまいりたいと思っております。




犬になった王子――チベットの民話犬になった王子――チベットの民話
(2013/11/16)
君島 久子

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2014-05-03

「東北絵本寄贈プロジェクト」を通して

 東北等への絵本寄贈を始めて1年以上が経過し、絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(福音館書店こどものとも)の寄贈冊数も合計で900冊を超えました。現在一段落して、来年に向けて新たな計画をしているところです。心を込めて描いた良い内容の「絵本」を、必要とする箇所で読んで頂きたいという作者としての一念だけで寄贈活動をしていますので、何もそれ以上望むものはないのです。そうは言っても、贈り先から返礼が届くと嬉しいものです。
 東北取材旅行の際に立ち寄った、福島県の川俣町立福田小学校・幼稚園の校長先生からはご丁寧なお返事を頂きました。宮城県教育庁を通して宮城県内の幼稚園・小学校等に計85冊の「絵本」を寄贈した際には、可愛らしい子供達の笑顔が写った返礼を頂きました。拙作絵本が活用されている様子を知ると、「絵本」を贈って良かったなと、素直に嬉しくなります。

南三陸町立志津川保育所 返礼南三陸町立志津川保育所からの返礼

女川町立第一保育所 返礼女川町立第一保育所からの返礼
 (※個人のプライバシー保護の為、画像を縮小しています。)

 私が新たに入会した日本児童出版美術家連盟(童美連)でも、東北チャリティ展を開催し、東北(岩手、福島県)への寄付を進めております。(私は今回の展覧会出品には間に合いませんでした。)日本保育協会を通しての寄付となる為、協会事務所のない宮城県内への寄付は不可能との事で、その部分は残念ですが、絵本画家・イラストレーターのプロ集団が、この様な活動を遂行しているという意味は大きいでしょう。

 私自身も「絵本」を東北へ贈り、ホームページ・ブログ等で何だかんだ書いておりますので、あまり言えた義理ではないのですが、私の場合、日本画家・絵本画家という確かな道がある上に、余暇を活用してこの様な活動もしております。うがった見方かも知れませんが、最近感じる事は、東北復興という新たな価値観を元に、ご自身の存在感を高める為に大々的に活動している団体等が増えているのではないかという疑念です。何もしない人よりはずっと良い事なのでしょうし、東北復興の為に多くの労力を注ぎ込んでおられる事は間違いないのかも知れませんが、よくその活動内容を知ると、その”質”は決して高いとは言えない場合もあります。私は厳しいプロの世界で生きて来ましたので、なおさらそう感じるのです。非営利団体というわりには、結構資金繰りが良すぎるように感じる場合もあります。人間がやっている事ですので、当然仕方がない部分もありますが、ただ自分の存在価値・地位を高める為だけに、実質を伴わない活動が横行しているとしたら、憂慮すべき事です。


 話は変わりますが、絵本出版・展覧会開催を経て、幾つかの出版社・画廊等から次の作品や展覧会開催の話が起こっております。ただ、私自身は描きたい作品・テーマが山程あるのですが、昨今の出版不況・美術不況とやらで、なかなか順調には物事が運ばないのが現状です。「日本画」の世界も「絵本」の世界も厳しいのが現実ですが、この様な時代でも、本当に良い作品を創ろうという高い理想と気概を元に、作り手側が最大限切磋琢磨していかなければいけないと思うのです。
 明治・大正・昭和初期には質の高い「日本画」が多く生まれましたが、ここ数十年は権威主義・類型化の弊害が目立っています。
 イギリスでは100年余り前に絵本黄金時代があり、芸術性の高い極めて優れた「絵本」作品が生み出され、日本では50~60年前の絵本草創期には斬新で意欲的な作品が多く見られました。しかし、ここ数十年は日本絵本界もある種のマンネリズムに陥っているのではないか・・・とにかく売れれば良いという営利主義に陥っているのではないか・・・という疑念を抱いています。

 現在、私には果たして何が出来るだろうかと自問自答しつつ、次の制作へ高い意識を集中させているところです。作家も出版社も画商も”時代”を言い訳にせず、どんな困難な時代でも高い理想と気概を失わずに、本当に優れた作品を生み出すにはどうすれば良いのかを身命を賭して模索して行かなければいけないと、常日頃自戒しています。
  日本画家・絵本画家 後藤 仁

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2014-01-22

「日本児童出版美術家連盟(童美連)」への入会

 古来から「権力は必ず腐敗する」と言われ、宮崎 駿氏も「一つのジャンルが発展して最盛期を迎え、そして衰退して行くのにおよそ50年だ・・・。」と発言していました。私は「日本画」の世界で30年あまり生きて来て、それを実感しています。
 江戸時代からの大和絵・唐絵・水墨画等を西洋絵画に比肩するものにするべく、明治初期に統合して「日本画」として確立してから100数十年。明治・大正・昭和初期の「日本画」は、志の高い者がしのぎを削り、多くの団体が出来ては解体し、統合し、また発生し・・・を繰り返しました。その荒波の中から、優れた日本画家が多く輩出されて来たのです。
 しかし戦後、高度成長~バブル経済の中で、日本画団体は3つだけに統合され肥大化して行きました。

絵本『犬になった王子 チベットの民話』表紙 小絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)

 私は高校時代、元々大学に進学する気は無く、画家か、それが無理なら職人になりたいと考えていましたが、(どちらが上・下では無く、画家は仕事としてほとんど確立しておらず、職人の世界は厳しいですが仕事として成り立っています。)東京藝術大学の卒業生を調べると私の好きな作家が多く存在していました。また、中学時代よりNHK「シルクロード」の影響もあり、ミュージシャンの喜多郎や日本画家の平山郁夫先生にも高い関心がありました。
 当時、平山郁夫先生は東京藝術大学の学長をされていました。「もし大学に行くなら、平山先生の元で中国の取材旅行をしてみたい・・・。」と純粋に憧れていました。また、私と同じ名字の後藤純男先生が教授におられるという事も知りました。高校時代から、後藤純男先生の風景画への憧れもあったのです。
 大学進学自体には全く関心が無いので、私は東京藝術大学一本しか受験しませんでした。美術予備校の進学一辺倒の教育にも違和感を覚え、年間授業の半分位しか出席しない出来の悪い予備校生でしたが、それでも2浪して大学に受かりました。(特に1浪の時は、新聞奨学生をしながらの予備校通いだったので無理がありました。)
 大いなる期待と憧憬をもって入学したので、美術高校の時と同じ様に、誰よりも早く大学に行き、誰よりも遅くまで制作に没頭しました。当時、東京藝術大学日本画専攻のクラスの26人中、間違いなく最も真面目に絵の勉強をしていたと言って良いでしょう。しかし2年生にもなる頃、大学生活にまたもや違和感を覚えて来ました。絵だけを学びたい為にわざわざ苦労してこの大学に入ったのに、周りから聞こえて来るのは、「どの先生に付いたら出世しやすい・・・絵なんか本当は好きでは無い・・・」等々の会話ばかりでした。それに伴う足の引っ張り合いも、私をうんざりさせました。最初の理想が高すぎただけに、失望も大きかったのです。若かった・・・と言えば、そうなのでしょうが、そういう意味では私は今だに若いままです。
 こんな所は絵を学ぶ所では無いと、もっと自由な世界を求めて、2年生の後半から大学に行くのを止めました。私は方々をスケッチして回ったり、写真を独学で研究してみたり、詩作に耽ったり、自由人として生きたいと模索していました・・・。
 2年近くそうした放浪生活をしていましたが、しかし所詮は大学生、多くのバイトをして来た苦学生とはいえ、大半は親の仕送りで生活しており、いよいよ限界が来ました。親不孝もいい加減にしろ・・・という事で、やむなく大学に戻るしかなくなりました。
 何とか大学に戻ると、また同じ空気でしたが、憧れていた先生のお一人の後藤純男先生が3年生の担当になりました。先生は今でこそ絵が売れすぎて、一般常識を超えた生活になってしまっていますが、本当に絵が好きなのだなという事が感じられた、数少ない日本画家でした。幸いクラスには良い学友もおり、だましだまし大学を卒業しました。
 しかしその頃、今までの人生で最も私を苦悶させる出来事がありました。大学の卒業間近の年末はクリスマスの頃に突然、父の訃報を聞きました。ビルからの転落事故という事ですが、警察によると自ら選んだ道であると聞かされました。(大企業によくある退職間際の過剰な人事異動による、うつが原因だと考えています。)これ程、親不孝の自分を恨んだ事はありません。その苦悶から一応解き放たれるまでに10年近い歳月がかかりました。2004年の「インド写生旅行」の際、ガンガー(ガンジス川)で沐浴をして、その刹那一応の心の整理がついたのですが、今でも思い出すと必ず涙があふれて来ます。

絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』表紙・表絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(福音館書店)

 そんな訳で、「日本画」は本来好きなのですが、どうしてもその団体主義・権威主義になじめず、最初こそ平山郁夫先生、後藤純男先生への憧れもあり、院展で学びたいという気持ちもありましたが、その内情を知ると、とても私が理想とする所では無い様ですので、無所属の路を選んだのです。(実際、仮に入りたいと望んでも、有力な先生に付いていないと絶対入れない仕組みなのですが。)
 自由人の私はその選択が正しかったと思っています。今、団体で描いている人は、皆とは言いませんが、多くは先生・先輩と同じ様な絵ばかり描いています。没個性・類型化が進んでいますが、そうで無いと入選出来ない様ですね。確かにテクニック的には上手い人も多いのですが、本質的な絵としての面白味・魅力が感じられない作品も多いのです。絵の表現上の個性・自由を大切にしたい私としては、生活して行くのは大変ですが、自由に表現できる今の立ち位置が最も合っているでしょう。

 私は権威化・形骸化・類型化が進み、絵描き・画商・評論家・一部のコレクターの為の絵のみを追求し、一般人の嗜好から乖離して行く今の日本画壇の現状を続けて行くと、必ず30年から50年もたてば、立ち行かなくなると予想しています。大衆迎合ばかりでも良くないのですが、大衆無視はもっといけません。また、売りやすいとされる「風景画」一辺倒の画壇で、「物語絵」「美人画」を描きたい私は別の路を模索するしかありませんでした。
 そんな事に煩悶しながら、それでも旺盛に制作していた頃、福音館書店編集部から声がかかり、「絵本」の世界に果敢に飛び込みました。現在、「物語絵」のジャンルが実質的に生きているのは、実は「絵本」の世界しか無いのです。将来的には子供の為の「絵本」にとどまらず、青年・大人向けの本格的な「絵本」も手掛けてみたい。また、ゆくゆくは本格的な日本画で「絵巻物」等も描いてみたいと夢想しています。
 既存の美術団体への加入を極力避けて来た私ですが、この年になると一人だけで闘っていくのもしんどくなって来ました。出版美術の世界に飛び込んだからには腹をくくって、この路でも精進して行くという自戒の念も込めて、この度、光栄にも浜田桂子先生と黒井 健先生のご推薦をいただき「日本児童出版美術家連盟(童美連)」に入会しました。「日本児童出版美術家連盟」は1964年に結成されたという団体で、私が子供の時から憧れて来た、いわさきちひろ、赤羽末吉、谷内六郎、滝平二郎、瀬川康男といった方々がかつて所属しており、現在も太田大八先生、村上 勉先生、黒井 健先生といった人気作家が多く在籍しておられます。
 私などは絵本画家としては、まだまだ駆け出しですが、「権力は腐敗、衰退する」という50年を超えても、なお絵本界が一般の方々の支持を受け、より良く発展していく一助になれる様、日本画制作とともに切磋琢磨していく所存です。今後ともご教導の程よろしくお願い申し上げます。 日本画家・絵本画家 後藤 仁


日本児童出版美術家連盟 公式ホームページ
http://www.dobiren.org/

日本児童出版美術家連盟 公式ホームページ 「後藤 仁 リンクページ」
http://www.dobiren.org/sakuhin7.htm

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ジャンル : 学問・文化・芸術

2013-09-19

「日本画」から「絵本」へ(絵本原画展と絵本朗読会を終えて)

 何故、純粋美術の「日本画」に拘泥し、30年以上も描き続けて来た私が、今、「絵本」という新しい世界に飛び込んだのか・・・それには、多くの理由があります。
 日本画界の閉鎖性・権威主義・団体主義が体質に合わない事。欧米では「絵画」を芸術としてとらえ画廊が特色のある作品を販売するのに対して、日本では「絵画」を宝飾的高級品・投資品ととらえ大半を百貨店が機械的に販売してきたという事実。その百貨店の衰退による「日本画」等の高級美術品の先細りの現状。(このまま何も変革せずに行くと、数十年後は「日本画」は衰退してほとんど形骸化していると予測しています。)私は本来「物語絵」「絵巻物」等の文学性がある作品や「人物画(美人画)」に興味が高く、その様な作風を探求したいのに、現在の画商が求めるのは販売しやすい「風景」「花」ばかりである点。・・・等々その他にも多くの理由があります。

 その中でも、大きな理由として挙げられるのが、「日本画」がいったい誰を相手に描いているのか、そのが見えてこないという事実です。「日本画」は一枚ものですし、画材代も高く、制作も長い経験と高い技術を必要としますので、必然的に価格がかなり高くなります。号(ハガキサイズ)3~4万円で扱われている私の作品でも一般人の価値観からしては結構高いのですが、私等は日本画界では最も安い方で、号10万円、20万円の作品も多くあります。偉い先生ともなると号100万円、200万円を越えて来ます。それでは、「日本画」を買って楽しめる人は相当限定されて来るのです。その値段に見合った質の作品ならまだしも、多くはそうとは言えないのが現状です。(画商は投資的・計画的に絵の価格をつり上げます。)「日本画」のコレクターと言われる方々は、ほとんどが年配の富豪です。日本の中のほんの一握りの好事家が「日本画」を愛好している事になります。展覧会や画集なら多くの一般人も楽しめるのですが、やはり、あまりに敷居が高く感じられては人心が離れるもので、現在では特に若年層の「日本画」の認知度は相当悪いのです。30歳代以下の人は「日本画」という名称さえ知らない人がほとんどです。これでは「日本画」の世界は、次世代には必ず今以上に高速に衰退して行きます。
 私位の価格の作品を買われる方は、まだ一般人が多く、展覧会場で作品を購入していただいた方は本当に有難いのですが、せいぜい会場で少し挨拶する位で、大抵の場合は購買者の顔も見れないのがほとんどです。自分の作品がどこでどの様に皆様の手に届き、喜んでいただけているのか、今一つ把握出来ないもどかしさが、ずっとありました。

               *

 そのような中、福音館書店のお勧めもあり「絵本」を手掛ける事になりました。現在残された唯一とも言える「物語絵」に近いジャンルが生きているのが「絵本」の世界です。長年「物語絵」を描きたかった私は、張り切って自然とその世界に飛び込んで行きました。中学生の時に、マンガ・イラストの商業美術・印刷美術の世界から脱して、更に高度な純粋美術の世界を志した時以来の、大きな方向転換でした。しかし、純粋美術界の問題点・腐敗を目の当たりにしてきた私には、どちらが高い低いの区別は、もう感じません。

 今回「絵本原画展」と「絵本朗読会」等を通して感じたのは、作品の愛好者との距離の近さです。特に次の世代を担う、感性の伸びていく頃の子供達が作品を楽しんでくれると言う事は、大きな魅力です。また、子供だけでは無く、本当に上質な「絵本」は当然、大人でも楽しめるのです。
 展覧会会場で、美術館館長が朗読する「絵本」を熱心に聞き入る子供達。朗読会で、読み手が話す「絵本」に集中する子供達。また、インターネット上で、私の知らない場所知らない人達が、拙作絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』を子供達に朗読している画像が幾つもありました。その子供達・大人達の熱心に聞き入る姿、子供達の澄んだ瞳を見ていると、ああ「絵本」を描いて良かったなと目頭が熱くなりました。まさに、作品愛好者のが見えるのです。「日本画」の世界の様にほんの一握りの人だけを対象とするのでは無く、「絵本」の世界では幅広くあまねく日本中いや世界中の人々を感動させる事も可能でしょう。

 「日本画」の画材や、日本美術史上での上質な作品群には大いなる魅力がありますので、これからも「日本画」を描いていく事は間違いないのですが、その表現媒体が展覧会だけだったものが、印刷美術までと幅が広くなっただけだと私は解釈しています。今後も「日本画」「絵本」と精力的に制作してまいりますので、ご教導の程よろしくお願い申し上げます。 
  日本画家・絵本画家 後藤 仁

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ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

後藤 仁(GOTO JIN)

Author:後藤 仁(GOTO JIN)
 ~後藤 仁 公式ブログ1~
日本画家・絵本画家 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

  〔後藤 仁 略歴〕
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校美術科で日本画を始める。東京藝術大学絵画科日本画専攻卒業、後藤純男先生(恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。卒業以降は日本画家として活動し、中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は絵本の原画制作に力を入れる。絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞等への出演・掲載も多い。東京造形大学・絵本講師。金唐革紙保存会 主宰。日本児童出版美術家連盟(童美連)(太田大八先生、赤羽末吉先生、いわさきちひろ先生らが創設)会員・理事。絵本学会(太田大八先生らが創設、現会長:松本 猛先生)会員。日本中国文化交流協会(井上 靖先生らが創設)会員。この本だいすきの会(代表:小松崎 進先生)会員。千葉県松戸市在住。

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絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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