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2021-08-03

オリ・パラ差別問題/芸術・美術・絵画・日本画~人生全般への考察、後藤 仁

 最近また、想う所が多くあり、フェイスブックの書き込みを何度か改正する毎に、思いのほか長文になりましたので、ここに2編をまとめました。いつもの繰り返しになる話も多いですが、芸術・美術・絵画・日本画~人生全般に対する幅広い考察等を、私の経歴・画歴を通して語っています。
 
 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁


               *

2021年7月21日

 最近また、オリンピック・パラリンピックに関連して、クリエイター(音楽家・画家 等)の差別意識・行動・発言が問題となっています。
 例えば、洋画家のカラバッジョは殺人まで犯した強烈な個性を持った画家ですが、その芸術作品の素晴らしさは、その作家の善悪によって変わる事はありません。・・・ただ、より公的な意味合いの創作時や、子ども達に向けた作品(絵本 等)の創作家等は、より一層、”差別”や”偏見”には留意せねばなりません。そのような強いマイナス思想を持った人物による作品には、やはり何かしら良く無い要素が表出される可能性があるのです。また、そのような、ある種の造形センス・技量に疑問が残る作家を、世の中の人々が手放しに歓迎し、売れっ子にしてしまっている現在の社会傾向にも、私は大きな疑問を持っています。
 ある程度は深く研ぎ澄まされた”思想・感性”を元に、長年の苦心の末に鍛錬された”技術”によって創作された、本当に良い作品を、人々が愛でる事を願います。もちろん、技量や思考が偏狭な作家でも創作する資格自体はあるのですが、世の中の多くの人々が、本質を見ずに、メディア・専門家等の表面的な評価だけで、特定の作家を持ち上げ過ぎる事には注意しないといけないと思うのです。そのような作家の本が、たとえ何十万部売れようとも、決して世の中や文化界が良くなるとは思えません。~~~

 私の子供時代(幼稚園~小学生頃)は、かなりの、わんぱく小僧でした。小学校1年生の或る日、あまり深く考えもしないで、その場の流れにまかせて、10人位で、或る一人の子を、言葉と軽い暴力で攻撃した経験があります。私は単刀直入な性格だったので、それ以上に陰湿な行為等はしていませんが・・・。その後、その事が発覚し、担任の先生に厳しく𠮟られ、廊下に立たされました(今では、これも体罰になりますね。難しい・・・)。そして、その行為がいけない事だと、ようやく気が付きました。その時、私を𠮟ってくれた、厳しくて怖かった女性教師には、今、感謝しています。その後も小学校4年生位までの間、私のわんぱく行動は続きましたが、人を傷つけない類の、たわいもない無茶な遊びばかりで(忍者ごっこと称して、山野や溜池や巨大な雨水管内を探検したり、ビルの高層階の塀の外にぶらさがったり、といった肝試し的な)、その小学校1年生の時以上に、他者を攻撃した記憶はありません(中学生の頃には、家庭内での反抗期はありましたが・・・)。どちらかと言うと、弱きを助け強きを挫く、地域の小グループのガキ大将的な存在でした。
 中学・高校生の頃になると、私は画業・運動他、行動面においては すこぶる活動的でしたが、対人面だけは比較的、内向的な性格になりました。私は当時から、基本的に協調性に欠け(今でも、その要素は濃厚です)、足が速過ぎたり、勉強が出来過ぎたり、絵が上手過ぎたりしたので、他人から何度となく、差別的に扱われたり、完全無視という”いじめ”を受けたりする機会が増えました。その時分に思い出したのは、かつて自分も小さい頃に、何の非も無い一人の子をいじめた苦い経験です。私は未だにその時の事を思い出すと、幼いとは言え、何てバカな事をしてしまったのだろうかと深く後悔し、一生その人に会う機会はなかろうが、あの時の自分の行為を、心底、謝りたい気持ちでいるのです。
 そんな訳で今でも、組織内で何かしらの いざこざが起こっても、私はやり返す事等はせずに、ぐっとこらえて、自ら身を引いて事を納める術を覚えたのです。また、強い立場・権力者には意見・抗議をすれど、社会的弱者にはなるべく強くは言わないように心掛けています(私は聖人君子では無いので、今でも、いつでも間違い事ばかり起こしていますが)。

 因果応報~~。人は一度行ってしまった行為は、一生、十字架のように背負い続けねばならなくなるのです。相手の立場に立って、他者の気持ちを思いやる~仁愛・慈悲心というものを、人は常に忘れてはいけないのです。それ故、できうる限り、悪い行動は慎み、他者に、より寛容に、優しく接する努力をし続けなければならないのです・・・。私は小学1年の時に犯した過ちを一生詫び続けながらも、逆に中学・高校・大学・大人で受けた差別・偏見は極力許していきたいと考えています。そして、その経験や思いを元に、より良い作品を通して、後世の・次世代の人々に語り継いでいきたいと願っているのです。


               *

8月1日

 私は”美術”に関しては、とても早熟であった。幼少期には、いつも、広告の裏等に自由気ままに絵を描いていた。幼稚園のお絵描きの時間には、誰よりも好んで絵を描いた。小学生の頃には、「マンガ」と称して、オリジナルのマンガらしきものを、たくさん描いた。特に「忍者マンガ」をよく描いた。学校の休み時間はほとんど、この作画に費やされた。
 また小学校~中学校では、学校から選抜されて、何度も「絵画コンクール」に絵(水彩画)を出品していただいた。中学校3年生~高校1年生(私は留年により、高校1年生を2回経験している)には、自ら「絵画・イラスト公募展」を探してきて、家で描いた絵(水彩画・アクリル画)を出品した。この小中高校の子供時代に、岡本太郎が審査委員長をつとめる絵画コンクールで佳作受賞する他、大阪府知事賞・最優秀賞・銀賞の受賞 等、各種絵画公募展での入選・受賞は14回に及んだ。
 話は前後するが、中学校2年生の頃には、将来、画家イラストレーターになりたいと思うようになった。中学校3年生になると、東山魁夷先生・平山郁夫先生・前田常作先生 等の日本画家や洋画家を知るようになり、将来は、イラストレーターよりも、より深みのある”画家”になる事を目指すようになった。そこで、美術高校の大阪市立工芸高等学校・美術科に進学した。工芸高校では、油絵・デザイン・彫刻・製図・デッサン・総合芸術 等と共に、日本画を学び、高校2年生で”日本画”を専攻した。それ以降、美術予備校(立川美術学院・日本画科/村上 隆 氏らに教わる)・美術大学(東京藝術大学・美術学部 絵画科 日本画専攻/後藤純男先生に師事)・その後、日本画家へと、”日本画”の道を歩む事となった。私の画家としての歩みは、常に早熟であった・・・。

小学生の頃のマンガ帳
「マンガ帳」 小学生~中学生
小学校中学年位から中学校1年生頃にかけて、このようなオリジナル・マンガを膨大に描いており、これは、その中のほんの一部です。

水彩画ポスター「緑を守る一人一人の心と手」中学3年生1983年
水彩画ポスター 「緑を守る一人一人の心と手」 中学3年生 1983年 
「第1回 全国都市緑化フェア 図画・ポスターコンクール」 大阪府知事賞(最高賞)

アクリル画「大自然・・・私の夢」高校1年生1984年
アクリル画 「大自然・・・私の夢」 高校1年生 1984年
「旺文社主催 第28回 全国学芸科学コンクール」 銀賞(旺文社賞)

日本画「枯木孔雀図(マクジャク)」高校2年生1986年
日本画(学校課題) 「枯木孔雀図(マクジャク)」 高校2年生 1986年


 中学校3年生~高校1年生までの3年間程、自ら進んで、「絵画・イラスト公募展」に絵を出品していたが、段々、違和感を感じるケースが増えた。イラストコンクールでは、自身の絵が絵画的過ぎ、逆に、絵画コンクールでは、自身の絵がイラスト的過ぎるのだ~。私は幼少期から、好きで絵を描いてきたので、独自にマンガやイラストや絵画・工芸を吸収して、自分オリジナルの世界を創り上げてきた。自分だけの世界、・・・そこに醍醐味を感じていた。その結果、どこの絵画範疇・領域にも的確には収まらない、絵になっていたのだ。
 留年後の2回目の高校1年生の途中、そんな違和感に少々悩んだ結果、今はとりあえず、美術高校の既定の課題に絞り込んで学習しようと決めた。それ以降、当面、自ら絵画・イラスト公募展には出品しなくなった。学校では既定の描き方におおよそ倣って、渋めの日本画や油絵を描いた。美術科での成績は、飛び抜けて高く評価された。その当時の私の絵は、大阪の高校生のレベルでは、群を抜いて上手かったらしい。それでも、私の中での違和感は続いた・・・。
 大阪・京都周辺(関西画壇)の美術大学レベルに満足できなくなった私は、東京に単身上京し、美術予備校(立川美術学院・日本画科)を経て、東京藝術大学・日本画専攻に入学した。周囲の学生達の多くは、当時の日本画界の流行に倣い、院展風・創画風の絵を描いたり、その頃、流行り出した現代アートに傾倒し、前衛的な絵やインスタレーションを試みる者も少数いた。私はいずれの傾向にも違和感を感じ、多少は現代日本画の要素を取り入れつつも、相変わらず、自分独自の絵画描法を続けた。私は絵の具で絵を描く事自体が好きなので、とりわけ、現代アート的なパフォーマンスやインスタレーション等には全く関心がなかった。
 長年、追求し続けた、私独自の絵画表現は、多分、オリジナル過ぎて、どこの絵画範疇・領域にも当てはまらないものになっていたのだろう。子供時代にはそれでも、飛び抜けて高い描写能力故か、絵画・イラストコンクールでの入選・受賞が相次いだが、ようやく学習期の終盤に差し掛かり、大学の卒業近くから、再び絵画公募展に出品してみると、なかなか評価されにくい状況である事に気付いた。大人の「絵画公募展・団体展」には、それぞれに如実に作画傾向・作風の限定化があり、人脈・派閥・肩書 等の色眼鏡があり、子供の時のように、天真爛漫に型にはまらずに描いても、なかなか高評価されにくいのだ。
 そんな訳で大学以降は、日本画公募展で何度か入選したり、中小規模の展覧会・グループ展で何度か賞をいただいた位で、私の絵が全国的に大きな評価を得る事は少なくなった。それでも不思議と、中島千波先生が審査員を務める全国規模の日本画公募展では、度々、入選を果たした。多分、中島千波先生は、ご自身も院展内で、「作風が院展らしくない」と、上層部から不評だったらしいので、他人の作風にも型をはめずに、比較的純粋に良し悪しで観ているのではないかと、私は思った。

 私の絵を日本画家・洋画家が見ると、「イラスト的だ」と思い、絵本作家・イラストレーターが見ると、「絵画的だ」と思うらしい。絵画評論家・画家の中には、「純粋芸術ではなくて、職人技的だ」と否定的に言う人もいる。多分、職人に聞くと、「これは、どの様式にも適合していないから、芸術なんだろう」と言うであろう。「アニメーション・マンガの影響を受けている」との感想をもらす人も多い。つまりは、独自に深化した私の絵は、いつしか、どこのジャンルにも当てはまらない、独自の絵画表現に達していたようだ。
 私の絵は、一見、奇をてらっている訳でもなく、普通の絵のようでありながら、実は、どこにもぴったり当てはまらない、オリジナル性の高い絵なのである。それ故、どこのジャンルでも完全には理解されず、高評価もされにくい。大学卒業後5年目位以降は、日本画公募展への出品もやめた。公募展・団体展への興味が完全に失せた。ただ、自身の絵が、なかなか他者に理解・評価されにくい事に関しては、大学卒業以降、10年以上は苦しめられ、深く悩みもした・・・。
 そのような経緯で、私は団体展作家ではなく、個展・グループ展で作品発表をするという、独立独歩で歩む画家の道を模索した。今から十数年前に福音館書店のお誘いで、絵本原画を手掛け始めたのをきっかけに、絵画的視野が広がり、少しは、この懊悩から解放されつつあった・・・。
 ところで妙な事に、日本画金唐革紙(手製高級壁紙/大学3年生以降、12年程、製作にたずさわる)~絵本と、日本画を基軸にしつつも、幾つかの表現媒体を探究したおかげか、新聞・雑誌・専門誌・テレビ・ネット等のメディア関係にも度々取り上げられ、現代日本画家の中では、私の全国的な知名度だけは高位置にあるようだ~? 今、少しずつ衰退しつつある、旧態依然とした日本画壇に固執する事なく、苦心しながらも新たな境地を模索し続ける私の創造的姿勢は、決して間違いではなかったのだろう。ようやく時代が、わずかながら、私に追い付いてきたようだ・・・。

「デオ・マイジュ〔小さな女神〕(ネパール)」F12号
日本画 「デオ・マイジュ〔小さな女神〕(ネパール)」(F12号) 2010年

絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』表紙・表
絵本 『ながいかみのむすめ チャンファメイ』 (福音館書店こどものとも) 2013年


 そして、ここ5年余りは、その”個性・独自性・独創性”こそ、絵画芸術にとって最も大切な要素ではないかと思い直すようになった。もちろんプロであるからには、超高度な技術力と思想・知識の裏付けは必須である。しかし、それ以上に、他者の評価等を当てにはせず、自分が描きたい絵を描きたいように描くという、子供の頃のような自由な創作姿勢が最も重要なのだと悟った。その”個性・独自性・独創性”こそ、芸術における最も不可欠な命脈であり、真実なのだと・・・。
 たとえ世間・専門家に評価されずとも、バカ売れしなくとも、少数でも、たとえ一人でも、心底、私の絵を好いてくれる人がいるのなら、それで良い。一人の人が、生きていて良かったと感じてもらえる絵を描けるのなら、それで良い。私は生涯、誠心誠意、心を込めて、絵を描き続けよう~。


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テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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後藤 仁 プロフィール

後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)

Author:後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)
~後藤 仁 公式ブログ1~
絵師〈日本画家・絵本画家、金唐革紙製作〉後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

 【後藤 仁 略歴】
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校 美術科で日本画を始める。東京藝術大学 絵画科日本画専攻 卒業、後藤純男先生(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。
卒業以降は日本画家として活動し、中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は絵本の原画制作に力を入れる。
○絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、『わかがえりのみず』(鈴木出版)、『金色の鹿』(子供教育出版)、挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。
『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。また、宮崎 駿 氏の絵物語「シュナの旅」の原話になった事でも知られている。
○NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞・専門誌・インターネットサイト等への出演・掲載も多い。
○東京藝術大学 デザイン科講師、東京造形大学 絵本講師 他、日本画・絵本講師。国選定保存技術 金唐革紙 製作技術保持者。日本美術家連盟 会員(ご推薦者:中島千波先生)、絵本学会 会員、日本中国文化交流協会 会員。千葉県松戸市在住。

★現在、日本国内向けと、中国向けの「絵本」を制作中です~❣

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絵本ナビ「犬になった王子  チベットの民話」絵本ナビ「犬になった王子 チベットの民話」
絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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