2013-05-25
絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』出版までの永き道のり その8
2011年5月31日より、絵本の表紙の「本画」制作に入ったのですが、その前の「ラフスケッチ」の話に少し戻ります。
絵本の表紙は作品のイメージを決定する大切な一枚ですので、ラフスケッチでもかなり練り直しました。中国・肇興で見たトン族の琵琶歌が印象に強くあり、物語の後日談のイメージでチャンファメイが琵琶歌を歌っている場面を想定しました。しかし、福音館書店編集部の意見では、絵本の中に出てこない場面は読者の混乱を招くし、チャンファメイの晴れ着が豪華すぎるので寒村にふさわしくないと言いますので、なる程そうかもしれないと考察し直しました。
また、絵本の第一場面に描く予定だった「鼓楼」も、寒村にふさわしくないという意見で変更しました。
しかし、実際のトン族にとって「鼓楼」というのは何よりも大切なもので、村を造成する時自分たちの家屋を建設するより前に、まず「鼓楼」を建設すると言います。どんな小さな部落にも、その規模に見合った大小の「鼓楼」が必ずあるのです。また、晴れ着も少数民族のアイデンティティを示すとても大切なもので、祖母から母、母から娘へと先祖代々受け継ぎ増やして来た立派な衣装が、どんな貧しい家庭にも必ずあります。この辺りが、日本人一般の価値観(服や家が立派なのは、金銭的に豊かな証拠であると考える事。)と少し異なる点で説明が必要なのですが、今回は編集部の一般論を飲む事にしました。
表紙のラフスケッチを描き直し、ガジュマルの木陰で休むチャンファメイの姿にしました。途中でポーズを正面位置から、少し愁いのある美しい横顔に描き直し決定としました。確かに絵本の内容とも合致しており、良い風情の表紙案になり、私もこのチャンファメイがとても気に入りました。




絵本の「本画」制作は、純粋な「日本画」で描く事は決めていました。「日本画」は1000年以上前から伝わる日本の伝統的な画法です。しかし、現在の日本では、マンガ・アニメ・ゲームといったサブカルチャーのみがクローズアップされて、伝統的な純粋美術がほとんど若い世代に受け継がれていないという悲しい状況です。中年位の人でも「日本画」を全く知らない人も多く見かけます。
文明というものは経済・科学だけが発達するのでは深度を増しません、美術等の文化や思想も充実していかないと、つまらない世の中になってしまうでしょう。ただ、これには私達作家側にも責任はあります。美術団体内外での派閥争い・権威争いという内輪の理論にばかりに執心して、類型的・没個性な作品ばかりを提示し、本当に大衆が望む新鮮で質の高い作品を創作してこなかったから、時代に遅れ人心と乖離してしまったのです。ただの大衆迎合だけでもいけないのですが、多くの一般人の心をつかまないと美術作品もやはり意味がありません。時代の変遷でやむを得ない部分もありますが、私は最期まで手造りの良さに拘泥しながら、個性的な鮮度の高い真の芸術作品を創り続けて行きたいと考えています。
今回、私は「絵本」という気軽に子供が触れる事の出来る媒体で、多くの人々に本格的な「日本画」を知ってもらいたいという、強い願いもありました。
「日本画」は作風にもよりますが、ざっと見て制作期間は水彩画の約10倍、制作費用は約20倍はかかります。一見とても効率の悪い画材ですが、その分完成した作品は他の絵の具では絶対に出せない落ち着いた美しい色彩や、墨線のしなやかさ、マチエール(絵肌)の複雑さ等を表現出来ます。他の画材の追随を許さない、その格調の高さは「日本画」の魅力です。ただ、上手く描きこなさないと、色が鈍くなったり剥落したりと思う様に描けません。人にもよりますが、ほぼ毎日描いたとしても最低10年以上は描かないと、完全な絵になってこないでしょう。私は15歳から日本画を始め、30年間に何百枚という日本画を描いていますが、何とか思うイメージに近い作品が描ける様になったのは、ここ5~6年の事です。それまでは失敗の連続で、もちろん今でもまだまだ理想の作品には程遠いのが現状です。ただ、一度「日本画」の画材の魅力に取り付かれた人は、他の画材では全く物足りなく感じる事は、間違い無いでしょう。
「日本画」はまず「下図(したず。下絵とも言う)」を描きます。小下図・中下図・大下図と大きさの違う下図を何枚も描く作家もいますが、私はだいたいの場合「エスキース(簡単な下図原案)」をとった後、本画原寸大の大下図だけを描きます。今回の絵本では表紙等は新たに下図を描き、場面によってはラフスケッチの絵を転写して用いました。
『ながいかみのむすめ チャンファメイ』のイメージは頭の中で熟成されていたのですが、やはり描いてみて初めて完全なイメージが完成します。初めての絵本原画制作でもあり、どの方向に進んで行くのか自分でも定かでは無く、まさに筆任せでした。
最初は表紙画から描き始めました。表紙はP10号という今回の原画中で一番大きな画面に、絵本サイズより拡大して描いています。

2011年5月31日から「本画」制作の開始です。下図を念紙(ねんし。転写用の紙)で本紙(今回は主に「雲肌麻紙(くもはだまし)」という和紙を使用しました。)に転写します。その薄い線の上を、墨線で描き起こします。この最初の墨線の事を「骨描き(こつがき)」といい、最後まで絵の出来に作用する重要な工程です。骨描きには大抵「墨入れ(墨で濃い部分を塗る)」をします。この骨描きで、初めてチャンファメイのイメージが完全に見えて来ました。とても美しく愁いのある表情が現われました。
日本画は、岩絵具(いわえのぐ)、水干絵具(すいひえのぐ)、胡粉(ごふん)といった鉱物・宝石や貝殻等を砕いて粉にした絵の具に、膠(にかわ。動物の軟骨・皮等から作るコラーゲン物質)と水を混ぜて描きます。この接着剤の役割をする膠の加減が日本画の命の一つで、永年の経験と勘が必要です。
「骨描き」の次は「胡粉塗り」です。近年、厚塗りが主流となりこの工程を省く作家が多くなっていますが、本来は絵の具の発色を良くする大切な工程です。また、和紙の保存の観点からも意味がある様です。
胡粉を塗っては自然乾燥させ、塗っては自然乾燥させ、丁寧に2~3度塗り重ねます。その後、絵のイメージ色となる主調色の「地塗り」をします。だいたい黄土色を塗る場合が多いですが、今回の表紙画も黄土色を2度程重ねました。
それから「彩色(さいしき)」に入ります。岩絵具・水干絵具を効果的に塗り重ねます。日本画は透明水彩等と同じく、混色では無く主に重色(じゅうしょく。色を重ねて色彩を作る描法)で色を作り出します。古来は2~4度程重色したのですが、私の場合5~20回程は重色しますので、多分かなり多く重ねる方だと思います。それによって私独特の透明感のある色合いが生み出されますが、膠の分量や色の選択がより厳密となり、経験と勘がものを言います。ただ、絵本の印刷ではこの透明感があまり伝わりませんので、機会があればぜひ原画を見て下さい。
チャンファメイの「題名」は別に描いて印刷で合成しましたので、表紙の原画は純粋な絵のみです。近景のガジュマルの下で髪をとかす安らいだチャンファメイと、遠景の透き通ったトウカオ山の対比を描きたかったのです。古来描かれてきた「樹下美人図」も踏まえた構想です。近景は日本画の代表的な色の緑青(ろくしょう)でまとめ、遠景は薄い群青(ぐんじょう)と胡粉の白で描きました。近景と遠景のはるかな距離感を演出しましたが、この距離感は実際の絵本の場面設定を無視しており、あくまで水の出た山を憧憬するチャンファメイの心象風景を描いたものです。
日本画はむらなく色を塗るだけでも非常に難しく、むらを無くす為には作画工程に工夫が要ります。また、必然的に表れる独特のむら・にじみ等を、効果的に生かす表現の工夫も必要です。色を何度も塗り重ね、墨で描き起こし、また色を塗り重ね、描き起こしを繰り返します。チャンファメイの目鼻は当然かなりの集中力でもって描きますが、今回はテーマとなる髪の毛の描写に相当こだわりました。私は彩色には主に天然則妙(てんねんそくみょう)や連筆(れんぴつ)という筆を多用し、細い線の描写にはコリンスキーという極細の筆を用います。このコリンスキーの毛先の命毛が2~3枚描くと効かなくなり、新しい筆に取り替えます。
制作中は一人アトリエにこもって集中するのですが、描いている最中を他人から見たら多分尋常では無い雰囲気で、常軌を逸している事でしょう。作品には作家の苦労が現われずに、純粋に美しく心奪われる作風を良しと私は考えますが、その裏には結構過酷な創作の世界があるのです。
この後も何度か手直しを加えるのですが、こうして20日程かけて一旦表紙画が完成しました。今回、子供達に私の出来る限り最上の作品を見せてやりたいという強い思いを込め、普段の日本画制作以上に力を入れ、細部まで一切の妥協をせずに描き込みました。
これで絵本『チャンファメイ』の全体のイメージが完全に捉えられましたので、次々と扉、場面と描き進めて行きました。
この話はまた次回としましょう。
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