2017-12-16
「絵本」「日本画」の模倣者たち

何度かこのブログでも触れた事ですが、ごく最近になって、私の知人でもある東京藝術大学等を卒業した日本画家達が、にわかに「絵本・絵本・・・」と言い出しました。私が把握しているだけで、院展系・無所属系日本画家6~7人はいますが、私の知らない作家を入れると、実数はその数倍~数十倍はいるでしょう。実際に児童書出版社から「絵本」を出版したり、「これから絵本を描きたい」等と公言しています。その中で、直接、私に相談してくれた人は一人だけで、私の予備校講師時代の教え子であり日本画界の後輩である、その日展所属 日本画家の画力・思考には素晴らしいものがあり、共に活動したいと思える人物です。それ以外の人は、他人に相談する義理は元々ないにしても、私に隠すかのように、こっそり絵本を出す始末です。
私は約10年前に福音館書店から絵本制作の依頼を受け、5年近く前に初絵本を出版しました。「福音館書店こどものとも」は出版までにかなりの期間(作家・編集者にもよるでしょうが、およそ5~6年)がかかるので有名ですが、「福音館書店かがくのとも」や他の出版社からなら、半年~3年間程で出版に至るでしょう。つまり、彼らの出版時期から考察すると、どう考えても私が「絵本」の世界で活動し出して、私の評判をフェイスブックやブログ等のネットで知って、その活動を真似して、にわかに言い出したに違いありません。ちょっと位、「自分もやるよ!」と知らせてくれてもよいでしょうに・・・。日本画家には、従来から秘密主義の人が多いが、ここまで短絡的であからさまになると、人間的な道義心に欠ける行為と言えましょう。

日本画家で「絵本」を描いたので知られている作家は、秋野不矩先生(文化勲章受章者)、堀 文子先生等の日本画界でも特別に著名な作家ですが、それらは日本画制作の傍らで少しだけ手掛けたという感覚です。院展・日展は縛りがきついので、少し昔は、絵本を描けるのは、ほとんど無所属か比較的自由度が高い創画会の所属作家に限られました。日展の東山魁夷先生が若い頃に絵本も手掛けていた事が最近知られて来ましたが、生前、東山先生は絵本を描いていた事実をひた隠しにしていたそうです。
かつて、純粋美術(日本画・洋画・彫刻 等)の世界からは、出版美術・イラストレーション等の商業美術を低俗なジャンルと見る傾向が伝統的にありました。その為、よほど著名なトップクラスの作家は例外として、通常の日本画家が絵本等を手掛けると、ドロップアウトした・邪道に走った等と陰口を叩かれ、画商やコレクターが手を引いたと言います。これ程、イラスト・マンガ・アニメが隆盛を極める今日でも、その傾向は根強く残っています。それは古過ぎる日本画壇の体質によるもので、時代に即した意識改革ができないと、将来、日本画界はいよいよ衰退の憂き目を見る事になる恐れもあるのです。
私は、本当に質の高い「絵本」は、純粋で高尚な美術品になり得ると確信しています。その為にも、日本画家として活動しながら、本格的に絵本(出版美術)の世界にも身を投じたのです。今の日本の絵本界の現状を俯瞰して、もっともっと優れた絵本を子ども達に提供しなければならない危機感を感じました。かつてのアーサー・ラッカムやビアトリクス・ポターや いわさきちひろ や赤羽末吉、滝平二郎のような芸術的な絵本を・・・・。

”絵”の世界も熾烈な競争社会なので、もちろん活動自体はその人の自由・勝手ですが、今まで絵本等に全く関心がなさそうに見えた人や、全く口にすらした事がない人まで、ごく最近「絵本・絵本」と言い出しました。バブル崩壊後、「日本画」の売り絵だけで食べて行くのは至難の業なのですが、事実としては出版不況の昨今、「絵本」を一冊出せるだけでもましな方で、それで食べて行くのは、これまた至難の業です。つまりはどちらの道も、極めて厳しくて、「日本画でダメなら絵本で・・・」とはいかないシビアな世界なのです。
近年の日本画家、特に東京藝術大学の院展系の日本画家は、皆、売れている先生や先輩の画風・活動形態をそっくり模倣するきらいがあり、私が現代日本画壇に少々の嫌気と大きな疑問を感じた一因にもなっています。私が学生だった30年以上前から、福井爽人先生の白緑(びゃくろく)もみ紙や、宮迫正明先生の縦のハッチング、田淵俊夫先生、手塚雄二先生、吉村誠司先生辺りの画風をそのままマネている日本画家が山のようにいます。悲しい現実だ・・・。なぜ、「人がその道を行くなら、俺はこの道を行く。」とならないのだろうか? 個性・独自性・・・それこそ絵描きの命脈なのではないのか。
私は、現代版の新しい「物語絵」を長年模索する中、福音館書店からのお声がけをきっかけに、自ら腹をくくって、本格的に「絵本」の業界に飛び込みました。日本画の長い経歴を一旦打ち捨ててでも、絵本の初心者として絵本業界内で頭を下げながら一から積み上げようとしている所です。その努力・苦労も知らずに、安易に「絵本・絵本」とよく叫べるものだ。
つまみ食いの感覚で、結構ギャラがもらえたからオイシイ等と言う安直な考えで、日本画家・洋画家が「絵本」を語ると、結局、絵画も絵本もどちらも中途半端な作家に終わるでしょう。また、絵本を生業としているイラストレーターや絵本作家達に申し訳ない事をしていると思わねばなりません。絵本をやるのなら、その業界の事をもっと平身低頭、丁寧に勉強して、業界内での人間関係を作らねばなりません。

私は今、日本画家を基調として、物語絵の表現手段として「絵本」を大切に考えて描いています。日本画・絵本、どちらの業界にも通じて、いずれも本腰を入れて頑張っています。それはかなりの労力・気力を必要とする事で、安易な日本画のエリートぬるま湯に浸かっていた人には酷すぎる事であり、誰にでもできる事ではないのですが・・・。
「日本画」「絵本」のみならず、前に私が手掛けた手製高級壁紙「金唐革紙(きんからかわし)」でも同様の事が言えますが、世の中には”本物”と”偽物”があります。肩書や表面上の実績だけでは真実はとうてい知り得ません。何が”本物”で何が”偽物”なのか・・・、その識別は極めて難しいのですが、よくよく観察さえしていけば、その一生涯の行動や思考に必ず見え隠れするものです。
今、私の模倣者が次々に現れて来ました。それは見方を変えれば、私が同世代・後輩作家達に影響を与え、彼らが私の活動を認め、真似せざるを得なくなったともとらえられ、私に脱帽したも同然である事を、彼ら自らが告白していると言っても過言ではないのです。
日本画家・絵本画家 後藤 仁

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