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2017-12-10

私の受けた三つの差別・偏見経験談(TBS報道特集「色覚異常」放送を受けて)

 2017年12月9日(土)、テレビのTBS報道特集で「色覚異常」をテーマに放送をしており、色覚異常の子を持つ親が悲しんでいる様子を見て、「そんなに気にする必要はなく、誰もが一つや二つくらいは何らかの障害を持ちながらも立派に生きているよ・・・。」というエールの気持ちを込めて、軽く自分のフェイスブック・ツイッターでつぶやきました。
 そしたら、ツイッターでのつぶやきへの反応が予想以上に大きくて、前に外国で大地震があった時に「クマリ(ネパールの生き神)」の日本画作品画像をアップした時も反応がありましたが、それを超える大きな反響(私のツイートにしてはですが)があり驚きました。テレビネタという理由もあるのでしょうが、色覚異常等の身体的個性に根強く残る、差別や偏見に対する人々の意識の大きさを反映しているのではないかと思いました。

「クマリ -The Living Goddess-(ネパール)」F50号日本画作品「クマリ -The Living Goddess-(ネパール)」(F50号) 後藤 仁

 私はこれまでの50年間の人生で、大きいものでは、およそ3度の差別や偏見にさらされました。
 一つ目は、当時は色覚検査で引っ掛かるのものの、ほとんど意識すらしていなかった「色覚異常」(当時は「色盲」という差別的な名称で呼ばれました。「色覚”異常”」も差別的と言えますが・・・)です。
 色覚検査の時、最も簡単な字は読めるのですが、3つ目位以降は読めません。逆にこれが読める人が不思議でなりませんでしたが、小中高校の40人のクラスの内で私だけか、他に1~2人位しか引っ掛かっていないようでした。大学受験時の大学に提出する身体検査でも当然ながら「色覚異常(赤緑色弱)」と判断され、東京藝術大学 日本画専攻を受ける時に、これが理由ではねのけられないだろうなと、フッと不安に思った事はあります。その時の眼科医が「これは見えるかな」と出した灰色っぽい点々の字は簡単に読めました。すると医者は「これは通常の(色覚異常でない)人では識別できない、わずかな白黒の違いで書かれた字なのだよ。たまに色弱の人で読める人がいる。」と言います。つまり色の弱点を白黒の濃淡識別で補っているそうで、どうりで私は着彩が少し不得手でデッサンが得意な訳だと思いました。
 ただ、私の色覚異常は軽いものなので、日常生活で困った事もほとんどなく(今思えば、黒板の赤い字が読みにくかった事等があったのかも知れませんが・・・)、今までに私の色覚異常に気付いた他人は、多分、美術予備校(立川美術学院)時代に水彩着彩を描いている時に、当時の日本画科講師の村上 隆さんが「後藤、葉っぱが赤色になってんじゃねーか。お前、色感がおかしいんじゃねーか。」と指摘された時位だと思います。さすがに村上 隆さんの感覚は鋭いな~と感心しました。

 二つ目は、高校時代、大阪市立工芸高等学校 美術科でクラスの大半から「無視」という差別(いじめ)を受けた事です。私は当時、美術実技・学科・体育ともにずば抜けた首席を保っており、それへの周囲の嫉妬・妬みも頂点に達していたようです。私は元来、変わり者ですし、あまり他人に気を使いもしないので、クラスで最も仲の良かった人と急に仲違いしたのをきっかけに(経済的理由で大学受験を断念したとかで、向こうが一方的に私を避けだしたのですが・・・)、高校2年の中期から、およそ1年半もの間、クラスの男5人程を中心にクラスのほとんどの男女から完全な無視と時に暴言を受けました。正直、かなりきつかったですが、大学に進学して”絵”を描き続ける事しか当時の私の頭になかったので、誰よりも早く学校に出て授業前にデッサンをして、放課後、誰よりも遅くまで水彩を描く毎日でした。他人との友好・交流はあきらめていました・・・。
 ただ、本心では極めて辛かったと見えて、卒業して東京の美術予備校に一人上京した後は、あまり本当の能力を出し過ぎずに、ほぼ年中バカ(ダメ人間)のふりをしてピエロを演じるといった、ひねくれた性格が助長されてしまいました。東京藝術大学 入学後もその傾向は続き、大学を2年間も通わずに半ば意図的に留年するという失態を繰り返しました。もし、私の最大の実力を出してしまうと、成績は首席近くになり~修士・博士課程進学、院展で平山郁夫先生門下としてエリート街道まっしぐら・・・等となり、また周囲からいらぬ差別や偏見・揶揄を受けるであろう事を、潜在的に避けたかったのだと思います。
 
 三つ目が、今までで飛び抜けて一番辛い経験なのですが、大学の卒業間近に父が急死した事です。中学・高校と反抗期の私のひねくれた性格で父と反目して、そのまま上京した私でしたが、本当は父は私の”絵の路”を心の底では最も理解して応援してくれていたのだと思います。
 東京藝術大学で卒業制作をしていた4年生の年末の事、突然、兄から電話があり、「父が死んだ、とにかく帰って来るように・・・」と言います。何が何だか分からずに、呆然と実家に帰りました。父が勤めていた大手企業(ここではどこかは言いませんが、誰もが知る大企業グループです)での退職間近の度重なる強制的な人事異動と退職勧告でうつ状態になった父は、突発的にビルの7階辺りから飛び降りて自殺したと言います。「うつ」は当時、労災には認定されませんでした。父の死に顔が穏やかだったのが、唯一の慰めでした・・・。真相は闇の中なので誰にも分かりませんが、その時、社宅の管理人をしていた父は、何らか間違ってビルから転落した、あるいは誰かに突き落とされた可能性もゼロではないと当時は思いましたが、状況からは自殺だと警察は確定しました。私も今では、うつ状態による自殺だったのだろうと考えています。遺書も何もなかったので誠に残念だったのですが、当時は私もひどく落ち込んで、大学の卒業謝恩会に出る気も全くなく欠席したら、事情を知らないクラスの皆から非難されました。当時はクラスの誰にも父の死は伝えませんでした。それ程、あまりにも辛過ぎたのです。
 父が死んで最初の1年間ほど、ほぼ毎夜、夜ごと父を思い出してはむせび泣きました。その後も折に触れて父の事を思い出しては涙しました。生き返った父に会う夢を、幾度となく見ました。人間はこんなにも涙が出るのだと知りました。中学・高校とわがままで父と反目し、親不孝のまま父を逝かせた事を、心から悔やみ、自分を責めました・・・。
 父の死後、8年目位に「インド写生旅行」をしました。その時、ガンジス川で夜に流し花を献花し、早朝に軽い沐浴をし、父を思い出して涙を流しました。その時の朝日が美しかった・・・。何か父もようやく私を許してくれた気がして、また、父は父なりに充実した人生を歩んだのではないかという気もして、心がさっぱりしました。それ以降も、父の事を思い出すと目頭が熱くはなりますが、父とのいい思い出だけが心にあるのです。
 「自殺遺児」という言葉があります。親を自殺で亡くした子は、ほぼ、自分を責めると言われています。周りの人々の好奇の目の偏見にもさらされ、口を閉ざし心を閉ざすと言います。私は27歳で父を亡くしたのでまだ幸いでした。それでも、一応の心の整理がつくまでに8年位、このように平気で他人に語れるまでには、20年近くもの年月を要しました。これが子供時代だったら、心の傷ははたして癒えたのでしょうか・・・。
 私は基本的に、精神的に尋常ならぬ強いものを持っているようなのですが、人はそれぞれ性格が異なります。もし、少しでも心が優しい人間だったら、今頃、私はこの世にいないかも知れません・・・。

絵本『犬になった王子(チベットの民話)』表紙 小絵本『犬になった王子 チベットの民話』 (君島久子 文、後藤 仁 絵/岩波書店)

絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』表紙画像絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』 (君島久子 文、後藤 仁 絵/福音館書店こどものとも)


 人は他人とは異なる、何らかの身体的・精神的個性を持って生きて行きます。それに対する偏見・差別というものは、多分、永久的に無くならないのでしょう。ただ、できる限り他者を理解し、個性は個性として尊重するといった心根・意識を最大限に心掛ける事が何よりも大切です。そうしていかないと、今の時代、個人・地域・国、それぞれのレベルでの軋轢というものは、とうてい永久に癒える事はないでしょう。

 日本画家・絵本画家 後藤 仁

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プロフィール

後藤 仁(GOTO JIN)

Author:後藤 仁(GOTO JIN)
 ~後藤 仁 公式ブログ1~
日本画家・絵本画家 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

  〔後藤 仁 略歴〕
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校美術科で日本画を始める。東京藝術大学絵画科日本画専攻卒業、後藤純男先生(恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。卒業以降は日本画家として活動し、中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は絵本の原画制作に力を入れる。
○絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、『わかがえりのみず』(鈴木出版)、『金色の鹿』(子供教育出版)、挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞等への出演・掲載も多い。
○東京藝術大学・デザイン科非常勤講師。東京造形大学・絵本講師。金唐革紙保存会 主宰。日本美術家連盟(常任理事:中島千波先生 他)会員。日本児童出版美術家連盟(童美連)(太田大八先生、赤羽末吉先生、いわさきちひろ先生らが創設)会員・理事。絵本学会(太田大八先生らが創設、現会長:松本 猛先生)会員。日本中国文化交流協会(井上 靖先生らが創設)会員。この本だいすきの会(代表:小松崎 進先生)会員。千葉県松戸市在住。

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