2013-04-05

「金唐革紙(きんからかわし)」製作秘話 その5

  最初、「入船山記念館」の話に戻りますが・・・

 私は、「入船山記念館」の製作の時には、既に金唐革紙の研究所経営者の金唐革紙製作枚数を超えていましたので、その時点でも製作技術は経営者を上回っていました。「入船山記念館」では、4種類を合計約150枚製作しました。(「金唐革紙」一枚の大きさは、約180㎝×90㎝です。)
 経営者が発注者(「入船山記念館」は呉市、「移情閣」は兵庫県、「旧岩崎邸」は文化庁、など全て公共事業です。)から受注を取りどの様な復元をするかのお膳立てをし、後は私達が知恵を出し合って実際の製作を遂行します。「移情閣」では、一種類のみですが枚数が約400枚もありましたので、製作も最も過酷でした。

入船山記念館
 復元後の「入船山記念館」(2000年2月)後藤 仁  © GOTO JIN

入船山記念館客室
 入船山記念館 客室  © GOTO JIN

入船山記念館 食堂
 入船山記念館 食堂 後藤 仁  © GOTO JIN 

入船山記念館応接所
 入船山記念館 応接所  © GOTO JIN (ここの金唐革紙のやすりがけは私一人でやりました。)

入船山記念館客室金唐
 入船山記念館 客室「金唐革紙」  © GOTO JIN

入船山記念館食堂金唐
 入船山記念館 食堂「金唐革紙」  © GOTO JIN

 ここからは、「移情閣(孫文記念館)」の金唐革紙製作の詳細を書きましょう。

 毎日毎日、私とK君とN君が3人でローテーションを組み、2人で一枚の金唐革紙を打ち込みます。一日に6時間ほど、この「打ち込み」の作業です。M君は休みの人の代わりに、週に1~2日加わりました。
 この頃、私は週に5日位研究所で働き、夜と休みの日に自分の日本画制作をするというハードなスケジュールをこなしていました。まだ若かったので体力もありました。

 毎日「打ち込み」をしていると手がもたないので、時々「合紙」「箔押し」「ワニス塗り」をはさみます。
「合紙」は、和紙の楮紙(こうぞし)と三椏紙(みつまたし)を、のりで貼り合わせて強化する事です。
「箔押し」は、合紙した和紙に特殊なのりを塗り、主に錫箔(すずはく)を貼っていきます。作品によっては金箔・銀箔を貼る事もあります。箔押しは正確に早く貼るのが難しく、日本画家の技術が活かされます。ただ、日本画の箔押しは和紙を下に置いて貼るのですが、金唐革紙の場合は和紙を立て掛けて貼るという違いがありました。この箔押しのスピードは私が誰よりも早かったです。
「ワニス塗り」は、打ち込みの終わった和紙の錫箔の上から天然ワニスを塗って、金色を発色させる事です。
 
移情閣ワニス2
 移情閣 ワニス塗り(1999年2月)  © GOTO JIN

移情閣ワニス塗り
 移情閣 ワニス乾燥中(1999年2月)  © GOTO JIN

 金唐革紙の研究所の発足当初は、経営者が国立東京文化財研究所の指導の下、金唐革紙の製作方法を模索したのですが、その製作方法は不完全な物でした。私達若者3人で意見を出し合い、より効率的・効果的な製作方法を見付け出していきました。
 最初の頃、版木と和紙がずれて文様が二重打ちになる失敗が多くありました。K君が、ある日ふと、「版木棒に和紙を巻き付けるから、ずれるんじゃない・・」と言いました。それまで、版木棒に和紙を巻き込んだり伸ばしたりしながら、打ち込み作業を進めていました。そこで、あまり巻き込まずに打ち込んでいく、Kバージョンがその後採用されました。これで文様がずれる事が格段に減りました。この他にも、多くの点が改良されて金唐革紙の製作量も製品品質も、私達が加わる以前よりはるかに向上しました。
 「打ち込み」も後半になると、手の痛みも半端ではありません。「入船山記念館」の頃は指の関節だけが痛かったのですが、今回は段々手首が痛くなり、遂にはひじまで痛み出しました。指や手首、ひじにサポーターをぐるぐるに巻いて耐えました。K君が言いました。「朝起きると、腕がミイラの様に、胸の前で折り畳まれていないかい?」すると、皆は口をそろえて「やっぱりそうかい!」と言いました。私達も皆、同じ経験をしていました。それから、なるべく関節・筋をのばす体操をしました。

 
 こうした苦心の製作の末、1998年から1999年まで、およそ2年弱をかけて「合紙」「箔押し」「打ち込み」「ワニス塗り」までが終わり、完成した物から順次自宅に持ち帰り「彩色」に取りかかりました。地の緑色は、私とK君、N君が中心になって手彩色で行いました。間に合わない分は、東京藝術大学日本画専攻の学生数名と、彩色専門の年配女性が担当しました。(この女性は美術とは無関係の人でしたが、とても根気強く彩色の腕は安定していました。)

移情閣彩色4
 移情閣 手彩色(1999年4月)  © GOTO JIN

移情閣彩色2
 移情閣 試作品手彩色(1999年冬) 後藤 仁  © GOTO JIN (実際の製品の赤色は、シルクスクリーンで彩色しました。)

移情閣彩色1
 移情閣 試作品手彩色(1999年冬) 後藤 仁  © GOTO JIN

 研究所の代表的な作品だという「狩人」という金唐革紙作品がありましたが、その彩色は私達の加わる以前に、東京藝術大学の学生に彩色してもらった物だと知りました。色の配色なども、その人が考えたそうです。私が彩色した「白百合と昆虫」という作品も研究所の代表作の一つです。 I君が彩色した「黒百合と昆虫」も代表作です。特に難しい彩色が施された研究所の代表作は、箔押し・打ち込み・彩色は当然の事、彩色の原案までも私達の手による物なのです。


 花文様の赤色はシルクスクリーンでないと、早く均一に塗れない事が分かりました。そこで、実家の扇子製作の仕事をしていたI君にお願いする事になりました。扇子製作でシルクスクリーンを使用していたからです。
 ここからI君とM君も加わり、5人での「シルクスクリーン彩色」の作業となりました。
しかし、この彩色も結構大変な作業となりました・・・

  この続きは、また次回とします。  後藤 仁
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No title

こんばんは、後藤仁様(^_^)

これは青春だ! きっと
私もこんな青春にしたい!

なんちゃって(・ω≦) テヘペロ 無理かな?

無理難題。お仲間さんとのディスカッション。創意工夫。体力の限界。

いったい何を食べてるんてすかー?。。ってw(゚o゚)w

取り乱しちゃいましてM(_ _)mすみません

真剣な職人さんの世界。見せていただいて感謝(^_^)します

絶対完成させてくださいネ(祈)





プロフィール

後藤 仁(GOTO JIN)

Author:後藤 仁(GOTO JIN)
 ~後藤 仁 公式ブログ1~
日本画家・絵本画家 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

  〔後藤 仁 略歴〕
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校美術科で日本画を始める。東京藝術大学絵画科日本画専攻卒業、後藤純男先生(恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。卒業以降は日本画家として活動し、中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は絵本の原画制作に力を入れる。絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞等への出演・掲載も多い。東京造形大学・絵本講師。金唐革紙保存会 主宰。日本児童出版美術家連盟(童美連)(太田大八先生、赤羽末吉先生、いわさきちひろ先生らが創設)会員・理事。絵本学会(太田大八先生らが創設、現会長:松本 猛先生)会員。日本中国文化交流協会(井上 靖先生らが創設)会員。この本だいすきの会(代表:小松崎 進先生)会員。千葉県松戸市在住。

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