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2020-08-23

「夏休み 蟲 日記」 絵師(日本画家・絵本画家)後藤 仁

 私はフェイスブック・ツイッターを日記代わりに、日々、思った事柄を、そこはかとなく書き連ねています。ほとんどが日本画・絵本等の作品制作・取材旅行等に関する事柄ですが、元々、誰に読んでいただくという意図もなく、しかしながら、関心のある人なら誰でも読めるような、画家の公開日記のようなものです。
 今年の春~夏は、新型コロナウイルスの影響で、ほとんど外には出ずに、アトリエで絵本の原画制作に打ち込んでいました。そんな私に会いたくなったのか、何故だか、例年よりも多く、アトリエに”虫”がやってきました。そんな些細な出来事でも、ここの所の巣篭りがちな日常の、少しの面白味になります。そこで今回、ブログにまとめてみました~。 🐝 🐞
  絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁

                *

 フェイスブック:2020年7月26日

 昨日、アトリエの入り口付近に、カブトムシのオスがとまっていました。時に絵の資料としてスケッチする場合もありますが、弱ってしまいそうなので、今回は写真だけ撮って、放してあげる事にしました。~~
 数日前には、カブトムシのメスがとまっていました。両方とも、近所の鎮守の森のご神木まで、運んでやり、逃がしてあげました。このマンションのコンクリートの上で最期を過ごすのは、かわいそうですから・・・。
 その他、羽アリやカンブンやセミや蛾(オオミズアオ)やアブやスズメバチやオニヤンマなど、色々な昆虫がアトリエ付近にはやってきます。時には、小さなコウモリがとまっていた時もあります。カラスやハトやスズメなどの鳥もたまにきますが、まれには、チョウゲンボウがきた事もありましたね。
 こんな都会の自然の少ない環境ですが、何故か死期の迫った生き物たちが、ぞろぞろと集まってくるのです。このマンションが、まるで都会のコンクリートジャングルに屹立する、巨大な墓標であるかのように・・・・。

カブトムシカブトムシ(オス)


 7月27日

 不思議な事です!。今日も、カブトムシがアトリエにやってきました。先日、カブトムシを放してあげた鎮守の森は、アトリエからけっこう遠いので、今回のカブトムシは別の個体です。今年のカブトムシは、これで3匹目です。例年は、多くて2匹だったので、今年は特別ですね~。
 何故か、私のアトリエの前に来るのです。よほど生き物たちは私に会いたいのでしょうか? しかしながら、彼らの生命力の力強さには感動させられます。小さな生命は、ささやかながらも懸命に生きようと、もがいているのですね・・・。人もそうあらねばなりませんね・・・。
 これほどご挨拶に来るという事は、よほど私に描いてもらいたいのかしら~。今回のカブトムシは元気そうなので、軽くスケッチしてあげました(せっかくなので、特別に掲載します)。この後また、鎮守の森まで、放してあげに行きましょう~~。(^・^)

カブトムシカブトムシ(オス)

カブトムシ・スケッチカブトムシ スケッチ/後藤 仁


 8月16日

 昨日、またカブトムシがアトリエの入り口付近に来ました~。今度はメスでした。実は、前にオスのカブトムシが来た後日に、メスのカブトムシの残骸を見付けました。既に乾いて、分解されつつありました。
 今年は今の所、5匹のカブトムシがアトリエにやって来た事になります。例年に比べて、とても多いです。セミやカナブンの飛来もかなり多いです。何か理由があるのでしょうか・・・?。
 先の大戦から75年、東日本大震災から9年・・・、やはり、お盆に、人々の魂が虫になって、帰って来ているのでしょうかね。
 もしかしたら、およそ25年前、私が大学4年の年末、57歳という若さで事故によって亡くなった、私の父の魂も混じっているのかも知れません・・・・。私も後5年で、父の享年と同じ年齢になります。不思議なものです・・・。もっと画道に、精進せねばなりませんね~~。
 昨日は遅かったので、今日、鎮守の森にカブトムシを返そうかと思っていましたが、朝にはすっかり弱りきっていました。せめて、ビルの下の土に返してやりましょう・・・。

 8月18日

 今日、アトリエの階段で、オオミズアオという巨大な白緑(びゃくろく)の蛾を見付けました。数年に一度位、まれにアトリエにやってくるのですが、今回の個体はかなり弱っていて、可哀想に羽もボロボロです。
 やはりこのビルは、虫達の集う処です。いずれも大概、弱った頃にやってきます。エデンの園よろしく、まるで、ここが最期の地ででもあるかのように・・・・。

オオミズアオオオミズアオ 

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テーマ : 博物学・自然・生き物
ジャンル : 学問・文化・芸術

2020-08-20

「日本画の将来を真剣に憂う」日本画家・絵本画家 後藤 仁

 これから書く内容は、かなりきわどい内容になるが、私が永年、奥義を求める「日本画」の世界が、そのような陳腐で低俗な物でない事を願って、それでさえバブル経済崩壊後の日本画等の純粋美術の低迷の中、このまま完全に滅びてしまわないように、反面教師、また、強い自戒の念を込めて、あえて、正面から触れておかなければならないのだ・・・。
 決して、作家個人や特定の団体の責任を追及するという趣旨ではなく、日本における日本画・美術界全体の将来を思って、ひ弱な一画家が述べるのである。日本画を愛する一変人画家の戯言と、許していただきたい。

 日本画に籍を置く人なら誰しもが知っている、悩ましい事件(知らない人は、多分、もぐりである)・・・、1979年、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった院展の人気作家・下田義寛先生が、海外の写真家の作品をそっくり盗作したと言うのだ。当時、テレビニュース・新聞で報じられ、東京藝術大学の上司に当たる平山郁夫先生が陳謝し、当人は東京藝術大学教授の職を退くという事態に陥った。下田教室で学んだ或る先輩日本画家によると、当人は普段から他人の写真を、そのままシルクスクリーンに起こして、日本画の骨描きとして使用していたとか、していないとか・・・。
 ところが後年、私も中学・高校時代から尊敬していた、平山郁夫先生自身の作品への盗作疑惑が起こった。平山先生の先輩日本画家・岩橋英遠先生の赤トンボの絵に酷似していると言うのだ。さらに、この事案は、一般的にはほとんど知られてはいないが、私の知識によると、平山先生の代表的画題のラクダのモチーフは、そのシリーズが描かれるようになる1968年より前の1967年に岩橋先生が描いた、「神々とファラオ」という名作の下部に酷似している。しかし、これらのレベルは、オマージュの範囲に入るのではないかと私は考えてきた~。
 売れっ子を多数抱えてきた、その院展(日本美術院)は、ここ30年以上、師匠や先輩画家の作品に酷似した、真似したような作品ばかりが目立ち、何故だか、そのような酷似した作風の作品ばかりが、審査に受かるのだ。院展系作家の話によると、派閥ごとに下図・本画研究会があり、審査の事前にほとんど合否が決まっていると言う。若い作家は皆、YESマンとなり、先生への忠誠の証として、そっくりの絵を踏襲するのだろう。これでは良い絵が描けるはずもなく、当然、模倣が横行する事になる。
 先の例だけではなく、もっともっと事案は潜在していると思われる。かなり前、私の友人がたまたま見付けたのだが、日本画界の最大派閥・平山郁夫先生門下でもあり、東京藝術大学で教鞭も取っていた U先生の、春の院展出品作品が、日本の著名風景写真家・竹内敏信さんが山の旅の途上、偶然撮影できたという、「山の小道」の写真に、そのまま構図・内容とも酷似している。ただ、その中央に、後から子犬を描き加えただけである。風景写真家が偶然撮影できた人知れぬ光景を、画家が同場所でスケッチできたとは考えづらい。間違いなく、竹内さんの写真集の写真を、そのまま使ったのである。多分、著作権使用許諾は取っていないだろう(取っていても、作家の制作姿勢としてはいかがなものか・・・)。日本人作家は著作権侵害の訴えを、ほとんどしないので、今の所、裁判沙汰にならずに助かっているだけである~。
 その他にも、私が後藤純男先生の門下展「翔の会日本画展(銀座松坂屋)」をやっていた時、院展にも所属する女性作家であるが、彼女が沖縄を描いた絵の人物像が、その当時、流行っていた、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」に登場する国仲涼子さんに酷似しており、明らかに写真をそのまま模写したのが分かった。少し参考に使う位なら、あり得るだろうが、あからさまなので、困るのである。
 時間と暇がある人なら、その気になって探していけば、その他にも多々、見付かるだろう。院展・日展辺りの団体作家の中で、写実・リアルを謳う現代日本画家(洋画家も)の多数、また、写真的な作風の無所属作家でも、他者の写真作品等からの模倣・盗作が相当数、常態化しているのである・・・。

 それにしても下田義寛先生盗作事件で、院展の同人辺りは、さすがに懲りたのではないかと思っていたが、今回、平山郁夫先生の直弟子の中でも四天王(田淵俊夫先生、福井爽人先生、手塚雄二先生、宮廻正明先生)とも言われ、東京藝術大学名誉教授でもあり、テレビ等にも度々登場し、大きな権力・権勢をお持ちの宮廻正明先生が、あからさまな盗作をするとは・・・。情けない・・・。
 ソウル・フラワー・ユニオンという日本のロックバンドのCDジャケットの写真と、宮廻先生の春の院展出品作品とが、瓜二つだと言う。新聞やネットニュース等でも報じられ、大騒ぎらしい。本人曰く、「外国旅行の途中で、他人が持っていた写真を、その人の許可を得て、その場でスケッチしたものを、日本画に描いた・・・。」とは、虚しい言い訳である。ネット上では2作品を比べて、どれだけ似ているかが取り沙汰されている。似過ぎている。画像を左右反転させただけである。スケッチだけでは、こうも似ないだろうが、仮に言い訳が事実だとしても、その写真の持ち主の許可ではなく、その出所・著作権者の確認はしたのか?。他人のアイデアによる写真をまんまスケッチして、自己のオリジナルの絵が描けるのか?。・・・明らかに、芸術家としての認識の欠如も甚だしい。宮廻先生の絵は前々から、極めて写真的でもあり、また、自力だけでの取材ではなかろう事は予想していた。絶対、写真の素人では撮影できないであろう、船の上空からの光景等、著作権使用許諾の有無は知らないが、明らかに他者の写真を使用していると、私は感じていた。今回の事件で判明したのは、やはり、今までもそのような制作姿勢で、長年、絵を描いてきたのだろう。
 その延長であろうか、院展における、宮廻先生の多数の弟子筋の絵は、またこの上なく、先生の絵の技法・内容に類似している。類は友を呼ぶのか・・・。その他にも、院展・日展・創画会等の団体内には、派閥ごとに類型的・類似的な作品が実に多い。これが現在の団体展の現状である。
 もし、私の師である、後藤純男先生(日本美術院同人理事、東京藝術大学名誉教授、日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)が生きておられたら、さぞ、今の院展の現状を嘆き、憤慨した事だろう。後藤先生は、日本画を描く上での鉄則として、何よりも、写生旅行と、写生を重んじておられたから・・・。

 かく言う私も、他者の写真集・図鑑等を、ごく部分的な参考資料に使う事はある。特に「絵本」の原画を描くようになってからは、多くの小物・衣装や建造物等の参考・時代考証には、資料画像は欠かせない。ただ、絵の中の主要ではない一部分だけに、しかも、必ず自分独自のアレンジをかなり加えるようにしている。また、絵全体のイメージやアイデアを、他者の作品から持ってくる事はあり得ない。必ず自身で現地取材に赴き、基本的には写生(スケッチ)し、時間がない時には自身で写真を撮る。海外写生旅行では、病気・怪我・トラブルが絶えず、過酷過ぎる取材旅になるケースも多い。まさに、命がけの一人旅なのである。人物を描く時には、高いモデル代を支払って描く場合もある。
 どうして、このような多大な苦心を払って制作するのか、何故なら、その作品の創造性・個性・独自性というものは、現代美術作品には欠かす事ができない、最重要要素だからだ。その人の作品を、その人のオリジナルとなせる物、それは、その”創造性・想像力”に他ならない。それを忘れた、又は、その苦労を厭う作品など、「芸術作品」であるとは、決して言えない。また、そのような作品創作で満足する画家など、所詮は「芸術家」とは言えない。
 私は強い自戒の念を込めて、今回のような日本画団体・日本画家には大きな怒りも感じるし、激しく残念でならない。こんなようでは、思ったよりも早くに、近い将来、明治以降に名付けられた、いわゆる「日本画」は必ず滅びるであろう・・・。
 私個人は、日本画画材の面白さ・多様性・多彩性に大きな未来・可能性を感じるし、大和絵・唐絵から1000年以上も続く、日本画の歴史と伝統も素晴らしいものであると、心から信じている。私の悪い予感が当たる事のないように、画家は常に、自己の創造性・感性をたくましくして、誠心誠意、画道に勤しまなければならないのである。

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

2020-08-15

「或る清貧画家の諦念の断簡(今の日本画を想う)」後藤 仁

 私は制作の合間に時々、フェイスブックやツイッターでつぶやいています。今回はその中でも、最近、主に「日本画・展覧会」について考察した部分の”まとめ”になります。

            *

2020年8月3日

 私の作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)が、ここの所、常に品薄状態が続いています~。
 スタジオジブリアニメ映画「ゲド戦記」の上映の影響なのか(映画「ゲド戦記」の原案の「シュナの旅」〈宮崎 駿/徳間文庫〉の原話は、チベット民話「犬になった王子」なのです)、新型コロナウイルスの巣ごもり需要・流通網停滞の影響なのか分かりませんが、ネット書店等で常時売り切れが続いています。
 誠にありがたい事ですが、もっと順調に、多くの人々の手に、本当に良い絵本が、届く事を願います。

○アマゾン Amazon 『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)
https://www.amazon.co.jp/%E7%8A%AC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%8E%8B%E5%AD%90%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%B0%91%E8%A9%B1-%E5%90%9B%E5%B3%B6-%E4%B9%85%E5%AD%90/dp/4001112426/
○絵本ナビ 『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)
https://www.ehonnavi.net/ehon/91533/%E7%8A%AC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%B0%91%E8%A9%B1/

○Real Sound|リアルサウンド/ジブリ劇場上映ラインナップにおける異色作?『ゲド戦記』にみる宮崎吾朗の役割
https://realsound.jp/movie/2020/07/post-579758.html
○TOHO THEATER LIST/一生に一度は、映画館でジブリを。『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』シアターリスト
https://theater.toho.co.jp/toho_theaterlist/ghibli2020.html


8月6日

 近年、珍しく”日本画”が世間の話題になると、またもや盗作という不祥事だったりします・・・。過去に大騒動になった S先生盗作事件もしかり。まだ表沙汰になっていない U先生の盗作疑惑といい、実に悲しい事です。その他にも、写実(リアル描写)をモットーとしている、近年の日本画団体展作家には、かなり大多数が潜在していると思います(もちろん無所属作家にもいるでしょうが)。
 ここ20年ばかり、日本の経済低迷・文化変遷に伴う、日本画・油絵等の純粋美術の不振程度は甚だしく、若手・中堅作家が絵を続けるのは厳しい限りです。しかし、日本画が本当に、こんな低い芸術世界だとしたら、その存続の不可は仕方がない事です。

 必ず自身でその場におもむき実物をスケッチ(写生)する、・・・たとえ描く時間がなくても自身で写真を撮る事は、絵の基本的な姿勢です。他者の写真(図鑑・写真集等)は、せいぜい絵の参考資料程度に部分的に活用する位に留めないといけません(その場合でも、そのまま画像を使用するのではなく、自分のセンスを大幅に入れなければいけないでしょう)。その写真自体が写真作家による芸術作品の場合は、参考にするのも避けておいた方がよいのです。
 これは著作権法 云々、以前の、芸術家の基本的な心得なのです。それを忘れた画壇は、将来的に滅びていくしかないと肝に銘じて、画家は厳しく精進せねばならないのです。


8月11日

 中国向けの新作絵本制作は、本日、「表紙」の骨描きを終え、胡粉の下地塗りをしました。今日はこの後、一度塗りが乾いた後に、二度塗りをしようと思います。私は大抵、胡粉下地は二度塗りをします。こうして丁寧に下地を作るのです。
 誠に美しく素敵な「表紙」になりそうですよ~。(^・^)👍

         *

 私は当然ながら、人は人権において皆平等だと分かっています。そこには、貧富・職種・能力・男女・民族・国籍等による上下・貴賤は一切ありません。
 しかし、”絵”という厳しき芸術の道においては、平等や公平性は一切無いのです。そこには何かしらの良し悪しや、本物・似非物があるのだと信じます。
 立場を越えて、皆で並んで、楽しく絵を飾るというのは、人の行為としては微笑ましく正しい事です。しかし、本物の芸術を追求せざるを得ない、厳しき”芸術の道”においては、必ずしも正しき事とは言い難いのです。絵を描く自己世界の中で大いに遊び、鑑賞者を楽しませる事までが作家の本分であるのですが、画家が大勢で集って愉悦的に展示を楽しむというのは、所詮は趣味の領域でしかない・・・。

「旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。」(「ブッダの真理のことば」中村 元 訳/岩波文庫) 
 と仏陀もおっしゃられた・・・。人としてはいささか高慢で冷淡なように聞こえますが、修業の道においては、事実こうあらねばならぬのです・・・。それ故に、芸術とは、厳しき道なのです。孤独の中の孤独でしか、芸術の真実は微笑んでくれないのだ・・・。
 私は絵の道において、一度・二度までは人間的付き合いとして、道を交える場合もありますが、三度目ともなれば、本当に自身が認め・信頼できる位の、本当に崇高な理念・技術・能力・経験を持った人と判断できないと、同行はし難くなってきます(決して世間的肩書や名声・実績だけで判断するのではなく、その人の芸術的本質を吟味します)。それは画家同士の場合は最も厳しく真贋を見極めますが、画商や編集者等の場合は画家に比べれば柔らかいものの、それに準じた判断が求められるのです。
 私も大した画家ではありませんが、哀しいかな、生来の変わり者の私は、自分より優れているか、同じ位の芸術的素養を感じ取れる人で無いと、一緒に歩めないのです。これが愚かな芸術家の、悲しき性(さが)なのです・・・。


8月14日

『絵画展覧会 ─ 個展・グループ展 考』

 「個展」とは、その作家の世界観を丸ごと反映し、また、誰の助けも借りずに、その作家の実力そのものが試される場なので、一番、重要な作品発表の機会となる。私もこれを重要視している。

 「グループ展(二人展・三人展・多人数展 等)」もやはり大切なものであるが、様々な形態があるので、ケースバイケースである。美術団体に所属している場合の「団体展」、公募形式の「公募展」、所属派閥等による「研究発表展」、絵の販売が主要目的の画商・画廊等が主催する「展示販売展」、友人・知人等とで企画する「グループ展」、絵画教室等の講師と教え子による「教室発表展」等々、多種多様である。
 私はこれまで、特殊なケースを除いては、ほぼ「企画展(会場代は無料で、絵の販売時に販売手数料を支払う形式)」で個展・グループ展を開催してきた。基本的に「貸し画廊(会場代を支払って開催する。アマチュア画家はほぼこの形態)」を使わない。そんな条件もあり、バブル期以降の絵画低迷期に活動し、特別な売れっ子でもない私は、それほど多くの展覧会を開催出来てこなかったが、それでも「個展(日本画展/絵本原画展を含む)」は15回余り開催している。(「赤穂市立美術工芸館 田淵記念館」での展覧会は、伯父・後藤大秀とのコラボレーション企画であるが、私の個展に伯父の作品の賛助出品という形なので、「個展」に数えている。)ただし、いずれも小規模の展示ではなく、毎回、大作を含む、20~100点位は出品する大型企画だけを開催している。
 「日本画グループ展」は様々な形態で、100回以上は開催している。後藤純男先生の門下生による研究発表展「翔の会日本画展」(最初の1回のみ、オンワードギャラリー日本橋、のち、銀座松坂屋)は毎年続けて、計16回参加した。画商の企画による、百貨店・大型書店での展示販売展も、一時期、かなり多数行った。私が教える絵画教室の受講者との教室発表展も数回行った。画家仲間との、お友達グループ展も複数やっている。
 私が主に作品を製作し、時には展示準備に参加した「金唐革紙 展(きんからかわし/国重要文化財建造物 等に貼られた手製高級壁紙・国選定保存技術)」は30回程ある。
 私の繊細で個性的な絵はあまり公募展向きではないが、「各種絵画公募展」にも、若い時分・30歳代前半までに、20回余りは入選・受賞している。私の拘泥的性格は基本的に団体向きではなく、結局今まで、美術団体展には所属しなかったが、それらしき企画としては、一時期6年間ばかり参加していた日本児童出版美術家連盟による「童美連展」を、展覧会実行委員会委員長として企画・開催した。
 これら「個展」「グループ展」「絵画公募展」「金唐革紙展」等の全てを合わせると、合計200回程度の展覧会経験がある。プロの作家としては殊更多くもないが、経験不足というほど少なくもなかろう。ただ、何でもかんでもやれば良いというものではなく、その質が重要なのであるので、特別、売り絵展が多くもない私の場合は、これ位が妥当である。

第15回 翔の会日本画展「第15回 翔の会日本画展(後藤純男先生門下展)」最終回 (2010年8月11~17日 銀座松坂屋)


★YouTube 「第2回 翔の会日本画展(後藤純男先生門下展)」(1997年10月30日~11月4日 銀座松坂屋)
 【日本画家・後藤純男先生 講評会】
 今ではとても貴重となった、一番お元気な頃の後藤純男先生(東京藝術大学名誉教授)の講評会の映像です。私、後藤 仁が講評を聴いています。 
 日本画作品 『阿蘇猫岳(根子岳)』(F30号) 後藤 仁



 私はこれまで、「売り絵展(展示販売展)」にも何かしらの抵抗感を感じてきた。プロ画家としては避けて通れぬ、糊口をしのぐ術でもあるが、我が子の如く大切な作品を、見知らぬ人に販売する。しかも、心底気に入ってくれているなら良いのだが、投資目的の販売が主流であった日本の美術市場では、どうしても気が乗らなかったのだ。どちらにしても特別な売れっ子でもない私の場合は、展示機会も限られたのだが、この点では私はプロ画家とは言えないのかも知れないな・・・。そんな訳で、20~40歳代前半を中心に、かなり多数、展示販売展を開催したが、徹底的な商売人である画商ともあまり馬が合わず、今はその世界から離れつつある。
 「研究発表展」は大切であろう。絵画派閥や団体に所属している人は、自己研鑽の手段として、自己とレベルが拮抗する、又は自分以上かと思われる作家同士なら、その展示の意味合いは大きい。学生時代から卒業後15年間は、私も後藤純男先生門下として研究発表展「翔の会日本画展(銀座松坂屋)」に計16回出品したが、後半になるにつれ、後藤先生門下の多くの者は筆を折り、少数は他派閥に吸収され、2013年の銀座松坂屋の閉店に伴って、翔の会日本画展は完全消滅した。銀座松坂屋は三越、高島屋と並んで、美術展・日本画展の最高の牙城とされた百貨店であった。百貨店の弱体化は、そこを販売の主流としてきた日本絵画界のその後の衰退の大きな要因となり、それまでも漠然と感じてはいたが、私が日本画壇の先行きに暗いものを確実に感じ取ったのは、この時以降である。その後、私は特定の派閥には属さずに、純粋な研究発表展は開催していない。
 歴史的には、「団体展・公募展」も研鑽を積むには良い場であり続けた。しかし、団体展・公募展は大抵、審査員の趣向により受かる絵には大きく偏りが生じる。基本的に団体の意図に沿わない絵は受からない。一目でインパクトのある絵が受かりやすく、画面の隅から隅まで埋め尽くした絵が、真面目に描いていると判断されて受かりやすい。また、ほとんどの団体は、各派閥ごとの研究会を通して、最初からある程度合否が決まっているケースが多く、ほぼ出来レース化しており、決して公正な世界とは言い難い。そこで先輩・師匠にそっくりな絵を描いて受かろうとする傾向が、ここ30年以上、強くなるばかりである。アマチュア画家から、そこそこ描けるYESマンを引っ張ってきて、派閥を大きくしようとする、団体総素人化傾向も顕著に見られる。そんな悪傾向・低意識の中、先般の日本画最大派閥の代表的作家による、他人の写真からの盗作事件等も必然的に生じてくる訳である。
 私は学生時代こそ、東山魁夷先生(日展)、平山郁夫先生(院展)、後藤純男先生(院展)等への憧れから、団体展を目指した時期もある。しかし、団体展の近年の弊害を身近に感じるにつれ、いずれの団体も、数十年に渡る無変化・固定化の中で、その権威化・画一化・低質化・形骸化に苛まれている事を鑑みて、団体展への志向を失った。日展は30年余り前から、売れっ子・実力者不足等で人気は低落し、創画会は最初から一般人からの支持が薄く、最後の砦の院展もここ20年ばかりは著名作家が減って低迷の一途を辿っている。現在の、無所属作家中心の、現代アートからマンガ・アニメ・CG全盛時代において、絵画団体展はその役割を一旦終えつつあると感じ取って、結果的には、現在の日本画三大団体等への参加を私は敬遠した。
 「教室発表展」は絵画教室で教える立場の者としては、教室の受講生の為にも開催しても良いものだろう。絵を一般人に教える事で自分自身、改めて気が付く点も多々あり、やってみると楽しいものでもある。ただこれは、絵だけでは食べていけない、貧乏画家の哀しい側面でもある。しかし、一般人との触れ合いも大切であろうし、これも社会貢献の一つであろうか。

 近年、絵画仲間との「お友達展」みたいな企画に何度か参加した。研究発表展とはまた少し趣向が異なる、派閥を越えた絵画仲間との展示発表会である。それはそれで面白いものでもあるが、それも、本当に力の拮抗する、対峙するに値する絵描き仲間との展示なら、大きな意味があろう。私は先日話したように、自分より絵画的実力のあると思われる人物か、自分と同等程度の作家となら、ぜひ研鑽を積んでみたい。ただ、そのように感じ取れる人物は、ごく稀なのも事実である。日展であろうと院展であろうと、肩書が一見凄そうに見えても、よくよく吟味してみると、存外、開催目的が俗的・凡庸で、芸術的素養が甘かったりするケースが多々ある。何度かそんな展示を経験してみたが、どうにも完全にはしっくりこないので、当面は諦めて、本当に優れた同士が登場するのを気長に待とうか・・・。もし一生現われなくても、それでいいのである。
 そんな理由で、今後しばらくは、質の高い「個展(絵本原画展を含む)」に絞って活動していこうかと考えている。

 絵を一生の生業とするのは至難の業であり、誰もが容易に到達できる世界ではない。生涯をかけて永い永い道をひたすら、孤独に歩まねばならない・・・。
 ただ一時の自己顕示欲であったり、格好つけだったり、お金儲けの手段であったり(実際には、ほとんど大多数の人は食べてはいけないが)するのであれば、止めておいた方が良い。そのような人が、大した仕事を出来るはずはない。
 芸術を深く知ろうと探求し、苦悩し、時には死をも覚悟し、画技・画法を研鑽しながら、数十年もかけて到達を目指さねばならない、それはそれは厳しく永い試練の道となろう。

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

2020-08-09

〔ユネスコ無形文化遺産〕大垣祭り・布袋軕(岐阜県大垣市)天井画制作〈その1〉後藤 仁

「大垣祭り〔ユネスコ無形文化遺産・国重要無形民俗文化財〕・中町 布袋軕(ほていやま)(岐阜県大垣市)
  天井画(天井絵)制作 〈その1〉


 いよいよ、「大垣祭り・中町 布袋軕」再建事業が本格的にスタートしました!!。
 大垣祭は、2015年に国指定重要無形民俗文化財に、2016年にはユネスコ無形文化遺産に登録された、日本を代表する盛大なお祭りの一つです。大垣祭の山車(だし)である、相生軕・愛宕軕・浦嶋軕・布袋軕・菅原軕・榊軕・神楽軕(三輌軕)には、私の伯父で からくり人形師の後藤大秀(ごとう だいしゅう/作家名)さんが復元・修復した「からくり人形」が多数載せられ、毎年、大勢の人々の前でご披露されます。

大垣祭布袋軕「大垣祭り・布袋軕」(岐阜県大垣市)2017年5月14日、後藤大秀 作 からくり人形「采振り童子人形」「倒立唐子人形」「布袋人形」

大垣祭布袋軕「大垣祭り・布袋軕」(岐阜県大垣市)2017年5月14日

大垣祭布袋軕「大垣祭り・布袋軕」(岐阜県大垣市)2017年5月14日

 新型コロナウイルスの影響による事業縮小が心配でしたが、文化庁からの文化財保存事業費/国宝重要文化財等保存・活用事業費補助金が交付され、大垣市の文化振興/文化財の保護・活用/文化財保護整備事業予算も無事通ったそうで、大垣祭保存会の主導による大垣市・大垣市教育委員会を挙げての大型復元事業の始まりです。
 「中町 布袋軕」は今後、3年間をかけて、完全復元新調を目指す計画で、私はその中の、布袋軕の「天井画(天井絵)」を描く役割を、全て任されました。私にとっては金唐革紙(きんからかわし/国選定保存技術・手製高級壁紙)復元製作以来の貴重な伝統的文化財の復元制作となりますので、すこぶる気合が入ります。しかも、金唐革紙は副業的な仕事でしたが、今回は本業の日本画による制作なので思いは格別なのです。また、伯父・後藤大秀さんの「からくり人形」とのコラボレーション企画という事もあり、誠に嬉しい仕事なのです。

「中町 布袋軕」全体の再建事業は、こちらの大垣祭保存会・中町布袋会の公式ブログをご覧下さい。↓
○大垣まつり「布袋やま再建日記」
 http://hoteiyama.seesaa.net/

 大垣市には、父方の実家があり、幼少の頃より、夏休み等には度々帰省していました。私にとっては、生まれ故郷の兵庫県赤穂市が第一の古里だとしたら、小学校1年生から高校生までを過ごした大阪府堺市と並んで、大垣市は第二の古里とも言える、大切な土地なのです。大垣の家では、伯父の能面や からくり人形や様々な珍しい大工道具を見るのが何よりも楽しみでした。
 伯父は若い頃の堂宮建築(宮大工)の修業から始まり、私が小学生高学年頃には茶室の設計施工も請け負い、私が中学生頃には能面打ちの修業を経て、私が高校生頃からは からくり人形の復元制作を中心に手掛けるようになりました。表面的な表現方法は変遷しながらも、高度な木工技術は常に一貫した、素晴らしい職人・造形作家です。私が日本画を表現主体としながらも、その世界だけに胡坐をかく事なしに、金唐革紙や絵本といった様々な表現手法を縦横無尽に吸収していった由来も、伯父の影響が少なからずあるのかも知れません。
 私には今までの画家・作家人生の中で、実際に交流のあった人で、極めて強い影響を受けた作家が三人います。そのお一人は他ならぬ、物心がついた頃から作品を見続けてきた伯父・後藤大秀さんです。次には、美術予備校(立川美術学院)時代と東京藝術大学日本画専攻時代に講師・先輩としてお世話になった村上 隆さんです。今では、日本画界から羽ばたき、日本を代表する現代美術(現代アート)の旗手として世界的に活躍しています。そして、私の日本画の師として仰ぐ日本画界の重鎮・後藤純男(ごとう すみお)先生です。先生は、東京藝術大学名誉教授・西安美術学院名誉教授・日本美術院同人理事・日本芸術院賞 恩賜賞受賞者として、日本の美術史に燦然と輝く日本画の大家です。
 2018年には、私と伯父・後藤大秀とのコラボレーション展覧会「特別展 ~日本画画業35周年記念~ 後藤 仁 日本画・絵本原画/後藤大秀 からくり人形 ─ 赤穂出身の日本画家・絵本画家、初の里帰り展」(赤穂市立美術工芸館 田淵記念館)を開催しました。この展覧会や、2017年の「後藤大秀 岐阜県伝統文化継承功績者顕彰状授与式」での大垣市・大垣祭保存会とのご縁がきっかけで、誠に有難い事に、今回の天井画制作のお話を頂戴する名誉に預かりました。

赤穂市美術工芸館「特別展 ~日本画画業35周年記念~ 後藤 仁 日本画・絵本原画/後藤大秀 からくり人形 ─ 赤穂出身の日本画家・絵本画家、初の里帰り展」(赤穂市立美術工芸館 田淵記念館) 後藤大秀 夫妻、大垣祭保存会の皆様と

 これから天井画原案・下図の作成、天井画用の板の発注・輸送から始まり、およそ1年をかけて、少しずつ制作を進めていく予定です。獅子奮迅、全身全霊、制作に打ち込みたいと心しています。
 天井画制作の模様は、今後おいおい、拙ブログで、詳細にお知らせしていきたいと考えています。まずは、布袋軕の「実測図」(作成:株式会社 建築計画研究所)が届きましたので、ここにご掲載いたします。

大垣祭布袋軕実測図「大垣祭 布袋軕」実測図(作成:株式会社 建築計画研究所) 正面 立面図

大垣祭布袋軕実測図「大垣祭 布袋軕」実測図(作成:株式会社 建築計画研究所) 右側面 立面図


  絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

後藤 仁 プロフィール

後藤 仁(GOTO JIN/后藤 仁)

Author:後藤 仁(GOTO JIN/后藤 仁)
~後藤 仁 公式ブログ1~
日本画家・絵本画家 後藤 仁(GOTO JIN/后藤 仁)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

 〔後藤 仁 略歴〕
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校 美術科で日本画を始める。東京藝術大学 絵画科日本画専攻 卒業、後藤純男先生(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。卒業以降は日本画家として活動し、中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は絵本の原画制作に力を入れる。
○絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、『わかがえりのみず』(鈴木出版)、『金色の鹿』(子供教育出版)、挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞・インターネットサイト等への出演・掲載も多い。
○東京藝術大学デザイン科 非常勤講師、元 東京造形大学 絵本講師。国選定保存技術 金唐革紙 製作技術保持者。日本美術家連盟 会員(ご推薦者:中島千波先生)、絵本学会 会員、日本中国文化交流協会 会員、この本だいすきの会 会員。千葉県松戸市在住。

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絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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