これから書く内容は、かなりきわどい内容になるが、私が永年、奥義を求める「日本画」の世界が、そのような陳腐で低俗な物でない事を願って、それでさえバブル経済崩壊後の日本画等の純粋美術の低迷の中、このまま完全に滅びてしまわないように、反面教師、また、強い自戒の念を込めて、あえて、正面から触れておかなければならないのだ・・・。
決して、作家個人や特定の団体の責任を追及するという趣旨ではなく、日本における日本画・美術界全体の将来を思って、ひ弱な一画家が述べるのである。日本画を愛する一変人画家の戯言と、許していただきたい。
日本画に籍を置く人なら誰しもが知っている、悩ましい事件(知らない人は、多分、もぐりである)・・・、1979年、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった院展の人気作家・下田義寛先生が、海外の写真家の作品をそっくり盗作したと言うのだ。当時、テレビニュース・新聞で報じられ、東京藝術大学の上司に当たる平山郁夫先生が陳謝し、当人は東京藝術大学教授の職を退くという事態に陥った。下田教室で学んだ或る先輩日本画家によると、当人は普段から他人の写真を、そのままシルクスクリーンに起こして、日本画の骨描きとして使用していたとか、していないとか・・・。
ところが後年、私も中学・高校時代から尊敬していた、平山郁夫先生自身の作品への盗作疑惑が起こった。平山先生の先輩日本画家・岩橋英遠先生の赤トンボの絵に酷似していると言うのだ。さらに、この事案は、一般的にはほとんど知られてはいないが、私の知識によると、平山先生の代表的画題のラクダのモチーフは、そのシリーズが描かれるようになる1968年より前の1967年に岩橋先生が描いた、「神々とファラオ」という名作の下部に酷似している。しかし、これらのレベルは、オマージュの範囲に入るのではないかと私は考えてきた~。
売れっ子を多数抱えてきた、その院展(日本美術院)は、ここ30年以上、師匠や先輩画家の作品に酷似した、真似したような作品ばかりが目立ち、何故だか、そのような酷似した作風の作品ばかりが、審査に受かるのだ。院展系作家の話によると、派閥ごとに下図・本画研究会があり、審査の事前にほとんど合否が決まっていると言う。若い作家は皆、YESマンとなり、先生への忠誠の証として、そっくりの絵を踏襲するのだろう。これでは良い絵が描けるはずもなく、当然、模倣が横行する事になる。
先の例だけではなく、もっともっと事案は潜在していると思われる。かなり前、私の友人がたまたま見付けたのだが、日本画界の最大派閥・平山郁夫先生門下でもあり、東京藝術大学で教鞭も取っていた U先生の、春の院展出品作品が、日本の著名風景写真家・竹内敏信さんが山の旅の途上、偶然撮影できたという、「山の小道」の写真に、そのまま構図・内容とも酷似している。ただ、その中央に、後から子犬を描き加えただけである。風景写真家が偶然撮影できた人知れぬ光景を、画家が同場所でスケッチできたとは考えづらい。間違いなく、竹内さんの写真集の写真を、そのまま使ったのである。多分、著作権使用許諾は取っていないだろう(取っていても、作家の制作姿勢としてはいかがなものか・・・)。日本人作家は著作権侵害の訴えを、ほとんどしないので、今の所、裁判沙汰にならずに助かっているだけである~。
その他にも、私が後藤純男先生の門下展「翔の会日本画展(銀座松坂屋)」をやっていた時、院展にも所属する女性作家であるが、彼女が沖縄を描いた絵の人物像が、その当時、流行っていた、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」に登場する国仲涼子さんに酷似しており、明らかに写真をそのまま模写したのが分かった。少し参考に使う位なら、あり得るだろうが、あからさまなので、困るのである。
時間と暇がある人なら、その気になって探していけば、その他にも多々、見付かるだろう。院展・日展辺りの団体作家の中で、写実・リアルを謳う現代日本画家(洋画家も)の多数、また、写真的な作風の無所属作家でも、他者の写真作品等からの模倣・盗作が相当数、常態化しているのである・・・。
それにしても下田義寛先生盗作事件で、院展の同人辺りは、さすがに懲りたのではないかと思っていたが、今回、平山郁夫先生の直弟子の中でも四天王(田淵俊夫先生、福井爽人先生、手塚雄二先生、宮廻正明先生)とも言われ、東京藝術大学名誉教授でもあり、テレビ等にも度々登場し、大きな権力・権勢をお持ちの宮廻正明先生が、あからさまな盗作をするとは・・・。情けない・・・。
ソウル・フラワー・ユニオンという日本のロックバンドのCDジャケットの写真と、宮廻先生の春の院展出品作品とが、瓜二つだと言う。新聞やネットニュース等でも報じられ、大騒ぎらしい。本人曰く、「外国旅行の途中で、他人が持っていた写真を、その人の許可を得て、その場でスケッチしたものを、日本画に描いた・・・。」とは、虚しい言い訳である。ネット上では2作品を比べて、どれだけ似ているかが取り沙汰されている。似過ぎている。画像を左右反転させただけである。スケッチだけでは、こうも似ないだろうが、仮に言い訳が事実だとしても、その写真の持ち主の許可ではなく、その出所・著作権者の確認はしたのか?。他人のアイデアによる写真をまんまスケッチして、自己のオリジナルの絵が描けるのか?。・・・明らかに、芸術家としての認識の欠如も甚だしい。宮廻先生の絵は前々から、極めて写真的でもあり、また、自力だけでの取材ではなかろう事は予想していた。絶対、写真の素人では撮影できないであろう、船の上空からの光景等、著作権使用許諾の有無は知らないが、明らかに他者の写真を使用していると、私は感じていた。今回の事件で判明したのは、やはり、今までもそのような制作姿勢で、長年、絵を描いてきたのだろう。
その延長であろうか、院展における、宮廻先生の多数の弟子筋の絵は、またこの上なく、先生の絵の技法・内容に類似している。類は友を呼ぶのか・・・。その他にも、院展・日展・創画会等の団体内には、派閥ごとに類型的・類似的な作品が実に多い。これが現在の団体展の現状である。
もし、私の師である、後藤純男先生(日本美術院同人理事、東京藝術大学名誉教授、日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)が生きておられたら、さぞ、今の院展の現状を嘆き、憤慨した事だろう。後藤先生は、日本画を描く上での鉄則として、何よりも、写生旅行と、写生を重んじておられたから・・・。
かく言う私も、他者の写真集・図鑑等を、ごく部分的な参考資料に使う事はある。特に「絵本」の原画を描くようになってからは、多くの小物・衣装や建造物等の参考・時代考証には、資料画像は欠かせない。ただ、絵の中の主要ではない一部分だけに、しかも、必ず自分独自のアレンジをかなり加えるようにしている。また、絵全体のイメージやアイデアを、他者の作品から持ってくる事はあり得ない。必ず自身で現地取材に赴き、基本的には写生(スケッチ)し、時間がない時には自身で写真を撮る。海外写生旅行では、病気・怪我・トラブルが絶えず、過酷過ぎる取材旅になるケースも多い。まさに、命がけの一人旅なのである。人物を描く時には、高いモデル代を支払って描く場合もある。
どうして、このような多大な苦心を払って制作するのか、何故なら、その作品の創造性・個性・独自性というものは、現代美術作品には欠かす事ができない、最重要要素だからだ。その人の作品を、その人のオリジナルとなせる物、それは、その”創造性・想像力”に他ならない。それを忘れた、又は、その苦労を厭う作品など、「芸術作品」であるとは、決して言えない。また、そのような作品創作で満足する画家など、所詮は「芸術家」とは言えない。
私は強い自戒の念を込めて、今回のような日本画団体・日本画家には大きな怒りも感じるし、激しく残念でならない。こんなようでは、思ったよりも早くに、近い将来、明治以降に名付けられた、いわゆる「日本画」は必ず滅びるであろう・・・。
私個人は、日本画画材の面白さ・多様性・多彩性に大きな未来・可能性を感じるし、大和絵・唐絵から1000年以上も続く、日本画の歴史と伝統も素晴らしいものであると、心から信じている。私の悪い予感が当たる事のないように、画家は常に、自己の創造性・感性をたくましくして、誠心誠意、画道に勤しまなければならないのである。
絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁
テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術