2019-10-22
後藤 仁「中国(南京・揚州・西寧・敦煌・上海)写生・絵本研究旅行」 その5
9日目、9月18日(水)。中学生の頃にNHK 「シルクロード」を観て中国に憧れてより40年近く、大学3年の時に航空券が取れずに敦煌行きを逃してより約25年・・・、いよいよ私が一番訪れたかった処、甘粛省「敦煌」を巡ります。気が昂り、今日も朝5時前に目が覚めました(だいたい旅先では、いつも朝5時頃には目が覚めるのですが)。朝食前に敦煌の街を散歩。「党河」という大きな川の畔を歩きます。中国では北京に標準時を合わせているので、この地域だと2時間位は日の出が遅くなります。朝5時は真っ暗です。党河の橋を渡り対岸で東屋を見付けたので、そこで体操をしました。日の出時間の光景を見たかったのですが、30分位経っても暗いままなので、ホテルに戻りました。
このホテル「敦煌維景酒店」では宿泊代に朝食が付いていないので、7時20分にロビーに皆で集合し、近くの食堂で朝食を取りました。この地域は包子(パオズ/肉まん類)等の小麦粉を用いた小吃(シャオチー/軽食)が美味しいです。
8:00に車に乗りこみ、「西千仏洞」を目指します。道中では荒涼とした敦煌の砂漠地帯を通りますが、別の星に来たような不思議な光景です。巨大な電線鉄塔群が、まるで現代アートのようなシュールな景観をかもし出しています。
「西千仏洞」に到着。ここはまだ観光客が少ないです。石窟の鑑賞には必ずガイドが付きます。北魏・唐時代の素朴な壁画で、保存状態は良いとは言えませんが、十分に堪能できました。近くの党河に出てみると、とても気持ちよく、絵本編集者の唐 亜明さんが漢詩のような詩歌を川に向かってうなりますと、・・・皆、笑顔になりました。
ここから少し進むと、小さな土造りの小屋が見えてきました。中に入ると可愛いキツネが飼われていました・・・。ここでは現代版の新しい石窟を造営しているらしく、地下に伸びる迷路のような長い石窟内では、何名かの中国人の画家が、壁画を描いていました。係の人に壁画の説明を受けていると、ここの主催者の常 嘉煌さんが来られました。常さんは敦煌遺跡を研究・保存する「敦煌研究院」の初代院長のご子息という事で、私財を投じて、この大きな石窟を永年造営していると言います。このような立派なご活動をされている、奇特な方もいるものだと感心しました。今後、私も、画家として何かしら力になれる事でもあればと思いました。
昼食は、ブドウの生垣に囲まれた、雰囲気のいい敦煌料理の食堂でいただきました。ここの名物は、ロバの干し肉です。黒っぽいその身は、素朴な馬肉といった感じです。ナツメの実に餅を詰めて揚げた料理も美味しいです。


次に「陽関」に向かいます。遺跡はきれいに整備され、建物が復元されています。資料館には、シルクロードを開拓した前漢時代の外交使節・張騫(ちょうけん)の解説や様々な展示物があり、とても勉強になります。ロバの馬車に乗って、陽関の遺跡を見物。馬車に揺られながら、SM号スケッチブックに陽関の崩れかかった「烽火台(ほうかだい)」をクロッキー。昔のシルクロード跡である「陽関大道」を見物。広大無辺の大地を、鷹に追われたのか、一匹の野ウサギが猛烈に走り去りました。
車で移動して、次に「玉門関」へ。古代中国風の衣装を着た、解説係の女性の話を聞きながら資料館を見学。専用のバスに乗り、遺跡巡り。河倉城や漢時代の万里の長城跡を見物。玉門関の城門跡と河倉城を、SM号スケッチブックに軽くクロッキー。時間が無い・・・。この辺りは、もう少しじっくり描きたかったのですが、今回は集団移動ゆえ、仕方がありません。またいつか、ここに一人旅で来れる事を祈ります・・・。
専用バスを降り、最後に城門跡を歩く。ここからは遥か西域や北方が望めます。古、この先はもう異国の地です。北方民族が、この万里の長城や川や湿地帯を越えて攻めてくる妄想を、私は頭で描いていました・・・。夕刻になり雰囲気が増します。北京の絵本出版社の女性が、スマホで古琴(こきん/または、琴〈きん〉と言い、中国固有の楽器で、日本の箏〈こと〉とは異なる)の音色を奏でます。旅の少しの気だるさも相まって、じんわりと郷愁が沸き上がります。






夕刻、ラクダの隊商が・・・!!日本画家・平山郁夫先生さながらの光景ですが、実は、これは作り物のラクダの彫像群なのです。
車で数時間、敦煌の街に戻ります。道中、夕日が大地に沈み行きます。車を停めて、皆で眺めました。心に印象深く刻まれました・・・。
夕食は敦煌市内の食堂でいただいたと思いますが、記憶はあいまいです。夕食後に、昨日訪れた乾物屋「水果特産超市」で、唐さん達とお買い物。干しアンズ、菊花茶を追加購入(計88元/現在、1元は約15円)。日本に帰ってから、乾物類をちょびちょびいただきましたが、元々私の好物でもある干しアンズが特に美味しかったです。日本で買うものより質が断然良く、値段は半分~三分の一以下です。敦煌の地は、私の大好きな果物乾物の宝庫でもあるのです。嬉しい~。もし人に前世があるとしたら、多分、私は、チベットから甘粛省・四川省辺りの少数民族だったのではないかとさえ思えます・・・。その風景にも文化にも食べ物にも、異様に郷愁を感じます。ただ高山病になるので、標高はさほど高くない土地だったのではないでしょうかね~~。
明日はいよいよ「敦煌莫高窟」を訪れます。敦煌辺りの内容は、まさに日本画家である私の専門分野でもあり、記述内容も増えてきましたので、続きは次回といたしましょう・・・・。
絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁