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2016-10-23

スリランカ写生旅行 その8

 「スリランカ写生旅行」14日目、2016年6月19日(日)。今日はポーヤ・デー(満月の祝日)、特に6月はポソン月のポーヤ・デーと言って仏教伝来を記念した重要な祝日なのです。朝食はパンとバナナで済ませて、さっさと宿を出ます。7時過ぎに「ポロンナルワ博物館」に着くと、開館まで周囲の公園を歩きます。博物館で遺跡入場券(3550Rs)を買って外へ出ると、おつりが500Rs多いような気がします。戻って係員の男性に告げると、「何を言っているんだ、俺は間違っていないさ・・・。見てろよ。」といった様子で面倒くさそうに電卓を取り出すと計算し始めました。すると、やはり500Rs多かったのです。係員は少々ばつが悪そうに、お金を受け取りました。スリランカの人はどうなのか分かりませんが、多くのアジア圏では、多過ぎるおつりを返金するようなバカ正直者は少ないでしょうから、係員は日本人の正直さを少しは好意的に受け止めてくれたかも知れません。
 この日は人が少ない早朝に、ポロンナルワ遺跡群の一番北端に位置する「ティワンカ・ピリマゲ寺院(北院)」の壁画を見る予定です。途中、「シヴァ・デーワ―ラヤNo.2」(ヒンズー教寺院)や「パバル・ヴィハーラ」という小さなダーガバ(仏塔)に寄りながら、「ティワンカ・ピリマゲ寺院(北院)」に到着。結構大きな寺院建造物の内部に入ると、素晴らしい仏教壁画に覆われていました。壁画は13世紀のもので、インドの仏像表現に多く見られるトリバンガ(三屈法・三曲法)という身体を3つに折り曲げる表現が使用されています。明らかにインドのアジャンター壁画等の影響が見られますが、インド壁画の濃密でシリアスな描き方に対して、かなり素朴な味わいのある雰囲気に変化しています。内部は撮影禁止と書いてあるので、SM号のスケッチブックに天人デワターを写生しました。大きなミツバチが近寄って来たり、トクモンキー(サル)が荷物を盗みに来るのが少し気にはなりましたが、レベルの高い壁画の模写に集中しました。15分程描いていると、監視員の男性が近寄って来て絵をのぞき込み「いいね~」というジェスチャーをして、去って行きました。スケッチ後もしばらく壁画をよく観察し、納得いったところで遺跡を離れました。朝から素晴らしい壁画に出会えて気分が良いです。
 次に、「ハスの池」という蓮の花の形をした僧の沐浴場跡を見物。中国西安・華清池で昔見た楊貴妃の沐浴場に少し似ています。池の脇で地元の絵描きが絵を描いて売っていました。H.A.PRIYANTHAさんという絵描きらしく、私のスケッチブックを見せてやって「私も日本の絵描きです。」と言うと、チョウチョウを描いた小さな絵をプレゼントしてくれました。「本当にいいのですか。」と問うと、「いいのさ。」という仕草です。”絵”には、国境を越えて共感できるという大きな魅力があります。しかし、人のあまり来ない遺跡のはずれで観光客に絵を販売しても、そう簡単には売れないでしょうから、日本も海外でも絵描きは大変ですね・・・。
 遺跡中心部に戻る途中で「デマラ・マハー・サーヤ」という崩れかけた遺跡を拝見し、その上の小山に登って見ると、ポロンナルワの遺跡群がよく見渡せました。次に目指すは「クワドラングル」と並ぶポロンナルワの見どころ「ガル・ヴィハーラ」です。

 時刻も10時過ぎとなりポーヤ・デーという事もあり、「ガル・ヴィハーラ」辺りはかなりの人出です。多くの露店も出て大きな祭りの様相です。外国人ツアー観光客はこの日を避けているのか逆に全くいないのですが、スリランカ人の参拝客・観光客が目白押しです。真っ白のおそろいの服は、参拝用の正装でしょう。重要な遺跡群の入口では警察にチケットを確認されますが、スリランカ人は無料のようです。中国等のアジア各国の多くで廃止される傾向にある外国人価格という習慣が、ここスリランカでは残っていました。
 私も一通り参拝を済ませると、巨岩に登り、「ガル・ヴィハーラ」の巨大な仏像2体をF4号にスケッチしました。涅槃仏は全長14mもあります。その横の7mの立像は、ブッダともアーナンダとも言われているそうです。1時間余り描いていると、人が10数人集まって来て、私の周りを取り巻いてワイワイ言っています。描き終えると、最後まで見ていた熱心な親子に、「どう、あなたも描いてみましょうか。」と声をかけます。現地の人に突然「描かせて下さい。」と言っても大抵は警戒されるか、恥ずかしがって断られるだけです。良いタイミングを見計らって声をかけるというのが、私が旅で身に付けた人を描くテクニックです。
 数人の親は先を争って我が子を描いて欲しいと申し出ました。ここでは3人の可愛らしい女の子をそれぞれSM号に10分ずつ描きました。子供は長時間のポーズに飽きてしまいますから、素早く特徴をとらえます。描き終えると、お礼にあめ玉を一つ二つあげます。インド、インドネシア、カンボジア等のかなり経済的に貧しい地域では、よくチップ(現金)を要求されますが、現在のスリランカは順調に経済発展も進んでいるようで、私が回った範囲では著しく貧困な子供達には出会いませんでしたので、この旅行中にスケッチ代を求められる事はなかったです。10数年前のインド旅行までは、子供達の生活の足しになればと、スケッチしたら少額の現金を渡していたのですが、インドで現地の大人に「子供に現金を渡したら、タバコを買ったりと悪い事に使うので、できたら親や老人に渡して欲しい。」と言われた経験があり、土地土地の事情も考えて行動しないといけないのだと思うようになりました。
 遺跡内では靴を脱いでいるので、巨岩を降りる時に思いっきり岩の出っ張りを踏んでしまい、少しかかとを痛めてしまいました。その後、4~5日間程痛みがありましたので、はだしは注意しないといけませんね。
 次に、「キリ・ヴィハーラ」という大きくて真っ白なダーガバ(仏塔)、巨大な仏像がそびえ立つ「ランカティラカ」を見て、午後2時頃、取材を終えました。
 昼食は昨日と同じ「Dineth レストラン」で、カレーとジュース2本(計350Rs)を食べました。

スリランカ旅行ポロンナルワ 「ティワンカ・ピリマゲ寺院(北院)」

スリランカ旅行ポロンナルワ 「ガル・ヴィハーラ」

 シャワーを浴びて休憩して、夕食はパンと露店で買った大きなドドル(ココナッツミルク、米粉、黒蜜で作った、スリランカのスパイス入り ういろう)を食べました。ドドルはとても甘くてねっとりとしています。
 食料に虫(アリや黒虫)が付かないように、常々部屋の中では、ビニール袋に入れてつるしているのですが、パンを食べた後の袋をよく見てみると、小さな穴が2つあいていました。どうやら黒虫がかじった跡のようです。あの虫は空中につるしている食べ物でも感知するのです。これは防ぎようがないな・・・と思いつつも、ビニール袋を二重にして、なるべく早めに食べ終えるか、リュックサックの中にしまい込む位しか方法はありません。この日の夜も2匹程の中型黒虫と奮戦しました。この宿は安くてオーナーも比較的親切で良いのですが、この黒虫だけは辟易します。お願いですオーナー、大規模な害虫駆除をして下さい。ただ、害虫だと決めつけているのも、人間のエゴなのですが・・・。

 今日は、美しい天人像やスリランカの女の子もスケッチできて美人画家として満足しましたので、明日に備えて早めに眠りにつきました。明日は予期せず「ポロンナルワのペラヘラ祭」に遭遇する事になります。その模様は、また次回といたしましょう。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁
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テーマ : 旅と絵
ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-10-20

巨星堕つ。後藤純男先生の訃報

 巨星堕つ・・・後藤純男先生の訃報が入りました。

 私の日本画の師である後藤純男先生は、近年、旭日小綬章をご受章されたり日本芸術院賞・恩賜賞をご受賞されたり、東京藝術大学名誉教授ご就任、流山市名誉市民第一号選定など、数々の栄誉を立て続けに受けられる反面、私は常々、もう最期が近いのではないかという予感がしておりました・・・。
 私は東京藝術大学の卒業生の中では最も先生にお世話になった者の一人であり、現在、私は人物画を得意としてはいますが、制作への姿勢や絵画の本質的な部分では、最も後藤純男先生の後藤イズムというものを継承している者ではないかと自負しています。
 
 先生が体調を崩されて北海道のアトリエに引きこもられてから、ここ10年近くは全く交流を持てずに、そのままになってしまったのは誠に残念ですが、先生がお元気だった頃にアトリエに呼ばれたり、取材旅行に同伴したリ、作品をご講評していただいたりした経験を糧に、今後もますます制作に励んでいきたいと思っております。
 近年、日本画や絵本界を牽引して来られた大御所の方々が次々にお亡くなりになり、私達、中堅所がさらに文化を継承・発展させていかなければならないのだという使命感が強くなっています。

 先生は生前、「自分は120歳まで生きて、絵を描きたいのです。」とよくおっしゃられていましたが、86年の生涯で、精一杯、制作に情熱を燃やし尽くされた事と思います。先生との楽しい一時を思い出すと目頭が熱くなりますが、絵描きとして実に幸せな人生だったのではないかと確信しています。

 先生・・・心からご冥福をお祈り申し上げます。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


後藤純男先生と私「後藤純男先生 退官記念展」(1996年10月7日、東京藝術大学資料館) 後藤純男先生と私


北海道新聞: 後藤純男さん死去 日本画家 上富良野に美術館 86歳
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0328383.html

朝日新聞: 日本画家の後藤純男さん死去 日本美術院同人
http://www.asahi.com/articles/ASJBL5VPJJBLUCLV012.html?ref=rss

毎日新聞: 訃報 後藤純男さん86歳=日本画家、東京芸大名誉教授
http://mainichi.jp/articles/20161019/k00/00m/060/043000c

日本経済新聞: 後藤純男氏が死去 日本画家
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG19H0J_Z11C16A0CC0000/

産経新聞: 日本画家の後藤純男氏死去 86歳 
http://www.sankei.com/life/news/161018/lif1610180028-n1.html

時事通信社: 後藤純男氏死去=日本画家、東京芸術大名誉教授
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016101800749&g=soc

テーマ : お知らせ
ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-10-10

スリランカ写生旅行 その7

 「スリランカ写生旅行」12日目、2016年6月17日(金)。スリランカの旅も半ばを過ぎました。早朝、パンとマンゴーを食べると、少々のチップを宿に残し、30分ほど歩いてバス停へ向かい6時30分発のバスに乗り込みました。ポロンナルワには8時30分頃到着(バス代 90Rs)。ガイドブック「地球の歩き方」を参考に、ここでの宿は「サムドラ・ゲストハウス」(一泊素泊まり1000Rs、4泊したので計4000Rs。ホットシャワー・トイレ・ファン付エアコンなし)にしました。この宿はレストランも併設しているので、昼食は宿に頼みました。食堂は小さな中庭に面しており、ゆったりと休める雰囲気です。チキンフライライス(400Rs)を食べました。
 今日はポロンナルワのメイン通りをぶらつこうと思います。メイン通りと言っても、小さな商店や露店が100mほど並んでいるだけの小さな町です。少し大きなスーパーがあったので、自分用の土産を探しました。ゾウの模様のサロン(腰巻き)が面白いので500Rsで購入。日本でサロンをはいて出歩くのは少し勇気がいりそうですが、家の中では使えるでしょう。
 ここで両替の為に銀行に入ろうとすると、入口を警護した警察が「目的は何だ」と言いますので、「マネー・イクスチェンジだ」と言うと中に入れました。銀行内ではライフル銃のような大きな鉄砲を持った警察2人が、ずっと私に目を光らせています。私は入口付近のカウンターで両替をしろと言われて手続きをしていたのですが(奥にある通常のカウンターには入れたくないようです)、その間中、2m先の正面に銃を持った警察が立っていて私を警戒していました。もし私が冗談でも変な行動をとったら、この銃で心臓を射貫かれるのかと想像したらゾッとしました。スリランカの治安は比較的良いように感じるのですが、よほど外国人を不安視しているのか、その警戒ぶりは日本人の私からすると異常に思えるほどでした。この先もおいおい後述しますが、何度も警察・警備員の警告を受ける事になるのですが、日本に帰る時まで、その意図は理解できませんでした・・・。
 そんな事がありながらも、のんびりとした町の様子を楽しみながら、宿に戻りました。夕食は宿に「カレー」と「カード(水牛ヨーグルト)」を頼みました(550Rs)。予約した時間より1時間以上遅れて用意ができましたが、なかなか立派で美味しい料理でした。ただ、時間が遅れると後の取材に支障が出る場合があるので、次からは外のレストランで食べる事にしました。明日は朝から本格的にポロンナルワの遺跡を取材せねばならず、今から気合が入っているのです。
 夜になり部屋で休んでいると、あの私の嫌いな黒く光る虫が出ました。「初日から出て来たな~」と嫌な予感がしましたが、この後もこの宿での黒虫との格闘が続く事になるのでした・・・。

スリランカ旅行「サムドラ・ゲストハウス」 カレー、カード(水牛ヨーグルト)(計550Rs) スリランカ・カレーは美味しくて、中庭の緑が心地良いです。

 「スリランカ写生旅行」13日目、2016年6月18日(土)。(ちなみに、6月18日は私の48歳の誕生日ですが、スリランカで誕生日を迎えるとは不思議な感じです。)今日から3日間、ポロンナルワの世界遺産巡りです。宿の一日200Rsのレンタルサイクル(貸自転車)を3日間借りました。
 宿で朝食のパンとバナナを食べていると、日本で見た事もないような巨大で肥えた黒虫(日本にはいない種類)が出現し、追いかけましたが逃げられました。7時前に宿を出発して、公園を散策し野良ウシを見ながら「ポロンナルワ博物館」のチケット売場が開くのを待ちます。もっと早朝から取材したいのですが、チケット売場が7時30分からしか開かないので仕方ありません。チケット(遺跡入場券)は一日3550Rsでしたが、その時のレートで多少変動します(25米ドルは固定価格)。
 まずは「宮殿跡」を拝見。石造りの巨大な宮殿の残骸が立っています。ここを縄張りとする犬がしきりに吠えて来るのは厄介でした。次に最も中心的な遺跡群「クワドラングル」に向かいます。ここには、「ワタダーゲ」「ハタダーゲ」「アタダーゲ」「トゥーパーラーマ」等の11もの重要な建造物が集まっています。中でも「ワタダーゲ」が最も魅力的な形態をしているので、ここに標的を定めるとF4号のスケッチブックに写生しました。この日も極めて暑い日でしたが、曲線の美しさをとらえるのに時間を要しながら2時間30分位描きました。今回の旅では一番時間がかかりました。スケッチをしているとスリランカの人々が集まって来て、絵を見ながらワイワイと言い合っています。私はこんな状態にも慣れており、どんなに人が集まって来ても平気です。次に、「ワタダーゲ」のムーンストーン(寺院入口の半円形の石板、ポロンナルワではゾウ・ウマ・トリの3種類の動物が彫られている)を、SM号に30分位スケッチしました。
 スリランカにおいては、寺院(寺院遺跡)内では帽子をとり靴を脱がないといけません(タイ王国等の東南アジア圏の上座部仏教寺院ではよくある規則です)。ブッダを崇める敬虔な心から発せられた大切な決まり事なのですが、熱中症対策の決め手である帽子が全く役に立たないのは絵描きにはきつい所です。寺院付近では帽子を被れないので、酷暑の中、自転車の移動時以外、ほぼ一日中帽子を脱いだままです。
 「ハタダーゲ(仏歯寺跡)」の内部で写真を撮っていると、派手な衣装をしたチャラチャラした若者がしきりに私に何か言いながら絡んで来ます。ややこしい若者だなと思っていたのですが、後で思い返すとどうやら「ハタダーゲ」は遺跡とはいえスリランカ人が最も崇める仏歯寺の跡地なので、内部は撮影禁止のようなのです。どこにもそんな注意書きは見当たらなかったので気付かなかったのですが、現地人には当然の事なのでしょう。あのチャラい若者も実は敬虔な仏教徒なのでしょうね。
 「クワドラングル」内を計5時間位観察した後、「シヴァ・デーワ―ラヤNo.1(ヒンズー教寺院)」「集会場・閣議場」「沐浴場」を巡ります。「沐浴場」の向こうの小川では、現代のスリランカ人が本当に水浴びしているのが面白いです。今でもアジア圏では、川でお風呂を済ませる人も多いのです。「沐浴場」でコブラの見世物をしている大道芸人がいるので写真を撮ったらチップを要求されましたが、これも彼らの立派な仕事なので快く渡しましょう。その後、「ポロンナルワ博物館」を見学し、博物館裏の「Island Park」の遺跡を回りました。

スリランカ旅行ポロンナルワ クワドラングル「ワタダーゲ」

スリランカ旅行「ワタダーゲ」のムーンストーン

 午後3時頃になり、かなり疲労し、お腹もすいて来ましたので、この辺りで今日の取材は終わりにしました。メイン通りの大衆食堂「Dineth レストラン」でカレー、ジュース、ヨーグルト(330Rs)を食べました。ここのカレーは安いですが、なかなか美味しいです。パン類も売っているので購入し、宿で一休み。夕食はさっきの食堂で買った、エラワル・ロティ(カレー風味の野菜をクレープ状のゴーダンバ・ロティで包んだ軽食)とパンとバナナで済ませました。明日はポーヤ・デーという満月を祝うスリランカの祝日なので人出も多そうです。この日の夜も中型の黒虫数匹と格闘し、暑さにうなされながらも早めに眠りにつきました。

スリランカ旅行「Dineth レストラン」 カレー、ジュース、ヨーグルト(330Rs) 安いですがとても美味しい大衆食堂です。

 この後、2日間はポロンナルワ遺跡探訪の続きですが、その様子は次回といたしましょう・・・。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁
 
 

テーマ : 旅と絵
ジャンル : 学問・文化・芸術

後藤 仁 プロフィール

後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)

Author:後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)
~後藤 仁 公式ブログ1~
絵師〈日本画家・絵本画家、天井画・金唐革紙制作〉後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

【後藤 仁 略歴】
 師系は、山本丘人(文化勲章受章者)、小茂田青樹(武蔵野美術大学教授)、田中青坪(東京藝術大学名誉教授)、後藤純男(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)。
 アジアや日本各地に取材した「アジアの美人画/日本の美人画」を中心画題として、人物画、風景画、花鳥画などを日本画で描く。また、日本画の技術を応用して、手製高級壁紙の金唐革紙(きんからかわし/国選定保存技術)や、大垣祭り(ユネスコ無形文化遺産)の天井画、絵本の原画などの制作を行う。
 国立大学法人 東京藝術大学 デザイン科 非常勤(ゲスト)講師(2017~21年度)。学校法人桑沢学園 東京造形大学 絵本講師(2017~18年度)。日本美術家連盟 会員(推薦者:中島千波先生)、日本中国文化交流協会 会員、絵本学会 会員。
    *
 1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校 美術科で日本画を始める。東京藝術大学 絵画科日本画専攻 卒業、後藤純男先生(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。
 卒業以降は日本画家として活動し、日本・中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画/日本の美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は「絵本」の原画制作に力を入れる。
 2023年、大垣祭り(ユネスコ無形文化遺産)天井画『黒龍と四つ姫の図』を制作奉納する。

○絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、『わかがえりのみず』(鈴木出版)、『金色の鹿』(子供教育出版)、『青蛙緑馬』(浙江少年児童出版社/中国)。挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。
 『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。また、宮崎 駿 氏の絵物語「シュナの旅」の原話になった事でも知られている。
○NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞・専門誌・インターネットサイト等への出演・掲載も多い。

★現在、日本国内向けと、中国向けの「絵本」を制作中です~❣

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絵本ナビ「犬になった王子  チベットの民話」絵本ナビ「犬になった王子 チベットの民話」
絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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