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2016-09-30

絵本『犬になった王子 チベットの民話』The White Ravens 国際推薦児童図書2014 選定

 私の作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』(君島久子 文、後藤 仁 絵/岩波書店)が、Internationale Jugendbibliothek München/International Youth Library Munich ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ) 「The White Ravens 2014/国際推薦児童図書目録2014」に選定されました。 

絵本『犬になった王子(チベットの民話)』表紙 小絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)


The White Ravens 2014The White Ravens 2014 Catalogue ザ・ホワイト・レイブンス2014 カタログ

The White Ravens 2014The White Ravens 2014 logo ザ・ホワイト・レイブンス2014 ロゴ



●ミュンヘン国際児童図書館「国際推薦児童図書目録2014」 ─ 犬になった王子 チベットの民話
http://www.ijb.de/spezialbibliothek/white-ravens-2014/single/article/japanese-japan-11/163.html?noMobile=%2Fproc%2Fself%2Fenviron&cHash=98a8a98b5a015c6dc1188647b2d9a2f1


ミュンヘン国際児童図書館「国際推薦児童図書目録2014」 全ページ
http://www.ijb.de/spezialbibliothek/white-ravens-2014.html

ミュンヘン国際児童図書館「The White Ravens – It’s time for a change !」
https://ijbib.wordpress.com/2014/04/03/new-white-ravens/

ミュンヘン国際児童図書館「Meet the IYL at the Bologna Children’s Book Fair 2015 !」
https://ijbib.wordpress.com/2015/03/10/iyl-white-ravens-2015/
 国際的な児童書見本市・ボローニャブックフェア Bologna Children’s Book Fair 2015 に、私の作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)も展示されました。(記事は2015年のものですが、画像は2014年のものが使われています。)

ミュンヘン国際児童図書館 公式ホームページ Internationale Jugendbibliothek München/International Youth Library Munich
http://www.ijb.de/home.html


○その他、「The White Ravens 2014」に関する記事を、インターネットからピックアップして3つ掲載しておきます。

The White Ravens Catalogue 2014
http://modersmal.skolverket.se/albanska/index.php/materiale-mesimore/393-the-white-ravens-catalogue-2014
White Ravens 2014
http://revistababar.com/wp/white-ravens-2014/
国立国会図書館 東京子ども図書館「ミュンヘン国際児童図書館第3回ホワイト・レイブンス・フェスティバル参加報告」
http://www.kodomo.go.jp/info/child/2014/2014-065.html


 誰も私に言ってくれないので気付かなかったのですが、いつの間にか私の作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)が、このような国際的な推薦児童図書に選ばれていました。
 「The White Ravens ザ・ホワイト・レイブンス(白いカラス/白いワタリガラス) 」には、「めったに見られないような優れた作品」の意が込められているそうです。
 世界初にして世界最大の児童図書館として有名なミュンヘン国際児童図書館において、毎年、世界中の数千冊の児童書から、20人の専門家によって、革新的で芸術性・文学性が極めて高い作品である事を基準に、50か国以上、30以上の言語の200タイトルが厳選されるそうです。
 2014年度は私の作画絵本の他、黒井 健さんの作画による『ハナミズキのみち』(金の星社)や俵 万智さんの短歌・文による『富士山うたごよみ』(福音館書店)等、2015年度は上橋菜穂子さんの『鹿の王』(角川書店)等が選ばれています(2014年度の日本の児童書は8冊のみ選定)。
 2014年「ザ・ホワイト・レイブンス」掲載作品は、10月のドイツのフランクフルト・ブックフェア(世界最大の書籍の見本市)にて発表され、選出された全200作品は、2015年4月のイタリアのボローニャ・ブックフェア(世界的な児童書専門の見本市)で展示されたという事です。
 絵本・児童書の本場であるヨーロッパの推薦児童図書に、拙作が選ばれたという事は誠に光栄でうれしい事です。日本ではいまだに、質の高いとは言えない崩しマンガ的な絵本が全盛ですが、ヨーロッパでは本格的な芸術性・絵画性を持った絵本でないと全く評価されないと言います。今後も芸術性・絵画性の高い「本物の絵本」を目指して、切磋琢磨していきたいと考えています。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁




犬になった王子――チベットの民話犬になった王子――チベットの民話
(2013/11/16)
君島 久子

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2016-09-22

スリランカ写生旅行 その6

 「スリランカ写生旅行」の10日目、2016年6月15日(水)。朝起きて朝食のパンを軽く食べると、少々のチップを置いて、宿を出ました。この小さなホテル「フラワー・イン」のおかみさんは親切で、部屋も素敵で、良い宿でした。
 遠くに見える朝焼けのシーギリヤ・ロックに別れを告げていると、野犬が足にからみついて来ます。シーギリヤ村へ向かう途中でバスがやって来ました。7時20分頃乗り込み、8時10分頃、ダンブッラに到着しました(バス代 40Rs)。
 ダンブッラのバスターミナルから歩いて行くと、巨大な野菜マーケットがあります。朝の市場は活気付いています。なじみの野菜や珍しい南国の果物等がトラックに積まれて行きます。更に500m程進むと、今日の宿「ヒーリー・ツーリスト・イン」に着きました。1泊2000Rsでしたが、2泊すると3600Rsにまけてくれました。部屋はホットシャワー・トイレ・ファン付で申し分ないです。
 宿で一息つくと、歩いて800m程の所にあるダンブッラ石窟寺院に向かいます。日本ではまだほとんど知られていませんが、ここには素晴らしい壁画があるというので、楽しみにしていました。寺院の入口に超巨大な金色の大仏(ゴールデン・ブッダ)が鎮座しています。最新のガイドブック「地球の歩き方」では遺跡入場料1500Rsと書いてありましたが、現在は無料になっていましたので、そのまま石窟寺院まで階段を登ります。階段の途中に、たくさんのトクモンキー(頭がカッパのようなサル)の親子が群れていました。
 ユネスコの世界文化遺産にも登録されている石窟寺院は、私の想像以上に大規模で素晴らしい壁画群に覆われていました。第1窟から第5窟まであり、時代と規模がそれぞれ異なっているので、窟ごとに少しずつ違った雰囲気を味わえます。内部には多数の仏像が安置され、壁面にはびっしりと仏画が描かれています。ジャータカ物語(釈迦前世譚)やスリランカの歴史譚が主なテーマのようです。私が今まで見たアジアの壁画の中では、2004年のインド取材旅行でアジャンター石窟寺院に訪れましたが、その完璧なる美の極致「蓮華手菩薩像」等の崇高な壁画群に次ぐ規模と品質です。(私は残念ながら、いまだに中国の敦煌莫高窟を見れていません。近い将来必ず訪れようと考えています。)インドの壁画の影響を濃厚に受けているようで、かなりの類似点が認められますが、スリランカの仏像表現はずっと素朴で柔和な表情をしています。
 あまりに素晴らしい壁画群に目を奪われて、息も継がずに何時間も見とれていました。この日はとりあえず、目でよく観察して写真だけ撮って、明日本格的にスケッチする事にしました。
 
 遅めの昼食は、「SUNRAY INN RESTAURANT」のカレービュッフェ(600Rs)とトニックジュース(100Rs)を取りました。スリランカカレーはとても美味しいので、何度もおかわりしました。
 シャワーを浴びて、夕食は軽く、野菜マーケットの近くの出店で買ったグァバとパンをいただきました。食べる前に、グァバとマンゴーをSM号スケッチブックに軽くスケッチ。宿の廊下が賑やかなので部屋を出てみると、宿の子供が親と遊んでいました。シビル・ウェッタシンハさんの絵本を何冊か見せてやると喜んでいます。そこで、その5歳位の男の子、ONEL君をモデルにSM号に一枚描きました。
 夜、腕を見ると両ひじの内側10㎝四方 位に、気持ち悪い発疹ができていました。多分、石窟寺院内のコウモリの糞尿か何かのウイルス辺りが原因ではないかと思うのですが、ごく小さい多数のブツブツができて、そのブツブツのてっぺんが全て黒色になっています。日本でこんな発疹が出た事は一度もないのです。海外旅行では謎の病変が出る事がしばしばあるのですが、この症状は初めてです。多少痛かゆいのですが、それ以外は何ともないので、オロナイン軟膏を付けて様子を見ました。その後もなかなか治らず、日本に帰ってからもしばらく跡が残っていました(全治、約3週間)。

スリランカ旅行ダンブッラ石窟寺院 第2窟「マハー・ラージャ・ヴィハーラ」

スリランカ旅行「SUNRAY INN RESTAURANT」 カレービュッフェ(600Rs)、トニックジュース(100Rs)。 ビュッフェスタイルなのでカレーのおかわり自由です。美味しいので、何度もおかわりしました。

 旅行11日目、2016年6月16日(木)。早朝、パンとマンゴーを食べると、6時前にダンブッラ石窟寺院に向かいました。6時には寺院は開いていました。早朝は観光客もいませんので、壁画を改めて丹念に観察します。まずは、ダンブッラ石窟寺院 第3窟「マハー・アルト・ヴィハーラ」の9mの寝仏を、F4号に1時間30分余り写生しました。次に、第2窟「マハー・ラージャ・ヴィハーラ」で、仏塔・仏像・壁画群をF4号に2時間程描きました。最後に、第1窟「デーワ・ラージャ・ヴィハーラ」で14mの巨大寝仏を、SM号に1時間程描きました。スリランカのブッダの足の裏は真っ赤に塗られていて独特です。
 石窟寺院を出ると、入口のゴールデン・ブッダ(黄金大仏)に併設された大仏博物館(200Rs)を見学。結構な疲労を感じて、午後1時頃には宿に戻り、宿の近くの「SUNRAY HOTEL&EXECUTIVES PUB」で昼食を取りました。チキンフライライス(400Rs)、カード(水牛ヨーグルト)(200Rs)、クリームソーダ(100Rs)にサービス料を足して計770Rsです。カードとハニー(Treacle トリックルというヤシ蜜)がなかったようで、わざわざ外まで調達に行ってくれたようです。この辺り、スリランカ人は商売熱心でもあり、親切でもあります。
 素晴らしい壁画を拝見しスケッチでき大満足の私は、夕食のパンを頬張ると、明日の移動に備えて早めに眠りにつきました。

スリランカ旅行ダンブッラ石窟寺院 第1窟「デーワ・ラージャ・ヴィハーラ」 14mの巨大寝仏

 明日は、ポロンナルワに移動します。当初はダンブッラからアヌラーダプラに向かい、その後、ポロンナルワに行く計画を立てていました。しかし、ダンブッラでガイドブックを丁寧に見直していると、最初にポロンナルワを回ってからアヌラーダプラに行った方が、ポロンナルワでの駅までの遠さやコロンボまでの電車本数・移動時間を考えると断然便利な事が判明したのです。この突然の計画変更は、後日、ポロンナルワでの「ペラヘラ祭」との遭遇という奇跡を演出する事となり、私の旅先での強運を示す事になりました。一人での自由旅行には、このように自由にルート・日程変更ができるという利点もあります。
 この続きはまた次回といたしましょう・・・。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

テーマ : 旅と絵
ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-09-14

日本画家 後藤純男先生との思い出

 今年、私の師である後藤純男先生が、「第72回 日本芸術院賞・恩賜賞」をご受賞され、授賞式は天皇・皇后の行幸啓を仰ぎ、2016年6月に挙行されました。
 また、2016年の4月からは東京藝術大学名誉教授にご就任され、9月には流山市名誉市民の第一号に選ばれたという事です。誠におめでとうございます。心より御礼申し上げます。

 後藤純男先生は、日本画団体・日本美術院(院展)の同人理事であり、東京藝術大学(日本画専攻)教授と中国の西安美術学院(大学)名誉教授を歴任され、2006年には日本国勲章「旭日小綬章」をご受章された、日本画界の重鎮です。一般の方には、ネスカフェゴールドブレンド「違いが分かる男」のコマーシャルに出演された事でも知られています。

・・・・私は、1990年の東京藝術大学 受験面接で、平山郁夫先生、加山又造先生、福井爽人先生らとともに後藤純男先生に初めてお目にかかり、1994年、東京藝術大学3年生の時に、後藤純男先生のご担当で日本画を教わったのが、先生との最初の出会いです。
 ここからしばらく、私の絵画勉強期間を振り返ります。私は大阪市立工芸高等学校 美術科日本画を始めましたが、周りの意識・技量は決して高いとは言えず、もっとハイレベルで創作に良い環境を求めていました。・・・高校1年生の時は、美術の実技はクラス中で群を抜いた高評価だったのですが、数学・英語を絵に必要ないと考えて全くやらなかったので、留年させられてしまいました。その後3年間は、一念発起して学業にも力を入れ、学科も平均点95点位となり傑出して一番を維持し、実技(日本画・油絵・彫塑・素描・製図等)も全教科一番、おまけに体育も一番でした。当時、私は工芸高校始まって以来の天才とか、宇宙人とか、変人とか、陰で言われていました。私は、ほどほどという事を知らない人間なので、これでは周囲に嫉妬されるのも当然ですね・・・。
 高校卒業後、単身上京し、新聞配達の奨学生をしながら美術予備校・立川美術学院 日本画科で学びました。そこで当時講師をしていたのが、今は現代アートの第一人者となった村上 隆さん(東京藝術大学 博士後期課程満期退学)と、日本画家の菅原健彦さん(多摩美術大学 卒業。現在、京都造形芸術大学 教授)達でした。日本画に対する考え方はこのご両人と私は大きく異なりましたが(お二人は前衛的・現代美術的な考えで、私は伝統・描写力・情感を重んじる考え)、お二人の”絵”に対する情熱やパワーは相当高いものがあり、私は今でも大きな影響を受けています。こんな人達がゴロゴロいる美術大学の最高学府・東京藝術大学とはいかなる所なのか・・・と期待は高まりました。ただ、予備校の1浪時は新聞配達・集金をしながらの予備校通いで時間がうまく調整できず、2浪時も試験に受かる事だけを考えた予備校教育に当時は反感を覚え、実質、授業の半分位しか行っていなかったと思います。それでも、最初こそ関西風の描き方を東京風の描法に変革するのに手間取りましたが、2浪の後半はグイグイと実力が伸びて、特に石膏デッサンでは私の右に出る者はいなくなっていました。
 しかし、せっかく2浪して20倍以上の狭き門を突破して入学した、東京藝術大学 日本画専攻は、私が想像していた所とは少し違っていました。私の空想では、26名全員が朝から晩まで絵に向かい、良きライバルとして切磋琢磨している姿でした。だが実際は、私以外のほとんどの人は欠席するは・遅刻するは・早退するは、部屋のあちこちで無駄なおしゃべりをしているは、絵について熱く語り描く風潮は微塵もありませんでした。常日頃、「どの先生に付いたら出世できるだろうか、誰の絵に似せて描いたら先生に評価されるだろうか・・・」といった話題ばかりが目立ちました。大学2年生になり、このような雰囲気に辟易としていた頃、「後藤はこのまま行けば出世しそうだ・・・」という噂が流れ始めました。こうなると案の定、日本画名物・足の引っ張り合いが私に集中しました。高校の時にも、あまりに成績が良過ぎた私を妬んだクラスメイトほぼ全員から、2年間近く完全無視されるという苦痛を経験している私は、今回は東京藝術大学 日本画専攻の雰囲気に完全に幻滅し、大学を離れようと決心しました。その後2年間余り、自主研究として、時々は日本画・水彩画・アクリル画を描いてみたり、詩を書いてみたり、カメラにこってみたり、旅をしたりしていました。この2年間余りが、現在までで私が最も日本画(絵)を描いていなかった期間です。この時は、日本画界が心底、嫌になっていたのです。
 ところがカッコいい事を言ってみても、所詮は親の仕送りで生活している青二才です(アルバイトは常々していましたが)。親からの心配・非難の声も大きくなり仕送りを止めるとも言われて、それ以上に親不孝な自分を恥じて、ようやく渋々大学に戻る決意を固めました。2年余りぶりに大学に戻る日、受験発表の日と並んで、いやそれ以上に今までで最も緊張した日かも知れません。私は2学年留年させられており(留年は2年間まで可能)、既に3年生の一学期に入っていたので本当なら退学処分のはずでした。
 教授室に呼ばれ、3年生の担当の後藤純男先生と手塚雄二先生が並んで座っておられました。後藤純男先生は名字が同じという事もあり、寺院を描かれるという事もあって、中学・高校時代から存じており、好きな現代日本画家のお一人だったのです。手塚先生が睥睨した目つきで、「本当ならもう退学の時期だが、何をしていたのかね・・・。日本画を続けたいかね。」とご質問されました。私は「絵を描くのは子供の頃から好きだったので、続けたいのです。」と言うと、「絵とは、日本画の事かね。」とおっしゃるので、「高校の時から日本画を描いているので、日本画を続けたいです。」と答えました。手塚先生は渋い顔をして、「最後は後藤純男先生のご判断次第だよ・・・。」と後藤純男先生にお答えを求めました。後藤先生は「そりゃあ、続けた方が良い!」と一言笑顔でお答えになられました。「後藤さん、あなたのお生まれはどこですか。」と後藤先生が質問され、私は「赤穂です。」と言うと、「ああ、四十七士の。いい所ですね~。」と笑顔でおっしゃられました。こうして私は、東京藝術大学始まって以来の問題児として藝大に戻る事になりました。その後は、2年生で取るべき実技単位を3年生で取って、元々の後輩に囲まれながらしっかりと勉学に励みました。私は1~2年生の間に、学科の卒業単位を全て秀と優で取っていたので、後は実技単位のみの取得なので楽でした。ただ、2年留年した人間は、どんなに良い絵を描いたとしても、当然ながら、大学院には進めませんね。
 今考えると、「たかが大学。世の中そんなものだ・・・。」と受け流すくらいの度量があったら良かったのにと思います。つまりは、若気の至り、堅真面目過ぎたのです。しかし、私はそんな不器用な人間なのです。いまだに、その性格の本質は変わらないので、世渡りは下手で失敗ばかりしています。ただ、この高校・大学での体験は、今大きな社会問題にもなっている、いじめ・差別・偏見を受ける側や引きこもりになる等の社会的弱者の気持ちを理解する心にもなっており、私の人間的な幅を広げる一因につながっているのではないかと良いように解釈しています。

 この時のご恩もあり、「武士は二君にまみえず」という故郷の志士・赤穂浪士の教えを守って、日本画の師と言える方は後藤純男先生ただお一人だと考えています。(絵本界には今の所、師と言える人はいません。良き先輩方はおります。)多くの日本画家は師が力を失ったり亡くなられると別の師に付いたり、師以外の人のご機嫌を伺って団体展に入選したリしていますが、私はそんな薄情なまねはしません。義理と人情に篤い、バカ正直な男なのです。(後藤純男先生は一匹狼の性格で派閥を作りたがらないお人です。そこで院展内でも力がある割には弟子が極めて少ないのです。藝大大学院の後藤純男教室出身者で院展に受かっているのは、ほぼ平山郁夫先生派閥に組み込まれた人のみです。)
 大学卒業の前後には後藤純男先生に同行し、沖縄本島、北海道、東北等に数日がかりの取材旅行に出かけました。先生のスケッチする姿から多くの事を学びました。卒業後1996年からは、後藤純男先生門下による「翔の会日本画展」が「オンワードギャラリー日本橋」で開催され、その後、場所を「銀座松坂屋」に移して15年間開催されました。毎回欠かさず出品したのは20名近くいるメンバー中で、私を含む10名足らずです。東京藝術大学大学院・第二研究室(後藤純男教室)出身の日本画家で構成された「翔の会」でしたので、私だけが唯一の学部卒でしたが、後藤純男先生の特別推薦で参加していました。メンバーの中には学部卒で加わっている私を批判する人もいましたが、最終的には「翔の会日本画展」の後半、最も熱心で行動力のある私が「翔の会」の代表幹事を務めるようになっていました。先生の飲み会・パーティーにもできる限り出席し、時には先生のご自宅・アトリエに泊まったり、そのまま夜を明かしたりしました。この頃、東京藝術大学出身の人の中で、多分、私が最も多く先生とお会いしていたと思います。先生のお話・行動の一挙手一投足からは、”絵”に対する真摯なお考えや人生観の多くを教わりました。

 しかし、いつまでも良い時期は続かないものです。10年程前、いつものように先生にお電話をおかけすると(この頃、私から先生にご用のお電話をしたり、先生から直接お誘いのお電話がかかって来たりしていました)、「後藤さん、今日の飲み会は中止です。今から眼底出血の手術をしなければいけなくなりました。また今度にしましょう~。」というお返事でした。先生は笑いながら淡々とお話しされたのですが、私は前々から、先生には糖尿の気があり医者から酒を止められていた事を知っていましたので、とても嫌な予感がし背筋に冷たいものが走りました。
 私の予感は的中しました。それ以降、先生は体調を崩されたようで、私達元学生はもとより、ほとんどの公の場所に顔を出されなくなりました。あの時のお電話が、先生とお話しした最後になってしまったのです・・・。現在では、車椅子でのお写真を美術誌等でまれに拝見するだけで、ほとんど北海道のアトリエに親族だけに囲まれて、引きこもられてしまいました。今回の「恩賜賞」の授賞式でさえ、奥様と娘さんのみが出席されていましたから・・・。誠に残念な事ですが、人は年齢には勝てませんので仕方がない事です。私はお元気な頃の先生のお言葉を胸に抱いて、今後も制作に励みたいと思っています。そして、私は27歳の時に父の事故死を経験した事もあり、人の”ご縁”とは誠に尊く大切にしないといけないものであると感じています。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁
 

後藤純男先生と私「後藤純男先生 退官記念展」(1996年10月7日、東京藝術大学資料館) 後藤純男先生と私

後藤純男先生と私「後藤純男 画伯を囲む会」(2004年1月4日、野田 東武ホテル) 後藤純男先生、井崎義治 流山市長と私。他にも、野田市長や関宿町長等も来られていました。

東北写生旅行 後藤純男先生「東北(田沢湖・角館)写生旅行」(1996年11月20日) 駒ヶ岳 後藤純男先生スケッチ中。先生は視点が変わるからと言う理由で、常に立ってスケッチをされます。先生の絵に対する真面目さは恐るべきものがあります。 


【後藤純男先生 ご略歴】

1930年 千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)に生まれる。
1946年 粕壁中学校 卒業。日本画家・山本丘人に師事。
1949年 日本画家・田中青坪に師事。
1974年 日本美術院 同人に推挙。
1976年 再興第61回 日本美術院展覧会で文部大臣賞を受賞。
1981年 ネスカフェ・ゴールドブレンド「違いがわかる男」のコマーシャルに出演。
1982年 中国の西安美術学院(大学)名誉教授に就任。
1986年 再興第71回 日本美術院展覧会で内閣総理大臣賞を受賞。
1987年 北海道空知郡上富良野町にアトリエを構える。
1988年 東京藝術大学 美術学部絵画科日本画専攻 教授に就任。教授時代の門弟には、日本画家の後藤 仁がいる。
1995年 パリ・三越エトワールにて「後藤純男展」を開催。
1997年 東京藝術大学 教授を退官。北海道空知郡上富良野町に後藤純男美術館を開館。
1999年 千葉県銚子市に後藤純男美術館を開館(2004年1月30日閉館)。
2002年 埼玉県北葛飾郡松伏町 名誉町民となる。
2006年 旭日小綬章を受章。
2016年 日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。東京藝術大学 名誉教授に就任。流山市 名誉市民となる。



後藤純男美術館 公式ホームページ

http://www.gotosumiomuseum.com/info_pdf/geijyutuin.pdf (PDFデータ)

http://www.gotosumiomuseum.com/


〈北海道新聞 記事〉

画家・後藤純男さん、北海道・上富良野町に作品寄贈の意向 総額20億円規模か
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0247503.html

日本画の後藤純男さんに日本芸術院賞 坂東玉三郎さんら9人
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0249861.html


〈朝日新聞デジタル 記事〉

日本芸術院賞に坂東玉三郎さん・辻原登さんら9氏
http://www.asahi.com/articles/ASJ3K4T4ZJ3KUCVL014.html


〈流山市 公式ホームページ〉

第1号 流山市名誉市民を決定
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/10838/10841/031587.html

「広報ながれやま」平成28年10月11日号(特集:流山市名誉市民の決定)
https://www.city.nagareyama.chiba.jp/information/73/393/031821.html

「広報ながれやま」平成28年10月11日号(特集:流山市名誉市民の決定)〈PDFデータ〉
https://www.city.nagareyama.chiba.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/031/821/nagareyama20161011.pdf


〈東京新聞 記事〉

流山在住の画家・後藤さん 初の名誉市民 来年1月に作品展開催
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201609/CK2016090702000182.html


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tag : 後藤仁後藤純男日本芸術院賞恩賜賞旭日小綬章東京藝術大学東京芸術大学流山市日本画村上隆

2016-09-06

日本文化・美術・絵画界(日本画・絵本など)の現状を憂える・・・

 私は15歳の時に大阪市立工芸高校 美術科で本格的に日本画を始め、東京藝術大学 日本画専攻を卒業した1996年から、プロの日本画家としておよそ20年間活動して来ました。勉強期間を入れると約33年の日本画歴です。師は、後藤純男 先生〔東京藝術大学名誉教授、日本芸術院賞・恩賜賞受賞者〕。
 絵本の世界では、2007年の個展に福音館書店編集者が来られて絵本制作のご依頼を受けた事がきっかけで、2013年2月に初絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも)、11月に絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)を出版しました。制作期間を入れると10年弱の絵本歴になります。

絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』表紙・表絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(福音館書店こどものとも)

絵本『犬になった王子(チベットの民話)』 表紙絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)


 前々から感じていた事でもあり、近年また痛感するようになった事ですが、日本における創作者・絵描きの地位のいかに低い事か、欧米や東洋各国に比較しても、文化に対する国や団体・個人レベルでの意識の薄さを嘆かわしく思います。
 ただ、日本画・洋画・彫刻・書道等は伝統的に社会的地位が高い傾向があり、特に美術団体のトップクラスの方々の社会的・経済的優位性は極めて高いものがあります。逆に、その地位・権威だけに頼ってしまう懸念さえあるのが現状です。一つの目安として挙げると、文化勲章受章者・文化功労者の大半が日本画・洋画の先生方で占められています。
 しかし、その他の美術ジャンルの社会的地位はまだまだ低過ぎる傾向が顕著です。2010年に水木しげるさんがマンガ家初、2012年に安野光雅さんが絵本作家初、宮崎 駿さんがアニメーション作家初の文化功労者になっただけです。
 日本を代表する絵本作家のお一人で東京藝術大学の先輩でもある、いわむらかずお さんが2014年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエ章をご受章された時に、日本での報道の少なさに日本児童出版美術家連盟(童美連)監事の浜田桂子さんも疑問を呈しておられました。その童美連を創設された太田大八さんは先日、お亡くなりになられましたが、先生の多大なご功績を考えると文化功労者位になっていないとおかしいのではないかと感じます。日本を代表する絵本画家のお一人の黒井 健さんがおっしゃるには、太田大八さんは絵本作家の社会的地位の向上を常に模索されていたと言います。
 ほんの一部の「絵本読み聞かせ・朗読家・評論家」なのでしょうが(これは日本画においては「画商・絵画評論家」等に当たります)、自分達が絵本作家を宣伝してやって育ててやっていると言ったかのような錯覚をお持ちの方がおります。確かに「絵本読み聞かせ・朗読家」は作家にとっても有難い存在ですし、大切なご活動だと理解しています。ただその作家と朗読家の関係は常に対等な互恵関係であり、お互いを尊重せねばなりません。ただ、作品を最初に生み出すのは作家であり、それを後から活用するのが朗読家であるという順序や本質を忘れないでほしいと思います。

 私の伯父・後藤大秀「からくり人形師」ですが、現在、公に認められた「からくり人形師」は日本に3名しかいないと言います。伯父の手腕は私が見ても驚くほど高レベルで、創作出来る人が限られたとても重要な仕事ですが、その業界規模は小さいものなのです。伯父は1998年に大垣市の教育功労賞表彰を受け、ようやく現在、県の表彰が検討されている段階だと言います。からくり人形師が人間国宝(重要無形文化財保持者)や文化功労者等の国単位で認定される事はなかなか難しい話です。
 私は大学3年生から2006年ごろまでの約12年間、日本画の仕事のかたわらに「金唐革紙(きんからかわし)」という手作りの高級壁紙の復元製作を手掛けていました(旧岩崎邸、孫文記念館、入船山記念館 等の復元事業に参加)。日本画だけで食べて行くのは大多数の若手作家にとって、今の時代では至難の業なので、講師等の何らかの副業をしなければ生きて行けないのです。最初に金唐革紙製作所の出資・経営者がいたのですが、その人は外回りだけして滅多に製作をしないので、私達、美大出身者3~6名がほとんどの実質的な仕事をしていました。その中でも私は歴も長く、製作数もずば抜けて多かったので、常に中心的な役割を担って来ました。現在、復元された金唐革紙には、ほぼ私の手が入っており、実質的な第一人者と言えます。それにもかかわらず、世間的にはその経営者が全ての復元をしたように喧伝されており、現在、80歳位のその人だけが「国選定保存技術保持者」に認定され、旭日双光章なる国の勲章までもらっています。つまり本質的には、私が「保存技術保持者・旭日双光章」をいただいてもおかしくないという事になります。
 このように業界団体の社会的強弱や、メディア等での取り上げ頻度が、国や世間の評価にも如実に反映されているのです。


 私は日本画の世界で長年活動して来ましたが、そこではあまりに高過ぎる権威が近年になるほどマイナス効果を出している事に気が付きました。権威に頼るあまりに、さほど絵の良くもない人が人脈だけで出世していくさまを幾多見て来ました。その弊害によって現代日本画のレベルは落ちる方向にあり、愛好者・コレクターの高年齢化に伴って一般大衆からの人気は低迷の一途をたどっています。ただし私は、日本画の画材の持つ面白さや、古代(日本画という名のできる前)からの日本絵画の深い歴史に大いに憧れを持っており、未来への可能性を疑っていません。しかし、今のような日本画三大派閥(院展、日展、創画展)のみが優位性を保つような閉鎖的な風潮が続くと、かならず近い将来(15~30年後位)立ち行かなくなるでしょう。今、日本画界も大きな変革期・転換期を迎えているのです。作家が権威を欲した時から、実質的な制作力は落ちて行く・・・とも言いますので、名と実のバランスは難しいところですが、そうであってもあまりに不公平が多いのが今の世の中です。
 欧米や一部の東洋圏では「絵描き・画家」を社会が認め、ある程度の優遇措置もあり、重要で尊敬に値すべき存在として位置づけされています。私は何も、絵描きが いばりたい と言っている訳ではなく、今の絵描き仲間の現状を見る限り、一部の特別な売れっ子以外は、一般サラリーマンよりはるかに少ない収入に甘んじて、「仕事が無い、仕事が無い」を口癖のように発しているこの状態は、決して日本経済にとっても良い事ではないと思っているのです。仕事の出来る、腕の良い作家は、たくさん世の中に埋もれています。それを社会がもっと活用しない手はないのです。

 最近、国も「ものづくり日本」を掲げています。全ての物事は創作者から発せられ、それを一般の消費者・愛好者・活用者が用いて行くのです。最初の文化創作者が軽んじられるようでは、日本の文化は発展・成熟しませんし、将来、衰微していくものと考えられます。また、マンガ・アニメ・ゲームは現在最高潮に活気を呈していますが、そのようなサブカルチャー(現在では、メインカルチャーと言ってもいいほどですが)だけではなく、伝統的な絵画・芸術を含めて総合的に日本文化が向上し、一般に認識されるのが理想なのです。
 日本は(世界的にも同様の傾向でしょうが)創作者・作家・職人よりも、それを発注した資産家・経営者・団体等の中間卸的存在を重要視する傾向が強いのです。最初の創作者が・・・特に多くの若い作家が仕事だけで食べて行けない現状では、決して良い文化は華開かないでしょうし、そのような状態が続くと、ひいては日本経済全体の活力低下にもつながって行くと考えています。日本の国も公共団体も民間団体・企業も一般大衆も、もっと絵描き・創作者の重要性を知って下さい。それが一絵描きの率直なお願いです。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

 

犬になった王子――チベットの民話/岩波書店

¥1,944
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2016-09-04

スリランカ写生旅行 その5

 「スリランカ写生旅行」の9日目、2016年6月14日(火)。今日はいよいよ憧れのシーギリヤ・ロックに登ります。朝6時前に起きて朝食のパンとバナナを食べると、シーギリヤ・ロックに向かいます。まだ開園までに時間があるので、SM号のスケッチブックに横方向からの東雲(しののめ)のシーギリヤ・ロックを15分ほどかけて描きました。遺跡入場券は30米ドルか4260Rs(レートによって変動します)です。手元に50ドル札しかないのでそれで支払うと2800Rsのおつりが返って来ました。

 遺跡は7時に開きますが、私は今日一番乗りです。広大な敷地を進むと、正面に巨大なシーギリヤ・ロックが迫って来ました。近くで見るとなおさら、その大きさに圧倒されます。周辺の小さな石窟寺院跡も拝見。ここにも壁画が少し残っています。
 ロックの階段を登ります。まず最初に「シーギリヤ・レディ(美女のフレスコ画)」がお出迎えです。鉄のらせん階段を上がると、狭い横穴空間が現われ、18人の美女達が描かれています。5世紀の作品だそうですが、色は実に鮮やかです。まだ他の人が登って来ないので、じっくりと拝見しました。花や供物をささげて、上半身裸で豊満な乳房をあらわにし、装飾品を身に付け、たおやかな流し目で見つめるレディ達は、誠に魅惑的です。やはり実物は、写真・映像等で見て来たものとは比べものになりません。現在は写真撮影不可という事なので、監視員のあんちゃんにスケッチはいいかと尋ねると「よい」と言います。混んでいたら許可されなかったでしょうし、監視員によっても判断は異なりそうで、今回はラッキーでした。花をつまんだ横向きのレディをSM号に20分位かけて模写しました。
 そのうちに観光客がぞろぞろと登って来ました。スリランカ人・欧米人と中国人・韓国人と日本人の団体客が多いようです。これまで日本人にほとんど会う事のなかったスリランカでしたが、有名な観光地になると突然どこからか押し寄せて来ます。「絵を描いてるし~」という女性の声が聞こえました。汚い身なりで描いている怪しげな男が、まさか日本の画家だとは思わないでしょうね・・・。
 描き終えると次の「ミラー・ウオール(鏡の回廊)」に進みます。壁がツルツルで光が反射します。その先が「ライオンの入口(ライオン・テラス)」です。現在は巨大ライオンの足だけが残っています。ここから急な鉄階段を登ると、王宮跡がある頂上です。頂上では風が吹き抜け、木陰は実に心地良いです。
 頂上から山々を見渡す光景を、F4号のスケッチブックに1時間30分位かけて写生しました。素晴らしい眺めです。大昔、父を殺した狂気の王カーシャパは、ここから何を考えて同じ光景を眺めたのでしょうか・・・、今は異国の観光客を迎え入れ、ただ風がサラサラと吹き抜けるだけです・・・・。
 「ライオン・テラス」に降りると、そこでF4号に1時間30分位スケッチしました。修学旅行中らしきスリランカの中高生がたくさんいました。絵を描く外国人が珍しいと見えて、私の周囲を取り囲んでワイワイ言っています。元気で好奇心旺盛な子供達は良いものですね。

 ロックを降りると、その周囲のいくつかのミニ遺跡をほぼ全て鑑賞しました。シーギリヤ・ロック正面からの良い場所を決めると、F4号のスケッチブックに1時間30分余りかけて描きました。今日は特に気合が入っています。しかし、日差しが熱いです。コロンボやキャンディ辺りと違って、この文化三角地帯と呼ばれる中部地域は今の時期、雨も全く降らずに気温も相当高いのです。多分、日中は35度を軽く超えているでしょう。描いている位置は直射日光を浴びているので、かなり過酷な写生環境ですが、このような酷暑の中や逆に雪の降る酷寒の中、大雨の降る中等、悪条件下でスケッチする事はひんぱんにある事です。絵描きも体力勝負ですし、決して楽な世界ではないのですね。
 描き終えてペットボトルの水を飲むと熱湯のように熱くなっていてびっくりしました。・・・ところが次の日、多分この煮えたぎった水が原因で軽い水あたりの症状が現れました。ペットボトルに直接、口を付けて飲んだ後、暑い日差しの中に長時間放置したのでばい菌が増殖したのでしょう。この後は口を離して飲むようにしました。・・・

 さすがに疲労感を覚えてフラフラになりながら、シーギリヤ・ロックを後にしました。午後3時頃、遅めの昼食を「CHOOTI レストラン」という小さな食堂で取り(チキンカレー300Rs、マンゴージュース200Rs)、カード(水牛のヨーグルト)は置いていないと言うので、昨日の「WIJESIRI ファミリーレストラン」で再びカードをたのみました。カードは実に美味しい。この店は雰囲気が良いので、小さな男の子をSM号に軽くスケッチさせてもらい、お礼にチップを少々渡しました。

スリランカ旅行シーギリヤ・ロック 「ミラー・ウオール(鏡の回廊)」

スリランカ旅行シーギリヤ・ロック 頂上にて

スリランカ旅行シーギリヤ・ロック 頂上にて。 風が心地良いね~。

スリランカ旅行シーギリヤ・ロック 「ライオンの入口(ライオン・テラス)」

スリランカ旅行シーギリヤ・ロックにて。 ここからスケッチしましたが、激烈に熱いよ~。

 今日はよくスケッチができて充実した一日でした。念願のシーギリヤ・ロックにも登れて最高です。夕食は軽くクラッカーで済ませて、明日のダンブッラへの移動に備えて早めに休みました。とても暑い夜でしたが、この宿「フラワー・イン」は静かなのでよく眠れます。
 明日から2日間、ダンブッラ石窟寺院の素晴らしい壁画を鑑賞します。私が今まで見た壁画の中でも、インドのアジャンター壁画に次ぐ、大規模で上質な壁画でした。この模様は、また次回にしたいと思います・・・。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


 

テーマ : 旅と絵
ジャンル : 学問・文化・芸術

後藤 仁 プロフィール

後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)

Author:後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)
~後藤 仁 公式ブログ1~
絵師〈日本画家・絵本画家、天井画・金唐革紙制作〉後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

【後藤 仁 略歴】
 師系は、山本丘人(文化勲章受章者)、小茂田青樹(武蔵野美術大学教授)、田中青坪(東京藝術大学名誉教授)、後藤純男(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)。
 アジアや日本各地に取材した「アジアの美人画/日本の美人画」を中心画題として、人物画、風景画、花鳥画などを日本画で描く。また、日本画の技術を応用して、手製高級壁紙の金唐革紙(きんからかわし/国選定保存技術)や、大垣祭り(ユネスコ無形文化遺産)の天井画、絵本の原画などの制作を行う。
 国立大学法人 東京藝術大学 デザイン科 非常勤(ゲスト)講師(2017~21年度)。学校法人桑沢学園 東京造形大学 絵本講師(2017~18年度)。日本美術家連盟 会員(推薦者:中島千波先生)、日本中国文化交流協会 会員、絵本学会 会員。
    *
 1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校 美術科で日本画を始める。東京藝術大学 絵画科日本画専攻 卒業、後藤純男先生(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。
 卒業以降は日本画家として活動し、日本・中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画/日本の美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は「絵本」の原画制作に力を入れる。
 2023年、大垣祭り(ユネスコ無形文化遺産)天井画『黒龍と四つ姫の図』を制作奉納する。

○絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、『わかがえりのみず』(鈴木出版)、『金色の鹿』(子供教育出版)、『青蛙緑馬』(浙江少年児童出版社/中国)。挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。
 『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。また、宮崎 駿 氏の絵物語「シュナの旅」の原話になった事でも知られている。
○NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞・専門誌・インターネットサイト等への出演・掲載も多い。

★現在、日本国内向けと、中国向けの「絵本」を制作中です~❣

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絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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