2014-05-12
金唐革紙(金唐紙)製作の思い出
前にこのブログにも書いたのですが、現在でも復元を企画した研究所経営者の名前のみが、唯一の金唐革紙製作技術保持者として独り歩きしています。私は本業の日本画制作のかたわら、約12年間に渡り「金唐革紙」の実質的な製作を最も多く手掛けたのですが、その事実はまだまだ知られていないようです。
私が研究所を離れた大きな理由は3つあります。まずは、本業の日本画の制作に専念したかった事。2つめは、実質的にはほとんど私達若い者2~6名位が金唐革紙製作をしていたにもかかわらず、外部には経営者が一人で全てを製作しているという形で喧伝されていたという不条理。3つめは、経理・運営を一人で手掛けていた経営者が、「金唐紙研究所発足当時から長年不正経理を継続しており、巨額の脱税をしている。脱税が世間に知られたら、この研究所も終わりや・・・。」という衝撃的とも言える法的不備の告白をした事によります。
私が加わった当初から色々な問題点のある組織でしたが、それでも研究所は文化庁・地方公共団体とも係わりのある公共事業をしており、世間的に認められた組織でしたので、経営者の人格的問題位だろうと考えていました。その経営実態を知った時は、「そんな事がありえるのか。」と私自身が耳を疑った程です。そう言えば、前に豊島区税務署の人が一階の大家さんの所に来た時、経営者が突然あわて出し、「金唐紙の作業を中断して、仕事をしていない風にかたずけろや。あの大家は何でも税務署に言いやがるんで困るんや。」と言われた事が、2~3度ありました。たとえ私にとってメリットがあったにせよ、このように大きな問題を抱えた組織からは離れたいと思いました。
その他にも、経営者の口からは、「金唐紙研究所の経営初期に、新幹線の中で袋に入った10万円を見つけたので、そのまま置き引きして使ってもうた・・・。」「台風が来て移情閣が水びたしになったらええんや。そしたら、また仕事が来て、2倍もうかるで・・・。」等という、信じられない発言が数多く飛び出しました。経営者は福祉などには全く関心のないはずなのに、展覧会場のトークでは、「孤児院・福祉施設に金唐紙を貼るのが、研究所を始めた大きな理由だ。どこか必要があったら無料で貼りに行きますよ・・・。」と公言していました。(私がいた約12年間で、仕事中に経営者からその様な意見を聞いた事は一度もありませんし、その様な活動をした事実はありません。)私はこの経営者を作家(美術家・職人)としてはもちろん、人間的にも全く信用していません。
経営者は、脱税や低賃金で若者を使役する事によって貯め込んだ巨額の財産を、高級車(トヨタ プログレ)の購入や、多額の株投資、遊興費(交際費・パチンコ代 等)につぎ込んだものと思われます。もし、このような裏金が世間に循環し、できれば貧しい人々や恵まれない子供達や福祉の為に活用されていたなら、もっと世の中はましになるはずです。こんな事態が堂々と公認されるようでは、日本も世界も良くなるはずがありません・・・。
ただ、矛盾する様ですが、貧乏画学生の時代から、売れない貧乏絵描きという厳しい時代を、この「金唐革紙」の仕事で何とか食いつないでこれた事は事実であり、その点については、今でも経営者への感謝の念を私は忘れてはいません。
しかし、どうした事かそれらの問題点はその後も世間に知られる事なく、何もなかったかのように通り過ぎて行きます。世の中そんなものかな~と、思うばかりです。小さな問題点をあげつらう必要はないのですが、音楽界や科学界・政界等にとどまらず、大きな不正・不条理は美術界にも確実にあるという事実を知っていただきたいと思います。将来に向けより良いあり方を模索して行かないと、世の中とんでもない嘘ばかりの世界になってしまうのではないかと危惧しています。
一絵描きでしかない私としては、「とにかく心を込め、技術と時間を費やして、誠実に制作をする。」それしかないと考えています。
絵師(日本画家・絵本画家、金唐革紙 製作技術保持者) 後藤 仁

