2013-07-23
絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』出版までの永き道のり その10
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一旦話は横道にそれますが、日本画家(画家)ならば誰でもがすんなりと「絵本」を描けると言う訳では無いと思います。私の場合「人物画・美人画」をテーマに永年描いていますので、基本的に人物描写が得意という点が一つあります。「絵本」では、人物が描けないと話になりません。その他、日本画で「風景画(自然・遺跡・建築物等)」「花鳥画(花・鳥・動物)」等も描いて来ましたので、私には「これはどうしても描けない。」という大きな死角が無いのです。職人家系に生まれ、生来手先がかなり器用だという利点もあります。
小学校では「マンガ」「イラスト」を多く描き、中学校からは「アクリル画」を描き、高校では「油彩画」「デザイン」「彫塑」「版画」「製図」「デッサン・着彩」等も本格的に勉強しています。
幼い時から多くの「絵本」を見て育ち、いわさきちひろやアーサーラッカムを崇敬し、古くからの無類の宮崎 駿アニメファンでもありました。その様な幅の広い教養・経験が「絵本」制作にも活きていると思います。あとは、物語・小説等の読書が好きだという事も、「絵本」制作には欠かせない要素です。私は元来、物語性のある作品を目指して描いて来ましたし、「物語絵」「絵巻物」「絵本」を本格的に描きたいという強い思いがずっとあったのです。
反面、軽い色弱であるという色彩を扱う者にとって致命的な問題も持っているのですが、昔、眼科医で見てもらった時、普通の色覚正常者が見分ける事の出来無いという、微妙な白黒のグラデーションの変化を私は見分けられているそうです。つまりは、色弱の欠点を脳の別の機能がおぎなっているのです。印象派のモネは、晩年、白内障による色覚異常が現れたのですが、その頃の作品の色彩のインパクトは高い評価をされています。色弱の人は染色家・デザイナー等にはなりにくいですが、絵描きの場合、その様な色覚の個性もあながちマイナスとは限らないという事です。
ただ、予備校の頃の着彩では、やはり色使いで苦労しました。当時の講師の村上 隆さんから「お前、色彩感覚おかしいんじゃねえか。」と何度も叱咤されました。その度、色弱を理由にしたくない私は、研究と経験で色の苦手意識を克服していったつもりです。逆に、白黒だけで描くデッサンは得意で、村上 隆さん等からは「お前の鉛筆の色幅は半端ねえな~。」と評されました。当然、当時の20人ばかりの立川美術学院日本画科で私の石膏デッサンをしのぐ者はいませんでした。同じ様な悩みを抱えている、若き絵描き諸賢がおりましたら、どうぞ自信を持って研鑽を怠らないで下さい。
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「第三場面」は最初のラフスケッチでは、右側のカブを抜く所だけを描く予定でした。左側には遠くチャンファメイの村が見えるというダイナミックな場面を想定していました。私は今回、カット的な表現を入れずに全場面を左右一場面で描く考えだったのですが、ラフ制作の途中で福音館書店編集部が「ガジュマルの木で憩うチャンファメイを冒頭辺りに挿入して、物語の布石としたい。」と言うので、その意見をのみました。一場面の絵画的構図としては迫力が大きく欠けてしまいましたが、話全体の展開を考えるとガジュマルの印象が深まるという意味はあったと思います。
なお、チャンファメイがカブを抜くこのシーンは、チャンファメイの元気でおてんばな一面を表したいという私の思いとともに、芸術家の大先輩である彫刻家・佐藤忠良先生の作品で、福音館書店の名作中の名作絵本『おおきな かぶ』への私からのオマージュでもあります。
ここに咲いている花は、本当はもっとヒマラヤ近くでないと咲いていない、幻の青いケシ(ブルーポピー / メコノプシスホリドュラ)ですが、山の不思議感を高める為に添えました。
「第四場面」は、引き抜いた不気味な生命体を感じさせるカブと、出て来た水を無我夢中で飲むチャンファメイの対比が見所です。不気味なむら雲は山神が出て来る時の前兆です。チャンファメイの顔のアップですので、その髪の後れ毛や目鼻立ちの美しさを最大限表現したいと思った事は言うまでもありません。カブは実物を何度もスケッチしました。
「第五場面」は、山神の不気味な洞窟を如何に表現しようかと考えて、日本画の伝統技法を私なりに発展させた「もみ紙技法」を用いました。後の「第十場面」も色違いの「もみ紙」です。この「もみ紙」は「裏彩色」という技法も併用した凝った仕様ですが、詳しくは企業秘密です。通常の絵本画家には多分表現不可能でしょう。中国の貴州省・広西チワン族自治区辺りは桂林に代表される石灰岩のカルスト地形で、私も実際取材しましたが、この様な大きな鍾乳洞がたくさんあります。
この山神はオランウータン等をスケッチして参考にしました。中国の民話にはこんな猿の様な怪物「狒々(ヒヒ・ショウジョウ)」がよく登場します。山神の毛は金泥(一般的には金粉と言われる本当の金で出来た絵具)で描いています。ちなみに金泥は0.4グラムで4000円近くします。
絵本の封入冊子にも書きましたが、山神によって人間の暴威・欲得を表したいと思い、福音館書店編集者は最初首をかしげていましたが、あえて肉を喰らい生き血を飲むという通俗性を描きました。良く気を付けて見ると、この洞窟内には水が豊富にある事が分かるでしょう。つまりは、充分あるのにもかかわらず他者には一切与えないのです。人の骨らしきネックレスや虎の皮衣、唐草文様の敷物等の表面的で贅沢な装飾品も、怖くもありながら、どこかその独善ぶりの滑稽さを表現しています。皆さんの近くにもこの様な人はいませんか?
洞窟にはコウモリもとまっています。洞窟内に風と共に吹き込んで来た葉っぱは、ガジュマルの葉でしょうか・・・。
次は「第六場面」ですが、この話はまた次回としましょう。
テーマ : 絵本・制作・イラスト
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