2013-03-25
「金唐革紙(きんからかわし)」製作秘話 その1
『金唐革紙(きんからかわし)』と呼ばれる、手製の高級壁紙もその一つです。今回は、その『金唐革紙』について書いてみます。

「旧岩崎邸 金唐革紙展 製作実演会」(2003年11月15日) 後藤 仁 ©GOTO JIN
〔金唐革紙の歴史〕
欧米の皮革工芸品を「金唐革(きんからかわ)」といい、宮殿や市庁舎などの室内を飾る高級壁装材であった。江戸時代前期の17世紀半ばに、オランダ経由でスペイン製の「金唐革」が輸入されたが、鎖国を行っていたために入手が困難であった。また、牛革では大きな製品が出来ない事や、湿度の高い日本での衛生面の問題もあった。そこで、日本の風土になじむ和紙を素材とした代用品の製作が日本で行われ、1684年に伊勢で完成した製品が『金唐革紙』(「擬革紙(ぎかくし)」ともいう。) の元祖である。
明治時代には、大蔵省印刷局が中心となって製造・輸出され、ウィーン万国博覧会・パリ万国博覧会など各国の博覧会で好評となり、欧米の建築物(バッキンガム宮殿等)に使用された。国内では、鹿鳴館等の明治の洋風建築に用いられたが、その多くは現在消滅し、現存するのは数ヶ所だけという貴重な文化財になっている。昭和初期には徐々に衰退し、昭和中期以降その製作技術は完全に途絶えていた。
〔金唐革紙の復元製作〕
1985年、「旧日本郵船小樽支店」(国重要文化財、小樽市)の復元事業で金唐革紙製作方法の研究を依頼された新設の金唐革紙の研究所は、国立東京文化財研究所の助言を受けながら、現代版の『金唐革紙』を復活させる。しかし、当初は研究所経営者が製作も兼ねており本格的な技術者がおらず、製品品質は低く製作量は少なかった。(現在世間では「金唐紙(きんからかみ)」とも呼ばれているが、この名称はこの金唐革紙の研究所製品にのみ用いる、研究所によって新しく考えられた造語である。)
1995年、「入船山記念館〔旧呉鎮守府司令長官官舎〕」(国重要文化財、呉市)の復元事業より、当時、東京藝術大学日本画専攻在学中の学生であった26歳の私(後藤 仁)を中心に、3~6名位の学生が随時研究所に加わり、私達によって復元当初には無かった多くの改良が重ねられ、製品の質・量ともに飛躍的に向上した。
以後12年余にわたり私が実質的製作の中心的役割を果たし、1999年に「移情閣〔孫文記念館〕」(国重要文化財、神戸市)、2002年に「旧岩崎邸」(国重要文化財、台東区)等の主要な復元を行う。
その間、紙の博物館(東京都王子)、呉市立美術館(広島県呉市)、旧岩崎邸庭園、入船山記念館、フェルケール博物館(静岡県)、大英博物館、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(イギリス)等で『金唐革紙展』を開催して、その普及に努める。これらの功績により、金唐革紙の研究所を代表して経営者のみが2005年、国選定保存技術保持者に認定される。
その後、元学生達は全員それぞれの制作に戻り、研究所は本格的な製作体制を終了した。
私は2006年に研究所をはなれ、金唐革紙製作技術を日本画にも取り入れ、本来の日本画家・絵本画家として活動している。また実質的な国選定保存技術保持者として、展覧会・講演会などでの金唐革紙の紹介や製作技術保存・存続にも尽力し、将来的に大きな公共事業などでの必要があれば製作出来る体制を維持している。現在、金唐革紙製作全般にわたる最も高度な製作知識・技術を有しているのは私、後藤 仁で、現役で高水準な製作が可能なのは私と元学生の計2名しかいない。
〔金唐革紙の現存する建築物〕
明治から昭和初期の金唐革紙(旧製品)が現存する主な建築物。および、新しく復元製作された金唐革紙(復元品)がはられた建築物。
●「入船山記念館(国重要文化財)」広島県呉市 (旧製品・後藤 仁による復元品)
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-102010500.html
●「旧岩崎邸庭園(国重要文化財)」東京都台東区 (旧製品・後藤 仁による復元品)
http://teien.tokyo-park.or.jp/contents/index035.html
●「移情閣〔孫文記念館〕(国重要文化財)」兵庫県神戸市 (旧製品・後藤 仁による復元品)
http://sonbun.or.jp/jp/
http://www.feel-kobe.jp/facilities/0000000017/
●「旧日本郵船小樽支店(国重要文化財)」北海道小樽市 (旧製品・復元品)
●「旧林家住宅(国重要文化財)」長野県岡谷市 (旧製品・復元品)
●「国会議事堂 参議院内閣総務官室・秘書官室」東京都 (旧製品のみ)
●「旧第五十九銀行本店本館〔青森銀行記念館〕(国重要文化財)」青森県弘前市 (旧製品のみ)
その他、「紙の博物館」(東京都王子)には旧製品、復元品(後藤 仁の製作品)が収蔵されている。
かなり専門的な話になりますので、今回はこの辺りまでとしましょう。当事者しか知らないくわしい製作秘話なども、おいおい書いていきますので、お楽しみにしていて下さい。
ちなみに、「ウィキペディア」の『金唐革紙』にも同様の記事が出ていますが、あれは主に私の協力者の「金唐革紙保存会」のメンバーが書き込んでくれたものです。ただ時々事実と異なる事も自由に書き込まれますので、これから、このブログで最も正確な事実を述べておこうと思います。
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私が金唐革紙の研究所を離れた大きな理由は3つあります。まずは、本業の日本画の制作に専念したかった事。2つめは、実質的にはほとんど私達若い者2~6名位が金唐革紙製作をしていたにもかかわらず、外部には経営者が一人で全てを製作しているという形で喧伝されていたという不条理。3つめは、経理・運営を一人で手掛けていた経営者が、「研究所発足当時から長年不正経理を継続しており、巨額の脱税をしている。」という経営上の法的不備の告白をした事によります。
世間では、現在も『金唐革紙』の製作者は研究所経営者のただ一人のみとされていますが、一人で出来る規模の仕事ではありません。「旧岩崎邸庭園サービスセンター」や、その監督所の「東京都公園協会」、「孫文記念館」、「入船山記念館」、「紙の博物館」などのいずれも私達数名が実質的な製作をした事を把握していますが、現在の日本では経営者(出資者)と発注者の権限が強く、実際苦労して製作にたずさわった人の権利はまだまだ低いのが現状です。
それぞれの施設で、製作者の名前を全て正確に記載していただける日が来る事を願っています。その様な公平な日が来る事が、製作者側の唯一の望みです。このブログを見られた皆様にも、ご支援・ご教導の程よろしくお願い申し上げます。
絵師(日本画家・絵本画家、金唐革紙 製作技術保持者) 後藤 仁
(※最近、かなり多くの私の支援者やファンの方が、「旧岩崎邸庭園」「入船山記念館」等の販売コーナーの金唐革紙しおりや金唐革紙の本を、私の為になると思われて購入されている様です。お気持ちは有難いのですが、現在私は金唐革紙の研究所を完全に離れており、購入された収益は全て研究所の経営者のものとなっています。もし、私の為のご購入でしたら、金唐革紙グッズではなく、私の『絵本』作品などをお求め下さいましたら有難いですので、よろしくお願い申し上げます。)