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2021-12-24

インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行〈1995年〉その5・最終回、後藤 仁

 私の一番最初の海外旅行、『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』 (1995年3月13日~27日)の続き〈その5・最終回〉です。

                 *

 旅行11日目: 1995年3月23日(木)。今日は再び、ユネスコ世界遺産・世界三大仏教遺跡 「ボロブドゥール遺跡」に挑みます。
 朝、起きてみると、まだ腹痛感・食欲不振感・微熱感はありましたが、ボチボチとおさまりつつありました。そこで、一人になった事ですし、1日かけてボロブドゥール寺院のスケッチ(写生)をする事に決めました。朝早く、ジョグジャカルタのバスターミナルからバスに乗って、「ボロブドゥール寺院群」(入園料1人、4000ルピア)に到着!! 今回の旅では、まだ1枚しかスケッチを描けていないので、腕がビンビンと鳴っています~❣
 前回、ボロブドゥールを訪れた時に、おおよその目星を付けていましたので、その場所に陣取って、早速、スケッチを始めました。ボロブドゥール寺院の長大な階段を下から見上げる位置です。ここなら、階段の登り口から大ストゥーパまでが、一枚の画面に収まります。階段は四方にあるのですが、私が描いた階段は最も整っていて、登り口横の巨大獅子も立派です。F4号のスケッチブックを横位置で上下に開いて、縦長に上下2枚使用して、通常の倍の大きさで描きました。インドネシアの蒸し返すような湿気と灼熱の太陽を受けながら、およそ3時間余りは描いたと記憶しています。複雑な石組みや、精緻なカーラ(鬼面の魔除け・守り神)やブッダのレリーフを描くのは、実に困難です。かなりしっかりとしたスケッチが描けましたが、細部の詳細は写真を撮って参考にするしかありませんね。
 長い格闘の末、ようやく一枚を描き終え、再び、ボロブドゥール寺院の頂上・大ストゥーパまで登ってみました。長大なブッダの大回廊を抜けて、大ストゥーパ・小ストゥーパ群の空間に至ると、心が洗われたような実に清々しい気分になります。遠くに山々、・・・美しいムラピ山も望めます。こんな安らかな気持ちになれたのは、私の人生でも数少ないでしょう・・・。
 ボロブドゥール寺院を存分に満喫した後、前回は行けなかった、ボロブドゥール寺院周辺の仏教寺院を訪ねました。「パオン寺院」は、愛称を「ジャワの小さな宝石」といい、小さいけれど美しい寺院です。
 次に、「ムンドゥッ寺院」(入場料100ルピア)へ。立派なお堂とガジュマル(榕樹)の対比も素晴らしいのですが、この堂内には、「ジャワ美術の最高傑作」「世界で最も美しい仏像の一つ」とも称される、巨大石仏三尊像があります。私の日本画家という職業柄からも、最高の芸術美術を求道するという本能的嗜好からも、国内外の幾多の仏像・神像・彫像を見て参りましたが、この仏像は、確かに美しい。ボロブドゥール寺院建立と同じ、8世紀中頃~9世紀中頃の制作と思われますが、高さ約3mの御本尊・如来像と両脇侍の観音菩薩像・文殊菩薩像は、インドと日本の仏像の中間のような雰囲気で、誠におおらかで秀逸です。
 この日は念願のボロブドゥール寺院スケッチも出来て、十二分に満足して、ホテルに帰りました。

インドネシア写生旅行
「ボロブドゥール寺院」 カーラ(鬼面の魔除け・守り神)の口の門と、大ストゥーパ
インドネシア写生旅行
「ボロブドゥール寺院」 円壇・小ストゥーパ群
インドネシア写生旅行
「ムンドゥッ寺院」 石仏三尊像(本尊:如来像/脇侍:観音菩薩像、文殊菩薩像と言われている)


 旅行12日目: 3月24日(金)。この日はジョグジャカルタ市内の「ソノブドヨ博物館」(入館料500ルピア)へ。ガムラン(インドネシアの民族音楽)楽器、バティック(インドネシアの ろうけつ染め布地)、ワヤン・クリッ(影絵芝居)、ワヤン・ゴレッ(人形劇)、仏像・神像等の展示物で、ジャワ文化を知れます。
 その後、「ゲムビラ・ロカ動物園」(入園料、未記載・不明)へ。ガイドブック「地球の歩き方・バリとインドネシア」にも地図内のみの記載で解説もありませんが、私は海外での旅先で終盤に時間が余ったら、よく現地の”動物園”に行きます。地元の人々の従来の娯楽・休日の過ごし方が知れますし、日本の動物園で見られない珍しい動物がいる場合もありますし、そのお国柄が出ていて、結構、楽しめて、ほっこりします~。その他、「絵本」も手掛けるようになった近年では、地元の大きな”図書館・書店”に寄ってみると、その国の文化水準、思考・思想がよく見て取れて、とても為になります。この動物園は派手さは無かったですが、キリン、ゾウ、サル、ワニ、ヒクイドリ・サイチョウ等の鳥類が、私の写真に収められていました。
 この後、市内の書店に立ち寄ったり、夕食を取って休憩してから、「ラーマーヤナ(ジャワ伝統舞踊)」(プラウイサタ屋外劇場/20:00~21:30開催、鑑賞料 15000ルピア)を観に出かけました。舞台から席が遠くてよく見えませんでしたが、写真撮影は可でした。東南アジア定番のラーマーヤナ舞踊は、いつ見ても、とても面白いです。私は海外の旅では、時間と体力が許す限り、現地の伝統舞踊・舞踏、人形劇・影絵芝居 等の伝統文化公演を鑑賞します。その国の時間と空間を思いっ切り満喫できる上に、場合によっては日本画・絵本のアイデアが浮かぶ場合もあるのです。

インドネシア写生旅行
「ソノブドヨ博物館」 パンフレット
 

 旅行13日目: 3月25日(土)。この日もまだ、食・水あたりの症状が残っていましたので、あまり無理をせず、市内をぶらぶらと散歩し、店で土産物の買い物等をしたと思います。
 この日も夜になり、「ワヤン・クリッ(影絵芝居)」(ソノブドヨ博物館/20:00~22:00開催、鑑賞料 3000ルピア)を観に出かけました。今宵は、幻想的なガムランの音と揺らめく影絵に酔いしれました。
 
 旅行14日目: 3月26日(日)。いよいよインドネシアでの最終日となりました。もし腹痛が無く、体力さえあれば、「ディエン高原」まで足を伸ばしたかったのですが、今回の旅では無理でした・・・。夕方の飛行機便で日本へ帰るので、あまり遠出はできませんが、どうしても、もう一度、私は、「ボロブドゥール遺跡」を描きたかったのです。
 朝早く、「ボロブドゥール寺院」へ再び直行~!! 回廊のカーラ(鬼面の魔除け・守り神)の口の門を、F4号スケッチブックに2時間余りで描きました。そして、階段登り口の大きな獅子像を、1時間余りで描きました。見忘れていた”隠れた基壇”や、その他の遺跡細部を写真撮影しました。もう体力はほとんど残っていなくて、フラフラでした〰。ボロブドゥール寺院の頂上へ登り、良き旅ができた事を感謝し、帰路の安全を祈念しました・・・・・。
 
 快適だった、ジョグジャカルタでのホテル、「PETI MAS Guest House」に戻り、一休み~。時間に余裕を持って、夕方4時30分にホテルを出て、タクシーでジョグジャカルタ ・ K.C.アディスチプト空港に向かいました。
 空港でのチェックイン時に係員が、「エアポート・タクシー」と言って、お金を請求してきます。私が、「エアポート・タクシーではなくて、市内のタクシーを使用した」と下手な英語で説明をすると、さもめんどくさそうに、ローマ字表記の日本文を見ながら、「KOKUZEI(国税)!」と強く言います。「エアポート・タクシー」ではなくて、「エアポート・TAX(空港税・空港使用料)」の事だったのです。私は英語が不慣れな上、インドネシア人の英語は欧米人の英語と少し違っていて、かなり聞き取りにくいのです。この当時は、航空券に空港使用料が含まれておらず、空港を使用する度に空港使用料を支払わないといけませんでした。ここで空港使用料 17000ルピアを支払いました。お金を、ちょっと多めの、20000ルピア残しておいて助かった・・・。
 飛行機は出発時刻が少し遅れましたが、大きな問題も無く、インドネシアの大地を飛び立ちました~~~。ガルーダ・インドネシア航空はデザインがとてもかっこいいね~~ 🛫

 18:30 ジャワ島・ジョグジャカルタ →【ガルーダ・インドネシア航空 GA443】→ 19:30 ジャカルタ 着
 23:15 インドネシア・ジャカルタ 発 →【ガルーダ・インドネシア航空 GA872】→ 〔3月27日(月)〕8:30 日本・成田 着



 こうして私の初めての海外の旅は、波乱含みながら無事に終える事ができ、大きな芸術的収穫を得る事ができました。この、『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』(15日間)で、私は、大いにインスパイアされ、その後も度々、過酷なアジア一人旅を敢行するようになり、その後の私の日本画における「アジアの美人画シリーズ」や、「アジア・中国 民話絵本」制作へと連綿と繋がっていったのでした・・・。

 ただし、この旅には後日談があるのです・・・。インドネシアで酷い腹痛に襲われた私は、念の為に成田国際空港・検疫所で健康検査を受けました。問題があれば確か1週間程で連絡が来るという事でしたが、何も連絡が無かったので、やはりコレラではなく、ただの酷い食・水あたりだったのです。それでも、帰国後、再び症状が悪化し、水様便が1週間以上続き、その後じょじょに普通の軟便となり、完全に症状が回復するまでに、3週間程はかかりました・・・。
 【ここで突然、旅の一言アドバイス⁉】私は医者でも何でもないので、いい加減な情報かも知れませんが、私の旅の経験値による対処法を披露。今回、下痢症状が出た時に、日本のセイロガン(下痢止め薬)を飲んでいました。私はお腹があまり強い方ではないようで、その後も、何度も海外旅行で食中毒を経験し、その対処法がだんだん分かってきました。───
 食・水あたり(通常の食中毒)の場合は何らかの病原菌が胃腸にいるので、移動日等で止むを得ない場合を除き、下手に”下痢止め薬”を飲んだりせずに、とにかく部屋で休息を取り、多めの水と適量の塩分を摂取し(脱水症状を防ぐ。ポカリスエット等がgood)、出来れば食べれそうな食物を少しでも口に入れるバナナ、ヨーグルト等はgood)事が肝要。そして、その間に、できるだけ排泄して、菌を出し尽くすのが一番です。そうしたら、普通の食あたりでしたら、酷い場合でも、2~3日程で動ける位には回復してきますよ。 ('ω')ノ

                 ★

 この取材旅行の「旅行費用」を、海外旅行の参考までに記しておきます。結構、現地で使ったような気がしましたが、かなり安めに抑えられました。

 『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』(15日間)

    航空券・旅行保険料等        約10万円
    滞在費(ホテル代・食費・交通費等)  約8万円
                    計 約18万円

 今回の旅の成果は、F4号スケッチブックにスケッチ(写生画) 4枚(今回は二人旅でしたので、あまり描けませんでしたが、貴重なスケッチになりました)。写真撮影 ネガフィルム33本、ポジフィルム3本= 計 約900枚。

 私は原画販売・展示だけではなく、出版物(版権・印税制)の仕事も請け負うプロの日本画家・絵本画家ですので、スケッチや原画をネット上であまり公開していないのですが、拙ブログ来訪者に感謝して、特別に2枚だけご披露いたします。

インドネシア写生旅行、スケッチ
鉛筆写生(スケッチ) 「ボロブドゥール寺院」 カーラ(鬼面の魔除け・守り神)の口の門
 (F4号/1995年3月26日) 後藤 仁

※この時の取材スケッチを元に、東京藝術大学・卒業作品として制作した、私の日本画作品。実際のボロブドゥール寺院より、更に巨大化して、人が容易に登れない位に描いています。よくよく見ると、階段の中腹辺りを登る人の中に、父に手を引かれる幼い頃の私が、小さく描き込まれています(下の方の女の子と男の子では無いですよ)・・・。👇

日本画「昇殿(ボロブドゥール遺跡)」後藤仁
日本画 「昇殿(ボロブドゥール遺跡)」
 (F150号/東京藝術大学 卒業作品、1996年制作) 後藤 仁


 毎度ながら、私の実感で「旅の快適度・難易度(治安、利便性、雰囲気の良さ等から総合的に判断)」を独断と偏見で比較してみました。私が今までに旅をした国々の「旅の快適度・難易度」をざっと表にしてみると、以下のようになります。

◎日本(地方)、台湾(全域の平均)、ラオス(ルアンパバーン)、ベトナム(サパ、バックハー)、ミャンマー(インレー湖、カロー)
○日本(都心部)、中国(北京、上海ほか都市部)
○中国(青海省・西寧、甘粛省・敦煌ほか地方地域)、タイ王国(チェンマイ、チェンラーイほか)、イタリア・バチカン市国、ミャンマー(全域の平均)、スリランカ
○タイ王国(バンコク)、ミャンマー(ヤンゴン、バガン)
○ベトナム(ハノイほか)、カンボジア(シェムリアップ)、ミャンマー(マンダレー)
  (この間には開きがあり、これ以下は旅の難易度が増します。)  
●中国(チベット)、ネパール(カトマンズほか)、インドネシア(ジャワ島、バリ島)
  (この間には開きがあり、これ以下はさらに旅の難易度が増します。)  
●インド(全域)
●インド(バナーラス)

 (※上方ほど快適度が高い、下方ほど難易度が高い。)

 
 といった順ですが、これはその国・地域の「良し悪し、素晴らしさ」という判断ではなく、あくまで治安を中心とした「快適度・難易度」です。また、私の訪問年代にもよりますし、たまたまその時の状況が悪かったという場合も考えられるでしょうから、私個人の主観としてご参照下さい。
 インド、ネパール、インドネシア等は、とても優れた遺跡や文化が残っている素晴らしい国です。ただ、これらの国は一人旅をするのは結構難しい地域で、身に危険を感じる場面が何度か起こる可能性があり、特に女性の一人旅はよほど旅慣れた人でないとお勧めできません。また、ツアー旅行の場合でも、注意が必要になってくるでしょう。
 外務省ホームページの危険情報によると、インド辺りは黄色(十分注意)から部分的に薄いオレンジ色(渡航の是非検討)位の危険の程度です。中東やアフリカの紛争地帯では、濃いオレンジ色(渡航延期勧告)から大部分は赤色(退避勧告)ですので、いかにそれらの地域に旅をするのが危険なのかが推察されます。

                 *   

 ちなみに、私が今までの海外旅行で、「最も感動したランキング ベスト23 」を挙げるとざっと以下のようになります。
(それぞれが個々に素晴らしくて、感動要素も異なるので、一概に比較するのは難しいのですが、私の主観による芸術的感動度のみでランキングしています。また、これが完璧なランキングという訳でもなく、その差は僅差であり、特に下位については気分・時節によって順位が変動します。この他にも良かった体験は多々ありますが、今、思いつく場所のみを上げています。)

第1位  ☆インド アジャンター石窟「蓮華手菩薩像」
第2位  ☆ネパール カトマンズ「インドラジャトラ祭 クマリとの遭遇」
第3位  ☆中国 チベット「ポタラ宮」
第4位  ☆インド バナーラス「ガンガーでの沐浴」
第5位  ◎インドネシア ジャワ島「ボロブドゥール遺跡」
第6位  ◎中国 貴州省「トン族村滞在」
第7位  ◎中国 甘粛省「敦煌莫高窟」
第8位  ◎カンボジア「アンコール遺跡群」
第9位  ◎ベトナム サパ、バックハー「モン族村滞在」
第10位 ◎イタリア・バチカン市国「システィーナ礼拝堂 ミケランジェロのピエタ像」
第11位 ◎中国 貴州省「ミャオ族 姉妹飯節」
第12位 ◎インドネシア バリ島「バリ舞踊」
第13位 ○カンボジア「アプサラ・ダンス(カンボジア舞踊)」
第14位 ○ネパール バクタプル、パタン
第15位 ○ミャンマー インレー湖(ファウンドーウー祭)、カロー(トレッキング)
第16位 ○タイ王国 チェンマイ、チェンラーイ(トレッキング)
第17位 ○インド エローラ石窟、カジュラホー
第18位 ○スリランカ シーギリヤ・ロック「シーギリヤ・レディ」
第19位 ○中国 青海省「チベット族の一家との交流」
第20位 ○中国 四川省「四姑娘山」
第21位 ○ラオス ルアンパバーン
第22位 ○中国 西安
第23位 ○台湾 日月潭、霧台、烏来

 アジャンター石窟、ガンガーの沐浴、ポタラ宮では、感動のあまり感涙を起こす位ですし、インドラジャトラ祭ではほぼ放心状態でした。つまりは、近寄る事が困難である程、より感動が増加するとも言えますので、「旅の快適度・難易度」がそのまま「旅の良し悪し」ではないという事なのです。
 また、お金を払えば誰でも行ける簡単な「ツアー旅行」では、私と同程度の感動は多分、得られないのではないかと思います。現地の文化・美術への造詣と知識を十分に得た上で、長期間の自由旅行で精神を解き放ち、不便を乗り越えながらようやくたどり着いた中での感動なのです。

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁

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2021-12-23

インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行〈1995年〉その4、後藤 仁

 私の一番最初の海外旅行、『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』 (1995年3月13日~27日)の続き〈その4〉です。

                 *

 旅行8日目: 1995年3月20日(月)。今日は、ボロブドゥール遺跡と並ぶ、インドネシア・ジャワ島随一の見所、巨大ヒンズー(ヒンドゥー)教遺跡の「プランバナン遺跡」を巡ります。
 確か、この日の朝辺りから、私はきつい腹痛(腹下し)と食欲不振と微熱が出ました。吐く事こそ無いのですが、便が酷い軟便となり、食べ物がほとんど喉を通りません・・・。インドネシアではこの頃、コレラが流行っていましたので、バリ島で運転手のあんちゃんの手作りキウイジュースを飲んだ以外は、生水・氷・生野菜・カットフルーツ等の生ものは食べないように気を付けていました。しかし、衛生状態が良いとは言えないバリ島で大丈夫だったのに安心して、ジャワ島では少し油断して、レストランでは生野菜・カットフルーツ等を食べるようになっていました。それに、あたったようです。
 ・・・ここで少し、インドネシア料理について触れておきます。この時分は料理単体の写真を撮っておらず、食事内容は記録にも残していないのですが、インドネシア料理は、しっかりとしたピリ辛味付けで、基本的にどれも美味しいです。バリ島での昼食では、運転手のあんちゃんの案内で、観光客向けの洒落たレストランでバリ風ビュッフェ等をいただきました。手帳の記録では、二人で35000ルピア等と書かれていますので、インドネシアでは、まあまあ高級な食事です(この頃のレート、1ルピア≒約0.044円)。その他、インドネシアでの朝食は、ホテルのパン・ゆで卵・バリコーヒーセットをいただいたり、昼食・夕食は市内のレストランで、ナシゴレン(インドネシア版チャーハン、目玉焼き付)、ミーゴレン(インドネシア版焼きそば)等を食べました。市場で売っている、色とりどりの南国フルーツも絶品です(カットフルーツではなく、皮付きの果物を買うと良いです)。

 インドネシア写生旅行
ブサキ寺院に向かう途中の観光レストランで、同行者の中尾俊雄くんと(3月14日 バリ島)
インドネシア写生旅行
ブドゥグル(ブラタン湖)に向かう途中の観光レストランで、たいていビュッフェ・スタイルです(3月15日 バリ島)


 ジョグジャカルタのバスターミナルからソロ行きのバスに乗り約40分で、「プランバナン寺院群」(入園料1人、4000ルピア/体調悪化のせいか、この頃以降、私の手帳の記録がほとんどなされていませんので、ガイドブックの記載によります)に到着しました。中央に主堂・シヴァ神殿、左右にブラフマ神殿とヴィシュヌ神殿、その周りに、ヴァーハナ堂(乗り物堂)が3つそびえています。
 ボロブドゥール寺院はその広大無辺さに圧倒されましたが、プランバナン寺院はその高さに驚きます。私はボロブドゥール寺院の方が好みですが、同行者の中尾俊雄君はプランバナン寺院の形の方が良いと言っていました。各堂内には、ヒンズー教の神々が祀られています。プランバナン遺跡からは、最近も噴火で話題となった活火山・ムラピ山(「火の山」の意)も望めます。

 次に、仏教寺院「セウ寺院」に。入口に立つ守護神クベラ像が面白いです。続いて、「プラオサン寺院」、「サジワン寺院」、「サリ寺院」、「カラサン寺院」を拝観。各堂内には観音像等が安置されています。入場料は全部無料です。この辺りの土地では、子羊(子ヤギ)達がたわむれ、のどかで牧歌的な光景が楽しめます~。
 この日は、自身の体調と相談しながらも、丸一日、プランバナン遺跡周辺の散策を堪能し、ホテルへの帰途に着きました。

インドネシア写生旅行
「プランバナン寺院群」 シヴァ神殿、ブラフマ神殿、ヴィシュヌ神殿、ヴァーハナ堂(乗り物堂)
インドネシア写生旅行
富士山のような美しい形状の「ムラピ山」
インドネシア写生旅行
「セウ寺院」付近で、たわむれる子羊(子ヤギか?)達。
インドネシア写生旅行
「サジワン寺院」でも、子羊(子ヤギ)達が見られます 😻


 旅行9日目: 3月21日(火)。今日はジョグジャカルタ市内を巡ります。まだ、体調が優れませんが、取材をしない訳にはいきませんので、無理をおして出かけます。
 王宮近くの「鳥の市」へ。ここでは、珍しい鳥や爬虫類等の動物がたくさん売られています。次に、「水の宮殿」(入場料500ルピア)へ。その昔、スルタン(君主・国王)が宮女達の水浴びする姿を眺めたという美しいプールでは、現在、数人の男の子達が泳いでいます。「マネー!」と叫ぶので、インドネシア硬貨や日本の小銭を投げてやると、われ先にと水中に潜って取り合いをします。
 インドネシアは現在もそうでしょうが、この当時、経済的には決して豊かとは言えない状況で、あちこちで子ども達が物売り(手作りネックレス・果物等を販売)をしている姿が見られました。(その後、私は、アジア各国の旅をしましたが、この時のインドネシアが最も多かったです。)子ども達が労働をしている姿は可哀想な気もしますが、それでもインドネシアの子ども達は、現在の日本の子ども達よりも、むしろ活き活きとしていて、元気良くて、その点は素晴らしいです。
 この後、今は廃墟となっている「モスク跡」を見て、「王宮南広場」で催されていたインドネシア古式弓道を見物。これ以上の体調悪化を避けるために、この日は早めにホテルに帰って、よく休養を取りました。

 旅行10日目: 3月22日(水)。この日の朝、中尾君は美術予備校の仕事があるとかで、「腹痛で大変そうだけど、頑張ってね・・・」との言葉を残して、先に飛行機で日本へ帰ってしまいました。この後の6日間は完全な一人となり、私にとって、海外初旅行にして、海外初の”一人旅”となりました。こうして私の、海外一人取材行脚は鍛えられていったのです・・・。
 この日も、食・水あたり症状が続き、体調が良くありません。だんだん水様便となり、コレラを疑いましたが、まだどうにか動けるので、大丈夫だろうと考えていました。
 時間を無駄にしないように、どうにかこうにかホテルからはい出して、この日は王宮(Kraton/入場料300ルピア)の「人形劇(ワヤン・ゴレッ)」(10:30~12:00開催)を鑑賞(確か有料、鑑賞料は記録していないので不明)。ただ、ここで力尽きて、午後はホテルの部屋に戻り、一人、腹痛と食欲不振と微熱に苦しみながら、じっとベッドに寝転んで体調を整えました。
 
 明日は、何とか体調も復活してきて、再度、一人で「ボロブドゥール遺跡」を目指します。二人旅は楽しいのですが、どうしても見物だけが主となり、なかなかスケッチ(写生)が出来ません。この後は、本来の目的であるスケッチをすべく、病をおして、頑張りますよ~~。続きも、乞うご期待~❣

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁

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ジャンル : 学問・文化・芸術

2021-10-21

インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行〈1995年〉その3、後藤 仁

 私の一番最初の海外旅行、『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』 (1995年3月13日~27日)の続き〈その3〉です。

                 *

 旅行6日目: 1995年3月18日(土)。この日は、バリ島からジャワ島への移動日です。14:30 バリ島、グラ・ライ国際空港 発 → 14:45 ジャワ島・ジョグジャカルタ、K.C.アディスチプト空港 着 の予定です。

 午前中に、「バリ博物館」に行ってみましたが、閉館中なので外観だけ見物。その後、空港に向かいました。この当時、空港では毎回、空港使用料(グラ・ライ国際空港では7700ルピア/1ルピア≒約0.044円)を支払う必要がありました。
 グラ・ライ国際空港を飛行機で飛び立ち、すぐにジョグジャカルタに着くかと思いきや、案外、時間がかかります。機内で機長が、何やら長々と英語でしゃべっていましたが、英語の不得意な私には、よく聴き取れませんでした・・・。空港に到着してみると、どこか様子が変です。ここで待機してくれと、空港のロビーに乗客が案内され、軽めの弁当と飲み物が配られました。隣のインドネシア人に聞いてみると、どうやら、ジョグジャカルタ上空の天候が悪いので、ジョグジャカルタを飛び越えて、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港に、一旦、飛行機が降り立ったらしいのです。弁当を食べながら、しばらく時間をつぶしていると、ようやく出発できるとの事で、再び飛行機に乗り込み、K.C.アディスチプト空港に向かいました。ジョグジャカルタの地に着いた頃には、すっかり、たそがれ時になっていました。かなり時間を要しましたが、ようやく、インドネシアの古都・ジョグジャカルタに到着です!! 旅にトラブルはつきものですね~。
 確か、空港のガルーダインドネシア航空オフィスで、帰りの航空便のリコンファーム(予約再確認/この当時は、搭乗の72時間前までに、帰国便の予約の再確認が必要でした)を済ませたと思います。タクシーで市内に向かいました(4人で6000ルピア、と手帳に書いてあるので、多分、他の2人組と同席したのでしょう)。ジョグジャカルタでの宿は、「PETI MAS Guest House」(Dagen通りNo.27/一泊二人〈ダブル部屋・確か朝食付き〉で15 USドルだったと思います)にしました。この宿だけは、リーフレットを取ってありましたが、それ程に、とても快適で良い宿だったと記憶しています。
 
インドネシア写生旅行
「PETI MAS Guest House」 (ジョグジャカルタ Dagen通りNo.27) リーフレット


 旅行7日目: 3月19日(日)。今日から、ジョグジャカルタの街を巡ります。王宮(Kraton/入場料300ルピア)を見物。趣のある古い建物の中に、古代の馬車等が展示されています。毎週日曜日の10:30~12:00には、ここで「宮廷舞踏」(鑑賞料1500ルピア、カメラ撮影料500ルピア)が開催されていますので、鑑賞しました。トランス状態で自由に舞っている感じのバリ舞踊に比べ、また一味おもむきが異なり、より様式的で厳格な雰囲気を感じる舞踏です。

 午後には、ベチャ(三輪自転車の輪タク)に乗って、ボロブドゥール方面行きバス乗り場に向かいました(輪タク代、2人 3000ルピア)。バス乗り場では、バス会社のお兄さんが、「ボロブ、ボロブ~!」と大声で呼び込んでいるので、すぐにボロブドゥール遺跡行きのバス(1人 1500ルピア/所要 約1時間余り)が分かります。バスに乗り込み、いざ、「ボロブドゥール遺跡」へ!! 
 今回の旅の最も大きな目的は、東京藝術大学の卒業制作用に「ボロブドゥール遺跡」をスケッチする事ですので、俄然、胸が高鳴ります~。ボロブドゥール遺跡は、ユネスコ世界遺産でもあり、世界三大仏教遺跡の一つでもあります。(他の二つは、「カンボジア、アンコール遺跡群(アンコール・トム等)」と「ミャンマー、バガン遺跡」ですが、私はこの後、2005年の「タイ・カンボジア写生旅行」と2014年の「ミャンマー(ビルマ)写生旅行」を合わせて、世界三大仏教遺跡の全てを訪れています。また2004年の「インド写生旅行」では、ブッダガヤ・セーナー村・アジャンター・サーンチー・サールナート等の主だった仏跡を見て回りました。)

 バスの車窓から、遠く、ボロブドゥール寺院の威容が見えて来ました(入園料4000ルピア)。バス停で降車すると、歩いて寺院に近づきます。想像を絶する、超巨大な石造りの建造物です(高さ42m、最下部の基壇の正方形の一辺124m)。巨大な石の階段を、一歩一歩、登ります。
 ボロブドゥールは、仏教の三界(欲界~色界~無色界)を表しているとも言われています。隠れた基壇の石壁には俗世の人々が彫り込まれ、第一回廊~第四回廊には、「方広大荘厳経」「華厳経入法界品」に基づく、釈迦の前世譚(ジャータカ)や釈迦の生涯 等が彫り込まれています。上から見ると方形をした回廊層を越えると、円形のストゥーパ層(第一円壇ストゥーパ~第三円壇ストゥーパ、大ストゥーパ)が現われます。正に、”悟り”の世界です。回廊の狭くて絢爛豪華な通路を越えて、無辺の円壇に出ると、気持ちが一気に晴々とします~。ずっと遠くまで、周辺の密林や山々が望めます。各小ストゥーパの中には、穏やかな表情をした仏像が安置されています。内部には何も無い、巨大な中央の大ストゥーパは、ここが世界の中心であるかのような、荘厳な静けさに満ちていました・・・。
 日本の大乗仏教では既に観念が薄れていますが、上座仏教やヒンズー教では、尊者や仏像等を巡る時は「右繞(うにょう)」と言って、必ず右回りに(基本3回)回らねばならず、ストゥーパも右繞でなければならないのですが、この当時の私は、それを知らずに、右左と適当に見て回っていました。それにしても、ボロブドゥールの石刻表現は、宗教的崇高さは言うまでもなく、美術的価値も極めて高いものでした。感心しっぱなしで、巨大な遺跡を一通り見て回るだけで、あっという間に、今日の午後が終わりました・・・。

インドネシア写生旅行
ユネスコ世界遺産、世界三大仏教遺跡 「ボロブドゥール寺院」 外観
インドネシア写生旅行
「ボロブドゥール寺院」 円壇・小ストゥーパ


 ボロブドゥール遺跡からの帰りもバスなのですが、バスが市内のどの辺りを走っているかが分かりづらく、おおよその見当で降りて、そこからベチャで宿に向かうしかありません。
 明日は、ボロブドゥール遺跡と並ぶ、インドネシア・ジャワ島随一の見所、巨大ヒンズー(ヒンドゥー)教遺跡の「プランバナン遺跡」を巡ります。続きも、お楽しみに~❤

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

2021-09-14

インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行〈1995年〉その2、後藤 仁

 私の一番最初の海外旅行、『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』 (1995年3月13日~27日)の続き〈その2〉です。

                 *

 旅行4日目: 1995年3月16日(木)。この日も、バリのあんちゃんの運転で、バリ島見物。ウブド(ウブッ)のホテルを出発。ウブドはバリ絵画で有名な村です。バリ島の伝統的な風景・風俗を精緻に描いたバリ絵画は、一見の価値があります。私達もウブドで二泊(多分)している間に、ウブドの通りを散策して、画廊等でバリ絵画や民芸品を見て回りました。

 あんちゃんがデンパサール近郊の自分の家に招待してくれるというので、一緒に行く事になりました。旅先で気を許すと危険な目に合う事が多いのですが、この頃になると、お互いの信頼度も増していました。
 あんちゃんの質素な家に着くと、綺麗な奥さんも出迎えてくれました。庭の椅子に腰掛けると、あんちゃんが手製キウイジュースを作ってくれました。グラスに生のキウイを砕いて入れ、カキ氷のシロップをかけ、水を入れて出来上がり! ただ、これまでバリ島では、生水はお腹をこわすので厳禁という事で、必ずペットボトルで水を飲んでいました。レストランの水でさえ、注意して飲まないようにしています。ジュースを出されたのはいいのですが、中尾君と顔を見合わせて、「どうしようか・・・」「水道水を入れていたよね・・・」と小声をかわしました。あんちゃんが向こうを見ている隙に、中尾君がグラスのジュースを庭にパッと半分位捨てました。私も捨てようとすると、あんちゃんがこちらを振り向き、「何してんの?」といった顔をしました。私達はさすがに気まずいので、「仕方ない、せっかくの好意を無駄にできない」と心の中で覚悟を決め、グイっと飲み干しました。なかなか美味しかったです~。 ( ^^) _U
 この日の出来事を思い出すと、今でも笑いがこみ上げてきます。・・・ただし本来なら、この頃のインドネシアでは、睡眠薬強盗等が横行していたので(場所によっては、レストランでも、客と店がグルになった睡眠薬強盗が起こります)、安心できる店や相手でないと、出された飲み物は飲まない方がいいです。ただ、この時は、あんちゃんの人柄を信じていましたし(それが危ないのですがね・・・)、旅先での過度の警戒心は、せっかくの現地の人々との楽しい交流を台無しにしてしまいますので、程度ものなのです。海外の旅では、周囲の人物と治安状況をいかに的確に判断できるかの、眼力と経験が必要になってきます。

 次に、サヌールの砂浜で海を眺め、バリ島最南端にある「ウルワトゥ寺院」では、75mの断崖絶壁からインド洋を一望。その後、バリ島の有名な観光地、クタ・ビーチへ。ビーチへ入るなり、物売りの若者二人が指輪をしつこくすすめてきます。初めは断っていたのですが、中尾君が品物に興味を示し、仕方ないので、私も付き合う流れに・・・。まず、このような売人の商品は偽物なのですが、当時は私も若かったので(今では絶対に相手しませんが)、誰かへの軽いプレゼント用にでもしようかと、安めの指輪2つを購入(銀らしき輪はたぶん真鍮製で、宝石部分はガラスかプラスチックかも知れません)。クタ・ビーチは雑多で、治安が悪い感じで、好きになれませんでした。(ちなみに、この10年後の2005年、クタ・ビーチで日本人が巻き込まれるテロ事件が起こりました。現在、ますます世界中の治安が悪化する傾向にあり、アジアの国々でも、特に繁華街・駅前等では、最大限の注意が必要です。)
 夕方前、海岸に建つ「タナ・ロッ寺院」(入場料・寄付金合わせて2000ルピア)へ。海につき出た半島上に建つヒンズー教寺院は、とても幻想的で、美しいです。砂浜では、子ども達が元気に遊んでいました。子どもは、やはり、遊ぶ事が仕事ですね~。ところが私達を見ると、子ども達は熱心に絵ハガキを売ってきます。絵ハガキを幾つか購入したついでに、先程、クタ・ビーチで購入した指輪を、多分良い事ではなかったかも知れませんが、その中でも愛想の良い子どもにあげてしまいました。
 その他の場所でも、バリ島には子どもの物売りが多くて、あちこちで、手作りネックレス等の小物を買わされる羽目に・・・。経済的にまだまだ発展途上国であるアジアの国々ではよくある事ですが、子ども達が労働している姿は(基本的に楽しそうに、遊び感覚で物売り等をしていますが)、いつも、とても悲しげに思え、考えさせられます。
 この日の夕方は、旅の感傷にふけりながら、「タナ・ロッ寺院」の海に沈む夕日を、いつまでも眺めていました・・・。

 この夜は、デンパサールのホテルへ(手帳の記載から、「Hotel Chandra Garden」だと思います)。ウブドのホテルは良かったのですが、確か、明後日の航空移動日に備えて、空港に近いデンパサールのホテルに移ったのだと思います。多分、二泊二人(ダブル部屋)で50000ルピア(一泊・ダブル部屋25000ルピア/1万円→約22万5000ルピア : 1ルピア≒約0.044円)だったと思いますが、最初にタクシーに連れていってもらったデンパサールのホテルより、ずっと快適なホテルでした。朝は、朝食の食パンとゆで卵とバリコーヒー(バリコピ)が付いてきます。バリコーヒーは、カップの底に細かいコーヒーかすを沈めて、上澄みを飲むというスタイルで、香り・こくは薄いですが、あっさりして独特の美味しさです。

インドネシア写生旅行
「タナ・ロッ寺院」の美しい夕景

 旅行5日目: 3月17日(金)。この日もバリ島見物。デンパサールのホテルから出発。バリ州政庁舎を見て、ウブド近郊の「ゴア・ガジャ」へ。ゴア・ガジャとは「象の洞窟」を意味し、奇妙な巨大石像の顔の口部分が洞窟になっています。6体の女性石像がある沐浴場も美しいです。ここでは、人の良さそうな おばあさんとお孫さんが、お供え物を手作りしていました。
 かなり車で走って、プヌロカンへ。ここから、バトゥール山(1717m)と巨大なカルデラ湖・バトゥール湖が望めます。次に、「ティルタ・エンプル寺院」(入場料550ルピア)へ。ティルタ・エンプルは「聖なる泉」を意味し、沐浴場では男達が沐浴をしています。このヒンズー教寺院では、ちょうど、「オダラン」というお祭りが開催されていました。「オダラン」はヒンズー教寺院の建立記念日を祝うお祭りですが、毎日のようにバリ島のどこかで行われているといいます。このお祭りはとても見応えがあり、美しい伝統衣装の善男善女が、頭にお供え物(ガボガン)を乗せて続々と寺へお参りする光景は、とても印象的で目に焼き付きました。後に私は、この「オダラン」をモチーフに、日本画作品を何度も描いています。
 運転手のあんちゃんのおかげで、効率的にバリ島を回れましたが、この日でお別れです。あんちゃんが、私のレイバンのサングラスを欲しがったので、私は感謝のしるしにプレゼントしました~。
 この夜は、プリアタンのプリアタン宮殿「レゴン・クラトン(宮廷舞踊)」(7:30~9:00/一人5000ルピア)を鑑賞しました。舞踊の演目は、「インストゥルメンタル」「ウエルカム・ダンス(歓迎と祝福の踊り)」「クビャール・トロンポン」「レゴン・クラトン(レゴン・ラッサム)」「タルナ・ジャヤ」「バロン・ナンディニ」と続きます。バリ舞踊で最も有名な「ティルタ・サリ舞踊団(Tirta Sari)」の舞踊は、極めて高い技術であり、最高に幻想的で素晴らしいものでした。ガムラン(インドネシアの伝統的な民族音楽)の調べに合わせて、誠に優雅な踊りが繰り広げられていきます・・・。

 私が前に、拙ブログの「最も感動したランキング ベスト23 」インドネシア バリ島「バリ舞踊」第12位に挙げましたが、この日の「オダラン」と「レゴン・クラトン」は、まさにバリ島の旅のハイライトとして、決して一生忘れる事がないでしょう・・・。この後、私が「アジアの美人画」シリーズを描く大きなきっかけともなりました。

インドネシア写生旅行
デンパサールのホテルで、朝食中の中尾俊雄君 (ホテル名は、多分、「Hotel Chandra Garden」だと思います。デンパサールのディポネゴロ通りNo.102 にある、とても快適なホテルでした。)

インドネシア写生旅行
「ゴア・ガジャ」 中尾俊雄君と私

インドネシア写生旅行
「ティルタ・エンプル寺院」 バリ島のお祭り・オダラン

インドネシア写生旅行
プリアタン宮殿 「レゴン・クラトン」 ウエルカム・ダンス(歓迎と祝福の踊り)
インドネシア写生旅行
プリアタン宮殿 「レゴン・クラトン」 レゴン・クラトン(レゴン・ラッサム)
インドネシア写生旅行
プリアタン宮殿 「レゴン・クラトン」 バロン・ナンディニ


日本画「妙なる国の少女(バリ島)」後藤 仁
日本画「妙なる国の少女(バリ島)」(F50号/2002年制作) 後藤 仁


 明日は、バリ島からジャワ島・ジョグジャカルタへ、飛行機で飛びます。いよいよ、世界三大仏教遺跡・ユネスコ世界遺産「ボロブドゥール遺跡」とのご対面です。続きを、ご期待下さい~ 💖 。

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁


テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

2021-09-09

インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行〈1995年〉その1、後藤 仁

 私は現在までに、アジア圏を中心に、13か国・地域や、日本全国(全47都道府県)を写生旅行してきました。貧乏画家故に予算に限りがあり、数としては大した事はないのですが、いずれも誠に充実した写生旅行でした。
 私は”旅”を愛し、”旅での写生”を画家人生の生き甲斐にしてきました。ところが、現在のコロナ禍により、海外・国内旅行も制限され、来年以降もしばらくは難しそうです。そこで、この間に、まだブログに記していない、過去の「海外写生旅行」をぼちぼちとまとめておこうと思います。なにぶん昔の事ですので、記憶違いの事項やあいまいな箇所も多々あるかと思いますが、残された画像や資料を元に、感動の旅をできるだけ詳細に辿ってみたいと思います~。
 まずは、私の一番最初の海外旅行『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』 (1995年3月13日~27日)です。私は26歳、東京藝術大学3年生の終わりの春期休暇に、この旅を行いました。

 大学4年生を前に、私は卒業制作の題材を考察していました(当初は、「東大寺大仏殿」を描く予定でいました)。東京藝術大学 日本画専攻の同級生、中尾俊雄君がインドネシアの旅を一緒に行ってくれる人を探しているというので、前々からアジア文化に関心の高かった私は、この機会に彼と一緒に旅行する事にしました。私はそれまで、国内旅行にはよく出掛けていましたが、海外旅行は未経験でした。中尾君はヨーロッパの旅等を何回か経験しているといい、海外初旅行は経験者に同行する方が安全だろうと考えたのです。
 ジャワ島にある世界三大仏教遺跡・ボロブドゥール遺跡には、かねてから、ぜひとも訪れてみたかったのです。また、バリ舞踊にも関心がありました。そして、卒業制作の題材探しも、旅の大きな目的でした。
 それからパスポートを取り、その時分、インドネシアではコレラが流行しているというので、念のために品川東京検疫所と那覇検疫所でコレラワクチンを2回接種しました。2月27日~3月4日に、師である後藤純男先生に随行して「沖縄(本島)写生旅行」に行っていたので、2回目はやむなく沖縄で接種したのです。ちなみに私が初めて飛行機に乗ったのは、この沖縄旅行でした。私は結構苦学生でしたので、なかなか生活にゆとりを持てず、旅好きの割には飛行機デビュー・海外旅行デビューも、存外、遅かったのです・・・。
 新宿のH.I.Sで、インドネシア行の往復航空券(日本・成田 → インドネシア・バリ島 → インドネシア・ジャワ島 → 日本・成田/9万2000円)と海外旅行保険(7610円)も購入しました。

                 *

 旅行1日目: 1995年3月13日(月)11:00 日本・成田発 → 20:10 インドネシア・バリ島、デンパサール着
 ガルーダ・インドネシア航空の機内は落ち着いたブルー色で、食事や雰囲気も良かったです。赤道を越える頃に、かなり機体が揺れて、乗客の女性達からは悲鳴が起こったりしましたが、基本、快適な空旅でした。インドネシア上空で飛行機の窓から見下ろすと、田園や曲がりくねった川が、パッチワークのようで面白いです。インドネシア・ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港を経由して、バリ島のグラ・ライ国際空港に到着しました。
 こうして、小さな不安と大きな期待を胸に、私の海外初の旅が始まりました~!!

インドネシア写生旅行
インドネシア・ジャカルタ 「スカルノ・ハッタ国際空港」 ガルーダ・インドネシア航空、マークのガルーダがカッコイイ~❣

 空港で両替をすると、1万円→22万5000ルピアでした(1ルピア≒約0.044円/ウブドの両替所では、1万円→24万ルピアの所もありましたが、その他はだいたいこのレートでした。当時のインドネシアの物価は、日本の6~7分の1くらいでした)。空港からタクシー(1万1000ルピア)でデンパサール市内へ。タクシー運転手の案内で安めの宿を探し、ダブル部屋で二人で1万6500ルピアのホテル(ホテル名称、未記録)に泊まりました。
 チェックイン時、宿に、私らより少し年上のあんちゃんが来て、車でバリ島を案内するといいます。バリ島は交通網が発達しておらず、どのみち右も左も分からぬ土地ですし、人相から悪い人ではなさそうだと中尾君と相談し、その人に運転・案内してもらう事にしました。一日(確か二人で)7万5000ルピアだといいます。インドネシアの物価からすると高めのような気もしましたが、後で分かったのですが、その人はレンタカーを借りて一日中、運転をしてくれるので、そのレンタカー代にかなり持っていかれるそうで、比較的良心的な価格だったようです。

 【バリ島ホテルあるある~⁉】
①インドネシア、特にバリ島のホテルでは、何人もの物売りやあっせん屋が部屋の前までおしかけてきます。今回の運転手のあんちゃんは正解でしたが、中には偽物・まがい物を売りつけたり、麻薬等の違法物をそそのかす輩もいるので、注意が必要です。いらない時は、ハッキリと「NO!」と拒否しましょう。警察官の服装を着た犯人にホテル従業員までだまされて、宿泊客が強盗にあったケースもあると言いますので、個人では回避しようがない事案もありますが・・・。
②インドネシア等のアジア圏のホテルでは、夜中に、「カックー、カックー・・・」といったような奇妙な音が聞こえてくる事があります。特にバリ島のホテルでは多く聞かれましたが、これは、トッケイヤモリ(「トッケイ」とは鳴き声に由来する)の声なのです。体長20㎝程の爬虫類です。私が電気を付けると、10数匹ものトッケイヤモリが天井や壁を行き来し、天井の巨大扇風機の配線の隙間の穴から出入りしているのを見ました。何も悪さはしないですし、よく見ると可愛らしい生き物ですが、爬虫類が苦手な人は、バリ島のホテルではご覚悟下さいね~。 (@_@)
 
 旅行2日目: 3月14日(火)。この日は、バリ島の有名なヒンズー(ヒンドゥー)教寺院・ブサキ寺院方面を巡ります。
 金銀細工の村・チュルク(チュルッ)の銀細工工房を見物し、バドゥブランで「バロンダンス」(入場料一人6000ルピア)を鑑賞しました。「バロンダンス」の、聖獣・バロンが登場する日本の獅子舞いのような演目や、女性達の優雅なバリ舞踊、勇猛な男達の剣の舞に、一気に魅了されました。その後、バンリのヒンズー教寺院「クヘン寺院」(入場料3000ルピア)を参拝。バリ島のヒンズー教寺院に入るには、伝統衣装のサロン(腰巻き)とサッシュ (腰帯) を着用しないといけないので、寺の前の出店で2万5000ルピアで購入。この「クヘン寺院」では、神殿を、F4スケッチブックに軽くスケッチしました。車での移動の途中、棚田が見える景色の良いレストランで昼食。
 午後は、聖なる山・アグン山(3142m)の麓に建つヒンズー教寺院「ブサキ寺院」へ。広大な寺院の境内へ入るとすぐに、若い兄さんが、私と中尾君にそれぞれ一人ずつ、つきまとってきました。寺院の高台までついてきて、勝手に解説をします。一通り見終えて寺院の出口に近づいた時、脇道の人気(ひとけ)の無い草地に私達は誘導されました。すると、突然どこからか3人程の兄さんが加わり、私と中尾君を5人程で取り巻いて、「ここは大きな寺院、ガイド代も高い・・・」等と英語で話しながら、にらみつけてきました。私と中尾君の一眼レフカメラをじろじろと見回して、いかにも欲しそうな顔つきです。仕方ないので、確か1000円程のルピアを渡しました。当時、私と中尾君は若くて、筋肉質で、顔もいかつい方だったので、それ以上は要求してこなかったのでしょうが、私達がもっと弱そうだったら、確実にカメラと高額をもぎ取られていた事でしょうね。それ以来、旅先で”勝手にガイド”が現れても、すぐに強く断るようにしています。今のインドネシアはどうか分かりませんが、有名な観光地では注意しましょう~。
 その後、クルンクンの「ププタン記念碑」や「クルタ・ゴサ宮廷」の天井画を見て、コウモリのいる洞穴「ゴア・ラワ」へ。
 デンパサールの宿は街外れにあり雰囲気も良くないので、この夜は、ウブド(ウブッ)の宿に移動。一泊二人(ダブル部屋)2万7500ルピアの、コテージ風の快適なホテル(ホテル名称、未記録)でした。

インドネシア写生旅行
バドゥブラン 「バロンダンス」 バリ舞踊
インドネシア写生旅行
バドゥブラン 「バロンダンス」 聖獣・バロンと、男達の剣の舞

インドネシア写生旅行
バンリ 「クヘン寺院」 バリ島のサロン(腰巻き)、サッシュ (腰帯) をつけた私

インドネシア写生旅行
「ブサキ寺院」 中尾俊雄君と私

インドネシア写生旅行
ウブドのコテージ風のホテルにて(ホテル名称、未記録)


 旅行3日目: 3月15日(水)。この日もあんちゃんに車を運転してもらい、バリ島観光。その日のおおよその行き先を指示すると、その方角の見所に車で連れていってくれるので、大助かりです。私達が寺院等を見物している間、運転手のあんちゃんは、いつも駐車場の車中でじっと待っていました。
 バリ彫刻で知られるマスを経て、「ブキッ・サリ寺院(サゲー寺院)」ではサル(猿)に遭遇。パチュンの棚田を見て、ブドゥグル(ブラタン湖)のウルン・ダヌ寺院を見物。今日はかなりの距離を車で走りましたが、サルに出会い、棚田やブラタン湖の爽快な景色も見れて、満足しました。

インドネシア写生旅行
「ブキッ・サリ寺院(サゲー寺院)」 サルと私。眼鏡をサルに取られないように、はずします。
インドネシア写生旅行
「ブキッ・サリ寺院(サゲー寺院)」 サルと私


 この頃は、私の手帳や写真資料の記述があいまいで、判別しにくい箇所もあるのですが(例えば、料金が、一人分なのか二人分なのかが分かりにくい部分があり)、おおよそこの内容で大きな間違いはないと思います。この続きは、バリ島観光の続編になります。お楽しみに~💖

 絵師(日本画家・絵本画家)後藤 仁

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

2021-08-25

「ミャンマー(ビルマ)の現状を憂う」 絵師(日本画家・絵本画家)後藤 仁

 私は画家(日本画家・絵本画家)ですので、たとえ思う所があったとしても、”美術・芸術”に関しない事象については、常日頃、あえて、できるだけ触れないようにしています。専門外の事をとやかく言えるほどの、高い認識を有していないからです。しかし、近年の世界の動向を見ていると、深く心を傷め、悲しさを募らせざるを得ません・・・。
 コロナ禍の惨事もさる事ながら、世界の各地で絶え間なく起こる天災や人災、・・・暴動・暴力・迫害・戦乱の連鎖に、見て見ぬふりなどできません。私は画家として、直接、言葉や行動で訴える事はふさわしくないと考え、常々、作品を通して、物事の真実を緩やかに語ってきました。しかし、画家など、所詮、無力なものです・・・。

 私が「ミャンマー(ビルマ)写生旅行」を行ったのは、2014年10月の1か月間弱です。元々、ミャンマー(ビルマ)の文化・芸術には高い関心を持っていましたが、それまでの軍事政権下では、旅費に高い税金がかけられて政権に流れるという話を聞いて、敬遠してきました(外国人旅行者がミャンマー国内に入国する際、300USドル〔後、200~100USドル〕を強制的にFEC〔兌換チャット〕に両替させられる制度があり、政府が外貨獲得のために1993年に導入した。・・・FECは2013年7月に廃止された。〈ウィキペディアより〉 また、これは、かつての中国や、今でもミャンマーやアジア圏の国の一部に残っていますが、有名寺院や観光地には高い外国人価格が設定されていました)。2011年から、ようやく民主化が進み出したというので、旅を敢行したのです。
 26日間をかけて、ヤンゴン・インレー湖(ファウンドーウー祭)・カロー(トレッキング)・マンダレー・バガン(仏教遺跡めぐり)・ヤンゴンと回り、その素晴らしい文化・芸術に触れ、誠に感動の旅となりました。→〈詳しくは、拙ブログをご覧下さい http://gotojin.blog.fc2.com/blog-entry-69.html中でも、ミャンマーの田舎地方の多くの人々は、まだ旅行客・外国人慣れもしておらず、比較的シャイな人が多く、照れ笑いを浮かべるさまは、古き良き、かつての日本人のようでした。
 特に、観光客がまだまだ少ない、インレー湖カローのホテルスタッフ・村の人々には、人の良い方が多いのです。カロー「ゴールデン・カロー・イン」という安ホテルの、若い女性スタッフは、対応がすこぶる好ましいので、私が朝食の際にチップを渡そうとしたら、遠慮して受け取りませんでした。これは、経済的にまだまだ厳しい東南アジア圏では、実に珍しい事です。カローで1泊2日のトレッキングガイドを頼んだ、男性ガイドさんも、気配りが細やかで、料理の腕も確かで、大満足でした。他のアジア各国の旅も、いずれも素晴らしいものですが、ミャンマーの旅では、折に触れ、人々の優しさを感じる事ができて、深く記憶に刻まれているのです・・・。
 ただ、ヤンゴンマンダレー辺りでは、既にビジネス化の波が押し寄せ、比較的不愛想な人が増えている感じでした。マンダレーは優れた伝統文化の残る美しい古都ですが、街の中央部の旧王宮には軍隊の大部隊が駐留しています。旧王宮の周囲を警護する軍人に私が道をたずねたら、鼻で笑われて、「あっちへ行け」というジェスチャーをされました。その他にも、ブログにも書いたような、少々、危ない目にも遭い、マンダレーの治安の微妙さを肌で感じた私は、「ミャンマーは、まだ完全には民主化されていないな・・・」と、その時、既に、一抹の不安を感じていました。・・・・

 今、あの人の良かったホテルスタッフやトレッキングガイドや市井の人々はどうしているのだろうか? 元気でいるのだろうか? ほぼ一期一会であろう、はるか遠くに住む人々との触れ合いとは言え、深く思い出に刻まれた、善男善女たちの事を思うと、今のミャンマーの現状が悲しくて、悔しくて、仕方ないのです。彼ら彼女らは、無事なのだろうか・・・、笑顔でいるのだろうか・・・・。
 ミャンマーは敬虔な上座仏教国です。遥か2500年前に生きたブッダは、そんなに古い時代にこう言い残されました・・・。
 「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息む。これは永遠の真理である。」
 また、こうもおっしゃっています。
 「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」と・・・・。
 〈「ブッダの 真理のことば 感興のことば」(中村 元 訳/岩波文庫)〉

 (※蛇足になりますが、表面的な解釈による誤解があるといけないので補足説明。ここで私が引用した「ブッダの言葉」には、誰が誰に対して、という具体的な対象者はありません。この世の全ての人々に当てはまる事であり、人間における普遍的な”真理”とは何かを言いたいのであり、戦争や暴力に対する本能的嫌悪感を表現したのです。
 また、ミャンマーの一般民衆の多くは敬虔な仏教徒です。ミャンマーの一般民衆の日常をよく観察すると、日々の全ての行動に、上座仏教の思想が深く浸透している事が感じ取れます。そのミャンマーで、あのような惨事が起こる事が、なおさら悲しいのです・・・。)

 この事象は、ミャンマーのみならず、私が旅をした国・まだ旅をしていない国・・・、世界中のあちこちで噴出している大きな懸念なのです。また、平和利用とは言え、都会の空を戦闘機が飛び交うさまを、手放しで喜んでいる人々が不思議でなりません・・・。
 人間は傲慢です。他の生命体や資源を食い尽くしている、俗世に生きる私が言えた義理ではないのですが、良き文化や人々が、酷く虐げられる姿など、一切見たくはないのです。何故、人は仲良くできないのか、そこまで同種で傷めあうのか・・・、私の深い苦悶・懊悩は、一生、無くなる事はありません。
 ミャンマーや世界中の子ども達・若者達の将来が、安心できる世の中でありますように、”未来の瞳”が希望に満ちあふれますように、日本の政治・経済界の人々も、やれる事は全てやる必要があります。私も微力ながら、画家としてできる事を、この後も模索していきたいです。
 無力です・・・。実に、無力です・・・。しかし、もし、私の”絵”が少しでも人々の慰み・励みになるのなら、私は、与えられた命に感謝しながら、全身全霊、命をかけて創作に当たる事しかできないのでしょう・・・・。人の世はきれい事だけでは語れないのでしょうが、世の中の全ての差別や暴力が無くなる事を、祈って止みません。

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁


ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・ヤンゴン「シュエダゴォン・パヤー」 (2014.10.3)
 寺院にお参りする、ミャンマーの小学生達。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー、 ホテル「ゴールデン・カロー・イン」 (2014.10.11)
 この旅の中でも、とりわけ、スタッフの印象が良かった宿。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「トレッキングにて」 (2014.10.12)
 1泊2日のトレッキングの途中、山岳少数民族の村々を通ります。村々では、素朴で美しい人々や子ども達に出会えます。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「トレッキングにて」 (2014.10.12)
 山小屋にて1泊。ホテル「ゴールデン・カロー・イン」で紹介してもらった、トレッキングガイドの、Mr. Myo Zaw 。山道の案内の他、料理も作ります。とても美味しいですよ~。  (^・^) _U~~

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「トレッキングにて」 (2014.10.13)
 トレッキングの途中の、山の小さな小学校付近で出会った、元気な子ども達。弁当や教科書を見せてもらいました。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「トレッキングにて」 (2014.10.13)
 トレッキングの最後の頃、カローに向かう途中の村で出会った、おしゃれな子ども達。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「小学校」 (2014.10.14)
 カローの村にある小学校。窓からちょっと拝見すると、元気よく勉強していました。日本と違って、まだまだ、おおらかですね~。
 この子ども達の将来が、安心できる世の中でありますように、”未来の瞳”が希望に満ちあふれますように、日本の政治・経済界の人々も、やれる事は全てやる必要があります。私も微力ながら、画家としてできる事を、この後も模索していきたいです。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・バガン仏教遺跡めぐり「タビィニュ寺院」 (2014.10.19)
 一緒に写真を撮ろうと寄ってきた、フレンドリーな一家。ところで、私が自ら肩を組んだのではなくて、父親が私の手を引っ張って置いたのです~。('◇')ゞ

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・ヤンゴン「学習塾」 (2014.10.27)
 旅の最終日。ヤンゴンの小さな寺院の脇にある、学習塾らしき施設の子ども達。私を見て、全員が出てきました。皆さん、人懐っこいね~。 (^・^)ノ

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

後藤 仁 プロフィール

後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)

Author:後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)
~後藤 仁 公式ブログ1~
絵師〈日本画家・絵本画家、金唐革紙製作〉後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

 【後藤 仁 略歴】
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校 美術科で日本画を始める。東京藝術大学 絵画科日本画専攻 卒業、後藤純男先生(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。
卒業以降は日本画家として活動し、日本・中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画/日本の美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は「絵本」の原画制作に力を入れる。
2023年、大垣祭り(ユネスコ無形文化遺産)天井画『黒龍と四つ姫の図』を制作奉納する。
○絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、『わかがえりのみず』(鈴木出版)、『金色の鹿』(子供教育出版)、『青蛙緑馬』(浙江少年児童出版社/中国)。挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。
『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。また、宮崎 駿 氏の絵物語「シュナの旅」の原話になった事でも知られている。
○NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞・専門誌・インターネットサイト等への出演・掲載も多い。
○東京藝術大学 デザイン科講師、東京造形大学 絵本講師 他、日本画・絵本講師。国選定保存技術 金唐革紙 製作技術保持者。日本美術家連盟 会員(ご推薦者:中島千波先生)、絵本学会 会員、日本中国文化交流協会 会員。千葉県松戸市在住。

★現在、日本国内向けと、中国向けの「絵本」を制作中です~❣

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絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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