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2021-09-14

インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行〈1995年〉その2、後藤 仁

 私の一番最初の海外旅行、『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』 (1995年3月13日~27日)の続き〈その2〉です。

                 *

 旅行4日目: 1995年3月16日(木)。この日も、バリのあんちゃんの運転で、バリ島見物。ウブド(ウブッ)のホテルを出発。ウブドはバリ絵画で有名な村です。バリ島の伝統的な風景・風俗を精緻に描いたバリ絵画は、一見の価値があります。私達もウブドで二泊(多分)している間に、ウブドの通りを散策して、画廊等でバリ絵画や民芸品を見て回りました。

 あんちゃんがデンパサール近郊の自分の家に招待してくれるというので、一緒に行く事になりました。旅先で気を許すと危険な目に合う事が多いのですが、この頃になると、お互いの信頼度も増していました。
 あんちゃんの質素な家に着くと、綺麗な奥さんも出迎えてくれました。庭の椅子に腰掛けると、あんちゃんが手製キウイジュースを作ってくれました。グラスに生のキウイを砕いて入れ、カキ氷のシロップをかけ、水を入れて出来上がり! ただ、これまでバリ島では、生水はお腹をこわすので厳禁という事で、必ずペットボトルで水を飲んでいました。レストランの水でさえ、注意して飲まないようにしています。ジュースを出されたのはいいのですが、中尾君と顔を見合わせて、「どうしようか・・・」「水道水を入れていたよね・・・」と小声をかわしました。あんちゃんが向こうを見ている隙に、中尾君がグラスのジュースを庭にパッと半分位捨てました。私も捨てようとすると、あんちゃんがこちらを振り向き、「何してんの?」といった顔をしました。私達はさすがに気まずいので、「仕方ない、せっかくの好意を無駄にできない」と心の中で覚悟を決め、グイっと飲み干しました。なかなか美味しかったです~。 ( ^^) _U
 この日の出来事を思い出すと、今でも笑いがこみ上げてきます。・・・ただし本来なら、この頃のインドネシアでは、睡眠薬強盗等が横行していたので(場所によっては、レストランでも、客と店がグルになった睡眠薬強盗が起こります)、安心できる店や相手でないと、出された飲み物は飲まない方がいいです。ただ、この時は、あんちゃんの人柄を信じていましたし(それが危ないのですがね・・・)、旅先での過度の警戒心は、せっかくの現地の人々との楽しい交流を台無しにしてしまいますので、程度ものなのです。海外の旅では、周囲の人物と治安状況をいかに的確に判断できるかの、眼力と経験が必要になってきます。

 次に、サヌールの砂浜で海を眺め、バリ島最南端にある「ウルワトゥ寺院」では、75mの断崖絶壁からインド洋を一望。その後、バリ島の有名な観光地、クタ・ビーチへ。ビーチへ入るなり、物売りの若者二人が指輪をしつこくすすめてきます。初めは断っていたのですが、中尾君が品物に興味を示し、仕方ないので、私も付き合う流れに・・・。まず、このような売人の商品は偽物なのですが、当時は私も若かったので(今では絶対に相手しませんが)、誰かへの軽いプレゼント用にでもしようかと、安めの指輪2つを購入(銀らしき輪はたぶん真鍮製で、宝石部分はガラスかプラスチックかも知れません)。クタ・ビーチは雑多で、治安が悪い感じで、好きになれませんでした。(ちなみに、この10年後の2005年、クタ・ビーチで日本人が巻き込まれるテロ事件が起こりました。現在、ますます世界中の治安が悪化する傾向にあり、アジアの国々でも、特に繁華街・駅前等では、最大限の注意が必要です。)
 夕方前、海岸に建つ「タナ・ロッ寺院」(入場料・寄付金合わせて2000ルピア)へ。海につき出た半島上に建つヒンズー教寺院は、とても幻想的で、美しいです。砂浜では、子ども達が元気に遊んでいました。子どもは、やはり、遊ぶ事が仕事ですね~。ところが私達を見ると、子ども達は熱心に絵ハガキを売ってきます。絵ハガキを幾つか購入したついでに、先程、クタ・ビーチで購入した指輪を、多分良い事ではなかったかも知れませんが、その中でも愛想の良い子どもにあげてしまいました。
 その他の場所でも、バリ島には子どもの物売りが多くて、あちこちで、手作りネックレス等の小物を買わされる羽目に・・・。経済的にまだまだ発展途上国であるアジアの国々ではよくある事ですが、子ども達が労働している姿は(基本的に楽しそうに、遊び感覚で物売り等をしていますが)、いつも、とても悲しげに思え、考えさせられます。
 この日の夕方は、旅の感傷にふけりながら、「タナ・ロッ寺院」の海に沈む夕日を、いつまでも眺めていました・・・。

 この夜は、デンパサールのホテル(名前は未記録、この時分は手帳の記録・資料の保存が適当でした)へ。ウブドのホテル(多分、「CHANDRA GARDEN ホテル」)は良かったのですが、確か、明後日の航空移動日に備えて、空港に近いデンパサールのホテルに移ったのだと思います。多分、二泊二人(ダブル部屋)で50000ルピア(一泊・ダブル部屋25000ルピア/1万円→約22万5000ルピア : 1ルピア≒約0.044円)だったと思いますが、最初にタクシーに連れていってもらったデンパサールのホテルより、ずっと快適なホテルでした。朝は、朝食の食パンとゆで卵とバリコーヒー(バリコピ)が付いてきます。バリコーヒーは、カップの底に細かいコーヒーかすを沈めて、上澄みを飲むというスタイルで、香り・こくは薄いですが、あっさりして独特の美味しさです。

インドネシア写生旅行
「タナ・ロッ寺院」の美しい夕景

 旅行5日目: 3月17日(金)。この日もバリ島見物。デンパサールのホテルから出発。バリ州政庁舎を見て、ウブド近郊の「ゴア・ガジャ」へ。ゴア・ガジャとは「象の洞窟」を意味し、奇妙な巨大石像の顔の口部分が洞窟になっています。6体の女性石像がある沐浴場も美しいです。ここでは、人の良さそうな おばあさんとお孫さんが、お供え物を手作りしていました。
 かなり車で走って、プヌロカンへ。ここから、バトゥール山(1717m)と巨大なカルデラ湖・バトゥール湖が望めます。次に、「ティルタ・エンプル寺院」(入場料550ルピア)へ。ティルタ・エンプルは「聖なる泉」を意味し、沐浴場では男達が沐浴をしています。このヒンズー教寺院では、ちょうど、「オダラン」というお祭りが開催されていました。「オダラン」はヒンズー教寺院の建立記念日を祝うお祭りですが、毎日のようにバリ島のどこかで行われているといいます。このお祭りはとても見応えがあり、美しい伝統衣装の善男善女が、頭にお供え物(ガボガン)を乗せて続々と寺へお参りする光景は、とても印象的で目に焼き付きました。後に私は、この「オダラン」をモチーフに、日本画作品を何度も描いています。
 この夜は、プリアタンのプリアタン宮殿「レゴン・クラトン(宮廷舞踊)」(7:30~9:00/一人5000ルピア)を鑑賞しました。舞踊の演目は、「インストゥルメンタル」「ウエルカム・ダンス(歓迎と祝福の踊り)」「クビャール・トロンポン」「レゴン・クラトン(レゴン・ラッサム)」「タルナ・ジャヤ」「バロン・ナンディニ」と続きます。バリ舞踊で最も有名な「ティルタ・サリ舞踊団(Tirta Sari)」の舞踊は、極めて高い技術であり、最高に幻想的で素晴らしいものでした。ガムラン(インドネシアの伝統的な民族音楽)の調べに合わせて、誠に優雅な踊りが繰り広げられていきます・・・。

 私が前に、拙ブログの「最も感動したランキング ベスト23 」インドネシア バリ島「バリ舞踊」第12位に挙げましたが、この日の「オダラン」と「レゴン・クラトン」は、まさにバリ島の旅のハイライトとして、決して一生忘れる事がないでしょう・・・。この後、私が「アジアの美人画」シリーズを描く大きなきっかけともなりました。

インドネシア写生旅行
デンパサールのホテルで、朝食中の中尾俊雄君 (ホテル名は、残念ながら記録していませんが、快適なホテルでした。ガイドブックの地図への記入から、デンパサールのディポネゴロ通りの警察署近くのホテルではないかと思います。)

インドネシア写生旅行
「ゴア・ガジャ」 中尾俊雄君と私

インドネシア写生旅行
「ティルタ・エンプル寺院」 バリ島のお祭り・オダラン

インドネシア写生旅行
プリアタン宮殿 「レゴン・クラトン」 ウエルカム・ダンス(歓迎と祝福の踊り)
インドネシア写生旅行
プリアタン宮殿 「レゴン・クラトン」 レゴン・クラトン(レゴン・ラッサム)
インドネシア写生旅行
プリアタン宮殿 「レゴン・クラトン」 バロン・ナンディニ


日本画「妙なる国の少女(バリ島)」後藤 仁
日本画「妙なる国の少女(バリ島)」(F50号/2002年制作) 後藤 仁


 明日は、バリ島からジャワ島・ジョグジャカルタへ、飛行機で飛びます。いよいよ、世界三大仏教遺跡・ユネスコ世界遺産「ボロブドゥール遺跡」とのご対面です。続きを、ご期待下さい~ 💖 。

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁


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テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

2021-09-09

インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行〈1995年〉その1、後藤 仁

 私は現在までに、アジア圏を中心に、13か国・地域や、日本全国(全47都道府県)を写生旅行してきました。貧乏画家故に予算に限りがあり、数としては大した事はないのですが、いずれも誠に充実した写生旅行でした。
 私は”旅”を愛し、”旅での写生”を画家人生の生き甲斐にしてきました。ところが、現在のコロナ禍により、海外・国内旅行も制限され、来年以降もしばらくは難しそうです。そこで、この間に、まだブログに記していない、過去の「海外写生旅行」をぼちぼちとまとめておこうと思います。なにぶん昔の事ですので、記憶違いの事項やあいまいな箇所も多々あるかと思いますが、残された画像や資料を元に、感動の旅をできるだけ詳細に辿ってみたいと思います~。
 まずは、私の一番最初の海外旅行『インドネシア(ジャワ島・バリ島)写生旅行』 (1995年3月13日~27日)です。私は26歳、東京藝術大学3年生の終わりの春期休暇に、この旅を行いました。

 大学4年生を前に、私は卒業制作の題材を考察していました(当初は、「東大寺大仏殿」を描く予定でいました)。東京藝術大学 日本画専攻の同級生、中尾俊雄君がインドネシアの旅を一緒に行ってくれる人を探しているというので、前々からアジア文化に関心の高かった私は、この機会に彼と一緒に旅行する事にしました。私はそれまで、国内旅行にはよく出掛けていましたが、海外旅行は未経験でした。中尾君はヨーロッパの旅等を何回か経験しているといい、海外初旅行は経験者に同行する方が安全だろうと考えたのです。
 ジャワ島にある世界三大仏教遺跡・ボロブドゥール遺跡には、かねてから、ぜひとも訪れてみたかったのです。また、バリ舞踊にも関心がありました。そして、卒業制作の題材探しも、旅の大きな目的でした。
 それからパスポートを取り、その時分、インドネシアではコレラが流行しているというので、念のために品川東京検疫所と那覇検疫所でコレラワクチンを2回接種しました。2月27日~3月4日に、師である後藤純男先生に随行して「沖縄(本島)写生旅行」に行っていたので、2回目はやむなく沖縄で接種したのです。ちなみに私が初めて飛行機に乗ったのは、この沖縄旅行でした。私は結構苦学生でしたので、なかなか生活にゆとりを持てず、旅好きの割には飛行機デビュー・海外旅行デビューも、存外、遅かったのです・・・。
 新宿のH.I.Sで、インドネシア行の往復航空券(日本・成田 → インドネシア・バリ島 → インドネシア・ジャワ島 → 日本・成田/9万2000円)と海外旅行保険(7610円)も購入しました。

                 *

 旅行1日目: 1995年3月13日(月)11:00 日本・成田発 → 20:10 インドネシア・バリ島、デンパサール着
 ガルーダ・インドネシア航空の機内は落ち着いたブルー色で、食事や雰囲気も良かったです。赤道を越える頃に、かなり機体が揺れて、乗客の女性達からは悲鳴が起こったりしましたが、基本、快適な空旅でした。インドネシア上空で飛行機の窓から見下ろすと、田園や曲がりくねった川が、パッチワークのようで面白いです。インドネシア・ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港を経由して、バリ島のグラ・ライ国際空港に到着しました。
 こうして、小さな不安と大きな期待を胸に、私の海外初の旅が始まりました~!!

インドネシア写生旅行
インドネシア・ジャカルタ 「スカルノ・ハッタ国際空港」 ガルーダ・インドネシア航空、マークのガルーダがカッコイイ~❣

 空港で両替をすると、1万円→22万5000ルピアでした(1ルピア≒約0.044円/ウブドの両替所では、1万円→24万ルピアの所もありましたが、その他はだいたいこのレートでした。当時のインドネシアの物価は、日本の6~7分の1くらいでした)。空港からタクシー(1万1000ルピア)でデンパサール市内へ。タクシー運転手の案内で安めの宿を探し、ダブル部屋で二人で1万6500ルピアのホテルに泊まりました。
 チェックイン時、宿に、私らより少し年上のあんちゃんが来て、車でバリ島を案内するといいます。バリ島は交通網が発達しておらず、どのみち右も左も分からぬ土地ですし、人相から悪い人ではなさそうだと中尾君と相談し、その人に運転・案内してもらう事にしました。一日(確か二人で)7万5000ルピアだといいます。インドネシアの物価からすると高めのような気もしましたが、後で分かったのですが、その人はレンタカーを借りて一日中、運転をしてくれるので、そのレンタカー代にかなり持っていかれるそうで、比較的良心的な価格だったようです。
 
 旅行2日目: 3月14日(火)。この日は、バリ島の有名なヒンズー(ヒンドゥー)教寺院・ブサキ寺院方面を巡ります。
 金銀細工の村・チュルク(チュルッ)の銀細工工房を見物し、バドゥブランで「バロンダンス」(入場料一人6000ルピア)を鑑賞しました。「バロンダンス」の、聖獣・バロンが登場する日本の獅子舞いのような演目や、女性達の優雅なバリ舞踊、勇猛な男達の剣の舞に、一気に魅了されました。その後、バンリのヒンズー教寺院「クヘン寺院」(入場料3000ルピア)を参拝。バリ島のヒンズー教寺院に入るには、伝統衣装のサロン(腰巻き)とサッシュ (腰帯) を着用しないといけないので、寺の前の出店で2万5000ルピアで購入。車での移動の途中、棚田が見える景色の良いレストランで昼食。
 午後は、聖なる山・アグン山(3142m)の麓に建つヒンズー教寺院「ブサキ寺院」へ。広大な寺院の境内へ入るとすぐに、若い兄さんが、私と中尾君にそれぞれ一人ずつ、つきまとってきました。寺院の高台までついてきて、勝手に解説をします。一通り見終えて寺院の出口に近づいた時、脇道の人気(ひとけ)の無い草地に私達は誘導されました。すると、突然どこからか3人程の兄さんが加わり、私と中尾君を5人程で取り巻いて、「ここは大きな寺院、ガイド代も高い・・・」等と英語で話しながら、にらみつけてきました。私と中尾君の一眼レフカメラをじろじろと見回して、いかにも欲しそうな顔つきです。仕方ないので、確か1000円程のルピアを渡しました。当時、私と中尾君は若くて、筋肉質で、顔もいかつい方だったので、それ以上は要求してこなかったのでしょうが、私達がもっと弱そうだったら、確実にカメラと高額をもぎ取られていた事でしょうね。それ以来、旅先で”勝手にガイド”が現れても、すぐに強く断るようにしています。今のインドネシアはどうか分かりませんが、有名な観光地では注意しましょう~。
 その後、クルンクンの「ププタン記念碑」や「クルタ・ゴサ宮廷」の天井画を見て、コウモリのいる洞穴「ゴア・ラワ」へ。
 デンパサールの宿は街外れにあり雰囲気も良くないので、この夜は、ウブド(ウブッ)の宿に移動。多分、「CHANDRA GARDEN ホテル」だったと思いますが、一泊二人(ダブル部屋)2万7500ルピアの、コテージ風の快適な宿でした。

インドネシア写生旅行
バドゥブラン 「バロンダンス」 バリ舞踊
インドネシア写生旅行
バドゥブラン 「バロンダンス」 聖獣・バロンと、男達の剣の舞

インドネシア写生旅行
バンリ 「クヘン寺院」 バリ島のサロン(腰巻き)、サッシュ (腰帯) をつけた私

インドネシア写生旅行
「ブサキ寺院」 中尾俊雄君と私

インドネシア写生旅行
ウブド 「CHANDRA GARDEN ホテル」


旅行3日目: 3月15日(水)。この日もあんちゃんに車を運転してもらい、バリ島観光。その日のおおよその行き先を指示すると、その方角の見所に車で連れていってくれるので、大助かりです。私達が寺院等を見物している間、運転手のあんちゃんは、いつも駐車場の車中でじっと待っていました。
 バリ彫刻で知られるマスを経て、「ブキッ・サリ寺院(サゲー寺院)」ではサル(猿)に遭遇。パチュンの棚田を見て、ブドゥグル(ブラタン湖)のウルン・ダヌ寺院を見物。今日はかなりの距離を車で走りましたが、サルに出会い、棚田やブラタン湖の爽快な景色も見れて、満足しました。

インドネシア写生旅行
「ブキッ・サリ寺院(サゲー寺院)」 サルと私。眼鏡をサルに取られないように、はずします。
インドネシア写生旅行
「ブキッ・サリ寺院(サゲー寺院)」 サルと私


 この頃は、私の手帳や写真資料の記述があいまいで、判別しにくい箇所もあるのですが(例えば、料金が、一人分なのか二人分なのかが分かりにくい部分があり)、おおよそこの内容で大きな間違いはないと思います。この続きは、バリ島観光の続編になります。お楽しみに~💖

 絵師(日本画家・絵本画家)後藤 仁

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

2021-08-25

「ミャンマー(ビルマ)の現状を憂う」 絵師(日本画家・絵本画家)後藤 仁

 私は画家(日本画家・絵本画家)ですので、たとえ思う所があったとしても、”美術・芸術”に関しない事象については、常日頃、あえて、できるだけ触れないようにしています。専門外の事をとやかく言えるほどの、高い認識を有していないからです。しかし、近年の世界の動向を見ていると、深く心を傷め、悲しさを募らせざるを得ません・・・。
 コロナ禍の惨事もさる事ながら、世界の各地で絶え間なく起こる天災や人災、・・・暴動・暴力・迫害・戦乱の連鎖に、見て見ぬふりなどできません。私は画家として、直接、言葉や行動で訴える事はふさわしくないと考え、常々、作品を通して、物事の真実を緩やかに語ってきました。しかし、画家など、所詮、無力なものです・・・。

 私が「ミャンマー(ビルマ)写生旅行」を行ったのは、2014年10月の1か月間弱です。元々、ミャンマー(ビルマ)の文化・芸術には高い関心を持っていましたが、それまでの軍事政権下では、旅費に高い税金がかけられて政権に流れるという話を聞いて、敬遠してきました(外国人旅行者がミャンマー国内に入国する際、300USドル〔後、200~100USドル〕を強制的にFEC〔兌換チャット〕に両替させられる制度があり、政府が外貨獲得のために1993年に導入した。・・・FECは2013年7月に廃止された。〈ウィキペディアより〉 また、これは、かつての中国や、今でもミャンマーやアジア圏の国の一部に残っていますが、有名寺院や観光地には高い外国人価格が設定されていました)。2011年から、ようやく民主化が進み出したというので、旅を敢行したのです。
 26日間をかけて、ヤンゴン・インレー湖(ファウンドーウー祭)・カロー(トレッキング)・マンダレー・バガン(仏教遺跡めぐり)・ヤンゴンと回り、その素晴らしい文化・芸術に触れ、誠に感動の旅となりました。→〈詳しくは、拙ブログをご覧下さい http://gotojin.blog.fc2.com/blog-entry-69.html中でも、ミャンマーの田舎地方の多くの人々は、まだ旅行客・外国人慣れもしておらず、比較的シャイな人が多く、照れ笑いを浮かべるさまは、古き良き、かつての日本人のようでした。
 特に、観光客がまだまだ少ない、インレー湖カローのホテルスタッフ・村の人々には、人の良い方が多いのです。カロー「ゴールデン・カロー・イン」という安ホテルの、若い女性スタッフは、対応がすこぶる好ましいので、私が朝食の際にチップを渡そうとしたら、遠慮して受け取りませんでした。これは、経済的にまだまだ厳しい東南アジア圏では、実に珍しい事です。カローで1泊2日のトレッキングガイドを頼んだ、男性ガイドさんも、気配りが細やかで、料理の腕も確かで、大満足でした。他のアジア各国の旅も、いずれも素晴らしいものですが、ミャンマーの旅では、折に触れ、人々の優しさを感じる事ができて、深く記憶に刻まれているのです・・・。
 ただ、ヤンゴンマンダレー辺りでは、既にビジネス化の波が押し寄せ、比較的不愛想な人が増えている感じでした。マンダレーは優れた伝統文化の残る美しい古都ですが、街の中央部の旧王宮には軍隊の大部隊が駐留しています。旧王宮の周囲を警護する軍人に私が道をたずねたら、鼻で笑われて、「あっちへ行け」というジェスチャーをされました。その他にも、ブログにも書いたような、少々、危ない目にも遭い、マンダレーの治安の微妙さを肌で感じた私は、「ミャンマーは、まだ完全には民主化されていないな・・・」と、その時、既に、一抹の不安を感じていました。・・・・

 今、あの人の良かったホテルスタッフやトレッキングガイドや市井の人々はどうしているのだろうか? 元気でいるのだろうか? ほぼ一期一会であろう、はるか遠くに住む人々との触れ合いとは言え、深く思い出に刻まれた、善男善女たちの事を思うと、今のミャンマーの現状が悲しくて、悔しくて、仕方ないのです。彼ら彼女らは、無事なのだろうか・・・、笑顔でいるのだろうか・・・・。
 ミャンマーは敬虔な上座仏教国です。遥か2500年前に生きたブッダは、そんなに古い時代にこう言い残されました・・・。
 「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息む。これは永遠の真理である。」
 また、こうもおっしゃっています。
 「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」と・・・・。
 〈「ブッダの 真理のことば 感興のことば」(中村 元 訳/岩波文庫)〉

 (※蛇足になりますが、表面的な解釈による誤解があるといけないので補足説明。ここで私が引用した「ブッダの言葉」には、誰が誰に対して、という具体的な対象者はありません。この世の全ての人々に当てはまる事であり、人間における普遍的な”真理”とは何かを言いたいのであり、戦争や暴力に対する本能的嫌悪感を表現したのです。
 また、ミャンマーの一般民衆の多くは敬虔な仏教徒です。ミャンマーの一般民衆の日常をよく観察すると、日々の全ての行動に、上座仏教の思想が深く浸透している事が感じ取れます。そのミャンマーで、あのような惨事が起こる事が、なおさら悲しいのです・・・。)

 この事象は、ミャンマーのみならず、私が旅をした国・まだ旅をしていない国・・・、世界中のあちこちで噴出している大きな懸念なのです。また、平和利用とは言え、都会の空を戦闘機が飛び交うさまを、手放しで喜んでいる人々が不思議でなりません・・・。
 人間は傲慢です。他の生命体や資源を食い尽くしている、俗世に生きる私が言えた義理ではないのですが、良き文化や人々が、酷く虐げられる姿など、一切見たくはないのです。何故、人は仲良くできないのか、そこまで同種で傷めあうのか・・・、私の深い苦悶・懊悩は、一生、無くなる事はありません。
 ミャンマーや世界中の子ども達・若者達の将来が、安心できる世の中でありますように、”未来の瞳”が希望に満ちあふれますように、日本の政治・経済界の人々も、やれる事は全てやる必要があります。私も微力ながら、画家としてできる事を、この後も模索していきたいです。
 無力です・・・。実に、無力です・・・。しかし、もし、私の”絵”が少しでも人々の慰み・励みになるのなら、私は、与えられた命に感謝しながら、全身全霊、命をかけて創作に当たる事しかできないのでしょう・・・・。人の世はきれい事だけでは語れないのでしょうが、世の中の全ての差別や暴力が無くなる事を、祈って止みません。

 絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁


ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・ヤンゴン「シュエダゴォン・パヤー」 (2014.10.3)
 寺院にお参りする、ミャンマーの小学生達。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー、 ホテル「ゴールデン・カロー・イン」 (2014.10.11)
 この旅の中でも、とりわけ、スタッフの印象が良かった宿。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「トレッキングにて」 (2014.10.12)
 1泊2日のトレッキングの途中、山岳少数民族の村々を通ります。村々では、素朴で美しい人々や子ども達に出会えます。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「トレッキングにて」 (2014.10.12)
 山小屋にて1泊。ホテル「ゴールデン・カロー・イン」で紹介してもらった、トレッキングガイドの、Mr. Myo Zaw 。山道の案内の他、料理も作ります。とても美味しいですよ~。  (^・^) _U~~

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「トレッキングにて」 (2014.10.13)
 トレッキングの途中の、山の小さな小学校付近で出会った、元気な子ども達。弁当や教科書を見せてもらいました。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「トレッキングにて」 (2014.10.13)
 トレッキングの最後の頃、カローに向かう途中の村で出会った、おしゃれな子ども達。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・カロー「小学校」 (2014.10.14)
 カローの村にある小学校。窓からちょっと拝見すると、元気よく勉強していました。日本と違って、まだまだ、おおらかですね~。
 この子ども達の将来が、安心できる世の中でありますように、”未来の瞳”が希望に満ちあふれますように、日本の政治・経済界の人々も、やれる事は全てやる必要があります。私も微力ながら、画家としてできる事を、この後も模索していきたいです。

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・バガン仏教遺跡めぐり「タビィニュ寺院」 (2014.10.19)
 一緒に写真を撮ろうと寄ってきた、フレンドリーな一家。ところで、私が自ら肩を組んだのではなくて、父親が私の手を引っ張って置いたのです~。('◇')ゞ

ミャンマー(ビルマ)写生旅行
ミャンマー・ヤンゴン「学習塾」 (2014.10.27)
 旅の最終日。ヤンゴンの小さな寺院の脇にある、学習塾らしき施設の子ども達。私を見て、全員が出てきました。皆さん、人懐っこいね~。 (^・^)ノ

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

後藤 仁 プロフィール

後藤 仁(GOTO JIN/后藤 仁)

Author:後藤 仁(GOTO JIN/后藤 仁)
~後藤 仁 公式ブログ1~
日本画家・絵本画家 後藤 仁(GOTO JIN/后藤 仁)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

 〔後藤 仁 略歴〕
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校 美術科で日本画を始める。東京藝術大学 絵画科日本画専攻 卒業、後藤純男先生(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。
卒業以降は日本画家として活動し、中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は絵本の原画制作に力を入れる。
○絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、『わかがえりのみず』(鈴木出版)、『金色の鹿』(子供教育出版)、挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。
『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。また、宮崎 駿 氏の絵物語「シュナの旅」の原話になった事でも知られている。
○NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞・専門誌・インターネットサイト等への出演・掲載も多い。
○東京藝術大学デザイン科 非常勤講師、元 東京造形大学 絵本講師。国選定保存技術 金唐革紙 製作技術保持者。日本美術家連盟 会員(ご推薦者:中島千波先生)、絵本学会 会員、日本中国文化交流協会 会員、この本だいすきの会 会員。千葉県松戸市在住。
★現在、ユネスコ無形文化遺産・大垣祭り 布袋軕「天井画」の制作中~❣ 中国向けの「絵本」も制作中~❣

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ブクログ「後藤 仁の本棚」ブクログ

絵本ナビ「犬になった王子  チベットの民話」絵本ナビ「犬になった王子 チベットの民話」
絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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