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2016-09-14

日本画家 後藤純男先生との思い出

 今年、私の師である後藤純男先生が、「第72回 日本芸術院賞・恩賜賞」をご受賞され、授賞式は天皇・皇后の行幸啓を仰ぎ、2016年6月に挙行されました。
 また、2016年の4月からは東京藝術大学名誉教授にご就任され、9月には流山市名誉市民の第一号に選ばれたという事です。誠におめでとうございます。心より御礼申し上げます。

 後藤純男先生は、日本画団体・日本美術院(院展)の同人理事であり、東京藝術大学(日本画専攻)教授と中国の西安美術学院(大学)名誉教授を歴任され、2006年には日本国勲章「旭日小綬章」をご受章された、日本画界の重鎮です。一般の方には、ネスカフェゴールドブレンド「違いが分かる男」のコマーシャルに出演された事でも知られています。

・・・・私は、1990年の東京藝術大学 受験面接で、平山郁夫先生、加山又造先生、福井爽人先生らとともに後藤純男先生に初めてお目にかかり、1994年、東京藝術大学3年生の時に、後藤純男先生のご担当で日本画を教わったのが、先生との最初の出会いです。
 ここからしばらく、私の絵画勉強期間を振り返ります。私は大阪市立工芸高等学校 美術科日本画を始めましたが、周りの意識・技量は決して高いとは言えず、もっとハイレベルで創作に良い環境を求めていました。・・・高校1年生の時は、美術の実技はクラス中で群を抜いた高評価だったのですが、数学・英語を絵に必要ないと考えて全くやらなかったので、留年させられてしまいました。その後3年間は、一念発起して学業にも力を入れ、学科も平均点95点位となり傑出して一番を維持し、実技(日本画・油絵・彫塑・素描・製図等)も全教科一番、おまけに体育も一番でした。当時、私は工芸高校始まって以来の天才とか、宇宙人とか、変人とか、陰で言われていました。私は、ほどほどという事を知らない人間なので、これでは周囲に嫉妬されるのも当然ですね・・・。
 高校卒業後、単身上京し、新聞配達の奨学生をしながら美術予備校・立川美術学院 日本画科で学びました。そこで当時講師をしていたのが、今は現代アートの第一人者となった村上 隆さん(東京藝術大学 博士後期課程満期退学)と、日本画家の菅原健彦さん(多摩美術大学 卒業。現在、京都造形芸術大学 教授)達でした。日本画に対する考え方はこのご両人と私は大きく異なりましたが(お二人は前衛的・現代美術的な考えで、私は伝統・描写力・情感を重んじる考え)、お二人の”絵”に対する情熱やパワーは相当高いものがあり、私は今でも大きな影響を受けています。こんな人達がゴロゴロいる美術大学の最高学府・東京藝術大学とはいかなる所なのか・・・と期待は高まりました。ただ、予備校の1浪時は新聞配達・集金をしながらの予備校通いで時間がうまく調整できず、2浪時も試験に受かる事だけを考えた予備校教育に当時は反感を覚え、実質、授業の半分位しか行っていなかったと思います。それでも、最初こそ関西風の描き方を東京風の描法に変革するのに手間取りましたが、2浪の後半はグイグイと実力が伸びて、特に石膏デッサンでは私の右に出る者はいなくなっていました。
 しかし、せっかく2浪して20倍以上の狭き門を突破して入学した、東京藝術大学 日本画専攻は、私が想像していた所とは少し違っていました。私の空想では、26名全員が朝から晩まで絵に向かい、良きライバルとして切磋琢磨している姿でした。だが実際は、私以外のほとんどの人は欠席するは・遅刻するは・早退するは、部屋のあちこちで無駄なおしゃべりをしているは、絵について熱く語り描く風潮は微塵もありませんでした。常日頃、「どの先生に付いたら出世できるだろうか、誰の絵に似せて描いたら先生に評価されるだろうか・・・」といった話題ばかりが目立ちました。大学2年生になり、このような雰囲気に辟易としていた頃、「後藤はこのまま行けば出世しそうだ・・・」という噂が流れ始めました。こうなると案の定、日本画名物・足の引っ張り合いが私に集中しました。高校の時にも、あまりに成績が良過ぎた私を妬んだクラスメイトほぼ全員から、2年間近く完全無視されるという苦痛を経験している私は、今回は東京藝術大学 日本画専攻の雰囲気に完全に幻滅し、大学を離れようと決心しました。その後2年間余り、自主研究として、時々は日本画・水彩画・アクリル画を描いてみたり、詩を書いてみたり、カメラにこってみたり、旅をしたりしていました。この2年間余りが、現在までで私が最も日本画(絵)を描いていなかった期間です。この時は、日本画界が心底、嫌になっていたのです。
 ところがカッコいい事を言ってみても、所詮は親の仕送りで生活している青二才です(アルバイトは常々していましたが)。親からの心配・非難の声も大きくなり仕送りを止めるとも言われて、それ以上に親不孝な自分を恥じて、ようやく渋々大学に戻る決意を固めました。2年余りぶりに大学に戻る日、受験発表の日と並んで、いやそれ以上に今までで最も緊張した日かも知れません。私は2学年留年させられており(留年は2年間まで可能)、既に3年生の一学期に入っていたので本当なら退学処分のはずでした。
 教授室に呼ばれ、3年生の担当の後藤純男先生と手塚雄二先生が並んで座っておられました。後藤純男先生は名字が同じという事もあり、寺院を描かれるという事もあって、中学・高校時代から存じており、好きな現代日本画家のお一人だったのです。手塚先生が睥睨した目つきで、「本当ならもう退学の時期だが、何をしていたのかね・・・。日本画を続けたいかね。」とご質問されました。私は「絵を描くのは子供の頃から好きだったので、続けたいのです。」と言うと、「絵とは、日本画の事かね。」とおっしゃるので、「高校の時から日本画を描いているので、日本画を続けたいです。」と答えました。手塚先生は渋い顔をして、「最後は後藤純男先生のご判断次第だよ・・・。」と後藤純男先生にお答えを求めました。後藤先生は「そりゃあ、続けた方が良い!」と一言笑顔でお答えになられました。「後藤さん、あなたのお生まれはどこですか。」と後藤先生が質問され、私は「赤穂です。」と言うと、「ああ、四十七士の。いい所ですね~。」と笑顔でおっしゃられました。こうして私は、東京藝術大学始まって以来の問題児として藝大に戻る事になりました。その後は、2年生で取るべき実技単位を3年生で取って、元々の後輩に囲まれながらしっかりと勉学に励みました。私は1~2年生の間に、学科の卒業単位を全て秀と優で取っていたので、後は実技単位のみの取得なので楽でした。ただ、2年留年した人間は、どんなに良い絵を描いたとしても、当然ながら、大学院には進めませんね。
 今考えると、「たかが大学。世の中そんなものだ・・・。」と受け流すくらいの度量があったら良かったのにと思います。つまりは、若気の至り、堅真面目過ぎたのです。しかし、私はそんな不器用な人間なのです。いまだに、その性格の本質は変わらないので、世渡りは下手で失敗ばかりしています。ただ、この高校・大学での体験は、今大きな社会問題にもなっている、いじめ・差別・偏見を受ける側や引きこもりになる等の社会的弱者の気持ちを理解する心にもなっており、私の人間的な幅を広げる一因につながっているのではないかと良いように解釈しています。

 この時のご恩もあり、「武士は二君にまみえず」という故郷の志士・赤穂浪士の教えを守って、日本画の師と言える方は後藤純男先生ただお一人だと考えています。(絵本界には今の所、師と言える人はいません。良き先輩方はおります。)多くの日本画家は師が力を失ったり亡くなられると別の師に付いたり、師以外の人のご機嫌を伺って団体展に入選したリしていますが、私はそんな薄情なまねはしません。義理と人情に篤い、バカ正直な男なのです。(後藤純男先生は一匹狼の性格で派閥を作りたがらないお人です。そこで院展内でも力がある割には弟子が極めて少ないのです。藝大大学院の後藤純男教室出身者で院展に受かっているのは、ほぼ平山郁夫先生派閥に組み込まれた人のみです。)
 大学卒業の前後には後藤純男先生に同行し、沖縄本島、北海道、東北等に数日がかりの取材旅行に出かけました。先生のスケッチする姿から多くの事を学びました。卒業後1996年からは、後藤純男先生門下による「翔の会日本画展」が「オンワードギャラリー日本橋」で開催され、その後、場所を「銀座松坂屋」に移して15年間開催されました。毎回欠かさず出品したのは20名近くいるメンバー中で、私を含む10名足らずです。東京藝術大学大学院・第二研究室(後藤純男教室)出身の日本画家で構成された「翔の会」でしたので、私だけが唯一の学部卒でしたが、後藤純男先生の特別推薦で参加していました。メンバーの中には学部卒で加わっている私を批判する人もいましたが、最終的には「翔の会日本画展」の後半、最も熱心で行動力のある私が「翔の会」の代表幹事を務めるようになっていました。先生の飲み会・パーティーにもできる限り出席し、時には先生のご自宅・アトリエに泊まったり、そのまま夜を明かしたりしました。この頃、東京藝術大学出身の人の中で、多分、私が最も多く先生とお会いしていたと思います。先生のお話・行動の一挙手一投足からは、”絵”に対する真摯なお考えや人生観の多くを教わりました。

 しかし、いつまでも良い時期は続かないものです。10年程前、いつものように先生にお電話をおかけすると(この頃、私から先生にご用のお電話をしたり、先生から直接お誘いのお電話がかかって来たりしていました)、「後藤さん、今日の飲み会は中止です。今から眼底出血の手術をしなければいけなくなりました。また今度にしましょう~。」というお返事でした。先生は笑いながら淡々とお話しされたのですが、私は前々から、先生には糖尿の気があり医者から酒を止められていた事を知っていましたので、とても嫌な予感がし背筋に冷たいものが走りました。
 私の予感は的中しました。それ以降、先生は体調を崩されたようで、私達元学生はもとより、ほとんどの公の場所に顔を出されなくなりました。あの時のお電話が、先生とお話しした最後になってしまったのです・・・。現在では、車椅子でのお写真を美術誌等でまれに拝見するだけで、ほとんど北海道のアトリエに親族だけに囲まれて、引きこもられてしまいました。今回の「恩賜賞」の授賞式でさえ、奥様と娘さんのみが出席されていましたから・・・。誠に残念な事ですが、人は年齢には勝てませんので仕方がない事です。私はお元気な頃の先生のお言葉を胸に抱いて、今後も制作に励みたいと思っています。そして、私は27歳の時に父の事故死を経験した事もあり、人の”ご縁”とは誠に尊く大切にしないといけないものであると感じています。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁
 

後藤純男先生と私「後藤純男先生 退官記念展」(1996年10月7日、東京藝術大学資料館) 後藤純男先生と私

後藤純男先生と私「後藤純男 画伯を囲む会」(2004年1月4日、野田 東武ホテル) 後藤純男先生、井崎義治 流山市長と私。他にも、野田市長や関宿町長等も来られていました。

東北写生旅行 後藤純男先生「東北(田沢湖・角館)写生旅行」(1996年11月20日) 駒ヶ岳 後藤純男先生スケッチ中。先生は視点が変わるからと言う理由で、常に立ってスケッチをされます。先生の絵に対する真面目さは恐るべきものがあります。 


【後藤純男先生 ご略歴】

1930年 千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)に生まれる。
1946年 粕壁中学校 卒業。日本画家・山本丘人に師事。
1949年 日本画家・田中青坪に師事。
1974年 日本美術院 同人に推挙。
1976年 再興第61回 日本美術院展覧会で文部大臣賞を受賞。
1981年 ネスカフェ・ゴールドブレンド「違いがわかる男」のコマーシャルに出演。
1982年 中国の西安美術学院(大学)名誉教授に就任。
1986年 再興第71回 日本美術院展覧会で内閣総理大臣賞を受賞。
1987年 北海道空知郡上富良野町にアトリエを構える。
1988年 東京藝術大学 美術学部絵画科日本画専攻 教授に就任。教授時代の門弟には、日本画家の後藤 仁がいる。
1995年 パリ・三越エトワールにて「後藤純男展」を開催。
1997年 東京藝術大学 教授を退官。北海道空知郡上富良野町に後藤純男美術館を開館。
1999年 千葉県銚子市に後藤純男美術館を開館(2004年1月30日閉館)。
2002年 埼玉県北葛飾郡松伏町 名誉町民となる。
2006年 旭日小綬章を受章。
2016年 日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。東京藝術大学 名誉教授に就任。流山市 名誉市民となる。



後藤純男美術館 公式ホームページ

http://www.gotosumiomuseum.com/info_pdf/geijyutuin.pdf (PDFデータ)

http://www.gotosumiomuseum.com/


〈北海道新聞 記事〉

画家・後藤純男さん、北海道・上富良野町に作品寄贈の意向 総額20億円規模か
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0247503.html

日本画の後藤純男さんに日本芸術院賞 坂東玉三郎さんら9人
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0249861.html


〈朝日新聞デジタル 記事〉

日本芸術院賞に坂東玉三郎さん・辻原登さんら9氏
http://www.asahi.com/articles/ASJ3K4T4ZJ3KUCVL014.html


〈流山市 公式ホームページ〉

第1号 流山市名誉市民を決定
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/10838/10841/031587.html

「広報ながれやま」平成28年10月11日号(特集:流山市名誉市民の決定)
https://www.city.nagareyama.chiba.jp/information/73/393/031821.html

「広報ながれやま」平成28年10月11日号(特集:流山市名誉市民の決定)〈PDFデータ〉
https://www.city.nagareyama.chiba.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/031/821/nagareyama20161011.pdf


〈東京新聞 記事〉

流山在住の画家・後藤さん 初の名誉市民 来年1月に作品展開催
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201609/CK2016090702000182.html


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tag : 後藤仁後藤純男日本芸術院賞恩賜賞旭日小綬章東京藝術大学東京芸術大学流山市日本画村上隆

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No title

先生、抽象的ですが・
誰かの踏み跡は同じ思いの人に辿られやがて誰もが同じ目的地にたどり着ける”道”になります。それぞれは己の求めるところに惹かれ新たな踏み跡をつけはじめるでしょう、それが道になるかならないかは誰にも知りえませんが、そしてやはりそのような岐路に立っている時、それぞれはそれぞれの師匠の背中と偉大さをあらためて想い起こすのだと思います(^^)

Re: No title

さるとーる様、コメント有難うございます。師(先人)が偉大であればあるほど、後に続く者は、大変でもあり、やりがいがありもします。師の生きざまに習いながらも、師とはまた異なる新たな絵画路を開拓する事ができれば嬉しいところです。 日本画家・絵本画家 後藤 仁
後藤 仁 プロフィール

後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)

Author:後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)
~後藤 仁 公式ブログ1~
絵師〈日本画家・絵本画家、天井画・金唐革紙制作〉後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

【後藤 仁 略歴】
 師系は、山本丘人(文化勲章受章者)、小茂田青樹(武蔵野美術大学教授)、田中青坪(東京藝術大学名誉教授)、後藤純男(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)。
 アジアや日本各地に取材した「アジアの美人画/日本の美人画」を中心画題として、人物画、風景画、花鳥画などを日本画で描く。また、日本画の技術を応用して、手製高級壁紙の金唐革紙(きんからかわし/国選定保存技術)や、大垣祭り(ユネスコ無形文化遺産)の天井画、絵本の原画などの制作を行う。
 国立大学法人 東京藝術大学 デザイン科 非常勤(ゲスト)講師(2017~21年度)。学校法人桑沢学園 東京造形大学 絵本講師(2017~18年度)。日本美術家連盟 会員(推薦者:中島千波先生)、日本中国文化交流協会 会員、絵本学会 会員。
    *
 1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校 美術科で日本画を始める。東京藝術大学 絵画科日本画専攻 卒業、後藤純男先生(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。
 卒業以降は日本画家として活動し、日本・中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画/日本の美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は「絵本」の原画制作に力を入れる。
 2023年、大垣祭り(ユネスコ無形文化遺産)天井画『黒龍と四つ姫の図』を制作奉納する。

○絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、『わかがえりのみず』(鈴木出版)、『金色の鹿』(子供教育出版)、『青蛙緑馬』(浙江少年児童出版社/中国)。挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。
 『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。また、宮崎 駿 氏の絵物語「シュナの旅」の原話になった事でも知られている。
○NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞・専門誌・インターネットサイト等への出演・掲載も多い。

★現在、日本国内向けと、中国向けの「絵本」を制作中です~❣

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絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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