2017-02-05

スリランカ写生旅行 その12(最終回)

 「スリランカ写生旅行」20日目、2016年6月25日(土)。昨日は中級ホテル「ホテル・シャリニ」の快適な部屋でゆっくり休めたようで、今朝は体調も見違えるように回復していました。朝食は500Rsで用意してもらったホテルのブレックファーストを、心地良い2階のテラス風食堂でいただきました。ホテルの前庭を眺めていると、ホテルの従業員がスリーウィーラー(三輪タクシー)に乗って現れました。朝食を終え、部屋にチップ60Rsを残してチェックアウトしましたが、先程の従業員がスリーウィーラーで駅まで送ると言います。サービスかとも思いましたが、値段を聞くと有料です。私はホテルに送迎を頼んでいないので少し不愉快になり、一度断って歩いて行こうと思いましたが、距離が遠くて大変なので、やはりスリーウィーラーに乗りました。南・東南アジア圏ではよくある事ですが、頼んでもいないのに勝手に有料の企画を仕込まれそうになったりします。ただ今回はかえって助かったので、良かったです。従業員は饒舌な人で、運転しながら、またこのホテルに寄ってくれとしきりに言っていました。商魂たくましいですが、仕事熱心で悪い人ではありません。ホテルの人は、昨日から「ミヒンタレー」が良いとしきりに勧めて来ました。今回は体調が優れず日程がギリギリだったので不可能でしたが、いずれ機会があればミヒンタレーという仏教聖地にも足を運べれたらと思います。
 アヌラーダプラ駅に着くと、9:15発の列車を待ちます。遅れて9:50頃、列車がやって来ました。インドの列車に似た、鉄の塊のような重厚な車体です。アヌラーダプラ発~コロンボ着、「インターシティ・エクスプレス」2等車(450Rs)。外国での鉄道の旅は実に良いものです。昼食は車内でパンをかじり、ガタガタとゆられながら、午後2:30頃、コロンボ・フォート駅に到着。
 宿は最初と同じ、ホテル「ザ・セントラルY.M.C.A.」にしましたが、宿泊代は時期のせいなのか一泊室料(食事なし、トイレ・シャワー共同)1800Rsと、最初より安くなっていました。夕食は軽くパンで済ませたと思います。

スリランカ旅行「ホテル・シャリニ」 ブレックファースト(500Rs)

スリランカ旅行「インターシティ・エクスプレス」 アヌラーダプラ駅

 「スリランカ写生旅行」21日目、6月26日(日)。この日がスリランカでの最終日です。早朝起きると、パンと飲むヨーグルトとピーナッツを食べて、外に出ました。体調はほぼ通常通りに戻っていました。スリーウィーラーをつかまえて、「ヴィハーラ・マハー・デーウィ公園」に向かいました。スリーウィーラーのおっちゃんはやはり少し高めに値をふっかけて来ましたが、値切り交渉して安くしてもらいました。この頃になるとスリランカの物価もほぼ把握しており、旅の全てに余裕があります。車内で、「スリランカのタクシーは正直でいいね。通常値段の数割増ししか、値をふっかけて来ない。インドでは数倍ふっかけて来る事もしばしばあるからね~。」と嫌味まじりに冗談話をしてやりました。
 この公園はコロンボで最も大きな公園です。私は海外旅行の最終日には、旅の主要取材目的は全て終えているので、無理をせず、大きな公園等で旅の余韻にひたりながら、まったりと時間を過ごします。珍しい鳥がいるので写真を撮ろうとしていると、公園内の警備をしていた警察がスッと寄って来て、公園内は撮影禁止だと言います。公園内が撮影禁止などという規則はどんな国でも聞いた事がありません。しかも、地元の親子は、平気でスマホで撮影していました。ここは官公庁や主要施設がある首都なので、外国人に対して警戒心が特別強いのかも知れません。キャンディやポロンナルワでの警察・警備員の異様な警戒といい、日本人の私には理解しがたいほどの状況ですが、この意味は日本に帰るまで解明できませんでした・・・。
 公園にいた馬をF4号のスケッチブックに軽くクロッキ―しました。F4号、SM号スケッチブック共に、残り1枚ずつを残して写生を終えました。2冊全部を描き終えるのが目標でしたが、旅行終盤、体調が優れない中、ほぼ2冊を描き終えれたので満足です。

 公園の端にある「コロンボ公共図書館(Colombo Public Library)」に立ち寄りました。スリランカ一大きな図書館のようです。児童書のコーナーに行ってみると、思ったより多くの児童書・絵本が置いてありました。ただ、スリランカの出版社の簡素な本や、ヨーロッパのものと思われる本ばかりで、日本の絵本等は見当たりません。また、在庫された本はかなり昔に仕入れた感じで、かなり傷んでいます。子供用の可愛らしい机と椅子が置かれているものの、部屋全体が薄暗くて、たまたまこの日だけなのか、来館者もほとんどいなくて、立派な図書館が完全に活用できていない感が強いです。私は自身の「絵本」の寄贈を、司書の方に約束して、図書館を後にしました。
 時間がまだあるので、公園からしばらく歩いて、「ラクサラ」という高級民芸品店に寄って、土産を探しました。ゆとりを持って両替していたので、スリランカ・ルピーが意外と余っていたのです。自分用のシャツや友人・知人用の象の置物等をまとめて買いました。ここで、7590Rsを使用したのでスリランカ旅行一の大奮発です。店内ではずっと店員や警備員が付いてまわるので、客への丁寧な対応のつもりなのかも知れませんが、汚い身なりの異邦人を警戒しているようにも感じられ、少し不愉快になって来たので、警備員と店員に一言、「スリランカでは、警察や警備員の警戒が異様に厳しくて、困ったものだ~。」と軽い嫌味を言ってやりました。旅も終盤になると、旅の満足感と伴い、周囲からの外圧ストレスも、結構たまっているものです。
 そこから歩いて、「アーケード・インディペンデンス・スクエア」という、しゃれたショッピングモールに寄りました。まだ、予算が余っているので、昼食はショッピングモール内の「キャーマ・スートラ」という少し高そうなスリランカ料理店で、骨なしヤギ肉カレー、キングココナッツ・ジュース(計2375Rs)を食べました。観光客向けの準高級料理店だけに、さすがに見事に美味しかったです。旅行の最後だけは、普通の日本人観光客の様相になってしまいましたね。ただし身なりは、リュックを背負った汚い服装の怪しいアジア人です。

スリランカ旅行「コロンボ公共図書館(Colombo Public Library)」 児童書コーナー。奥に並んでいるのが絵本類、左側の棚には読み物がたくさんあります。机と椅子は可愛いです♡ 

スリランカ旅行「アーケード・インディペンデンス・スクエア/キャーマ・スートラ」 骨なしヤギ肉カレー、キングココナッツ・ジュース(計2375Rs)。量は少し物足りないが、スパイスの深い味わいがとても美味しいです。

 いよいよ帰りの時間が近付いて来ました。スリーウィーラーでセントラル・バスターミナルに向かい、空港行きのバスを探します。エアポートバスに乗りたかったのですが、乗り場がよく分からないので周囲の人に聞くと、187番のバスに乗れと言うので、午後2:30頃そのバスに乗り込みました(空港まで100Rs)。ただ、そのバスはエアポートバスではなくて、通常のローカルバスでした。途中途中で停車しながら、ゆっくり進みます。旅の経験で、飛行機の出発時間までには、かなりの余裕時間を計算してあるので助かりましたが、ゆとりがなければ危ない所でした。最初に乗ったエアポートバスの倍の2時間位かかって、4:30頃に「バンダーラナーヤカ(カトゥナーヤカ)国際空港」に到着しました。しかも、少し離れた街中にバスが着くので、500m程歩かないと空港入口には到達しません。最後まで、旅はハプニング続きです。
 スリランカ航空 UL454、19時15分 スリランカ・コロンボ 発 ~ 27日7時35分 日本・成田 着旅の最後に来て体調を崩し、無理のある自由一人旅もこの年齢になると少々こたえて来たなと思いつつも、今回も誠に充実した取材旅行が出来たと、満足感に包まれながら日本へ向かいました。

 日本に着いた直後にニュースで見たのですが、私がコロンボを発った同じ頃、バングラデシュの空港で爆破テロ事件が起こったという事を知りました。現在の世の中は、全ての物象が徐々に物騒な状況に向かっています。バングラデシュと同じ南アジアに位置するスリランカでも、同じような危機情報が飛び交っているでしょうから、そう考えると、今回のスリランカの異様な警備体制も合点がいきます。今の世の中の現状を踏まえると、よく言われる事ですが、もしかしたら日本人の方が平和ボケしているのかも知れませんね。それと同時に、ますます「平和」というもの、「寛容性、融和精神」の大切さを改めて実感する事になります。
 今回の旅では、素晴らしいスリランカの文化に触れた大きな感動と共に、何かしら理解しがたい巨大な不安の影を感じました。思いやり・利他精神は、思いやり・利他精神につながり、不安・懐疑・恐怖は、不安・懐疑・恐怖を増幅します。そんな時、ゴータマ・ブッダが2500年も昔に唱えられた、言葉の重要性を知る事となるのです・・・・
 「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である。」 (「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村 元 訳/岩波文庫、より)

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 今回の取材旅行の「旅行費用」をざっと記しておきましょう。

「スリランカ周遊 写生取材旅行 22日間」
 航空券・ビザ・旅行保険代金     約13万円
 現地滞在費(宿泊、食費、交通費 等) 約8万円
               総計  約21万円
  

 今回も極力安い費用で、最大限充実した取材旅が出来ました♡。お金持ちならば、費用をかければ、快適で充実した旅が出来るのは当たり前です。しかし贅沢旅では、かえって最も重要な真実が見えないものです。私のような貧乏絵描きは、いかに工夫して、安くても素晴らしい取材旅をするのかが重要なのですね。お金ではなく、頭と足を使うのです。

 旅の成果は、スケッチブック2冊で、計42枚(F4号19枚、SM号23枚)のスケッチ。
 写真撮影 3414枚。(今回、デジタルカメラの保存容量を増やして、撮影分全てを画像データ保存し、必要に応じてプリントする事にしました。)
 私はプロの画家なので、スケッチや原画をネット上で滅多には公開しないのですが、拙ブログ来訪者に感謝して、特別に2枚だけお見せいたします。

  スリランカ写生「ポロンナルワの少女」(SM号)スリランカ写生(2016年6月19日) 「ポロンナルワの少女」(SM号) 後藤 仁

  スリランカ写生「シーギリヤ・レディ」スリランカ写生(2016年6月14日) 「シーギリヤ・レディ(フレスコ画)模写」(SM号) 後藤 仁


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 前回の「ミャンマー旅行」でも記した内容に付記します。
 スリランカは、南アジア圏では比較的治安の良い国と言われています。私の実感で「旅の快適度・難易度(治安、利便性、雰囲気の良さ等から総合的に判断)」を独断と偏見で比較したら、今回のスリランカは、タイ王国北部(チェンマイ・チェンラーイ)と同じ位のレベルでしょう。
 私が今までに旅をした国々の「旅の快適度・難易度」をざっと表にしてみると、以下のようになりました。(上方ほど快適度が高い、下方ほど難易度が高い。)

◎ラオス(ルアンパバーン)、ベトナム(サパ・バックハー)、ミャンマー(インレー湖・カロー)、日本(地方)
日本(都心部)
○タイ王国(チェンマイ・チェンラーイほか)、イタリア・バチカン市国、ミャンマー(総合平均)、スリランカ
○中国(北京・上海・貴州省・四川省ほか)、タイ王国(バンコク)、ミャンマー(ヤンゴン・バガン)
○ベトナム(ハノイほか)、カンボジア(シェムリアップ)、ミャンマー(マンダレー)
  (この間には開きがあり、これ以下は旅の難易度が増します。)  
●中国(チベット)、ネパール(カトマンズほか)、インドネシア(ジャワ島・バリ島)
  (この間には開きがあり、これ以下はさらに旅の難易度が増します。)  
●インド(全域)
●インド(バナーラス)

 といった順ですが、これはその場の「良し悪し、素晴らしさ」という判断ではなく、あくまで治安を中心とした「快適度・難易度」です。また、私の訪問年代にもよりますし、たまたま運が悪かったという場合も考えられるでしょうから、私個人の主観としてご参照下さい。
 インド、ネパール、インドネシアなどは、とても優れた遺跡や文化が残っている素晴らしい国です。ただ、これらの国は一人旅をするのは結構難しい地域で、身に危険を感じる場面が何度か起こる可能性があり、特に女性の一人旅はよほど旅慣れた人でないとおすすめできません。また、ツアー旅行の場合でも、注意が必要になって来るでしょう。
 外務省ホームページの危険情報によると、インド辺りは黄色(十分注意)から部分的に薄いオレンジ色(渡航の是非検討)位の危険の程度です。中東やアフリカの紛争地帯では、濃いオレンジ色(渡航延期勧告)から大部分は赤色(退避勧告)ですので、いかにそれらの地域に旅をするのが危険なのかが推察されます。

                     *

 ちなみに、私が今までの海外旅行で、「最も感動したランキング ベスト10」を挙げるとざっと以下のようになります。(それぞれが個々に素晴らしくて、感動要素も異なるので、一概に比較するのは難しいのですが、私の主観による感動度のみでランキングしてみます。)

第1位 ☆インド アジャンター石窟「蓮華手菩薩像」
第2位 ☆ネパール カトマンズ「インドラジャトラ祭・クマリとの遭遇」
第3位 ☆中国 チベット「ポタラ宮」
第4位 ☆インド バナーラス「ガンガーでの沐浴」
第5位 ☆インドネシア ジャワ島「ボロブドゥール遺跡」
第6位 ☆中国 貴州省「トン族村」
第7位 ☆イタリア・バチカン市国「システィーナ礼拝堂 ミケランジェロのピエタ像」
第8位 ☆カンボジア「アンコール遺跡群」
第9位 ☆ベトナム サパ・バックハー「モン族村」
第10位☆インドネシア バリ島「バリ舞踊」
     

 アジャンター石窟やガンガーの沐浴、ポタラ宮では、感動のあまり感涙を起こすくらいですし、インドラジャトラ祭ではほぼ放心状態でした。つまりは、より近付く事が困難であるから、より感動が増加するとも言えますので、「旅の快適度・難易度」がそのまま「旅の良し悪し」ではないという事なのです。
 私の教える絵画教室(カルチャースクール)の受講者中の何人かは、私の旅の面白話の影響を受けられたのか、私と同じ旅行先に実際、ご旅行された方もいるようです。私の話をよく参考にされているのは、誠にうれしい事です。ただ、お金を払えば誰でも行ける簡単な「ツアー旅行」では、私と同程度の感動は多分、得られないのではないかと思います。現地の文化・美術への造詣と知識を十分に得た上で、長期間の自由旅行で精神を解き放ち、不便を乗り越えながらようやくたどり着いた中での感動なのです。
 不安定な国際状況の中、今後の海外取材旅行でも多くの困難を伴うかも知れませんが、こらからも機会があるごとに私は写生旅行に出かける事でしょう。そこに感動があり、絵画創作へのインスピレーションの源泉がある限り、私は一生旅を続ける事になりそうです。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁  GOTO JIN
 
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テーマ : 旅と絵
ジャンル : 学問・文化・芸術

2017-01-23

後藤純男回顧展、松戸神社神楽殿の絵画と修復展 鑑賞

 2017年1月22日は、「後藤純男 回顧展」(流山市生涯学習センター・流山エルズ)に行ってきました。朝のオープニングセレモニーでは、後藤純男美術館の行定俊文 館長(後藤先生の義理の子)や井崎義治 流山市長 等のご挨拶がありました。後藤純男先生の奥様、息子さん、娘さんにも、久しぶりにお会いしてお話しました。かつて、私が北海道の後藤純男美術館を訪れた際には、行定さんのお家に泊めていただいた事もあります。
 展示会場は、後藤先生の代表作や、初めて拝見する初期の作品等、いずれも力作ばかりで、改めて後藤先生の偉大さを実感しました。後藤先生と親交のあった医師・日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)の書も展示してあります。
 後藤先生の日本画作品の中でも、特に、中国の田園を描いた作品「江南水路の朝」には、絵の中に引き込まれそうな程の実在感と魅力を感じます。「知床早春」「桜花浄苑雙図」等の超大作も、迫力があってすごいです。先生との思い出と感動で涙が出そうになります・・・。
 
 私は東京藝術大学日本画専攻の3年生・4年生と後藤先生のご担当で日本画を教わり、卒業後は先生に師事して後藤純男門下展(「翔の会日本画展」銀座松坂屋/15年間開催)等でご指導を仰ぎ、先生のアトリエに泊まらせていただいたり、取材旅行等にも度々、同行させていただきました。この頃、後藤先生の弟子の中でも、私が最も先生にお会いしていたと思います。現在、私は人物画(アジアの美人画)を得意としてはいますが、制作への姿勢や絵画の本質的な部分では、最も後藤純男先生の「後藤イズム」というものを継承している者ではないかと自負しています。奇遇にも、名前も同じですし・・・。

 その後、流山市立中央図書館に寄って、後藤純男先生の特設コーナーと児童書コーナーを見物。味のある流鉄流山線で松戸市に移動して、「松戸神社神楽殿の絵画と修復展」(松戸市戸定歴史館/国指定重要文化財・戸定邸)を拝見。松戸・流山界隈には、豊かな文化の源泉がある事を再確認する一日となりました。

 日本画家・絵本画家(後藤純男 門下) 後藤 仁

後藤純男回顧展流山市生涯学習センター・流山エルズ

後藤純男回顧展「後藤純男回顧展」 オープニングセレモニー・テープカット/後藤純男美術館・行定俊文 館長、井崎義治 流山市長 他

流鉄流山線流鉄流山線・流山駅/この駅は「関東の駅百選」に選ばれているそうです。

松戸市戸定歴史館松戸市戸定歴史館(国指定重要文化財・戸定邸)



流山市 公式ホームページ : 流山市市制施行50周年記念事業 後藤純男回顧展
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/life/21/179/031858.html

流山市生涯学習センター・流山エルズ 公式ホームページ : 「後藤純男回顧展」リーフレット(PDFデータ)
http://nagareyama-shougaigakushucenter.jp/pdf/goto.pdf

東京新聞 : 流山市制50周年 きょうから記念の後藤純男さん回顧展
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201701/CK2017012202000124.html


【後藤純男先生の画歴】
1930年 千葉県東葛飾郡関宿町に生まれる。
1946年 粕壁中学校卒。山本丘人(文化勲章受章者)に師事。
1949年 田中青坪(日本美術院同人)に師事。
1952年 再興第37回日本美術院展覧会(院展)に初入選。
1954年 日本美術院院友に推挙。
1955年 約8年間の関西、四国における真言宗の寺を巡るスケッチ旅行を始める。
1965年 再興第50回日本美術院展覧会で日本美術院賞・大観賞を受賞。日本美術院特待に推挙。
1969年 再興第54回日本美術院展覧会で日本美術院賞・大観賞を受賞。
1974年 日本美術院同人に推挙(後に同人監事、同人理事を務める)。
1976年 再興第61回日本美術院展覧会で文部大臣賞を受賞。
1981年 ネスカフェ・ゴールドブレンド「違いがわかる男」のコマーシャルに出演。
1982年 中国の西安美術学院(大学)名誉教授に就任。
1986年 再興第71回日本美術院展覧会で内閣総理大臣賞を受賞。
1987年 北海道空知郡上富良野町にアトリエを構える。
1988年 東京藝術大学日本画専攻教授に就任。(この後から、私・後藤 仁は先生のお世話になりました。)
1993年 真言宗豊山派の総本山長谷寺に襖絵「夏冬山水」を奉納。
1995年 パリ・三越エトワールにて「後藤純男展」を開催。
1997年 東京藝術大学教授を退官。北海道空知郡上富良野町に後藤純男美術館を開館。
1999年 千葉県銚子市に後藤純男美術館を開館(2004年1月30日閉館)。
2002年 埼玉県北葛飾郡松伏町の名誉町民となる。
2006年 旭日小綬章を受章。
2016年 日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。東京藝術大学名誉教授に就任。千葉県流山市の名誉市民第一号となる。10月、敗血症により逝去。


テーマ : 展示会、イベントの情報
ジャンル : 学問・文化・芸術

2017-01-11

清貧芸術家論・・・絵描きの「清貧」なる生き方

 私はあくまでも一絵描きであり、特定の宗教や思想に傾倒している人間ではないのですが、かつて、ゴータマ・ブッダやマハトマ・ガンジー等がとなえた「無所有」という思想にひかれるところがあります。しかし、俗人であり画家でもある私には、その実践は到底不可能です。

                     *

 私の率直過ぎる言動は、時に他者から大きな誤解を招く場合がありました。先日、大学時代の同級生から久しぶりに電話があったのですが、「仁は昔から権威志向があったから・・・。」という言葉を聞いて、「ああ、他人はそんな風にとらえるのだな・・・。」と思いました。(その電話相手は酒井田柿右衛門の奥さんなので、当人の方がよっぽど ブルジョア・権威者を志向しているじゃないか、と思いましたが・・・。ただ、学生時代の旧友は、歯に衣着せぬ発言で正直に言ってくれるので、その内容に一理ある可能性も考慮して、心に留めておきましょう。)確かに、年配者ほど肩書にこだわるので、本当は自分の価値観ではないのですが、あえて肩書や世間的評価を強調する場面が、近年の私にも度々あります。そうしないと周囲の人々から、特に年配者から低く見られる嫌な経験を何度もしているからなのです。大多数の世人は、純粋にその人の”絵”の実力や努力を見てくれないもので、その人の背景ばかりを見たがるものです。

 たまたま私は、中学生・高校生の頃は、学校で1~2位を争う位に足が早かったのですが、高校の体育祭の徒競走で1位を取ったりしているのを見たクラスのある男は、「後藤は戦争があったら、いち早く駆け付けて戦うような性格であろう。」という意見を述べました。それを聞いて、「ああ、世人はそんな風にとらえるのか・・・。」と思いました。曲解もはなはだしいですが、私が大の厭戦家・非暴力主義である事を知らないのでしょうね・・・。大阪市立工芸高校 美術科では、私は美術の実技も学科も体育も全て群を抜いた首席だったので、周囲の妬みも頂点に達していたのでしょう。卒業直前に美術科で作った小冊子があるのですが、クラス40名の中で「最も出世しそうな人ランキング」第1位には、私が選ばれていました。他人は勝手な観測をして、勝手な警戒をするものです。
 東京藝術大学 日本画専攻では、さすがに私より絵の才能のありそうな人がクラスに2~3人はいましたが(手先の器用さでは、多分私に優る人はいなかったでしょう)、誰よりも真面目にコツコツと描き続ける私に出世の脅威を感じた人もいたようで、クラスの中心的な一部の人達から、言葉と態度での攻撃を受けた事も度々あります。多くは嫉妬・恐怖心からの言動なのかも知れませんが、いずれも私の本意を突いておらず、誠に残念な事です。
 私は子供の頃から、”絵”を描く事のみに心底からの幸せを感じて来ました。ただそれだけの価値観です。ある種の異常性なのかも知れませんが、それに関する事以外には何の魅力も感じないのです。社会的な出世欲や金銭欲・物欲は、一般人に比べて極めて低い方だと思います。

 大学の時、1年生より2年生が、学部生より大学院生の人達が偉そうにしている日本画界の縦構造を目の当たりにして、大いに疑問を感じました。大した事もせず、ただ、そこにいるだけでも、人は勝手に進級して行きます。それなのに上の学年だという理由のみで、偉そうにできるのだろうか・・・。それが、講師・教授、院展作家ともなれば、雲上人の様相です。大学2年生の頃には疑問は膨らむ一方で、「自分はこんな低い実力のまま安易に出世して、下の者に威張りちらすような人間になってはいけない・・・。」と思い悩むようになりました。大学1~2年時の私への先生や先輩・同輩からの評価は、そのまま行けば後藤は必ず出世して来るだろう、という雰囲気でしたが、私もそんな周囲の視線をひしひしと感じていました。
 当時の私が、夢を抱いて入学した東京藝術大学に幻滅を感じ、2年生の終盤から2年間余りも通学を止めた理由には、切磋琢磨しあえそうな真の絵描き仲間に出会えなかった失望感の他にも、出世を遅らせたいという奇妙な思考もあったのです。大学を2年間も留年する事で、私が落第生の烙印を押されたなら、誰も私が「出世を狙っている、権力を欲する」等という根も葉もない噂を流さぬだろうと・・・。また、そのような重い足かせを自分に着せる事で、私自身が「慢心」から遠ざかり、茨の路を歩めるだろうと。それでこそ、本当の芸術家になれるだろうと・・・・。
 私はやはり、かなりの変わり者なのでしょうが、当時は若気の至りも強く、今以上にバランスの悪い人間だったようです。

 実はそのような逆行行動は、高校・予備校・大学と度々取って来ています。美術予備校・立川美術学院 時代にも、あえてふざけたバカ生徒のふりをして授業にほとんど出ないという奇行を取っていました。そんな私の有様を見た予備校の時のほとんどの知人は、未だに私の事をバカな男だと思い込んでいるようですね。彼ら彼女らは、私の人生を通した演技に、まんまとだまされたのです。大学時代の知人にも、「後藤はいい加減な人間だ、何を考えているか分からない・・・」とか、だいたい評判が悪いようです。その反面、中学校・高校時代の先生や後輩の多くは、私の事を「天才」「超人」「宇宙人」等と言って、過大評価してくれていました(同輩からは大抵嫌われますがね)。ここに、私にも理解しがたい不思議な二律背反が起こっています。自分の事は案外よく分からないものですが、実際の私は、その評価のどちらでもなく、ただの「絵を描く事が好きな変わり者」なのではないかと考えています。
 確かに私は人並み外れてバランスの悪い変わり者である事は間違いないでしょう。自意識過剰の部分もあるのでしょう。そこが悟りを開けない一番の要因なのだと理解しています。ただ、懸命に制作に没頭する姿や自信過剰とも取られる言動からなのか、あらぬ疑い・・・「権力を志向している」「自分だけの利得を考えている」だのといった憶測が未だに生きている事に驚くのです。
 そのような憶測の要因があるとすれば、ひたすら自己の制作に打ち込む姿勢が自分本位ととらえられる可能性や、「権力への反抗心」が他人からは「権力への志向」としてとらえられる可能性が考えられます・・・。私は間違った権力者が世間に幅をきかす事に、大きな危惧を抱いています。元来、社会の歪みや矛盾には、かなり敏感な方で、特に弱き者が強き者に抑圧される事象が許せないという根っからの性質があるのです。間違った思想を持った人物が世間から評価され、権限を行使して、弱き者達を駆逐していく構造には許せない憤りを感じます。私は、偏った権威権力を毛嫌いしている人間なのです。それは、美術界もその他の一般社会においても同じです。もし世の中にそのような傾向が強まって来るのなら、私の小さな力ですが出来る範囲で一絵描きとして、作品表現上で抵抗していかなければならないとの信念は持っています。

                     *

 「茨の路を行く・・・」口で言うのは簡単ですが実践するのは至難の路です。私は日本画界での安直な出世から、あえて遠ざかり、無所属の不安定な路を歩みました。豊かな家柄でもなく地方出身の私が、絵の世界で生きていくのは、至難の業です。

 私は高校3年生で初めてアルバイトをしましたが、民芸品店の販売員で時給は確か560円位でした。その後、高校3年の終盤、実家を離れ大阪の鶴橋の ぼろアパートに住み込み、新聞配達とファストフード店員を掛け持ちしながら2か月間ほど高校に通いました。当時の私は親との折り合いも悪くて、早く家を出たかったのです。高校卒業後は上京して、新聞奨学生として新聞配達・集金をしながら1年間、美術予備校に通いました。私の独り立ちは、のっけから波乱含みの船出だったのです・・・。

 大学3年生から2005年末までの約12年間、強欲な経営者の元で「金唐革紙(きんからかわし)」という手製壁紙の復元製作を手掛けたりしました。このブログにも書いていますが、その金唐革紙製作の重労働と自身の日本画制作を両立させるのは、かなり過酷な路でした。ただその頃は、大学卒業後、金銭的には最も安定していた時期で、その点だけは経営者には感謝の念を忘れてはいません。(とは言っても、金唐革紙の賃金と日本画の収入は、合わせても高校卒の初任給程の微々たるものです。)
 大学卒業後、しばらく金唐革紙の仕事が無かったので、1年余り、取手市にある居酒屋のパントリー(飲み物担当)の仕事もやりました。私は誰よりも早く正確に飲み物を作れると評判になり、「パントリスト」という称号で呼ばれました。あまりうれしくはないですがね・・・。
 金唐革紙 製作研究所の経営者の脱税も発覚し、その独善的な振る舞いにも我慢の限界が来て、2005年末、製作研究所を完全に離れました。しかし、それからがまた大変でした。今の私の日本画作品評価額(号3~4万円)で売り絵だけで食べて行くには、1か月間に、F30号位の中品なら1枚、F6号位の小品なら4~5枚をコンスタントに売っていかないと不可能です。何故なら、日本では画商の権限が強くて、百貨店・デパートで画商を通して絵を販売すると、画料(下代)は売値(上代)の20%にも満たない場合がほとんどなのです。バブル期以降、若手作家が絵だけで食べて行くのは奇跡に近い事です。

 金唐革紙を辞めて1年半位は貯金を取り崩しながら、絵の制作だけに集中して生活していましたが、段々厳しくなって来たので、2007年の7月末、とりあえず日雇い派遣労働(時給は800~1100円位)をするしか方法がなくなりました。すぐにできる美術関係の仕事など無いのです。今は倒産した悪名高い グッドウィルという派遣会社に登録して、ソフトバンク・セブンイレブン等のピッキング(荷物仕分け)、クリーニング会社の作業、アウトレット家具店の清掃・販売、引っ越しの手伝い等、単調で過酷な労働ばかりをやりました。ピッキング作業では単調な荷物仕分けを一日中やらされ、松戸の大型クリーニング会社ではガラの悪い年下の社員に罵倒されながら悪臭のする服を大量に洗い、千葉の有名なアウトレット家具店 メガ・・・何とかでは短気な副店長や社員に怒られまくりながらこき使われ、有名な アート・・・何とかいう引っ越し屋では行った先で初めて制服を着させられ、年下の無愛想な社員に怒鳴り散らされながら、重たい荷物運びを延々とやりました。超有名な ヤマ・・・何とかいうパン屋の松戸工場は、焦げ落とし等の作業が過酷で、社員がガラが悪い事で派遣仲間では悪名高かったので、私もここだけは行くのを避けました。その他にも数か所の派遣先を体験しましたが、いずれも単調で過酷な作業が続くだけではなく、社員からは「そこの派遣!」と名前さえ呼んでもらえず、こき使われるさまは、まさに新しい形の「奴隷制度」だと感じました。
 まれに個人経営の社長さん等で良い人もいましたがね・・・。今は、多少改正されて日雇い派遣は廃止されたと言いますが、何らかの形でそれらは存続しているのは間違いないでしょう。そしてその頃、一緒に働いていた社会的弱者の人々・・・ほとんどの人は少しおとなしいが真面目ないい人ばかりでした・・・は、今もそのような実りの薄い仕事を続けているのでしょうか。悲しい格差社会の実態を体感しましたが、なかなか普通の絵描きが知りえない、様々な仕事の裏の部分を知れたという意味では、今後の絵本制作等にもプラスになる点があるのではないかと、今ではポジティブにとらえています。

 2007年末まで、そんな派遣労働生活をしていたのですが、その終盤の2007年12月から松戸市みのり台の、とある個別指導塾の講師をやり出しました。私も美術大学卒とはいえ小中学生になら多少は学科を教えられます。しかし、今必要とされるのは私の比較的苦手な数学や英語ばかりです。やる気のない生意気な生徒に好きでもない学科を教えるのは、全く性に合っていません。おまけに大学卒業したての20歳代前半の若い塾長まで世間知らずで生意気ときていますので、2009年8月でそこを辞めました。ただ、そこの塾生に、学科は全くできないが結構 絵の上手いオタク系の中学生が一人いて、「個性的な彼らの才能を伸ばせる世の中ならいいのだが、良い指導者に巡り合えず一歩間違えば、悪い方向に進んでしまうだろうな・・・」と心残りもありました。
 2007年10月以降、派遣労働、塾と並行して、カルチャースクール/読売・日本テレビ文化センター柏・金町の「日本画・水彩画・デッサン」絵画講師を始めました。その後、NHK文化センター柏やコープみらいカルチャー春日部と、少しずつ講座数を増やして行き、何とかギリギリ生活できる体制を整えて行きました。今は5つの講座を受け持っています。ただ、カルチャースクールの受講者は3か月単位で増減するので収入も安定しませんし、人数に応じて講師料が定まっているので、よほど大人数の教室でもない限り、収入は微々たるものです。

 ついでに今までに経験した、その他の主な仕事を挙げてみましょうか。大学時代には、福岡美術研究所 夏期・冬期講習 講師(数週間)、河合塾美術研究所(東京校)日本画科講師(1年間)、区立児童館 図工教室講師(1年間) 等の美術関係の仕事の他、美術館監視員(1週間)、会場設営・大工(3か月間)、花市場・仕分け(3か月間)、郵便局・仕分け(2週間)、明治神宮の正月のしるこ屋(数日)、百貨店警備員(2か月間)、大学卒業後に NHK大河ドラマ「元禄繚乱」障壁画制作(2か月間)、結婚式ビデオカメラマン(1か月間) 等、今までに30種類位の様々な職種のお仕事を経験しています。これほど多くの職業を体験している人は世の中にほとんどいないと思いますので、この知識を絵本制作等に活かせないかと思案しています。
 こう書いて来ると、常にバイトばかりしていたと誤解されそうですが、実際には、在学中は放課後や春期・夏期・冬期休暇中にバイトを入れ、大学卒業後は週に平均3日間位の仕事を入れ、残りの日や夜間に日本画制作をコツコツとしていたのです。大学卒業後から2008年頃まで、1~2年に一度の「個展」と、1年間に4~5回は「翔の会日本画展」(銀座松坂屋)等のグループ展をコンスタントに開催していたのですから、20歳代後半~40歳頃の自分を、よく頑張っていたなと自ら回想します。最近はグループ展の回数は減っていますが、絵本出版後に「絵本原画展」を集中して開催しています。
 藝大・美大を卒業した友人・先輩は、すぐに美術予備校や小中学校で教えたり、大学の助手に残ったり、カルチャースクールで講師をする人がほとんどでした。絵を教える仕事をしながら絵を描くのが、一番、楽なのは当然分かっています。私も大学時代に1年間、美術予備校・河合塾美術研究所(東京校)で日本画科講師を体験しましたが、あまりに若くから人に指導する仕事をすると、自分に実力も無いのに勘違いして、口だけ達者な「天狗」になってしまう人を多く見て来た経験もあり、私はたとえ苦労をしても40歳近くまでは絵を教える仕事はせずに、自分が制作する立場に専念したい、という自戒の思考も持っていました。


 今までに私は、このような厳しい絵描きの茨の路を歩んで来たのです。多分、ほとんどの同世代の絵描きより苦労して来たと言って良いでしょうね。私は自らを低い地位に置く事で、徹底した茨の路を自分の人生に敷いて、「真の芸術家」を目指そうと願ったのです。 
 近年は40歳を越えて、さすがに私も少しは性格が落ち着いて来ました。もう少し自然体で生きて行っても良いのではないかと、最近は思うようにしています。

                     *

 ここ10年弱は、日本画・絵本の収益と、カルチャースクールの講師料とで何とか食いつないでいますが、まれに大きな展覧会や絵本制作で少しまとまった臨時収入はあるものの、基本的には一般的なサラリーマンの収入の何分の1かのわずかな収入で、何とか生きています。まさに、絵に描いたような貧乏絵描きの生き様です。それは、今ではほとんど聞く事もなくなった美徳の一つである「清貧」と言い換えても良いでしょう。
 清貧生活の中でも、たまに絵本の収益等があると、すぐに日本や世界中の子供達に絵本寄贈をしてしまうので、ますます貧相な生活になるのですが、子供達に笑顔を広めたい性分なので仕方ありません。
 何故、こんなみっともない話をするのかと思われるでしょうが、実体験を赤裸々に示す事によって、私が出世権力志向で動いていない事を証明すると共に、世の人々のお金というものに対する価値観の再検証を試みてみたかったのです。(私は画家なので、「文章」は趣味みたいなものです。故に、原稿料をいただかなくても良いのです。しかし、今後機会があれば、仕事として文章も手掛けてみたいと考えています。)

 日本も世界もお金持ちが偉いという考えが一般的ですが、私の理論ではお金持ちは多くの貧乏人からお金をせしめて生きている分、実は多くの貧乏人に感謝せねばならぬ立場にあると考えています。ただ配分バランスが偏っているだけで、億万長者は何も威張れる根拠は持っていないのです。お金持ちの多くはそれを実力・能力と考えがちですが、時の運や強引な性格がもたらした一過性のものであるケースが大部分でしょう。 
 現在も過去も、人間はお金という幻想に執着して来ました。資本主義というシステムはその最たるものですが、ようやく今頃、その限界説がささやかれ始めました。私はお金のみに価値観を求める多くのビジネスマンの拝金主義的嗜好に、前々からあきれています。人は生きていければ良いのです。何が本当の幸せなのかを熟慮し、最も大切なものは何かを知るべきです。それこそ、無知の知です。
 私の極論では、生活に必要な資産以上の収益のある人は最大99%位まで、世界中のより貧しい人々の福祉や子供の教育等に配分していく位の、大胆な国際的大改革があって良いと考えています。何故なら、世の中に100倍、1000倍以上もの格差を生むほど、他者より能力の高い人や努力している人はありえないからです。わずかな能力や努力の差と大部分の運が、現在の異様なまでの格差をもたらしているのです。資本主義の最も間違っている点がそこにあります。動物の場合は、せいぜい多く食べれるか食べれないか、子孫を多く残せるか残せないかの差しか生じません。それが自然の摂理なのです。
 私は資本主義や機械文明・コンピュータ社会を信じてはいません。ただ当然ながら、それに代わる良いシステムを知っている訳ではないのですが、人類がここらで一度立ち止まって、たとえ不便であろうとも、自然と共に生き、完全なリサイクルが行われて来た、少し昔の永久的に継続可能な生き方を見直すべきではないかと考えています。

 私はブッダやガンジー等の「無所有」の思想に憧れます。また、「不殺生」「非暴力・不服従」の思想にも大いに共感します。ガンジーが亡くなった時に所有していたのは、着ている服と糸車と一冊の本だけだったという逸話を記憶しています。それでも、世界中の多くの人々はガンジーを侮蔑したりはしないはずです。その思想と行動こそが最も尊くて崇高だからです。
 私のような俗人は聖人のようには到底生きられませんし、絵を描くのには画材や資料が必要となります。しかし、絵描きの必要とする物以外への余計な物欲はなるべく控えねばならないと考えています。私は画材がそろえられ、取材旅行ができればそれでいいのです。しかし、そんな純粋な生き方ができれば、それこそ贅沢というものかも知れません。世界中の平均から比較すると、貧乏絵描きと言えど、日本人はほとんどの人が贅沢過ぎるのですから。(ただ、諸々の生活基本料金が高過ぎて、生きていくのは決して楽と言えないのが日本の実情ですが・・・。)
 しかしながら一つ懸念されるのは、本当に志があり実力もあるのに「絵」だけで食べて行けない作家がこんなにも多い日本の現状では、将来、優れた作家は全く育って行かないでしょうし、日本の文化は衰退して行く事でしょう。私の場合は、学生時代の意図的な2年間の留年により、日本画界において少なくとも30~50年分位(半生分)はマイナスのハンデを負ったとは言え(東京藝大・難関美大卒以外の作家より、日本画壇・藝大学閥の有力者に知られている分、余計に出世の妨げになる可能性が高いです)、小中高校時代に「天才絵描き少年・青年」とまで称賛された私でさえ、こんなに辛酸をなめる絵描き人生になるのです。私は人並み以上に極めてタフな精神・肉体なので、こうして今も絵を描けていますが、常人ならば、とっくの昔に絵の路を断念している事でしょう。世間一般の美術文化への関心の向上と、作家をサポートしていける社会体制の構築は不可欠です。私も、もう少し取材を増やせて、画材が豊富に使えるようになりたいものですね・・・。

 今回、色々と思うところが多くて、いつもながらまとまらない文章になってしまいましたが、今の率直な気持ちを文章に書き記しておこうと思いました。かなりの長文になりましたが、偏屈な一絵描きの戯言とお聞き流し下さい。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁




テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

2017-01-08

スリランカ写生旅行 その11

 ・・・・スリランカの旅も残り少なくなりましたが、一旦、ポロンナルワの最終日の朝に戻ります。新年そうそう、黒虫の話もどうかと思い今回に回しましたが、ポロンナルワの宿では、その後も連夜、黒虫との格闘が続いていたのです。18日の朝に見た超巨大な黒虫は、その後も朝になる度に現れましたが、毎回取り逃がしていました。「あれはこの宿のボス虫に違いない。」と確信し、最終日までに決着をつけようと決めていました。
 21日、ポロンナルワでの最後の朝、前日の「ペラヘラ祭」の帰りにアイスクリームのような物を踏み付けたと見え、靴の底に甘い香りの物体がこびり付いていました。シャワー室で靴底を洗っていると、その甘い香りに引き付けられたようで、早速、あの巨漢黒虫が出現しました。ずんぐりと立体的で、体長は日本の物より少し長い位ですが、胴回りが4倍位は太いのです。反射的に、洗っていた靴で黒虫をパチンとやりました。直後に、ボスの敵討ちに現れた中型の黒虫も、続けざまにパチンと返り討ちしました。
 この宿は安くてオーナーも良い方でしたが、この虫達の多さだけには閉口しました。しかし日中は、不殺生をとなえたブッダの遺跡を殊勝そうな顔で拝見しながら、都合に応じて殺生を行う私達人間とは、いかに自分勝手で残酷な生き物なのだろうかとつくづく思うのでした。・・・・・


 「スリランカ写生旅行」18日目、2016年6月23日(木)。アヌラーダプラ遺跡巡りの2日目です。ここでは連夜、猛暑と爆音に悩まされていたのですが、今朝起きると、何故か全く汗をかいていません。スリランカでは毎朝、汗だくになっていたので、逆に不吉なものを感じました。案の定、体はかなりだるくて、完全にお腹をこわしていました。前日の昼食のチキンカレーが悪かったのか、熱中症の症状なのか、理由ははっきりしませんが、かなり酷い体調です。強めの下痢・だるさの他に、軽い頭痛と微熱もあります。それでも葛根湯の錠剤を飲んで、朝食の菓子とバナナを軽く食べて、7:00頃自転車で出発しました。
 まずは遺跡群の南方に向かい、「イスルムニヤ精舎」(入場料・別料金200Rs)を見学します。アヌラーダプラの他の寺院とは雰囲気が異なり、境内中央に涅槃像が安置された本堂があって日本の寺院に近い造りです。本堂裏の巨石に登ると、アヌラーダプラの町が見渡せます。宝物殿には優れた彫像が多数置かれています。美しい寺院なので、どこかスケッチをしたかったのですが、体がだるくて力が出ませんので、この日は写真を撮るだけにしました。スケッチにはかなりの集中力と体力を必要とするのです。
 自転車で北上し、図書館で3550Rsの遺跡入場券を購入し、更に北上し、計4km近く走りました。体調が良くないのでフラフラです。遺跡群の北端、「アバヤギリ大塔」に到着。高さ75mという巨大なダーガバ(仏塔)で、かつてはスリランカの大乗仏教の総本山だったそうです(現在のスリランカには上座部仏教しかありません)。次に「ラトゥナ・プラサーダ」という、スリランカで一番美しいとされるガードストーン(宮殿や寺院の入口左右にある彫像)が残る宮殿跡を見物。次に、スリランカ一美しいというムーンストーン(半円形の石板)が残る「クイーンズ・パビリオン(王妃の建物)」を見物。ムーンストーン全体で宇宙の真理を表しているといい、ゾウ(誕生の象徴)、ウマ(老齢の象徴)、ライオン(病の象徴)、牡牛(死の象徴)が彫られていて、この4種の動物で輪廻を意味するのだそうです。まさに、ブッダのおっしゃられた「四苦」、つまり、「生老病死」の事ですが、・・・このブッダ(仏陀、お釈迦様)の伝記を知りたい方は、私が挿絵を描いた『おしゃかさま物語』 (本間正樹 文、後藤 仁 絵/佼成出版社) 直販のみ: 佼成出版社・佼成ショップ https://www.koseishop.com/product.jsp?id=25208  を読むとよく分かりますよ。(ちなみに、時代が下るポロンナルワのムーンストーンでは、ヒンドゥー教の影響があり、神である牛が死を象徴するのは良くないとの理由で牛が描かれていないそうです。)
 次に「サマーディ仏像」という大きな仏像を拝見し、「クッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ)」という僧の沐浴場跡を見物。最後に「アバヤギリ博物館」を急ぎ足で見学したところで11:00頃、体力の限界が来ました。しかし今日で、アヌラーダプラの主要遺跡は全て見終わりました。朝から体調が優れない上に、何時間も動き回ったので、お腹はグルグルいっていますし頭はボーッとしています。何とか4kmの道のりを宿までたどり着き、シャワーを浴びて、昼食はバナナとヨーグルトを軽く食べるだけで済ませました。(行きに約2km、北上に約4km、帰りに約4km、この日だけで合計 約10kmも自転車で走っています。体調が悪いというのに、随分無茶をしています。)
 午後はくたばったように部屋で寝ていたのですが、気分が悪くて全く食欲が出ないので、夕食時には塩分を取るために塩気のあるピーナッツを数粒食べて水を飲むのが精一杯でした。夕方から夜にかけて体調は悪くなる一方です。しかし、こんな時にも旅の経験がものを言います。これ位までなら、よく休憩して塩と水分を取ってさえいれば、自力で回復できるという自信がありました。
 この日は特に早めに夕方8時頃には睡眠に入りましたが、外の音楽はこの夜も容易に寝かしてくれませんでした。

 「スリランカ写生旅行」19日目、6月24日(金)。朝6時過ぎに起きると、体調はわずかながら回復して来ていました。食欲は無いのですが、何とか朝食のバナナ、菓子、牛乳を飲み込むと、7:00には自転車で遺跡巡りに出発しました。
 昨日、体調不良で、「イスルムニヤ精舎」(入場料・別料金200Rs)をしっかり見れなかったので、再び精舎を訪れました。最後の力を振り絞って、境内の巨石に彫られたゾウの家族の彫像を、F4号スケッチブックに30分余りかけて写生。宝物殿の「恋人の像 The Lovers」と名の付いた、サーリヤ王子と恋人マーラとされる5世紀に作られた優れた彫像を、F4号に30分余り写生。警備をしていた警察が傍らでその様子を見ていましたが、ポロンナルワ等の他の地域の警察と違って、何故かアヌラーダプラの警察は優しい感じの人が多いのです。ここの方が田舎なので、人の性格ものどかなのかも知れません。最初に「スケッチしていいか」と聞くと、「いいよ」と快い返事を返してくれました。描き終わると、「その絵をもらえないか」と言うので、「現物は無理だが写真を撮るのはいいよ」と答えると、喜んでスマホで撮影していました。
 「イスルムニヤ精舎」の手前に大きな池があり、きれいな蓮の花が咲いています。小鳥もさえずり楽園のようです。この蓮をSM号スケッチブックに20分程スケッチ。その途中、野良犬が私に近寄って来ました。すると、つがいらしき2羽の小鳥が鋭い声で犬に襲いかかります。その鳥は前に、キャンディ近郊のペーラーデニヤ植物園でスケッチした、Red Wattled Lapwing という鳥でした。犬はしばらく粘っていましたが、最後は鳥の剣幕に負けて退散しました。スケッチを終えて、犬がいなくなった後にその付近を見てみると、地面に鳥の巣があり、2cm程のかわいい卵が3個ありました。私が巣に近付いても、鳥は遠巻きに見ているだけで、威嚇はして来ません。巣の周りに丁度良い大きさで木組みがしてあるのですが、これは巣が出来た後に、人が巣を守る為に作ったものに違いありません。鳥は、ここの人間が自分達の卵に危害を加えない事をよく知っているのでしょう。スリランカの人々の優しく思いやりのある心根が伝わりました・・・。
 美しい蓮の花と小鳥達のミニドラマを見て気分良くなった私は、今日はこの一か所だけにして、まだ調子の戻らない体を引きずって12:00頃、宿に戻りました。帰路、露店がたくさん集まった通りに立ち寄って、私が講師を務める絵画教室の受講者の方や、日本児童出版美術家連盟(童美連)の絵描き仲間や、親類・友人・知人にお渡しする土産を探しました。金属製のスリランカの腕輪(ブレスレット)が面白いので、インド等に比べて案外物価は安くはないのですが、96個買い入れました。(前は70個位で足りたのですが、最近お世話になる方が増える一方なので、帰国後手渡しするのですが、96個でも足りない位でした。)後は自分用の安いシャツ(500Rs)を購入。
 昼食は軽く、パン、バナナ、ヨーグルトを食べました。お腹の具合はまだまだ良くないですし、だるさも続いています。

 この後、「サルガド・ホテル&ベーカリー」にチップ50Rsを残して、「ホテル・シャリニ」(一泊部屋代3500Rs、朝食500Rs、エアコン・ホットシャワー・トイレ付)に移動しました。「サルガド・ホテル」は便利な立地にあるのですが、メイン通りに面しているので毎晩響き渡る騒音が難点でした。連泊する人には少々、きついかも知れません。「ホテル・シャリニ」の人が言うには、あの謎の騒音はパブの音楽だそうです。今後、スリランカの近代化を進める上では、騒音規制が必要になって来るでしょう。
 さすがに中級ホテル、「ホテル・シャリニ」の部屋はきれいで快適です。シャワーは上からだけではなく、前面からも湯が出て来る高機能型です。普段私は、現代文明・科学万能説に反論を唱えがちですが、今回の旅では改めてエアコンという文明の利器のすごさを実感しました。所詮私も、現代文明・コンピュータ社会に毒された軟弱な都会人でしかないのですね・・・。
 午後は前後を忘れて爆睡し、夕食に軽くバナナ、ヨーグルトを食べると(体調がどんなに悪くても何か食べないと、衰弱・脱水症状を起こして更に病状が悪化します)、エアコンの効いた快適な部屋で夕方6時頃から再び眠り続けました。このホテルはメイン通りから離れているので、騒音もほとんど聞こえず静かな環境です。ここに来て中級ホテルを予約しておいたというのは、まさに私の豊富な旅の”経験”と”勘”が冴えたと言っても過言ではないでしょう。
 次の日はコロンボへの移動日でしたが、完全でないまでも、体調は劇的に回復しました。(元々私は、ほとんど風邪等の病気にかからないので、免疫力はかなり高いようです。そうは言っても、近年50歳に近づき、若き頃には周囲から超人とまでもてはやされた私の体力も、どんどん落ちる傾向にあります。)


スリランカ旅行「イスルムニヤ精舎」 (入場料200Rs) アヌラーダプラは全体的に観光客が少なめでしたが、この日は修学旅行のような学校の団体参拝客でにぎわっていました。

スリランカ旅行「ホテル・シャリニ」 (一泊部屋代3500Rs、朝食500Rs、エアコン・ホットシャワー・トイレ付)



 明日のアヌラーダプラからコロンボへの列車の旅のお話は、また次回にいたしましょう・・・。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁



テーマ : 旅と絵
ジャンル : 学問・文化・芸術

2017-01-04

スリランカ写生旅行 その10

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。ブログに記すのに時間がかかっていますが、「スリランカの旅」も残り一週間になりました。

 「スリランカ写生旅行」16日目、2016年6月21日(火)。この日はポロンナルワからアヌラーダプラに移動します。ポロンナルワのバスターミナルは町の中心地から離れているので、スリーウィーラー(三輪タクシー/メーターがない場合の値段は交渉制)をつかまえてバスターミナルまで250Rs(スリランカ・ルピー/Rs.1≒0.75円)で向かいます。ポロンナルワ 8:00発のバス(150Rs)でアヌラーダプラに11:30頃到着しました。
 アヌラーダプラの宿は、「サルガド・ホテル&ベーカリー」(一泊1000Rs、ファン・トイレ・ホットシャワー付)に3泊する事に決めて、明日から300Rs(一日)のレンタルサイクル(貸自転車)を3日間分借りました。この宿のオーナーにもスケッチブックをお見せしてお話しましたが、親切そうな方です。
 宿の一階がベーカリーになっていて、パンの他にも本格的な食事もできるので、昼食はそこで、パン、コーラ、ヨーグルト(計435Rs)を食べました。その後、宿の近くの大きなスーパー「Food City」で買い物をしました。アヌラーダプラには蚊がたくさんいるので、蚊取り線香も購入。
 夕食は、同じベーカリーでブリヤーニ(約350Rs)、ジュースを食べて、部屋に戻り、スーパーで買った本格的なカード(水牛ヨーグルト/220Rs)にハニー(トリックル・ヤシ蜜/一瓶 280Rs)をかけていただきました。カードは素焼きの器に入っていて、かなりボリュームがあるので2回に分けて食べました。とても濃厚で美味しいヨーグルトですが、多分、日本ではなかなか手に入らないでしょうから残念です。今まで食べた中では、ネパールのバクタプル名物・ズーズーダウというヨーグルトに次ぐ、至高の美味です。日本で食べるヨーグルトとは比較にならない美味しさです。
 この日も明日のアヌラーダプラ散策に備えて早く寝ようとしましたが、夕方から宿の外で謎の音楽(スリランカの民謡のような)が大音量で鳴り出し、夜遅くまで爆音を響かせていたので、なかなか寝付けませんでした。スリランカの中部地域はコロンボ辺りよりも気温が高めなのですが、ここアヌラーダプラはなおさら暑さが厳しいので、ファンを切ってしまうと(ファンを付けて寝ると風邪をひきます)猛烈な暑さとの闘いになります(夜中でも30度を下回りません)。小さな蚊帳にくるまると、更に蒸し暑く感じます。

スリランカ旅行「サルガド・ホテル&ベーカリー」 ブリヤーニ(約350Rs)、ジュース

スリランカ旅行カード(水牛ヨーグルト/220Rs)にハニー(トリックル・ヤシ蜜/一瓶 280Rs)をたっぷりかけていただくと、超美味なのです。 ( ^^) _U~~ (カードが入っている素焼きの器は、内径が13cm位あるので、蚊取り線香立てに丁度ピッタリでした。)


 「スリランカ写生旅行」17日目、6月22日(水)。朝、目覚めると、首から肩の辺りが汗でびっしょり濡れていました。昨夜の音楽もあり、眠りはかなり浅かった上に、今までの旅の疲れもたまって来ているようで、少しボ~ッとしています。(今思うと、軽い熱中症だったのかも知れません。)それでも、朝食のパンとバナナを食べると、7:00過ぎには自転車でアヌラーダプラの遺跡に向かいました。途中でアヌラーダプラ駅に寄って、25日のコロンボ行きの列車の予約をしました。アヌラーダプラからコロンボまでの「インターシティ・エクスプレス」2等車(450Rs)です。
 まずは「スリー・マハー菩提樹」から見物。この菩提樹は、紀元前3世紀にインドのブッダガヤの菩提樹の分け木を植樹したものと言われており、スリランカ人が最も崇めている菩提樹です。思った程は巨大ではないのですが、早朝から大勢の参拝者に囲まれて、厳かな雰囲気が漂っています。私はかつてインドのブッダガヤで拝見した菩提樹を思い出していました・・・。ここでF4号スケッチブックに1時間余り写生しました。次に、図書館にミニ博物館が併設された施設で、アヌラーダプラ遺跡入場券(一日3550Rs)を購入し、館内を見学。
 アヌラーダプラ遺跡地区は南北5㎞、東西2㎞という広い地域に広がっているので、自転車で移動するにも時々道に迷ったりして大変です。「ジェータワナ・ラーマヤ」というダーガバ(仏塔)を見物。高さ約70mの巨大な仏塔です。次に、アヌラーダプラのシンボル「ルワンウェリ・サーヤ大塔」を拝見。真っ白に塗られた高さ55mの巨大で美しいダーガバです。塔の土台の周囲にはゾウの彫像がずらっと並んでいて、壮観です。この大塔の所で、スリランカ人の親子に話しかけられ、「あなたは先程、スリー・マハー菩提樹を描いていたが、完成したのなら見せてほしい。」と言われて、スケッチブックを見せてあげました。親子はしきりに感心していました。スリランカの人は気さくで良い人が多いです。
 自転車で移動して、「民俗博物館」(別料金300Rs)を見学。小さな博物館ですが、民俗学に関心の高い私には、なかなか興味深い展示内容でした。近くの考古学博物館は休館のようです。ガイドブック「地球の歩き方」では、この博物館内にチケットオフィスがあると書いてあり、先程の図書館(ミニ博物館)は地図にかろうじて「図書館」と記載してあるだけなので、ややこしいです。最初、図書館がこの考古学博物館だと思い込んでいたので、地図の位置感覚が分からずに、余計に道に迷ってしまったようです。次に、「トゥーパーラーマ・ダーガバ」を見ました。高さ19mの白いダーガバです。アヌラーダプラはポロンナルワとは違って、観光客がほとんどいないので、ゆっくり見物できます。
 時刻は2:30頃、そろそろ疲れて来たので今日はここまでにしました。帰りに、「ホテル・シャリニ」という中級ホテルに立ち寄ってアヌラーダプラの最終日の一泊を予約。通常、一地域では一つの宿に滞在を定めて観光するのが最善ですが、アヌラーダプラの最終日だけでも、少しだけ贅沢をしたいと考えました。安いホテルは設備や周辺環境に不備がある場合が多く、一泊1000円以内のゲストハウスに長期宿泊する旅は、後半、かなり疲労困憊になるものです。プチ贅沢といっても、「ホテル・シャリニ」は朝食込みで一泊4000Rs(部屋代3500Rs、朝食500Rs)と安いものですよ。
 遅めの昼食は、宿のベーカリーで、チキンカレー(340Rs)、ジュース2本を食べました。このベーカリーは安くてなかなか美味しいです。

スリランカ旅行「スリー・マハー菩提樹」

スリランカ旅行「ルワンウェリ・サーヤ大塔」

 今まで、もっと過酷な旅を幾多と経験して来た私ですが、さすがに年なのか、今回の旅では、終盤、少々バテ気味になって来ました。昨夜の騒音と暑さが追い打ちをかけたのでしょうか・・・。
 夕食は菓子とバナナで軽く済ませて、この日も早めに眠りについたのですが、浅い睡眠の中、夜の7時過ぎから明け方まで音楽の騒音が聞こえていました。更に夜には猛暑が襲って来ますし、蚊取り線香をもくもくとたいていても、明け方には蚊が数匹刺して来ます・・・。
 私の”旅の直感”なのか、アヌラーダプラの最終日に中級ホテルを予約しておいたのは、後ほど功を奏する事になります。

 では、アヌラーダプラ遺跡巡り2日目は次回に続きます。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

テーマ : 旅と絵
ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-12-28

近況報告:童美連サロン、鈴木出版絵本制作、童美連忘年会、この本だいすきの会 年の暮れ集会 他

 〔近況報告です〕
 2016年11月29日は、日本児童出版美術家連盟(童美連)の、『2016童美連サロン4「今、大活躍の絵本編集者をお招きして!」』 に参加しました。
 チャイルド本社の浅野久美子さん、くもん出版の堤 嘉代さんをお招きしての講演・質疑応答でした。今、最も現場で動いている、お二方のお話は誠に為になるものでした。浅野さんとは、先日の「太田大八さんをしのぶ会」の後のカラオケ会で、黒井 健さんらと共に歌ったばかりです。
 質疑応答は星野イクミさんの司会進行で行われたので、終始、和やかな雰囲気で、わざわざお越しいただいた編集者に結構気を使われた感じでした。ただ、編集者を戸惑わせる位の作家ならではの鋭い質問はなかったので、余程、私も質問したいと思いましたが、ここは今の童美連 事業部 部長・副部長の高木さんご さん、石川日向さんの方向性にお任せしました。
 時に私は、あまりに相手の深層(本心)をつく意見を述べる場合があるので、今までも多くの画商(絵本業界で例えると、出版社編集者と出版社経営者と営業担当者を合わせたような存在)と上手く行かない場面があったのかなと反省しなければいけない部分もありますね・・・。ただ、それ位の意見を述べ合えても続く関係が、本当は最も良い作品が生まれる環境とも言えるのですが・・・、なかなか今の時代では難しそうですね。

 12月3日は、午前中のNHK文化センター柏教室「デッサン入門講座」の講師(私が教える日本画・水彩画・デッサンの5つの教室の中では一番人数が多いです)を終えた後、松戸の「松戸神社・神楽殿」が修復され杉戸絵・天井絵が一般公開されているというので見て来ました。明治時代の作品ですが、なかなか良い絵です。

 12月8日は、新作絵本制作の打ち合わせに巣鴨まで行って来ました。まずは、巣鴨の「とげぬき地蔵尊・高岩寺」に参って、塩大福を購入。巣鴨の絵本出版社というと、日本の絵本出版社の最大手・福音館書店と思うでしょうが(福音館書店ビルでも、前の絵本制作時に打ち合わせをしましたが)・・・、今回は素通りして、実は老舗児童書出版社の鈴木出版(すずき出版)なのですね。
 打合せ時間の1時間前に着いたので、近くの「六義園」に寄って(最初からその予定だったのですが)、蓬莱島をSM号スケッチブックに20分ばかりスケッチ。その後、鈴木出版で絵本制作の打ち合わせをして帰って来ました。来年9月出版予定の月刊絵本「こどものくに」であるとまで言っておきます。詳しい内容はまだ話せませんが、良い絵本になりそうですので、お楽しみにしていて下さい。

鈴木出版(すずき出版)鈴木出版(すずき出版)

六義園「六義園」 この季節 紅葉がきれいでした~


 12月18日東京造形大学「絵本講師」の履歴書(学歴、職歴、著作物・展覧会の経歴 等)は、非常勤講師といえど10枚も書かないといけないので、内容をまとめて書き終えるのに3日もかかって(もちろん他の仕事をしながらですが)、この日、無事送付しました。一応、内定しているとはいえ決定している訳ではないので、後は選考審査を待つのみです。
 週に1回、3時間だけの「絵本講義」ですが、通勤に往復5時間余りかかるので、制作やその他の雑事も加えて、来年はますます大変になりそうです。

 12月20日は午前中、鈴木出版(すずき出版)の新作絵本用のパネル製作を途中まで行いました。パネルを画材店で購入すると案外高いので、手間はかかるのですが、ほとんどの場合は自分で木材を買って来て作るのです。
 昼過ぎから日本児童出版美術家連盟(童美連)の著作権部部会で、今後の「著作権勉強会」のあり方について話し合いました。次に、童美連理事会に出席し、その後、伊勢丹新宿店の「宇野亞喜良 展」に立ち寄ってから、童美連忘年会に参加しました。定員の60名で大いに歓談しましたが、毎年開催されて来た居酒屋も今年限りで閉店するとの事で、私はまだ3度目の参加ですが、時代の流れを感じます・・・。 
 閉会後、猫のダヤンで有名な池田あきこ さん、絵本作家のひらてるこ さん、東京造形大学の講師でもある小宮山逢邦先生、沢田真理先生らと共にカラオケをしました。池田さんはダヤンのように大騒ぎ~、何て元気な人なんだ。ひら さんの沖縄民謡は超上手でした。私はもっぱら、松山千春やさだまさし、佐野元春 等のニューミュージックという今ではほとんど死語となったジャンルを熱唱します。

 12月26日27日は、「第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会」(市川グランドホテル)に参加しました。昨年は仕事の都合がつかずに2日目だけしか出席できなかったので、今年は予定を組み込み全日程参加しました。
 1日目、26日は、絵本作家・イラストレーターの村上康成さんの講演「絵本をめくる、めくるめく時 ~自然の歌をききながら~」を拝聴。釣り好きの村上さんのお話は、とても面白いエピソードばかりで楽しめました。村上さんの絵本作品の、余白を活かしたシンプルなデザイン表現は、実に洗練されています。村上さんのサイン会では、絵本『ピンクとスノーじいさん』(徳間書店)を購入してサインをいただきました。ここでも、サイン会の補佐役をされていたチャイルド本社 編集部の浅野久美子さんにお会いしました。
 夜5時からは「年の暮れ集会 児童文学作家・画家・編集者を囲む交流会」がありました。私は今年も一会員として参加しましたが、日頃から童美連 等でお世話になっている方や、お久しぶりにお会いする方や、初めてご挨拶する方もおられました。会場は、200名弱の作家や編集者や会員で大いに盛り上がりました。
 最近、私は少々疲れ気味でもあり、家まで自転車で30分余りかかるので、二次会には出ずに、この日は一旦帰りました。

 2日目、27日は、童心社 編集長の大熊 悟さんの講演会「ずっと子どもと もっと子どもと ─ 児童図書と紙芝居について」を聴きました。絵本や紙芝居に対する真摯なお考えが垣間見えて、大いに共感する部分がありました。
 童心社や福音館書店 等の絵本出版社は、「絵本」に対する制作理念がしっかりしているのが良い所です。それでも、これからの時代は厳しい時代になっていく事でしょう。童心社からは前に私にも絵本制作の打診があり、アトリエで打ち合わせまでしたのですが、なかなか内容がつめられずに延び延びになっています。近年の出版不況で絵本業界も保守的にならざるを得ないのか、バブル期以前に出版実績が豊富にあるベテラン作家の方に依頼が集中し、若手が絵本を出版するのは極めて困難になっています。まれに40代以下の若手作家で売れっ子の人もいますが、その多くは大衆迎合しやすい軽くて通俗的で、崩しマンガ的な(本来のマンガのレベルに到達していない)作風の絵描きばかりです。(私はマンガやアニメの本質的な芸術性を高く評価しており、手塚治虫、水木しげる、萩尾望都、松本零士、矢口高雄、宮崎 駿さん等は大好きなのですが、その流行に乗じた低品質のマンガもどき作品が膨大にあるのを懸念しています。)本当に才能のある新人がどんどん作品を出して行ける世の中でないと、日本画も絵本も・・・文化全体が先細りして行くのは目に見えています。しかし、世界中の現状を考慮すると致し方無い事なのかも知れません・・・・。私などは微力ながら、一芸術家として、ただただ頑張るのみです。
 こうして、この2日間は誠に充実した時間となりました。この集会が今年最後の大イベントで、後は少しずつ鈴木出版の新作絵本制作を進めながら、大掃除をして、年を越すだけです。しかし、本格的な絵本作画は来年からになりそうです。

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会「第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会」 絵本作家・イラストレーター 村上康成さんの講演  最後はウクレレ演奏もご披露~

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会「児童文学作家・画家・編集者を囲む交流会」 この本だいすきの会・代表 小松崎進 先生のご挨拶

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会村上康成さんと私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会児童文学作家 内田麟太郎 先生と私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会絵本作家 小林 豊さんと私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会絵本作家 きむらゆういち さんと私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会絵本作家 長谷川知子さんと私

第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会「第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会」 最後の大団円


 今年も制作から雑事まで実に忙しい一年になりましたが、東京造形大学の絵本講師や新作絵本制作の本格化 等、来年は今年以上に忙しくなる事は間違いないでしょう。変にマメな私は、空いた時間を見ては、できるだけフェイスブックやブログ等に近況や思った事をまとめてきましたが、来年4月以降は今までほどネットにアップする事も不可能になるでしょうかね・・・。
 今年一年誠に有難うございました。来年が皆様にとって良い年になります事を願って、来年もよろしくお願い申し上げます。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


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ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-12-25

東京藝大(東京芸大)という恐るべき所

 私はおよそ20年前の1996年に、東京藝術大学 美術学部絵画科 日本画専攻を卒業したのですが、競争率20倍以上(当時の日本画専攻)の日本屈指の難関大学といえど、所詮は学生・・・卒業してから”絵”を続ける方がはるかに困難な路なのです。とはいえ、ごく最近は東京藝大の優位性・存在価値もほんの少しずつながら低下気味のようですが、今もその重厚な存在感は美術・芸術界で抜きん出た地位を占めています。一つの評価指標でしかありませんが、美術系の文化功労者・文化勲章受章者の大半が東京藝術大学卒業生だそうです。
 しかしながら最近、絵本業界で活動していると、若いイラストレーター・絵本作家になるにつれ東京藝大の”すごみ”を知らないようですね。東京藝術大学の”すごみ”というのは、入学する難しさや描写技術の高さや「肩書」だけなのではなく、そこを出身とする芸術家の歴史的な層の厚さと人脈の強大さなのです。日本画家はいうまでもなく、横山大観、菱田春草から始まり、高山辰雄、東山魁夷、平山郁夫、加山又造、中島千波、千住 博 先生まで著名日本画家のほとんどが東京藝術大学卒業生です。絵本作家では、いわむらかずお さんや西巻茅子さん、最近では酒井駒子さん等が有名です(酒井さんは油画専攻ですが、私とほぼ同期です)。
 日本美術史をさかのぼると枚挙にいとまがないので、東京藝大の権威や作品レベルもやや落ちつつあると考えられる昨今ですが、私が在籍していた頃だけ、今すぐ思いつく分だけを見てみましょうか・・・。


 私が大学時代に最も仲良くしていた日本画専攻の同じクラスの3~4人のメンバーの中に、文部省か文化庁の役人(記憶が少々あいまいですが、その当時には省庁を辞められて大学教授をしていたらしく、平山郁夫 先生とも知り合いだったそうです)の娘さんがおりました。彼女は随分と個性的で面白い人でしたが、その後、有田焼の家元・酒井田柿右衛門の息子さんと結婚しました。そんなご縁で、柿右衛門邸を案内していただいた事もあります。お二人の結婚披露パーティーでは、千代田区の一等地にある彼女のマンションで、お二人らとともに垂れ幕等の制作をしました。酒井田 君が案外不器用だった印象もありますが、威張り気のないとても人のいい方です。その酒井田 浩 君も2年前位に15代 酒井田柿右衛門を襲名して、先日はNHK番組に出演しているのを見ましたが、彼も今では日本伝統工芸界の大物の風情です。
 日本画専攻の私の少し後輩には、千家十職(せんけじっそく/茶道に関わり三千家に出入りする十の職家を表す尊称)の一つで京焼の家元・永樂善五郎のお孫さんもいました。彼とは金唐革紙(きんからかわし/手製高級壁紙)の復元製作で一緒に仕事しましたが、「手が痛い痛いで・・・」と嘆きつつ、一か月程で彼は辞めていきました。彫刻科の後輩には、関西で有名な竹工芸作家家系の田邊竹雲斎の息子さんの田辺小竹 君もいました。彼は私と同じ大阪市立工芸高校 美術科の卒業生でもあります。最近は日本の百貨店や海外でも個展を開催して活躍しています。日本画専攻の少し先輩には、上村松園のひ孫さんもいました。このように東京藝術大学には、著名で歴史的な日本画家や職人家系のご子孫が多く在籍しているのも特徴です。

 当時の日本画専攻 博士課程には村上 隆さんが在籍していましたが、私は美術予備校・立川美術学院 日本画科でも彼にデッサン・水彩画(着彩)を学びました。彼は大学卒業後、現代アートの路を歩み、日本を代表する現代アートの奇才になったのはいうまでもありません。私が藝大に入学する少し前には千住 博 先生が在籍していました。先輩に聞くと、医者の息子の千住 先生は、当時スポーツカーで学校に通って来ていたらしく、教授から「苦学生もいるのだから止めてくれないか・・・。」と言われる位の羽振りだったらしいです。
 さらに、日本画専攻の少し先輩にはタミヤ模型の社長の娘さんもいましたし、私と同じクラスには神奈川県で1~2を競う富豪の家柄だとか噂される娘さんもいました。このように学内に、社長・会長や富裕階級のご子息・ご息女が多いのも東京藝術大学の特徴です。
 教授陣も当時は、平山郁夫 学長をはじめ、名誉教授に高山辰雄 先生、教授に加山又造、後藤純男、田淵俊夫、福井爽人 先生 等、当代の超一流日本画家が教えていました。現在の東京藝大 日本画専攻の教授陣は、当時と比べると見劣りする感は否めません。

 その他にも、美術大学で講師をしたリ各分野で大活躍する美術家・日本画家等が、先生・先輩・同輩・後輩に数えきれないほどいるというのが東京藝術大学の本当の恐ろしい所であり、”すごみ”なのです。東京藝術大学 日本画専攻のクラスの半分位は、著名な作家の家柄や裕福な家系の人々で、残りの半分が私のような中流階級から少し貧しい家庭の子供なのです。また、3分の2以上は首都圏出身者で、地方出身者は極めて少ないです。当然ながら前者の方が将来出世する可能性はぐんと増しますので、私のような地方出身の一般人は相当苦労する事になるのですが・・・。
 しかし、それらの全ての方々と今も交流が続いているという訳ではありませんが、若い頃から、いわゆる一流作家の人脈の中で勉学できた事は、今になって考えるととても良い環境であったかと思っております。学生時代には権威・権力に対する矛盾・反発を感じた事も度々ありましたが、年を経て今振り返ると、良い面悪い面があるにせよ、実に素晴らしい経験だったと思うのです。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


立川美術学院 日本画科「美術予備校・立川美術学院 体育祭」(1989年10月) 村上 隆さん、中村寿生 君と私。現在は現代アートの第一人者として知られている村上 隆さんですが、当時は東京藝術大学 日本画専攻の博士課程に在籍し、立川美術学院 日本画科で講師をしていました。左は美術学院の同級生の中村寿生 君(現在、文星芸術大学 日本画専攻 准教授・講師)。

酒井田柿右衛門 邸「酒井田柿右衛門 邸 ─ 柿右衛門の名の由来になったという柿の木の前にて」(1999年8月) 酒井田 浩 君(14代柿右衛門 長男。現在、15代柿右衛門)と私。



佐賀新聞 (2014年3月29日): 十五代柿右衛門さん襲名 450人が祝福
 http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/57310

 お偉くなったからか、近年さっぱり連絡をくれなくなったが、私の同級生だった酒井田晶子さんもお元気そうですな。あれ、お子さんもいるのね~

 

 

テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

後藤 仁(GOTO JIN)

Author:後藤 仁(GOTO JIN)
 ~後藤 仁 公式ブログ1~
日本画家・絵本画家 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画制作、絵本原画制作、写生旅行、展覧会などのご案内を日誌につづります。

  〔後藤 仁 略歴〕
1968年兵庫県赤穂市生まれ。15歳、大阪市立工芸高校美術科で日本画を始める。東京藝術大学絵画科日本画専攻卒業、後藤純男先生(恩賜賞受賞者)に師事。在学中より約12年間、旧岩崎邸、入船山記念館、孫文記念館(移情閣)等の金唐革紙(手製高級壁紙)の全復元を行う。卒業以降は日本画家として活動し、中国・インドをはじめ世界各地に取材した「アジアの美人画」をテーマとする作品を描き、国内外で展覧会を開催する。近年は絵本の原画制作に力を入れる。絵本作品に『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、挿絵作品に『おしゃかさま物語』(佼成出版社)。『犬になった王子 チベットの民話』は、Internationale Jugendbibliothek München ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ)の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定される。NHK日曜美術館の取材協力他、テレビ・新聞等への出演・掲載も多い。金唐革紙保存会 主宰。日本児童出版美術家連盟(童美連)(太田大八先生、赤羽末吉先生、いわさきちひろ先生らが創設)会員。絵本学会(太田大八先生らが創設、現会長:松本 猛先生)会員。日本中国文化交流協会(井上 靖先生らが創設)会員。この本だいすきの会(代表:小松崎 進先生)会員。2017年度より東京造形大学、絵本講師に就任。千葉県松戸市在住。

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絵:後藤 仁 /文:君島 久子 /出版社:岩波書店絵本ナビ


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